私が何かにつけて雑用を任されるのは、生徒会長だからではなく
あくまで私自信が信頼されているからだと信じたい……信じていいわよね?
和「失礼しました」
プリントをコピーしてもらった私は職員室を後にした。
授業もまもなく終わる。今日はお弁当を作る余裕がなかったため
コンビニで買ってきたものだけど、コンビニ弁当だって立派なお昼ご飯。
空腹は最高の調味料だと言うし。
今日、朝ご飯を食べていない私にはコンビニのお弁当だって立派な料理になるだろう。
「お嬢さん」
今まさに階段を上がろうとした私をしわがれ声が呼びとめた。
振り返るとやや腰の曲がったおじさんが手をすり合わせて、私を見上げていた。
和「なんですか?」
「いやあ実はお願いがあって……ちょっとお手伝いしてもらいたいことがあるんだよ。いいかい?」
やっぱり私は反射的に頷いていた。
私はイエスマンの代表とも言える日本人だけど何でもかんでも頷いてばかりなのはどうなんだろう。
というか、女なんだからイエスマンじゃなくて、イエスウーマンかしら?
和「何を手伝えばいいんですか?」
「簡単なことだよ」
聞けば、このおじさんは購買の担当者らしい。
確かに言われてみれば、ああそういえば見たことあるな、という程度には知っているけれど
基本的に私は購買を利用しないので、ほとんどそのおじさんを見たことがなかった。
「きりーつ!きをつけー!れーい!」
よっしゃー!ついに授業が終わったあ!
号令が終わるとともに、私は全力疾走の体勢に入った。
小柄な私には購買でのひしめき合いは向いていない。
だったら当然の帰結として、私が取るべき行動は一つ。
みんなが購買にたどり着くよりも先に購買に行き、そしてパンを購入してさっさと帰る。
これしかない!
さあ行くぜ!
りっちゃあああああああんダアアアアアアアアアアアアっしゅっってあれれ!?
学校内でも有数の足の速さを誇る私のスーパーダッシュは誰かに腕を掴まれたことによりいともあっさり止まった。
紬「りっちゃんどこ行くの?」
私の腕を掴んでいたのは興味津々と目を輝かせたムギだった。
律「とりあえず腕を離してほしいなムギいやマジで急いでんだってほら
私の台詞にも句読点一個も入ってないだろそれくらい急いでんだよたのむ早く離してくれ」
紬「あ、ごめん急いでたんだ」
ムギは私の腕から手を離した。ていうかムギってお嬢さまなのにすげー力持ちだよなあ。
紬「どうしたのりっちゃん?私の顔に何かついてる?」
うん、前髪の間から沢庵らしきものがちらほらと。
どうでもいいけど沢庵の美味しいメーカーと言えば
右大臣とかいうのが確か美味しかったような……って違うわ。右大臣は卵焼きのメーカーだ。
紬「りっちゃん、もしかして購買に行くの?」
律「うん、もしかしてムギも購買に行くとか?」
紬「そうよ。前から私、購買のパンを食べるのが夢だったの」
そこで何の脈絡もないけど私は唐突に思い付いた。
【PM 1:01 真鍋和】
和「いいんですか?このパン、ただでもらってしまって」
購買のおじさんはお礼だよ、と愉快そうに笑った。
「お嬢さんのおかげで今日もこうして無事にパンを販売できるしね」
和「でも……」
「若いもんが遠慮しちゃいかん。年寄りの好意を無下にしちゃいかんと母親から聞いたことないかい?」
和「……そうですね。じゃあこのパンはいただきます。ありがとうございました」
「いいよいいよ。こちらこそお世話になったね」
こうして私はパンをただで一個手に入れた。
パンの名前はゴールデンチョコパン。
なんだかすごく楽しかったような楽しくなかったような
あるいは怖かったような怖くなかったようなよくわからない夢を見ていた気がする。
なんだろう。
すごくすごい夢だってことは覚えてるのに、肝心の内容はまるで覚えていなかった。
まあ、寝ているときに見た夢なんてそんなものだよね。
うん、わたしだけじゃないよね?
ところで今は何時何分何秒地球は何回回ったの?
お昼休みはほとんどの場合教室にいるからこうやって購買に人が集まっているのを見るのは初めてだった。
律「くっそーすでに生徒が沢山集まってるな」
紬「すごい人ね」
本当にすごいすごい。
激しいおしくらまんじゅうみたいにみんながひしめいていて、見ているだけでこっちまで暑くなってきた。
律「くっ……仕方ない。こうなったら……!」
強行突破だ!――りっちゃんはそう叫ぶと群れに飛び込んでいった。
紬「頑張ってりっちゃん!」
【PM 1:04 田井中律】
この学校の購買でもっとも人気があり、かつもっとも数が少ないパン。
その一つがゴールデンチョコパン。
そしてもう一つが爆熱ゴッドカレーパン。
どちらも数が極端に少なくどちらか一つでも食べられたら、必ず幸せが訪れるなんて噂までまことしやかに囁かれている。
まあ、ようはそれだけ二つのパンを手に入れるのが難しいってことなんだろう。
難しい……うん、確かに難しいんだろうなと思う。
ちょっ……パンを下さっあああいてええ誰だ私の足を踏んだやつは!?
「カレーパンとアンパンマンください!」
なんだよアンパンマンって!?
「ピカチュウパンと夕張メロンパンを!」
ちょっ……マジ死ぬ、死ぬうううつぶさないでえええええええ!
ようやく黒板の内容の全てを丁寧に書き写した私は伸びをした。
やっぱりノートは綺麗にとっておいたほうが、気持ちがいい。
後々、特にテストの時とかはノートが重宝するし。
まあそれは置いておくとして。
お腹がすいた。
私は椅子から立ち上がって、いつもみんなで昼食を食べている唯の席へ向かった。
学校で一番楽しみなことは何ですか?
小学生の頃にこんなを質問をされたことがありましたが、ほとんどの子が給食と答えていた気がします。
私もたしかみんなと同じようにそう答えていたような気がします。
今はお弁当ですけど。
高校になってからはさすがに学校生活において昼食が一番楽しみだ、とは言いませんが、
それでもお昼ご飯の時間がなかったらと思うと何とも言えない虚しい気持ちになります。
憂「梓ちゃん、ご飯食べよ」
梓「やっぱりお昼ご飯の時間は大事だよね」
憂「え?」
梓「ううん、独り言だよ。」
憂「純ちゃんはまだ戻ってこないね」
梓「そうだね」
そういえば授業が終わってから未だに姿を見ていないです。
【PM 1:07 真鍋和】
和「そういえば……」
ふと小耳に挟んだ噂のことを思い出して、図らずも呟いていた。
私はポケットに突っ込んだゴールデンチョコパンの入っていた袋を取り出した。
もらったパンは美味しそうだったので、一人でこっそり食べてしまった。
もし、教室にパンを持ち帰っていたら、唯の胃に収まっていたかもしれないし。
和「やっぱり……」
それにしてもこのゴールデンチョコパン。私の記憶が正しければこれは相当価値のあるパンだ。
三年生から絶大な支持を得ているとかで、滅多に食べれないらしい。
と、なると私は相当ラッキーな人間ということになるのだろうか。
和「とは言っても……」
私はこのパンについてそれほど詳しくは知らないし
興味もあまりなかったせいか、ラッキー特した、とは思ってもそれ以上の感想は正直何もなかった。
情けは人のためならず。今回のことはいい教訓になった。そういうことにしておこう。
にゃあ
聞いた人間全員を知らず知らずのうちに骨抜きにしてしまうような愛らしい鳴き声が足元から聞こえた。
視線を下ろせすと、ちょうど猫が私の足元を横切っていくところだった。
その猫は黒色だった。
【PM 1:08 田井中律】
ネズミを狭い空間に大量に入れたとする。
どれくらい大量なのかと言うとほとんど隙間がないような
――とにかく大量にネズミを一カ所に集めるとどうなるのか。
ネズミは互いに争い互いの肉を食って殺しにかかるらしい。
この話を澪あたりが聞いたら、凍りつくこと間違いなしだろう。
なんでこんな話をしたのかと言えば、まあ今の私がまさにそんな感じの状態だからだ。
「そこをどきなさいよ!」
「うるさい!アンタこそっ」
律「すんませーん!あの、パンとかもう諦めるんで……ちょっ押さないでええぇぇ」
つうかもうパンとかぶっちゃけ、どうでもよかった。とりあえずこの肉の空間から脱出したかった。
しかし、さっきから脱出を試みているが、脱出どころかどんどん奥へ奥へと押しやられていく。
サマソニのモッシュだってここまでは酷くなかった。
梓「そういえば、この前コーヒーを自分で炒れてみたんだけどね」
憂「うん」
梓「なんだか美味しくないんだ。お母さんがその後作ったやつはすごく美味しかったのに」
憂「梓ちゃんと梓ちゃんのお母さんが使ったコーヒーパックは同じ種類だったの?」
梓「うん、一緒だったよ。えと、そうそうブルックスコーヒーっていうのだった」
そこまで言ってから梓ちゃんは腕を組んでう~ん、と唸りました。
普段梓ちゃんはそんなポーズをしないので、なかなか新鮮でした。
私はコホン、と喉を鳴らして梓ちゃんにアドバイスをすることにしました。
憂「とりあえずゆっくり熱湯を入れるのがポイントかな?」
梓「うんうん」
憂「熱湯を入れる際にはカップを傾けておいて、円を描くようにするんだよ」
梓「それで変わるの?」
憂「うん。それと最初、熱湯を入れる一回、もしくは二回までは、特にゆっくり待たなきゃダメだよ」
梓「ほえー」
憂「それとコーヒーのパックを抜くときなんだけど、コーヒーは最後の一滴が一番まずいからすぐ処理すること」
梓「うんうん、さすが憂。ありがとう」
憂「どういたしまして」
梓「そうだ、お昼ご飯食べたら純の様子見に行こっか?」
憂「うん、そうしよう」
【PM 1:09 平沢唯】
澪「唯、どうした?顔色が悪いけど……」
唯「た、大変だよ、澪ちゃん……!」
恐ろしいことが起きてしまった。
視界が滲んで、澪ちゃんの心配げな表情までぼやけてしか見えない。
唯「お弁当忘れちゃった……」
わたしのランチタイムはわたしのせいで一瞬にして台なしになった。
澪「お弁当を忘れたって……家に置いてきたのか?」
唯「ぅん」
憂にお弁当を渡されたところまでは覚えてるんだけれど、そこからの記憶がなかった。
どうしたんだっけ?どうしたんだろう?
唯「……思い出せない」
思い出しても意味ないから思い出さなくても別にいっか。
和「あら?まだご飯食べてなかったの?」
ちょうどその時和ちゃんが帰ってきた。
【PM 1:10 田井中律】
目の前に黄金の輝きがあった。
ゴールデンチョコパン。
必死に女傑たちの群れから抜けようとして逆に押し込められた私は、いつの間にか購買の最前列に来ていた。
そして目の前にある神々しい物体は――
律「ゴールデンチョコパン……!」
私はそれを手にとった。
律「ゴールデンチョコパンくださあああああああい!」
腹の底からのシャウトとともに財布を開いて、金払って、後は素早く立ち去るだけ!
「あいよ!360円ね!」
私の財布に入っていた全財産は260円だった。
【PM 1:11 琴吹紬】
紬「あ……」
人だかりから不意にりっちゃんが出てきた……とんでもなくボロボロになってだけど。
紬「りっちゃん大丈夫!?」
律「うぅ……ムギいぃ!」
りっちゃんの顔がくしゃりとゆがんだ。次の瞬間、倒れそうになって慌てて私は足を踏ん張った。
りっちゃんに抱き着かれた。
紬「り、りっちゃん、ど、どうしたの?」
律「わ、私のランチタイムが、ううぅ……」
抱き着かれてちょっと照れつつ、困りつつ、どうしようかな、と途方に暮れていると
りっちゃんの叫び声に負けないくらいの悲鳴が、目の前の人だかりから聞こえてきた。
「どうしてゴールデンチョコパンが一つしかないの!?」
「な、なんだと!!」
「ば、馬鹿な!?」
「ゴールデンチョコパンは三つあるはずだ!!」
「おじさんどうなってるの!?」
「なんですって!?一個生徒にあげた!?」
「誰に!?」
「そんな……!」
「待って!でもたとえ一人にあげたとしてもあと、もう一個はどこにいったのよ!?」
「そ、そうよ!どこにもう一個はあるのよ!」
「このままだと職員会議もんの問題になるわよ!」
どうも何か問題が起きたしい。
そういえば以前、梓ちゃんがゴールデンチョコパンというパンは
一日に三つしか販売しないってそう言っていたような気がする。
雰囲気がピリピリし始めたので、とりあえずは一旦教室に戻ろうと足を一本踏み出そうとすると、
にゃあ
女の子たちの悲鳴やら怒声やらに交じって可愛らしい鳴き声が足元からした。
視線を落とすと黒猫が、まさに私の横を過ぎ去っていったところだった。
ただしその猫は何かを加えていた。ううん、引きずっていたと言ったほうがいいかしら。
長いパン。まるで、今話題筆頭のゴールデンチョコパンのようにそれは見えた。
みんなに教えてあげるべきか少し迷って、何となくやめた。
紬「りっちゃん……とりあえず教室に戻りましょ」
私の胸に顔を押し付けていたりっちゃんがようやく顔をあげた。
紬「!」
次の瞬間、魔法にかけられたかのように私は固まってしまった。
律「ムギ……?」
魔法。確かに今の――カチューシャが外れて前髪の下りた
涙目のりっちゃんには、それくらいの効力はあるかもしれない。
最終更新:2010年06月01日 00:13