部室につくと、りっちゃんたちがにぎやかに出迎えてくれた。
軽音部はいつだって、わたしを暖かい空気でつつみこんでくれる。
「どうした唯~?呼び出しなんか食らっちゃって~。どうせまた、成績のことで注意されたんだろ?」
「むむっ!ちがうよぉ~。それにりっちゃんにだけは成績のことを言われたくないなぁ!」
「なんだとこらー!わたしだって、本気だせばテストなんて楽勝なんだぞー!」
そう言ってりっちゃんは、わたしのほおをひとさし指でグリグリつつく。
「ほ~。ならこれからは、テストの前日になっても私に泣きついてくるなよ」
澪ちゃんがそう言うと、りっちゃんの顔がひきつった。
「うわー!そんなこと言わず、お助けくださいみおしゃま!!」
りっちゃんは澪ちゃんにしがみついて懇願する。この二人は本当に仲がいい。見てるこっちがほほえましくなってくる。
「ほら!お礼にチューしてやるよ!チュー!」
「わわっ!?やめろ律!みんな見てるんだぞ!」
澪ちゃんがあわてて抵抗する。
「あらあらまあまあ」
ムギちゃんが笑顔でその光景を見守っていた。
「いつまで馬鹿なことやってんですか。唯先輩が来たんだから、はやく部活を始めましょうよ」
あずにゃんがあきれてツッコミをいれる。
その言葉に、ようやく澪ちゃんを解放したりっちゃんがうなずいた。
「そうだな。じゃあムギ、お茶の準備だ~!」
「は~い」
「なんでですか!」
部活を終えるとわたしたちは、学校を出て帰路についた。
途中まではみんな一緒なので、今は五人並んで道を歩いている。
外は真っ暗で、いつも目にする街並みはみな夜に溶けてしまった。
冬枯れした街路樹が等間隔に、番人のような顔で立っている。一人なら怖いはずのその景色が、五人でいる今はなんとも感じない。
「な~唯。今度の日曜日なんだけどさ、みんなで買い物に行かないか?」
車道側を歩くりっちゃんが私にたずねる。
「買い物?いいねいいね~。絶対行こうよ!」
わたしは迷わず快諾した。
「よーし決まりだ!いろんなところを見て回ろう!
…そういえばさわちゃんも誘ったんだけど断られちゃったんだよな~。日曜日は忙しいとかなんとか言って」
「ありゃりゃ。さわちゃんどうしたのかな?」
わたしは首をかしげる。
「もしかして、男でもできたんじゃないのか~?」
りっちゃんはニヤリと笑った。
「ばっ、馬鹿言うな律!さわこ先生にか、彼氏なんてできるはずないだろ!」
澪ちゃんが顔を赤らめる。
「それはさすがにひどくないですか…」
澪ちゃんに、あずにゃんがつっこんだ。
そんな他愛ない話をしているとあっというまに時間は流れ、わたしたちは別々の道に別れる。
ちょっぴりなごりおしいが、わたしは手をふってみんなにさよならした。
ひとりになると、心なしか少し気温が下がったような気がした。
顔をマフラーにうずめて、わたしは身をふるわせる。
これからあの、誰もいない家に帰るのかと思うと、気が滅入って仕方がなかった。
そんな心細さを煽るかのように、前方に長く伸びた影が闇に踊る。
長い時間をかけてわたしは、ようやく家にたどり着く。
門を開ける前に、郵便受けの中身を確認した。
学校に行っている間に、何か届いているかもしれないからだ。
といっても、公共料金の請求書やダイレクトメールの類が大半なのだけど。
中を探ると、どうやら何も届いていないみたいだった。
よく確認しようとして、わたしは奥まで手を突っ込む。
冷たい鉄の感触だけを、わたしは空虚に手探りしたのだが―、
「いたっ!」
指先に走った軽い痛みに、わたしは思わず声をあげて手を引き抜いた。
中指の先を見ると、その腹にふつりと赤い血のしずくが弾け出している。
驚いて、わたしは注意深く郵便受けの中を覗きこんだ。
そこには、長さ5センチほどのガラス片が転がっていた。
細長い三角形に割れた破片―そのとがった部分で、指先を切ってしまったのだ。
傷口をなめながら、郵便受けからガラス片をつまみ出す。
こんなところにどうして?
こんなものが、勝手に郵便受けの中に紛れ込むことなどありえない。
とすると…。誰かがわざと?そうとしか考えられない。
冷たい風が音を立てて吹く。
深い夜の闇に、姿の見えぬ何者かの悪意を感じて、わたしは軽い吐き気にも似た気分を味わった。
わたしは最悪の気分で、次の日をすごした。
あんなことがあったのだ。気が滅入らないはずがない。
軽音部の誰かに相談しようかとも考えたが、結局そうすることなく一日を過ごした。
ただのいたずらだろうし、みんなにはあまり心配かけたくはなかった。
学校では普段どおりの態度で生活し、家に帰ったあとは何をするでもなく、
憂のベッドでシーツにくるまり、不安や心細さを必死で頭から追い払った。
日曜日になると、わたしはみんなと約束どおりショッピングに出かけた。
洋服屋さんや ゲーム屋さんなどをみんなで見て歩く。日々の悩みや窮屈さを忘れて、それを満喫した。
楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、いつのまにか時刻は夕方の16時を回っていた。
あたりは少しずつ暗くなってきて、街の明かりもちらほらと灯をともす。
みんなはさすがに歩き疲れて、そろそろ帰ろうかという話になっていた。
もう少しみんなといっしょにいたい気持ちにかられたが、あまりわがままはいえない。
そのとき、わたしは遠くによく知る人物を見かけた。
その女性―さわちゃんは見知らぬ男性といっしょに歩いていた。
だが声をかける間もなく、さわちゃんとその男性は人ごみの中へと消えてしまった。
あの男性は誰なのだろうか。まさか本当に、さわちゃんにいい人ができたとでもいうのだろうか。
あまりそういう雰囲気には感じられなかったけど。
今見たことをみんなには告げず、わたしたちは帰路についた。
わたしは家につくと、確認のため郵便受けの中を探った。
ガラス片の一件があるため、慎重に中を確かめる。心なしか指がふるえた。
しかし、その日はとくに危険なものは入っておらず、ほっとして胸をなでおろした。
やはり、あれはただのいたずらだったのだろうか。
安心したわたしは、軽い足取りで家へと入る。
しかしそこでわたしは、不可解なものを目にした。
リビングのテーブルの上に、一枚の封筒が置いてあったのだ。
いったいいつのまに…。この家に出入りする人間は、わたししかいないのに。
「なにこれ…」
わたしはビクビクとふるえながらでそれを手にとる。
どこにでもあるような白い定型封筒だった。あて先も差出人の名も、そこには書かれていない。
これはいったい何なのだろう。わたしはおろおろと周囲に目を配った。
どこかから誰かが、じっとこちらを見つめているような気がしたからだ。
白く明かりが灯ったリビングには、しかしもちろん、誰の姿もない。
なかなか決心がつかなかったが、わたしはようやく封を切った。
中には一枚の紙切れが入っており、そこには汚い字でこう書かれていた。
『思い出せ、お前の罪を
思い出せ、お前の醜さを
近いうちに、楽にしてやる』
悪夢のただなかに放り込まれたような、全身が痺れて動かなくなったような心地で、
わたしはしばらく、その文面から目をはなすことができなかった。
これはいったいどういうことなのだろう。誰が、何の目的でこんなことを。
そこでわたしは、ガラス片の件を思い出す。
もしかして、この手紙の差出人はあのいたずらを仕掛けた人と同一人物なのではないだろうか。
だとすれば、明らかに悪意をもって、わたしを狙っている。
そして『近いうちに、楽にしてやる』という一文。
なにかしらの手段によって、わたしを脅かそうという意思がありありと見て取れた。
右手にもっていた紙が、音もなくテーブルの上に落ちる。
急に強い寒さを覚えたわたしはリビングを出ると、すぐさま憂の部屋へとむかった。
シーツにくるまると、明かりもつけず、部屋の隅でガクガクと震える。
真っ暗な闇の中に、あるはずのない誰かの視線を感じた。
静けさの中に響く、聞こえるはずのない誰かの笑い声……。
『思い出せ、おまえの罪を』
わたしの罪とはいったい何なのだろう。何を思い出せと言うのだろう。
「怖いよ…。憂…」
おびえながらわたしは、眠れない夜をすごした。
次の日からわたしは、軽音部のみんなの家に泊めてもらうことにした。
あの家に―平沢家にいては、いつどんな危険な目にあうかわからない。
みんなには、くわしい事情は話さなかった。
ただ「独りはこころ細いから泊めてほしい」とだけ告げると、みんなはすぐに快諾してくれた。
みんなの心遣いに思わず涙ぐみそうになって、それをかくすのが大変だった。
軽音部のみんなの家に泊まるのは初めてのことだったが、
すごい居心地がよくて、きゅうくつな思いをすることはまるでなかった。
夜はいっしょに布団にくるまって、いろんなことを話した。
りっちゃんとは、これからの放課後ティータイムについてあつく語った。
『武道館ライブという目標にむかって、これからもがんばるぞ!』そう言ったりっちゃんの目は、きらきら輝いてた。
澪ちゃんとは、今までつくった曲の思い出や、これからの曲作りについて話し合った。
とちゅう、新しく書き下ろした詩を朗読してくれたけど、すごいよかったと思う。
少し背中がかゆかったけれど。
ムギちゃんの家―お屋敷はすごい広くてめまいがしそうだった。
料理もたくさん出てきたし、お風呂もすっごい広かった。
たった一日だけど、なんだかお嬢様になった気分で愉快だった。
夜は二人で、軽音部の仲間たちの話で盛り上がった。
なんだかムギちゃんの鼻息が荒い気がしたけど、あれはどうしたのだろう。
最後はあずにゃんの家に泊めてもらった。
あずにゃんの部屋にはたくさんのレコードやCDがあって、すごいびっくりした。
せっかくの機会なので、わたしはあずにゃんにべったり甘えてすごす。
夜には、今までの思い出をいっぱい話した。
学校のことも、放課後ティータイムのことも、そして―憂のことも。
「あ~、あずにゃんはやっぱりあったかいなぁ!」
「ちょっと唯先輩くっつきすぎです!もう少しはなれてください!」
布団のなかでからみつくわたしに、あずにゃんが抗議する。
「だって~、あずにゃんといっしょに寝れるのがうれしいんだもん!」
「もう…。しょうがないですね。今日だけですよ」
「やった~!」
夜なのでわたしは、声をひそめてよろこんだ。
今わたしたちは、ひとつの布団をふたりでつかっていた。わたしはあずにゃんにぎゅっと抱きつく。
するとあずにゃんが、天井を見つめながら言った。
「やっぱり、唯先輩心細いですよね…。憂がいなくなっちゃって……」
「え~。わたしはあずにゃんがいるから平気だよ!みんなもいるしね!」
「そんなことばかり言って…。みんなわかってるんですからね?唯先輩が強がってるって」
「……」
「だから、唯先輩が泊めてほしいって言ったときは、みなさんすごい喜んでたんですよ。
親友なんだからもっと頼ってくれてもいいのにってずっと言ってて…」
「あずにゃんも喜んでくれてたの?」
「わ、わたしは別に…!とにかく!もっと私たちのこと頼りにしてください。最近ますます暗い顔してるから、みんな心配してたんです」
手紙の一件が脳裡をかすめる。
「うん…。ありがとう、あずにゃん。わたし、もう少しだけみんなに甘えさせてもらうね…」
目をつむって、より体を密着させる。シャンプーの匂いが鼻をくすぐった。
「大好きだよ…あずにゃん。みんなも…」
なんだか安心してしまったわたしは、急に強い眠気に襲われた。
いろんなことがあって疲れていたからだろう。それはとてもあらがえるものではなかった。
「だ、大好きだなんて、またそうやって…!そ、そういえば唯先輩…」
あずにゃんがまだ何かしゃべっている。意識が遠くなるにつれ、だんだんと声が小さくなる。よく聞き取れない。
「唯先輩、あのテープのことなんですが……」
テープ?テープっていったい何の…?それって…。
そう尋ねる前に、私の意識は深い深い闇の中にもぐっていってしまった…。
一週間近くにわたって、みんなの家を泊まり歩いたわたしは、ようやく自分の家に戻ることにした。
まだ不安は残っていたが、気持ち的にだいぶ回復してきたし、手紙の主もそろそろあきらめたかもしれない。
そんなことを考えながら、やっと家の前にたどり着く。するとそこには、意外な人物が立っていた。
それは和ちゃんだった。
彼女とはもう、長いこと話をしていなかったため、
嬉しいやら困惑するやら、複雑な心境になる。
なんと声をかけようか迷っていると、和ちゃんがこちらに気づいた。
彼女はすこし驚いた顔をしていたが、すぐに踵をかえして、立ち去ろうとする。
最終更新:2010年06月01日 21:27