――そのころ、梓は――
梓「日本に帰ってきたのはいいけれど、ここまで暇だなんて」
梓「お母さんたちは帰ってこないし、純はイギリスだし」
梓「そのうえ、澪先輩と律先輩の居所は知らない」
梓「ムギ先輩は日曜も忙しいだろうから、会えない」
梓「そうなると、唯先輩……」
梓「いや、やめておこう」
梓「辛い思いをするだけだもん。お互いに」
梓「散歩でもしよう。もしかしたら、知ってる人に会えるかもしれない」
梓「お腹も減ったから、二郎でもしようかな」
梓「……でも、たまには他のお店にも行ってみようかな」
梓「おしゃれなお店。大人っぽいレストランでも探そう」
ドア「ニコ」
梓「考えてみれば、私ってそういうお店を一つも知らないんだよね」
梓「好きな食べ物がラーメンだとかたいやきみたいな、子供丸出しのもの
だし」
梓「そうだ! たいやきを買おう! アメリカにはないもんね」
梓「そうと決まれば甘味処仏陀に急ごう!」
梓「……いやいや、結局そうなるのは駄目だ」
梓「今日の目標はおしゃレストランを見つけることなんだから」
澪「……あれ、梓だよな。なんか一人で面白いからもうしばらく見ていよう」
梓「レストランっていうからには、イタリアンだよね!」
梓「イタリアンはあっちでも食べられるけどね」
澪「じゃあ、私と一緒に食事でも行かない?」
梓「ひっこんでて! 今、私は高尚な考えに――って、澪先輩!」
澪「相変わらず梓は面白いな」
梓「あ、あの。お久しぶりです!」
澪「うん。元気なようでなによりだよ」
梓「澪先輩はなにを?」
澪「ああ。今日の晩御飯の買い出し。今日は律の弟が来るからさ」
梓「……もしかして」
澪「そういえば言ってなかったっけ。私、律と結婚したんだ」
梓「マジですか!」
澪「うん。梓はアメリカで忙しかっただろうから、報告できなかったんだ」
梓「驚きです。そうなんですかー」
澪「……それでなんだけど、一緒にご飯でも食べない? 久しぶりに話
もしたいしさ」
梓「はい! ご一緒させてください!」
澪「うん。じゃあ行こうか」
――イタリアンレストラン・ツェペリ――
梓「わぁ~……」
澪「梓、ここは初めて?」
梓「はい。なんか、おしゃれなところですね」
澪「私の趣味は食べ歩きだからな。雰囲気がいい店はけっこう詳しいんだ」
梓「ここって、なにが美味しんですか?」
澪「やっぱりパスタだな。イカスミがイケるんだ」
梓「じゃあ私はそれにします」
澪「……」
梓「澪先輩、変わってないですね」
澪「そうかな。それなりに変わった気がするんだけどなー」
梓「いいえ。あの時と変わらない、素敵な澪先輩です」
澪「褒めたって何もでないぞー。……梓も変わらないよ」
梓「それ、唯先輩にも言われました」
澪「へえ、唯に会ったんだ。いつ?」
梓(しまった)
梓「えと、一昨日です」
澪「私も一昨日、唯に会ったんだよ。スーパーでさ」
梓「そう、なんですか……」
澪「?」
梓「唯先輩も、結婚したんですよね。和先輩と」
澪「うん。……梓、大丈夫か?」
梓「ちょっと辛かったですけど、大丈夫です……」
澪(梓が唯を好きってことを知ってるのは、私だけなんだよな。私がフォロー
してあげないと)
澪「梓にだって、きっといい出会いがあるよ。うん」
梓「ありますかね……」
澪「あるよ! アメリカのイケメン捕まえて国際結婚したりさ! 梓、可愛い
からすぐ見つかるよ」
梓「はは。……と、スパゲッティ来ましたよ」
澪「ん。じゃあ、いただきます」
梓(澪先輩には、言わないでおこう)
澪(唯の話題は出さないであげよう。好きだった人が結婚して幸せに暮らし
てる話なんて、聞きたくないだろうし)
梓「澪先輩、結婚しても仕事続けてるんですか?」
澪「もちろん。やりがいがあるぞー」
梓「まさか澪先輩が小学校の先生になるなんて、思いもしませんでした」
澪「人見知りだった私、さようならってやつだよ」
店員「お水、おかわりどうぞ」
澪「ふぇ!? お、お、お、おおおおお願いします!」
梓(悪化してる!?)
澪「……」
梓「……」
澪「ちょっと盛りました」
梓「はい」
澪「でも、すごいんだぞ。子供って」
梓「そうなんですか?」
澪「ああ。いつまで遊んでも疲れないんだ。身体的な能力では、間違いなく
私のほうが上だというのに、さ」
梓「確かに、昔は疲れなんて知りませんでしたよ」
澪「それを見てると、未来を感じるんだ。この子たちが大人になった姿を、
見てみたいと思うんだよ」
梓「……」
澪「だから、私は仕事を辞めない。律がなんて言っても辞めてやるもんか」
梓「律先輩と、幸せなんですね」
澪「ま、まあね。……なんだかんだで、アイツが一番私を分かってくれるんだ」
梓「なんだか、妬けちゃいます」
澪「ハハハ。いいだろ」
梓「未来……か」
澪「?」
梓「色んな国を見てきて、私は未来というものがなんなのかがわかりません」
澪「梓は、外交官なんだっけ」
梓「はい。アメリカだけじゃない。色んな国を見てきました」
澪「……話、聞かせてくれる?」
梓「貧しい国と裕福な国は、未来の定義が違います」
梓「裕福な国。日本やアメリカ、先進国の『未来』とはそのまま科学の発展
を意味します」
梓「ドラえもんの道具を現実にしたり、治せなかった病気を治せるようにした
り、ということです」
梓「それに関して、文句はありません。科学の発展で救われる命、幸せに
なる人がいるのですから」
梓「ただ、その対象ですら裕福な人に限られるのですが」
澪「そうだな。心臓病を手術で治せるようになったとしても、莫大なお金が
かかる。お金のない人は、その恩恵を受けられぬままに死ぬ」
梓「はい。病院に行くと、そういう人を何人も見かけます」
梓「つまるところ、先進国にとっての未来は科学の発展であり、その裏返し
のように、金の必要性がより濃くなる。ということです」
梓「その逆に、貧しい国での『未来』というのは『生』ということになります」
梓「私たち日本人は、放っておいても、人は大きくなるものだと考えます。そ
れは、命の危険を感じるような飢餓が身近にないからです」
梓「事実、私はこうしてイカスミスパゲッティを満腹だから、という理由で残し
ています。これこそ、飢餓を本当の意味では知らない私たちならではの行動
です」
梓「でも、貧しい人にしてみれば、こんな行動は考えられないわけです」
梓「食べなければ死ぬ。こんな当たり前のことを、私たち日本人は骨身に
染みてなどいないのです」
梓「だから残す。だから捨てる。だから、無駄にする」
梓「パンを一つ手に入れるのには金がいる。下手をすると、金があっても
手に入らないかもしれない」
梓「食べるために生きる」
梓「明日生きて眠ること」
梓「それが、貧しい国の人たちに於ける未来なのです」
澪「……」
梓「少し、疲れてしまいました。日本語で、こんなに長く話したのは久しぶり
でしたから」
澪「うん。梓は、色んなものを見てきたんだな」
梓「……」
澪「辛いことや悲しいこと。律と過ごして、楽しいことばかりを見てきた私と
は違う」
梓「そんなこと……」
澪「いいんだよ。無理しなくても。休んでいいよ」
梓「でも、私は――」
澪「――梓が擦り切れたら意味がない。がんばってる梓を見てると、昔
からあんなに飛ばして生きて大丈夫かなって思うんだ」
梓「――」
澪「人生は長いんだ。少しくらい走るのをやめたっていいだろ?」
梓「……じゃあ、ぎゅってしてください」
澪「……わかった。横に座るな」
梓「……」ぎゅ
澪「思えば、こんな風に梓を抱きしめたことなんてなかったな。こんなに暖かい
なんて。唯が夢中になるわけだよ」
――夕方――
梓「それじゃあ、私はこれで。今度は、律先輩もいっしょに」
澪「そのときはうちに来なよ。ごちそう作るから」
梓「……はい!」
澪(その笑顔なら、梓は理想と現実に擦り切れることはないな。がんばれ
よ。私たちの大切な後輩!)
聡「あー! いたいた!」
澪「聡か。どうした?」
聡「姉ちゃんが怒り狂ってるんだけど……どうして?」
澪「……あ」
聡「腹減ったーって40回ほど叫んで、俺を殴りつけましてからに」
澪「しまった。律のお昼ご飯、すっかり忘れてた」
聡「あらら」
――田井中家・マンション――
ドア「ニコ」
律「聡ー! パン買ってきたかー!!」
澪「弟になにやらせてるんだ。まったく」
律「みおー! もとはといえばお前がー!」
澪「それは謝るけど、聡に暴力振るうなって」
律「ぶー」
聡「いいって澪姉。姉ちゃんが乱暴なのは昔からだし」
澪「……そっか。じゃあ、今日は晩御飯はごちそうだから。律も期待しろよ」
律「わーい! みおー!!」がば!
澪「うわ! や、やめろ!」
聡(すげえいい匂いする。これが女二人の愛の巣ってやつか……!)
澪「りつー。手伝ってー」
律「えー」
澪「りつー」
律「しょうがないなー」
聡(あの二人、本当にうまくいってるのだろうか)
律「ふぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
聡「!?」
澪「うるさい! 近所迷惑だろ!」
聡「澪姉もかなりだけどね!」
律「だって、このガーリックソースがうますぎるんだもん!」
澪「ソースだけでそんなに騒ぐな!」
聡「……あー。なるほどね」
聡(騒がしいけど、姉ちゃんはああやって澪姉を褒めてるんだ。澪姉もまん
ざらじゃなさそうだし)
聡(女心ってわかんねぇな。ま、だから彼女いないんだけどね)
澪「律、このお皿持っていって」
律「ほいほーい」
聡「あ。俺も手伝うよ」
澪「聡は座ってて、お客さんなんだから」
律「そーだぞー。ここは我が女房のメシをたらふく食いなはれ!」
聡「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
律「うんうん。……聡、やっぱりでかくなったなぁ」
聡「プロスポーツ選手になるにはこれくらいないと。大学の部活じゃあ、も
っとでかい人いるよ」
律「もう、いっつも私の後ろで、お姉ちゃんお姉ちゃん言ってくっついてきた
ちび助じゃないんだな」
聡「いつの話だよ。それ」
律「昨日のような気もするけど。もうあれからかなりの時間が経ったんだよ
な」
澪「私たちも、大人になるわけだよ。さあ、聡。どんどん食べな」
聡「うん。いただきます」
律「うめー!」モグモグ
聡「澪姉の料理、最高だよ!」
澪「フフ。ありがと。そう言ってもらえると、作った甲斐があったよ」
律「今日何も食わなかったからな。誰かの所為で!」
澪「根に持つな」
律「ふーんだ」
聡「姉ちゃん、子供みたいだぞ」
律「なにお! 私は大人だ!」
聡「はい」
律「流すなー!」
澪「律はさておき、聡はプロでもやっていけそうか?」
聡「もちろん。自信がなきゃあ大学まで続けないしプロにもならないよ」
律「子供の頃の約束だと、契約金は姉と弟で7:3だよな」
聡「捏造すんな」
澪「プロかぁ。私たちはプロにはなれなかったから、聡に頑張ってほしいな」
――夕食終わって――
聡「……姉ちゃん」
律「ん?」
聡「親父、寂しそうにしてたよ」
律「……」
聡「おふくろだってそうだ。姉ちゃん。そろそろ帰っても――」
律「うるせえ……」
澪「――」
皿「カチャカチャ」
聡「澪姉との結婚、認めてもらえなかったこと。まだ――」
律「私は澪が好きなんだ。父さんも母さんも、女同士だからって理由で、澪
まで馬鹿にした! 許せるか、そんなの!」
聡「だから駆け落ちした。……でも、姉ちゃんたちは町を離れずにここに
いる。それはどうしてなんだ?」
律「私の私情じみた理由で、澪の大事な思い出があるこの桜ケ丘から、
離れたくないってだけだ」
聡「……そう、か」
律「でも、聡。お前だけは私たちに味方してくれた。だから、お前にだけは
ここを教えたんだぞ」
聡「……ありがとう。姉ちゃん」
律「なあ、聡」
聡「なに?」
律「もし、私に何かあったら、澪をよろしくな。アイツ、さびしさで死ぬような、
ウサギみたいなやつだから」
聡「可能性が0じゃないことだから了解。でも、澪姉を幸せにできるのは
姉ちゃんしかいないよ」
律「さんきゅ」
聡「ああ。そろそろ帰るけど、親父たちには、元気してたって伝えておくから」
律「ん。……あ。そうだ」
聡「?」
律「彼女、出来たら連れて来いよな」
――そのころ、平沢宅では――
唯「ういー」
憂「ういだよー」
唯「頭痛いのなくなってきたー」
憂「私もー」
唯「和ちゃんに構ってほしー」
憂「ミートゥー」
唯憂「和ちゃーん!」
和「なによ」
憂「だっこ」
唯「おんぶ」
和「無理よ」
唯「頭痛ーい」
和「さっきの会話を聞いてないと思う?」
憂「そりゃあそうだよね。お姉ちゃん、そろそろお風呂入ろうか」
最終更新:2010年06月02日 22:26