私は悩んでいた。
その日の帰り道、アクセサリーショップの前で。
初めこそ楽しんで私と一緒に何か見ていた澪すら
呆れて帰ってしまった。
そこまでして、私を引き止めるものがそこにあった。
…白百合の花。
もちろん、生花じゃなくてアクセサリー。
「律がこんな店見るなんて、珍しいな」
ついさっき、澪が言った言葉を思い出す。
確かに私は普段こんなところを見ない。
自分で言うのもなんだが、私は女らしくないから。
それなのに。
なぜか、この日は見てみたい気持ちになった。
誰かの誕生日が近いわけでも無いのに。
我ながらおかしいな、とぼんやり思った。
置いてあるネックレスを、そっととってみる。
窓の夕焼けの光を浴びてきらきらする白百合がとてもキレイだ。
小さな鏡の前で、なんとなく付けてみる。
…やっぱり、似合わない。
「ありがとうございましたー」
似合わないと思ったのに。
なぜか私はネックレスを買っていた。
小さなピンク色の袋に入ったそれを、バッグに入れておく。
なんでこんな女らしいものを買ったんだろうといまさら思う。
これに合う服は家に無いし、これを付けている自分も想像できない。
…まぁ、いつか使うか。
その「いつか」がいつか分からなかったけど、自分にそう言って家へ歩いた。
ぽつんと光る一番星を見て、明日も晴れるなと思った。
……
「ただいまー」
家へ帰ってバッグを部屋に置く。
ベッドに寝っ転がると、すぐに眠くなってきた。
今日も部活で頑張ったからかな?
そういや唯のギターも今日は決まってたなぁ。
気付くと、時計は10時になっていた。
階段を下りると、お風呂に入って無いことに気付く。
明日も学校だから、入らないわけにはいかない。
眠くてふらふらする体で、冷たい廊下を歩いた。
目覚まし時計がうるさい。
そう思って、半分怒りながら起きた。
思いっきりボタンをたたくと、目覚ましは静かになった。
…その代わりに、私の右手はじわじわと痛くなったけど。
朝食を食べて、鏡の前で髪を整える。
いつものカチューシャで前髪を上げると、いつもの私が鏡にいた。
やっぱりこの髪型が一番落ち着く。
学校へ行こうとすると、電話が鳴った。
こんな時間に誰だろうと番号を見ると、澪だった。
「もしもし?」
受話器から聞こえる澪の声は、かすれている。
それに呼吸が荒い。
「ごめん律、今日学校休む」
それだけ言ってへっくし、というクシャミが聞こえた。
風邪をひいたらしい。
「風邪ひいたか」
そう言うと、澪は咳混じりに風邪だと言った。
軽い方だから、明日くらいには学校へ行けるらしい。
今日は学校へ行くのは一人か。
そう思いながら、玄関を出て学校へ向かう。
不思議なことにいつもより歩くスピードが速い。
やっぱりさみしくて、誰かに早く会いたいのかもしれない。
「あ、りっちゃん」
教室にはいると、とことことムギが来た。
唯がいない。
「ムギ、唯は?」
聞くと、ムギは和の方を見て
「唯ちゃん、風邪ひいちゃったみたい」
と言った。
澪に続き唯も風邪か。
ムギと和はいて良かった。
そう思うと同時に、今日の部活は出来るのかと心配になった。
「律さん」
教室のドアから声が聞こえた。
憂ちゃんが私を呼んでいた。
「梓ちゃん、風邪ひいちゃってお休みなんです」
梓もか。
軽音部にドラムとキーボードしかいなくなった。
「お姉ちゃんに言ってもらおうと思ったけど…お姉ちゃんも風邪で…」
心配そうに言う憂ちゃんが
また唯に変装してくるんじゃないかと思ってしまった。
もうさすがにないだろうけど。
「それでは」
憂ちゃんは心配そうに廊下を歩いて行った。
やっぱり姉思いな妹だな、と感心してしまった。
「梓も風邪だって」
ムギに言うと、ムギは驚いた顔をした。
「それじゃあ、部活が出来ないわねぇ」
私と同じことを考えていたムギに、思わず笑ってしまう。
やっぱり軽音部だ。
「しょうがない、お茶だけにしよう」
私が言うと、ムギはうふふと笑って
お茶会はいつもどうりなのね、と言った。
話していると、さわちゃんが来た。
みんなの前でネコを被るさわちゃんには、やっぱり違和感を感じる。
「出欠をとるわね」
そう言い、いつもどうり名前を読み上げる。
唯と澪が欠席なのを知ると、さわちゃんは驚いたような顔をした。
…きっとお茶会が無いと思っている。
「りっちゃーん」
廊下でさわちゃんが泣きついてきた。
やっぱり…。
「みんないないじゃない!お茶会はどうなるのよー」
さわちゃんが訴えると、ムギがさわちゃんを見ながら言った。
「大丈夫ですよ、さわちゃん先生。お茶会はやります」
ムギが言うと、さわちゃんは女神を見たように瞳を輝かせ
いきなり元気になった。
「みんなの分は私が食べてあげるから♪」
機嫌良くそう言い、職員室へと行ってしまった。
授業をぼーっと受けていたら、いつのまにか放課後になっていた。
なんだか時間がたつのが早い。
まだぼーっとしている私をムギが叩く。
「りっちゃん。部活に行こう?」
その言葉で、私ははっとした。
そうだ。部活へ行くんだ。
…3人いないけど。
音楽室へ行くと、やっぱり静かだった。
いつもなら、梓が一番早く来ていて、早く練習しましょうとか言ったり。
それでもみんながお茶しだすと、呆れたようにしながらそれに付き合って。
そんな事を思っていると、目の前に紅茶が置かれた。
見ると、ムギがにっこり微笑んでいた。
「きょうは演奏できないわね」
そう寂しそうに言う姿は、いつものムギらしくなかった。
ムギと2人だけだから、どんな会話になるのかと心配だったけど
意外に普通の会話が出来た。
中でも、初めてホームセンターに行った時の感動を語るムギが面白かった。
「りっちゃんは、好きな人いないの?」
ムギは、そんないかにも女子高生らしい話題を切り出した。
好きな人なんて、考えたこともないから答えられない。
「私の、好きな人?」
困ったように私が言うと、ムギは笑いながら
「想うと会いたくなる人とか、可愛いと思う人とか。」
そう言って、私の答えを待っていた。
好きな人。
良く、分からない。
想うと会いたくなる人は、軽音部のみんな。
誰か一人でもいないとさびしいし、一人でいる時に会いたくなる。
可愛いと思うのは梓。
小さくて可愛いし、なによりたった一人の後輩だ。
可愛くないはずがない。
澪の事は大切に思っている。
昔からの友達だし、小さい頃と変わらない頼りなさが、心配になる。
だから私が守らなきゃ、という気持ちになる。
唯とは気が合う。
私がボケると唯もボケて、ノリが良いからとっつきやすい。
じゃあ、ムギは?
目の前で優しく笑うムギの事を、私はどう思っているのだろうか。
可愛い…よりはキレイと言った方がいいのか。
長くてふわふわな髪は憧れる。
空みたいな色の目もキレイで、吸い込まれそうだ。
よくよく考えてみると、私はムギの内面を知らない。
優しく美人。勉強ができて、おっとりしてるけど力持ち。
でも、本当の彼女はもっと違う性格なのかもしれない。
そんな事を思った。
「ムギ」
私の口から言葉が漏れる。
「私と、恋人にならない?」
出てきた言葉には、私も驚いた。
何を言っているんだ、私は。
「え…?」
戸惑うムギ。
それもそうか…。
いきなり同性からこんなことを言われたら、誰だって驚く。
ただ、その後のムギの言葉に私はもっと驚いた。
「いいわよ?」
あっさりと言うムギに、私は衝撃すら覚えた。
……
りっちゃんから、いきなり告白された。
すごく驚いたけど、内心どきっとしてしまった。
だから、とっさに了解してしまった。
好きな人。
自分から話題を振っておいて、私は「好き」の感情が分からない。
昔から、好きになる相手が決まっていたから。
小さいころに、父から繰り返し言われた言葉。
「お前は、この人を愛するんだよ」
そう言われ、その相手をただ好きになろうとした。
将来、結婚する相手だから。
この人を好きになるしかないのだから。
だから、私は自然な男女の恋愛に夢を抱けなかった。
…それで、女の子同士が好きになってしまったのかもしれない。
「ムギ、ホントに…いいの?」
正直戸惑うように言うりっちゃん。
自分から言ったのに。
「りっちゃん」
戸惑うりっちゃんが可愛くて。
自分でもよく分からない感情に襲われた。
…りっちゃんが、可愛いのがいけないんだ。
「りっちゃん、恋人ってことは、キスしたりするのよね?」
攻めてみた。
りっちゃんは何か上手い事切り返すと思って。
どきどきしながら待つと、りっちゃんは真っ赤になった。
…あれ?
照れてる?
「むむむムギ、考えなおそ?」
本当に慌てているりっちゃん。
私のどこを見たらいいのか分からないみたいに、目をそらしていた。
「りっちゃん、私は本気よ?」
真剣にりっちゃんを見つめる。
こんなに真面目に嘘をつくのは初めてだ。
「う…ムギ…」
たじろぐようにするりっちゃんが、また真っ赤になる。
なんだか少し可哀相な気もしてきた。
「…優しくして」
恥ずかしそうに言うりっちゃんに、唇にキスなんて可哀相すぎる気がした。
りっちゃんだって、普通の女の子だもの。
やっぱり、ファーストキスは男性の方がいいか…。
「りっちゃん、目閉じて?」
部室で何て事を。
そう思ったけど、どうにも自分を抑えられない。
言われるがままに目を閉じるりっちゃん。
とても素直で、女の子らしいなと思った。
だから恋人としてではなく、親愛の証として。
柔らかいりっちゃんのほっぺに、そっとキスをした。
りっちゃんは驚いたように目を開けた。
多分、唇に来ると予想して、身構えていたのかもしれない。
「ムギ…」
恥ずかしそうに言うりっちゃん。
なんだか、こっちまで恥ずかしくなってしまった。
「…ほっぺ、なんだ」
「唇の方が良かった?」
からかうように言うと、りっちゃんはまた真っ赤になった。
いつものりっちゃんとは違う表情に、いつの間にか見とれていた。
もしかして。
これが、好きという感情なのかもしれない。
楽しくて、切ない。
りっちゃんのいろいろな顔を、もっと見てみたいと思ってしまう。
まさか…ね。
そんな事、あってはいけない。
りっちゃんは普通の女の子。
きっと、普通の恋をして幸せになるから。
………
ムギにほっぺにキスされた。
恥ずかしかったけれど、嫌ではなかった。
柔らかいムギの唇が、心地良いとさえ思ってしまった。
私は、どうしてしまったのだろう?
「私と、恋人にならない?」
あの時、とっさに出た言葉を思い出す。
ムギの事を知りたくて。
なぜか出てしまった、あの言葉。
自分でも分からないのに欲しくなった。
どうしようもなく惹かれた。
あの時の、白百合のように。
ぼんやりしてると、そっとムギの手が私のほっぺに触れた。
柔らかくて、すべすべした手のひらだった。
その感触が気持ちよくて、つい目を細める。
「りっちゃん可愛い」
ムギは何度も何度も私を可愛いと言う。
ただぽかんとしている私より、優しく笑うムギの方が可愛いのに。
ただ、その笑みの中に、悲しそうな色が混じっている。
やっぱり、ムギはただ私に合わせてくれているだけかもしれない。
元が優しいムギだ。
断れば私が悲しむと思って、
無理やり恋人っぽいことをしてくれたのかもしれない。
そう考えると、私はムギに何かとんでもないことをしてしまった気がする。
ムギの、覗き込んでほしくない部分に、直に触れてしまった気がした。
「…ムギ、ごめんね」
謝った。
それしか思いつかなかった。
するとムギはきょとんとした。
「どうして?」
優しげなこの声も好きだけども。
本人に無理をさせて手に入れるものなんて、ない。
「やっぱり、私じゃダメだよね」
きっと、ムギは私なんかよりもっといい人を好きになる。
「私、女だもんね」
私は女。ムギも女。
友情の「好き」はあっても、恋愛の「好き」があってはいけない。
「りっちゃん」
ムギが何か言いたげに私の名を呼んだ。
でも、私はその言葉を遮って言った。
「ムギも、男女の普通の恋がしたかったんだよね?」
普通に憧れるムギが、恋愛に憧れる事はあると思っていた。
でも、きっとムギはこんな恋愛を望んではいない。
普通に男を愛し、普通に男に愛される。
普通の恋愛は、女同士じゃ無いと思った。
「やだ」
ムギは、すごく傷ついたような顔をしていた。
泣きそうにもみえる顔だった。
ゆっくりと、首を横に振った。
「そんな事、言わないで」
今まで見たこともないようなムギの顔が、私を見る。
涙をいっぱいにした瞳が、私をすがるように見つめた。
「りっちゃんまで、私に普通を押し付けるの」
何の事だか良く分からなかった。
だけど、
私が今言った言葉のせいで、ムギが泣いてることは分かった。
「私は」
ムギが言葉を切る。
涙がぽろっと落ちた。
「りっちゃんが好きなのに」
確かにムギは、そう言った。
最終更新:2010年06月28日 03:12