りっちゃんは、私の事を愛してくれていたのかと思った。
2人とも女の子だけど、それでも私はりっちゃんのことが好きだった。
届かないのに、届くなんて思ってしまった。
「ムギ」
りっちゃんが困惑した顔で私を見る。
でも、私はその視線を直に受け止める事が出来ない。
だって、りっちゃんの考えてることが何も分からない。
もしかして、りっちゃんは私の事をからかっただけなの?
「りっちゃん、は」
息が苦しくて、涙がひどくて、顔を上げないで言った。
「私の事、やっぱり、嫌いだっ、た?」
よくよく考えれば分かることだ。
りっちゃんは、私なんかよりももっと付き合いの長い澪ちゃんがいる。
澪ちゃんが今日いないせいで、気持ちがおかしかったのかもしれない。
「そう、だよね。だって、りっちゃんには、澪ちゃん、がいるもの」
自分でもよく分からない笑みがこぼれる。
ただ、自分がものすごく自虐的になっていることだけは分かった。
「ふふ。りっちゃん、私にキスされたの、嫌だった?」
それまで困惑して黙って私の話を聞いていたりっちゃんが、
驚いたような顔で私を見た。
「そうだよね。そうだよね?だって、りっちゃんは、私の事」
好きじゃないから。
そう言いかけたけれど、言えなかった。
だって、
いきなりりっちゃんが抱き締めてくるなんて、思ってなかったから。
「りっちゃ、ん?」
抱き締められたのが、りっちゃんじゃ無いみたいで。
思わず名前を言ってしまう。
「何も言わないで」
りっちゃんが小さな声でそれだけ言った。
私より、ちょっと小さな体は、とても暖かい。
「ごめんね」
りっちゃんが痛いくらいに抱き締める。
その痛さすら愛おしく感じてしまう。
「りっちゃん」
見ると、小さな肩が頼りなく震えていた。
私は、何て事を彼女に言ったのだろうか。
りっちゃんが、本当は人のためを思って行動している事を、馬鹿みたいに忘れていた。
きっと、あの時りっちゃんが言った言葉だって。
私の事を考えて、言ってくれたんだ。
「りっちゃん、ごめんね」
自分の醜さと、りっちゃんの優しさにまた涙が出る。
小さなりっちゃんは、何もかもを吐き出すように泣いている。
「ありがとう」
そう言って、私もりっちゃんを抱き締める。
人を抱き締めるのはりっちゃんが初めて。
抱き締められるのも、りっちゃんが初めてだった。
私は人前で初めて泣いた。
小さい頃からあまり泣かない子だと言われ続けた私は、
ケンカに負けた事はないし、転んでも笑って立ち上がった。
だから、いつも泣き虫な澪を守っていた。
だから、人前で泣くのが怖かった。
笑われそうで。
ほっとかれそうで。
だれも守ってくれなさそうな気がして。
いつもおっとりとしていて笑顔なムギが、私のせいで泣いている。
私じゃなくて、自分を傷つけている。
そう思うと、勝手に体が動いた。
抱き締めて守らなければいけない気がした。
ムギの事が、嫌いなわけがない。
でも、好きなのかと言われると迷ってしまう。
そんな自分が嫌で、泣いてしまった。
さっきまで泣いていたはずのムギは、私を抱き締めてくれた。
暖かくて柔らかいムギの体に、心から安心する自分がいた。
「りっちゃん、大丈夫?」
だいぶ落ち着いてきた私に、ムギが声をかけた。
青い瞳が、まだ少し潤んでいた。
「ごめんね、大丈夫」
それだけ言って、そっと腕の力を弱める。
でも、ムギは私を離さない。
「ムギ?」
私が問うと、ムギは優しく笑って
「もう少し抱き締めさせて?」
と言った。
素直な言葉にドキッとしたけど、もう少しこのままでも良いと思った。
この温もりが、遠くなってしまうと寂しいから。
「りっちゃんて暖かい」
目を閉じて言うムギが、とても優しげで。
いつものムギだな、と安心できた。
ゆるやかなこの時間がずっと続けば良いのに、なんて思ってしまう。
甘いムギの匂いも、暖かな空気も。
私のものに出来たら良いのに。
そう思いながらムギの暖かさを感じていると、
終わりのチャイムが鳴った。
びっくりして離れると、ムギがニコニコ笑う。
「もうちょっとあのままが良かったのに」
少しいじわるそうに、でも少しもそう見えない言い方で言うムギ。
少なくとも、私はもう少しあのままが良かったな。
「帰ろ?」
ムギが穏やかな顔で微笑む。
夕焼けの橙色で髪が鈍く光る姿が、とても神秘的に見えた。
「うん」
うなずいて、バッグを片手に持って、ムギの右手を片手に握る。
ムギは驚いたようにして、それからゆっくり笑った。
…もうすぐ、今日も終わる。
りっちゃんとの帰り道。
つないだ手が、とても嬉しくて暖かい。
だから、私はいつもよりゆっくり歩いた。
だって、
今日が終わったら、私達はまた明日から友達同士だから。
「寄り道しよっか」
だから、無邪気に言うその姿が、とても愛おしい。
ずっとずっと、時間が止まっていたらいいのに。
りっちゃんに手を引かれて着いたのは、公園。
夕暮れの明かりに照らされる姿は、誰もいないせいか少し寂しげだった。
「公園なんて、久しぶり」
りっちゃんはそう言って、ブランコに座った。
私も、隣のブランコにそっと座る。
きぃぃ、ときしむような音を立てて、ゆらゆらとゆれた。
空は、紫色みたいな赤で雲は灰色だった。
見馴れたはずのこの空の色を私はずっと忘れないだろう。
「ムギ」
ブランコを止めて、りっちゃんが立ち上がる。
そして、そのまま私の後ろに歩いて行った。
「こうすると、私の方が大きい」
りっちゃんは楽しそうに笑うと、バッグから何か出した。
不思議に思って振り向こうとすると、りっちゃんが
「待って」
と止めるので、仕方なく前を向いて座っていた。
りっちゃんは、私に何をするんだろう?
少しだけドキドキしながら、空を見ていた。
しばらく待つと、首元がひんやりとした。
寒さでも、冷たいものを当てられたのとも違うこの感覚は、多分金属。
ネックレス?
「はい、出来たっ」
りっちゃんが笑顔で私の方へ歩く。
首元を見ると、小さくて可愛らしい白百合の花が見えた。
「え、りっちゃん、これどうしたの?」
驚いて聞いてみた。
「実は昨日買ったんだけど…私には似合わないと思って」
照れてるみたいにするりっちゃん。
でも、ネックレスなんてそんな安いものじゃないのに。
「でもりっちゃん、お金…」
りっちゃんは優しく首を振って、私のほっぺに手を当てた。
「良いよ。これは多分、ムギにあげるための物だから」
今日のお礼、と言ってにっこりするりっちゃん。
白百合は私の誕生花。
それを知っているのかは知らないけれど、それでも嬉しかった。
「良く似合ってる」
そう言ってくれた。
嬉しさと恥ずかしさで、ほっぺが熱くなる。
「りっちゃん」
このネックレスは、婚約指輪みたいに大事にしよう。
そう決めた。
「大好き」
ずっと言いたかった言葉を言えた。
本当に愛してる人に、大好きを言うのが夢だった。
「私もだよ」
ささやくような声で言うりっちゃんの顔がとてもキレイで、
この世界に2人だけで居るような感覚がした。
「愛してる」
きっと最初で最後の、私の恋。
きっと最初で最後の、りっちゃんとのキス。
私が次にキスをするのは、きっとりっちゃんじゃない人。
長い長いキスをした後、りっちゃんはにっこり笑った。
「帰ろっか」
そう言って、座っている私に手を差し出した。
小さくて、それでも優しくてしっかりした手。
「うん」
笑顔でその手を取って、私は立ち上がる。
冷たかったネックレスは、いつのまにか暖かくなっていた。
「ねぇりっちゃん」
長くなった影と一緒に、私達は歩く。
沈みかけている夕日が、燃えているみたいだった。
「明日も、学校で会おうね」
私の言葉に一瞬きょとんとしたりっちゃん。
でも、すぐに笑ってうなずいてくれた。
「明日はみんなそろうかな」
大好きな放課後ティータイム。
大好きなりっちゃん。
そのすべての大好きが明日も続くなんて、幸せだと思う。
だけども、少しだけ寂しかったりもした。
「じゃあね」
りっちゃんとお別れ。
1日だけだったけど、りっちゃんと恋人になれて幸せだった。
「また、明日ね」
何だか泣きそうになって、慌てて振り向く。
悲しくはないのに。
「あ、待ってムギ!」
りっちゃんが声をかけた。
私の体は反射でピタッと止まる。
「…ありがとう」
りっちゃんがどんな意味で言ったのかなんて分からない。
分からないけど、涙が溢れた。
嬉しいのに悲しい、変な気分になる。
「バイバイ」
でも、私は笑った。
笑いながら手を振った。
今日が、本当に幸せだったことは確かだから。
家への道を歩く。
こんなに遅くなったから、斎藤が心配しているかもしれない。
ふと、空を見上げる。
ぽつんと寂しそうに輝く星が見えた。
「明日も、晴れるかな」
一人つぶやく私の横を、風が通り抜けた。
冷たくまっすぐな風の中、胸元の白百合が揺れていた。
私は歩きだす。
永遠に続くこの人生の中、1日だけの想いを忘れずに。
私しか知らない、1日だけの彼女を。
終わり
最終更新:2010年06月28日 03:15