ギコ律「はぁ…もういいよお前。これで最後な」
足首を入念に回して、ギコ律は最高律に歩み寄っていく。その時だった。
ガシャアアアァン
ガラスが砕けるような音が入り口から響き、工場内の三人は視線をそちらへ向ける。
壁に叩き付けたのだろう、下半分が粉々に砕け落ちた空き瓶を握りしめ、珍しく怒りの表情をあらわにしている瓶澪が立っていた。
最高律(あの人…みんなが言ってた大人の澪か…?)
ギコ律「アンタ…もしかして、澪か…?何でこんな所に…」
瓶澪は答えず割れた瓶を捨てると、脇に抱えていた新しい瓶に持ち替え、また壁を殴る。激しい音が響いた。
ギコ律「――よくわかんないけど、アンタがめちゃくちゃ怒ってるのはわかったよ」
瓶澪「そう、怒ってる。あなたにも怒ってるし、そこの私にも怒ってる」
サンジュ「へ?」
瓶澪「さっきそこふらふらしてたらムギさんと妖精さんが話してた。――人質役の澪ちゃんもいるから大丈夫だろうって」
サンジュ「!!」
最高律「なん、だって…?――グルだったのかよ…お前ら…」
小さく舌打ちを打つギコ律。瓶澪は最高律の所へと駆け出す。
ギコ律はそれを阻もうとしたが、割れた瓶を突き出され、ノコギリを手放していた彼女は下がらざるをえなかった。
瓶澪「律…!酷い…!!」
最高律「いてて…へーきへーき…。ボコられるのは…慣れてますから…なんて」
開いてしまった傷を押さえつつ、がくがくの足で何とか立ち上がる最高律。ギコ律は無言でノコギリを拾い上げた。
瓶澪「…怒ってて何も考えてなかった…。私喧嘩できない…」
最高律「正直私も…もう限界近いんですよね…」
ギコ律「威勢良く入ってきたと思ったら後は二人そろって後退りかよ。拍子抜けだな」
最高律「ちくしょ…ん?」ガッ
積まれたがらくたの壁に追いやられた二人。最高律の踵に何かがあたってカランと音を立てた。
最高律「…へへ…なんてデジャヴだよ…。――でも、これなら…」
震える手を伸ばし、それを拾い上げる。最高律は歯を食いしばると足を踏みしめ、それを――鉄パイプを構えた。
最高律「…いける気がしてきたぜ」
学校組はいつまでたっても現れない瓶澪を心配すると同時に、帰りが遅い最高律にも不安を募らせていた。
澪「遅いな…」
和「どこまで行ったのかしら…」
梓「やっぱり街中に何か平行世界に関するものがあるんですかね?」
律「みんなで街に出てみるか?」
梓2号「学校内はともかくさすがに街の人達にこの光景を見せるのはどうかと思いますよ?」
澪「でも、もし平行世界の私達が増えつつあるんだったら、もう街中にもけっこういるんじゃ…」
唸る軽音部員達。と、
池沼唯「あー!!むぎちゃ!」
嬉しそうに声を上げる池沼唯が指さす先に、ナイロン袋を携えたギコ紬が立っていた。
唯「ムギちゃん!心配してたんだよ?」
相変わらずどこか生気の抜けた目をした紬に、唯は内心嫌な感情を覚えながらも声をかける。
ギコ紬「ごめんね、唯ちゃん」
律「あれ?連れの私はどうしたんだ?」
ギコ紬「あ、えっと…ちょっと別行動中で…たぶんすぐに来るから…」
歯切れの悪い笑顔を浮かべ、ギコ紬は軽音部の集団へと歩み寄っていく。
和「もう一人別の律に会わなかったかしら?あなたたちを捜しに行ってくれたんだけど」
ギコ紬「そうだったの?ごめんね、見てないわ。というか…凄い野次馬ね」
石ころ唯「慣れてしまえばむしろ心地よい私のために注がれるこの視線」
よく見て唯「ん」
梓「とにかく、ムギ先輩に何もなくて安心しました。律先輩達も大丈夫そうですし」
ギコ紬「――…そうね」
梓の姿を見て足を止めるギコ紬。ナイロン袋から飛び出したノコギリの柄を、何気ない所作で掴む。
律「どうした、ムギ?」
梓「…あの、気になってたんですけどそのナイロン袋何ですか?結構大きなもの入ってそうですけど、持つの手伝いましょうか?」
まさか自分の命を奪うためのノコギリが入っているなんて思いもしない梓は、何の警戒心もなくギコ紬に近づいていく。
梓「…せ、先輩?あの…どうしたんです――」
池沼唯「ああああああああ!!あずなああああああ!!うわああああああああ!!」
梓・ギコ紬「!?」
ギコ紬がナイロン袋を取り払ってノコギリを振りかぶろうとしたのと同時に、池沼唯が奇声を上げながら梓を引っ張って抱きついた。
唯「え、何!?どうしたの!?」
梓「ちょ…唯先輩――え!?」
遠巻きに見ていたクラスメイト達から悲鳴が上がり、梓は目の前でギコ紬がノコギリを自分に向けていることにようやく気付く。
ギコ紬「ゆ、唯ちゃんどけて!」
池沼唯「あずにゃあああああああむぎちゃああああああああいやああああああ」
梓「え…あ……え?」
澪「ひいいいいいいいい!の、ノコギリ!?」
律「お、おいムギ!何してるんだ!?」
さわ子「ちょっとムギちゃん!そんな危ないものどうしたの!?」
さすがに先生をやっているさわ子は、皆が混乱に陥る中いち早く落ち着きを取り戻し、ギコ紬に近寄ろうとする。だが、ギコ紬はそんな彼女にその刃を向けた。
ギコ紬「来ないでください!」
紬「ど、どうして!?何するつもりなの!?」
ギコ紬「おとなしく梓ちゃんをこっちに引き渡してください。二人ともよ。そうしたら他のみんなは傷つけないから…」
梓・梓2号「え!?」
廃工場組は、睨み合いが続いていた。
ギコ律「はっ…そんなフラフラでいける気がするってか」
最高律「はぁ…はぁ…へへっ。この場所、この状況――モチベーションがあがってしかたないね」
最高律はギコ律を睨んだまま瓶澪に囁く。
最高律「…向こうの澪の方、お願いできますか?」
瓶澪「…」コクン
ギコ律「覚悟はできたかよっ!」ダッ
ギコ律が迫る。振り下ろされたノコギリを、最高律が鉄パイプで受け、その隙に瓶澪は捕縛されたままのサンジュの元へと駆けた。
最高律(いってぇ…。衝撃で全身に馬鹿みたいな痛みが走るな…。できれば一撃で沈めたいけど…)ギリギリ
ギコ律「おら頑張れよ。もう後ろはないから逃げられないぜ!」ギンッ
最高律「っ!」ドンッ
弾かれて背中を積まれた木材に打ち付け、最高律は一瞬息がつまった。ノコギリを振り上げるギコ律。
最高律(――!そうか!!)
ギコ律「うらああああぁ!!」ブンッ
ガスッ!!
ギコ律「!?」
最高律の脳天めがけて振り下ろされたノコギリの刃は、無理矢理身をひねってそれを回避した彼女の背後の木材に突き刺さった。
ギコ律「ちっ…」
引っかかった刃をギコ律が引き抜こうとするその一瞬前に。
最高律「これで…どうだ!!」ガキッ
ギコ律「なっ!?」
最高律の鉄パイプが上からノコギリを殴りつけ、その刃はさらに深く木材へと食い込んだ。押しても引いても持ち上げようとしても、ぴくりとも動かぬほどに。
ギコ律「くそっ…抜けろよ!」グイッグイッ
最高律「――ここに残ったのがお前で良かったよ」
ブンッ!ガッ!!
ギコ律「ぐあっ……!!」ドサッ
最高律「ムギだったら気が引けるけど…同じ私なら…遠慮なしにぶん殴れるからな」カラン
首筋に一撃をたたき込み、ギコ律が気絶したのを確認すると、最高律もその場に崩れ落ちた
サンジュ「あ…律…!」
ギコ律が倒れたことのを見てどうしたらよいのかわからぬ様子のサンジュ。
瓶澪は大股でズイズイ彼女に近づき、割れた瓶でロープを切って解放し、自分の方を向かせた。
サンジュ「あ、あ…」
瓶澪「…」パンッ
サンジュ「痛い!」
瓶澪「…」パンッ
問答無用でビンタを続ける瓶澪。サンジュはびーびー泣き始めた。
サンジュ「うああああああああああん痛いよおおおおおおおおおおお!!オモニいいいいいいい!!」
瓶澪「律はもっと痛かった」
サンジュ「ひっ…」
瓶澪「あなたを助けるために泣くのも我慢して必死に堪えてた。もう一人の律も人を傷つける罪を背負う羽目になった」
サンジュ「あ…う…」
瓶澪「何で止めなかったの?何で黙ってたの?」
サンジュ「だ、だって…」
瓶澪「あなたの世界でも律はあなたのこと守ってくれていたんじゃないの?」
サンジュ「あ――」
そう、どんなに自分が煙たがられようと、律だけはいつも彼女の傍にいてくれた。こんな性格の自分に文句一つ言わずに。
サンジュ「う、うぅ…」グスッ
瓶澪「やっと自分が間違ってたことに気が付いた?」
サンジュ「うー…うぅう…ヒグッ」
瓶澪「泣いてるだけじゃわからない」
最高律「――もういいですよ…。私なら平気ですから…」
サンジュ「りつうううぅ…」
瓶澪「…」
サンジュ「グスッ…うえぇ…」
瓶澪「律が許すって言ってるから、もう責めない。でも、これだけは言わせて」
瓶澪「もうこんなことに荷担するような真似はやめて」
サンジュ「わかったよぉ…。もうこんなことしないからぁ…。ちゃんとみんなの役に立てるように頑張るからぁ…」ズビッ
瓶澪「約束できる?」
サンジュ「します、しますよ…」スンッ
瓶澪「良い子」
そう言って瓶澪はサンジュを抱きしめた。初めて感じるぬくもりに、サンジュは顔を赤くする。
それは吹き抜ける風がちょっとキムチ臭いある晴れた日の出来事だった。
唯?(ありゃ…聞かれちゃってたんだ。まぁいいや、面白いもの見れたし)
廃工場の外では、唯?がギコ紬との会話を思い出しつつ中を眺めていた。
唯?『ムギちゃん、やっぱり作戦変更?』
ギコ紬『唯ちゃん!?なんでここに…助っ人を呼びに行ってたんじゃ…』
唯?『うん、今ちょっと私のアシスタントさんにお願いしてる。もうちょっと時間かかりそうって伝えに来たんだけど…』
ギコ紬『じゃあ、私先に学校に行ってるわね。できるだけ早く梓ちゃんを処分したいから。りっちゃんも、もう一人のりっちゃんを始末してから来ると思う』
唯?『まぁ人質役の澪ちゃんがいるから大丈夫だろうね。手出しできずにのされちゃっておしまいだよ』
ギコ紬『それじゃ、頼んだわよ唯ちゃん』ダッ
唯?「――…さーて、アシスタントさんに連絡だー」ピッ
唯?「――あ、そっちどう?…へぇ、そんなに観客が?うん、じゃあ校庭を監視できる場所に…そうだなぁみんな校庭にいるなら…部室にこもってて」
携帯から聞こえてくる声に耳を傾け、唯?は無邪気に笑う。
唯?「もう最高だったよ、りっちゃんVSりっちゃん。画的にも内容も。そっちももっといろいろ楽しめるように今からちょっと呼ぶね。それが終わったら私もそっちに行くよ。――くれぐれもその助っ人さんの制御には気をつけてね」
工場を後にしながら唯?は笑う。
唯?「――下手したらみんな死んじゃうよ」
最高律「急いで学校に戻んなきゃ…。ムギが何しでかすかわからないぞ…!」
サンジュ「そうは言ってもその怪我じゃ走るわけにはいかないし…」
焦る最高律にサンジュが肩を貸し、瓶澪は捕縛した気絶しているギコ律を背負って学校へと急ぐ。
瓶澪(運動、しておくんだった…。もうキツイ…)ハァハァ
最高律「この路地抜けたら商店街だから…人目に付かないうちに学校の方に抜けるぞ」
サンジュ「律は片方おんぶしてるし、私と澪さんはよく見なきゃわからないだろうから同じ顔がいっぱいいることは気付かれにくいだろうけど…」
瓶澪「律の怪我に気付かれたらいろいろ厄介」
最高律「そういうこった。悪いね。…よし、行くぞ!」ダッ
人通りが少ないことを確認して路地を飛び出す三人。が、タイミング良くそこへ歩いてきた二人組に正面衝突した。
瓶澪(お約束すぎる)
サンジュ「おいどこ見て歩いてるんだ危ないな!!謝罪と賠償ry」
最高律「おいやめろ!何もわかってないのなお前!」ヒソヒソ
純「あいたたたた…」
憂「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
最高律「こちらこそすみません急いでたんでそれじゃ――って…憂ちゃん!」
憂「あれ?律さんに澪さん?どうしてこんな所に…」
三人がぶつかった相手は、学校帰りに商店街へ立ち寄っていた憂と純だった。
瓶澪「知り合い?」
最高律「あぁ…この子は唯の妹さんだよ。」
純「あれ?軽音部の皆さんだったんだ」
サンジュ「こっちの子は…?」
最高律「ごめん…知らない」
純「」
憂「もしかして皆さん平行世界の――ていうか…律さんその怪我、どうしたんですか!?」
純「ひっ、ホントだ!結構血が出てまムゴッ」
最高律「シーッ!できるだけ…人目に付かないうちに、学校に戻りたいんだ。心配してくれるのは嬉しいけど…今はそっとしといてくれよ?」ヒソヒソ
純(あっ…格好いい先輩に耳元で囁かれてる私…なんか幸せ)
最高律「憂ちゃんの想像通り、私達はみんな平行世界から来たメンバーだよ。私は昨日の朝校庭で話した律だ」
憂「やっぱりそうだったんですか…。もしかしてそちらのお姉さんも澪さん、なんですか…?」
瓶澪「…」コクリ
純「ん?へ?え?意味がわかんないんですけど」
最高律「詳しい事情は後で話すからさ…ちょっと手を貸してくれないかな?とにかく急いで学校に行きたいんだけど…思うように体が動かなくて…」
瓶澪「この律運ぶの手伝って欲しい…」ハァハァ
純「え、あれ?律先輩が二人…え?」
一方緊迫した空気が流れる校庭。唯がおそるおそるギコ紬に話しかけた。
唯「ムギちゃん…?あずにゃん達に、何するの…?」
ギコ紬「…」
梓2号「ノコギリ…ってことは…嫌な予感しかしないんですけど」
律「おいおいまさか…」
梓「何でですか…?何か私に、恨みでも…」
ギコ紬「恨みはない…のかしら。自分でもわからないわ。あれは梓ちゃんのせいでも、唯ちゃんのせいでも、誰のせいでもないのだから…」
和「何の話…?」
ギコ紬「あれは事故だったのよ…。そう、誰も悪くないの…。でも、梓ちゃんの姿を見たら唯ちゃんはきっとあの事件を鮮明に思い出してしまう。それだけは避けなきゃ…。唯ちゃんを守るためにも…唯ちゃんのためにも…」ブツブツ
よく見て紬「くるってやがる」
よく見て澪「コイツはまずいぜ」
ギコ紬「ごめんね梓ちゃん。そういうことだから、もう一度死んでね」
梓「!?唯先輩!ちょ…逃げてください!」
池沼唯「やあああああああああああああ!!」ビエェ
ギコ紬「はぁ…はぁ…」ブンッ
泣きわめいて立ち上がろうとしない池沼唯に足を取られる梓。ギコ紬は目を血走らせてノコギリを振り回しながら近づいてくる。
よく見て唯「テンション上がってきた!」
律「おい待て何だこの展開!?」
澪「」
紬「澪ちゃん!失神してる暇ないわよ!」
唯「とにかくあずにゃんを守らなきゃ!ほんでもってムギちゃんを止めなきゃ!」
律「わかってるけどどうすりゃ…あれ?もうひとりの梓は!?」
デブ紬「…あっ!」
目を見開いたデブ紬の視線の先には、動けぬ梓達と荒れるギコ紬の間へ駆けていく梓2号の姿。
さわ子「梓ちゃん!」
梓「…!嘘!?」
梓2号「ムギ先輩!私が相手です!この世界の私を狙うなら、まず私から始末しやがれです!」
ギコ紬「どっちが先でもいいわ。とにかく梓ちゃんにはいなくなってもらわないと困るの」
ノコギリを構え、梓2号に突進するギコ紬。丸腰の梓2号は、退け腰になりながらも身構えた。
梓2号「や、やってやるです!」
律「馬鹿!やめろ梓!戻ってこい!」
律の警告もむなしく、勝負は一瞬で付いた。ノコギリの一撃は避けたものの、目の前でヒラついていた長いツインテールを引っ掴まれ、梓2号はギコ紬に捕まってしまった。
梓「2号!」
ノコギリが振りかぶられて、クラスメイトが、澪が、甲高い悲鳴を上げる。そんな中、梓2号は――勝ち誇った笑みを浮かべた。
梓2号「かかりましたね…」
ポン!とはじけるような音と共に梓2号の姿は白い煙に包まれた。
最終更新:2010年06月22日 02:26