純「お昼ご飯、食べよ」
憂「うん」
相変わらず蟹女は、姦しい。
梓「疲れたー」
純「お疲れー」
いつのまにか私の机を囲んで昼食をとるのが当たり前になっていた。
純「いや、だから私は鯛焼きはしっぽから食べたいんだってば」
純「普通に頭から食べた方がウマイよ」
梓「そんなことないもん」
純「そんなことあるよ」
梓「憂はどう思う?」
純「憂も普通に頭から食べた方がウマイって思うでしょ?」
不毛な話題をこっちに振らないでほしい。
しかし、質問に答えなければこの二人がさらに
やかましく騒ぎ立てるのは、目に見えているので私は少し考えて、こう答えた。
憂「お姉ちゃんは頭から食べるよ」
純「そ、そうきたか」
梓「唯先輩は参考にならないよ」
どういう意味だ。答え次第では……。
それから二人は再び生産性のない、実にたわいのない会話を繰り広げ始めた。
たけのこの里がどうとか、きのこの山がどうとか。
それを私はぼんやりと眺めながらご飯を食べる。
そして時々、会話に混じったり、テキトーに相槌を打ったりする。
そんなお昼休みが徐々に日常として、当たり前のものとして私は、ごく普通に受け入れていた。
正直、楽しいのか、愉快なのか、もしくは不愉快なのか
或いはもっと別の感情なのか、今の状態は自分にとってどうなのか、判断がつかなかった。
でも。
最近は、お昼休みの間、無意識に時計の針を目で追うことが多くなった気がする。
純「ねえねえ、憂の卵焼きちょうだい」
憂「……」
純「昨日、初めて憂が作った卵焼き食べたけど、うちのお母さんが作るのよりウマかったんだって」
梓「純、憂からもらいすぎ」
純「だってえ。本当に美味しかったんだもん」
確かにここのところ、私のお弁当の中身は何かしら
鈴木純の胃に入ってる気がする。
本来私が作ったものは、お姉ちゃんに捧げるものであって鈴木純のエサではない。
純「あ、じゃあこのカニカマあげ……んっ!?」
大きく開いた口に卵焼きを突っ込んでやると、鈴木純は目を白黒させた。
純「ごっくん……うん、やっぱ憂の卵焼きは美味しい」
梓「純だけずるい」
そう言いつつ、なぜか私に訴えかけるかのような視線を送る。
いつかの黒猫が脳裏に浮かんだ。
憂「……食べる?」
梓「え?いいの?」
思いっきり「よこせ」って目で訴えていたくせに、中野梓はそんなことを言って顔を輝かせた。
梓「ありがとう」
小さな弁当箱に卵焼きを移してやると、中野梓は瞬く間に卵焼きを口に放り込んだ。
喉を大きな音にビックリした猫のように、中野梓は両目をパチクリさせて、喉を鳴らした。
本当に猫みたいだ。
梓「美味しい。すごく美味しいよ、憂」
純「でしょでしょ?」
鈴木純が得意げな顔をした。自分が作ったんだと勘違いしてないか。
梓「ていうか、純は最近ずっと憂からこんなにも美味しいおかずをもらってたなんて……ずるいっ」
純「梓ももらえばいいじゃん」
梓「そ、それは」
猫娘は、今度は遠慮がちに上目遣いで私を窺う。
なんでだろう。
お姉ちゃんに見つめられたわけでもないのに、中野梓の猫のように丸い目を見ていたら、顔が熱くなるような感覚を覚えた。
私は人見知りだ。
人と喋るのが苦手だ。
人と目を合わせるのも苦手だ。
人と面と向かって喋るなんて、考える前に勝手に身体が拒絶してしまう。
はっきりと原因は分からないけど、多分恥ずかしいから、人とコミュニケーションをとることができないのだと思う。
でも、今こうしていつものように、中野梓から目を逸らしたのはもっと別な理由な気がする。
憂「……ぃいよ」
中野梓が首を傾げた。私は息を吸い込んで、お腹に力を入れる。
憂「余裕があったら中野さんの分も、鈴木さんの分も作ってくる」
「「本当!?」」
中野梓と鈴木純が、聞き返してきたので、私は三回ぐらい首を縦に振った。
……二人の母親がこれを見たらどんな表情をするんだろう。
梓「でも、本当にいいの?大変じゃない?」
純「そういやお姉ちゃんの分も作ってるんだっけ?」
憂「気にしなくていい」
どうしてかは自分でも分からなかったが、喉から出た声は妙につっけんどんになっていた。
しかし、二人はまるでそんなことを意に介した様子もなく、はしゃぎはじめた。
純「そういえば、もうすぐ中間テストじゃん。明後日から一緒に勉強しようよ」
梓「三人寄ればなんとやらだね。いいよね、憂?」
私が勝手に進んでいく流れに流されるまま頷いたのと、チャイムが鳴ったのは、ほとんど同時だった。
お昼休みが終わった。
あっという間に終わった。
梓「あー疲れた」
憂「あ、梓ちゃん」
純「お疲れ。はいイチゴオーレ
梓「ん、ありがと」
純「にしても今日も、世界史は退屈だったなあ」
憂「純ちゃん寝ちゃってたもんね」
梓「純は世界史の時はいつも寝てるよね」
純「う~、世界史ヤバいかも」
梓「前みたいに前日に泣きついてくるのはやめてよ」
憂「そういえば、前回のテストでは純ちゃん、梓ちゃんのノートを写させてもらったんだよね」
純「今回も、梓の力を借りなければいけないかもしれない」
梓「自分でなんとかしなさい」
純「おおー梓に裏切られてしまったよーうーいー」
憂「よしよし」
何か非常に気味の悪い夢を見ていた気がして、私はベッドに預けていた身体を起こした。
あずさちゃん。
じゅんちゃん。
……ないない。そんな呼び方はナンセンスだ。
カニ女と猫娘。
鈴木純と中野梓。
鈴木さんと中野さん。
うん、やっぱりこれが一番、私にはしっくりくる。
さあ、さっさと起きてお姉ちゃんと私とプラス二人分、作ってしまおう。
憂「ふぅ……」
全員の分のお弁当の準備を終えた私は一息ついた。
準備完了。
「うーいー」
人間の耳にいい音には様々なものがあるらしいけど、もちろん私の耳に一番いいのはお姉ちゃんの声だった。
着ボイスにもしてある。
憂「どうしたの、お姉ちゃん?」
いつもならまだ安眠を貪っているはずの、お姉ちゃんが目をしょぼつかせて、リビングの扉の前で突っ立ていた。
起こしてしまったのだろうか?
憂「ごめん、起こしちゃった?」
唯「ううん、お腹がすいて目が覚めたんだ」
憂「お弁当のあまりものがあるよ。食べる?」
唯「食べる食べる」
嗚呼……お姉ちゃんってやっぱ天使なのかも。
唯「憂、最近少し変わったね」
卵焼きを頬張るお姉ちゃんの膨らむほっぺは、思わず突っつきたくなる愛らしさがあった。
憂「……」
唯「憂、聞いてる?」
憂「うん、聞いてるよ」
いけないいけない。
お姉ちゃんの可愛さに思考が提出しかけていた。
神の啓示にも等しいお姉ちゃんの言葉を聞くために、私は洗いものをしていた手を止める。
憂「それで何だっけ?」
唯「聞いてないじゃん……」
今度は怒ってほっぺを膨らませる。やばい。超カワイイ。
唯「だから。憂、少し変わったなあって思って」
憂「変わった?」
私が変わった?
何が?
きっと疑問が顔に出てしまったのだろう。
お姉ちゃんは、私のような愚妹にも分かるように語りかける。
唯「前よりもずっと明るくなった気がするし、口数も増えたよね」
そう言われたところで自分ではよく分からなかった。
唯「それに……」
憂「それに?」
唯「あずにゃんや純ちゃんって娘のことも話すようになった」
思い返してみれば、どうだろう。
基本、私は誰と喋っている時でも聞き手に徹することがほとんどだった。
いや、最近だって私から積極的に話そうとすることなんて無かったはずだが。
唯「この前、私が聞いたこと覚えてる?」
憂「この前っていつ?」
唯「えと……一週間くらい前かな?」
……思い出した。
憂「もしかしてお姉ちゃんが、私にどうしていつもより早く起きるの、って聞いてきた時のこと?」
唯「そう、それそれ!」
そういえば、その日は初めて鈴木純と中野梓の分のミニお弁当を作っていて、今日みたいにお姉ちゃんが、いつもより早めに起きてきたのだった。
唯「あの時の憂、嬉しそうに鈴木さんの分と中野さんの分を作ってるって言ったんだよ」
確かに私にはそのように答えた記憶はあったが、しかし、嬉しそうにしていた覚えはまるでなかった。
憂「そう、なんだ」
唯「うん、そうなんだよ」
お姉ちゃんの笑顔はいつだって私に力をくれた。今日も頑張ろう。そんな気持ちにさせてくれるのだ。
でも、今日はそれだけじゃなかった。
暗闇の中に灯る明かりのように、胸に温かな何かを感じる。
曖昧として判然としないそれは、不思議と心地の好いものだった。
唯「あとね、もう一つ変わったことがあるよ」
お姉ちゃんが、私が作った卵焼きを目の前に差し出す。
こ、これは……俗に言う、あーん!
私は思わずそれにかぶりついた。
唯「憂のご飯が前よりも、もっと、もっともっと美味しくなった」
確かに――口に広がった味は、前よりも遥かに美味な気がした。
……
純「憂は今日、放課後時間ある?」
中間テストが終わって一週間が経った放課後。
憂「あんまり、遅くなるのはダメ。けれど、少しならいいよ」
純「久々にハンバーガー食べに行こっ」
久々も何も、まだ一回しか行ったことないはずでは?
まあいいや。鈴木純は基本的に考えるよりも行動が先のタイプの人間だ。
と、いうのを最近私は分かりはじめてきた。
純「あ、ちなみに梓は今日は普通に部活だから」
憂「鈴木さんは、ジャズ研はいいの?」
純「……」
鈴木純は急に神妙な顔をしたかと思うと、私の顔をたっぷり三十秒は窺った。
純「まあ、今日は女二人で語り明かそうよ」
純「今日はなんと純ちゃんが奢ってあげたりしなかったりしちゃいます」
ガラス張りの店内に入ると、鈴木純は背後の私を振り返った。
つまり奢るのか、奢らないのかどっちだ。
私が財布を取り出すと、鈴木は私の手を慌てて取った。
純「ストーップ!だーかーら、私が奢ってあげるってば」
憂「そう」
純「あ、ただし四百円までね」
憂「吝嗇って言葉知ってる?」
純「りんしょく?知らないけど、どういう意味?」
憂「チーズバーガーとジンジャーエールでいいよ」
純「スルーするな」
席に着いてからはいつも通りだった。鈴木が一方的に話して、私が相槌を打つ。
純「でね、変な夢を見たんだ」
憂「うん」
純「なんか知らないけど、朝起きたら別の世界に飛んでってるって夢」
にしても、この女は相変わらず食べるのが、速い。そして喋るのも速い。
口の動きが異常なのだ。いつか愕関節症にならないか、人事だけど心配だった。
最終更新:2010年06月22日 23:20