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………ブウウ―――――ンンン―――――ンンンンン………


振り子時計の唸るような音が、未だ夢見心地なあたしの耳に入りこんできた。


「……」

「むにゃ……」

「……ぅ?」

「…………あれ?」

「……ここ、どこ……?」

白いベッドの中のあたしは身を起こして、部屋を見廻した。
部屋にはベッド以外になにも無い。煉瓦壁にドアが一つ、ちょうど対称側の壁の上あたりに小さな窓がある。
窓からは微かに外の光が漏れている。

「……病院?……なんか監獄みたい」

「あたしは……どうしてこんな場所に……?」

「あれ?」

「そもそも……」

「……あたしは……誰?」

徐々に眠気が覚めてきたあたしは、自分が一体何者なのか、全く分からない事に気が付いた。
思わず自分の手足を見たり、肌や髪に触れてみるが、あたしはこんな体をしていたのか、覚えが無い。

「この髪も」ワシャワシャ

「この肌も」ペタペタ

「思い出せない……」

「あたしってこんなんだったっけ……?」

自分の中の戸惑いが濃くなり、それが次第に恐怖へと変わりつつあった頃、
静まり返っていた部屋に不審な物音が響きだした。


ガリッ……

ドスン、ドスン


「……ん?」

「何の音……?」



?「おねエ―――ちゃア―――ん……」



「!?」

音から察するに、壁一枚を隔てた向こう側からだろう。
若い女の子の悲痛な叫び声が聞こえてきた。


?「……お姉ちゃん。お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……」

?「モウ一度、今の声を聞かせてエー……」



「他に誰かいるの……?」

「……『お姉ちゃん』?」


?「お姉ちゃん……隣の部屋にいるお姉ちゃん……」

?「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……なんで返事をしてくれないの……?」

?「私だよ……お姉ちゃんの妹の、お姉ちゃんのタッタ一人の妹だよォ……」


「……」

「もしかして、あたしの事を呼んでるのかな……?」


?「お姉ちゃん、お姉ちゃん……私の事、忘れちゃったの……?」

?「私はお姉ちゃんのために、こうしてお墓の中から生き返ってここにいるのに……」

?「幽霊じゃないよ、ちゃんとここにいるんだよ。なのになんで返事をしてくれないの……」

「……頭がおかしい人なのかな」

「それとも……本気で言ってる?」


?「お姉ちゃん……返事をしてよォ……お姉ちゃん……」

?「だから、タッタ一言だけでいいから……返事をしてェ……」

?「憂と……私の名前を呼んでよ……お姉ちゃん……」


「返事をした方がいいのかな……」

「いや、あたしはまだ何者なのか分からない」

「人違いって事になったら迷惑だもんね……」


ガリガリガリガリガリガリガリガリ

?「お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」


「!!」ビクッ


?「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん」

?「あんまりだよォ……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

?「早く、早く、私を助けてよォ……うぅ……うっ……」

?「…………」


しばらくすると、その声は微かなすすり泣きとなって消えていった。
その人がまだ起きているのかどうか気になったが、やがて前のように物音一つしなくなった。

「…………なんだったんだろう……」

カツーン……カツーン……


「!」

「誰か来る……?」



ガチャッ……
ギィィ……


重々しい音を立てて開かれた扉から、黒い服を着た華奢な女の子が現れた。
黒い髪はちょうど両耳の上あたりでそれぞれ束ねられている。

?「……」

「……あなたは……?」

?「まだ記憶は戻ってないみたいですね」

「はじめまして……ですか?」

?「思い出せないならその方がいいです。記憶は自然と戻るのがベストらしいですから」

「……!」

「やっぱりあたしは記憶を失っているんですか!?」

?「その通りです」

「うわぁ……」

?「見て分かるかもしれませんが、ここは精神病患者の隔離病棟」

?「脳や精神等に異常をきたした人が集まる場所です」

「……」

?「あ、まず自己紹介しないと誰だか分かりませんね」

?「私はこういうものです」スッ

「……ナカノ、アズサ……さん?」

梓「いやだなぁ、さん付けなんてやめて下さい。私はあなたの後輩だったんですから」

「……」

梓「不慮の事故によって記憶を失ってしまったあなたの所へ、こうして定期的に通っているんです」

「そうなんですか……」

梓「知り合いだった人と接触した方が、色々と思い出す確率が上がるかもしれませんから」


梓「……目覚めてから、何か思い出した事はありますか?自分の名前とか」

「……」

梓「……まだのようですね」

「あの……」

梓「なんですか?」

「隣の人、あたしの隣の人は……あたしと何か関係があるんですか?」

梓「……ええ、あります」

「!」

梓「隣にいるのは、あなたの実の妹ですよ」

「そうなんだ……本当に……」

梓「実感も何も湧かないと思いますが……事実です」

「……あの」

梓「?」

「あたしは、一体誰ですか?……教えて下さい……さっぱり思い出せません」

梓「……」

「……」

梓「そうですね……記憶はなるだけ自分で取り戻した方がいいんですが……」

梓「少し身の上を教えるくらいなら、いいでしょう。それがきっかけで思いだすかもしれないし」

「……!」

梓「あなたは私と同じ、私立桜ヶ丘高校の軽音楽部に所属していた一人です」

「軽……音楽……?」

梓「はい。メンバーはあなたを含めて5人」

梓「平沢唯、秋山澪、田井中律琴吹紬、そして私……中野梓

「……」

梓「どうですか?ここまで聞いて何か思い出しましたか?」

「いや……」

梓「……そうですか」

「……という事は、あたしはあなたを除いた、その4人のうちの誰かって事ですよね?」

梓「その通りです」

「……」

梓「まあ、少しずつ少しずついきましょう……先程も言いましたが、あなたには妹がいます」

「……」

梓「妹の名前は『憂』といいます」

「うい……」

梓「顔を見れば何か思い出すかもしれません。行ってみましょうか」

梓「あ、その前に少し用意をしなくちゃ。寝巻きの格好じゃ駄目でしょう」

梓「ちょっと待ってて下さい。服を持ってきます」

「はい……」

中野梓と名乗る女の子は、戸惑うあたしを置いて部屋を出て行った。
まだあたしは何の記憶も、この自分への実感も湧いてきていない。


「……思い出せない」

「あたしは4人のうちの、誰なんだろ……?」



梓「持ってきましたよ」

「ありがとうございます」

梓「ほら、前髪が乱れるから、髪留めも付けて」

「……」スッ

梓「昔のまんまですね」

「えっ?」

梓「実はこの服、昔あなたが着ていたものなんですよ。ストッキングも髪留めも同じもの」

「そうだったんですか……(全然分かんなかった……)」

梓「ほら、鏡を見て下さい。似合ってますよ」

「……これが、あたし……」

梓「そろそろ行きましょうか」


廊下は暗く、あたしの部屋と同じドアが壁の両側に等間隔で並んでいる。
あたしの部屋の目の前に、古い振り子時計が掛かっている以外、アクセントは何も無い殺風景な廊下だ。
中野梓に連れられ、あたしは隣の部屋へ足を踏み入れた。


ガチャッ……
ギィィ……


梓「眠っているようです……静かに……」

「……」

憂「……ぅぅ」

憂「……おねえちゃん……おねえちゃぁん……ぅぅ……」

「!!」

梓「ただの寝言です。気にしないで」

憂「おねえちゃん……おねがい……へんじをしてェ…………」

「……」

梓「どうです?何か思い出しました?」

「いや……」

「……この子は本当に……あたしの妹なんですか……?」

梓「そうですよ」

「そうですか……」

(全く思い出せない……)

憂「う……ん」

「!」

憂「……あれ?おねえちゃん……?お姉ちゃん!?」ガバッ

「うわっ!」

憂「お姉ちゃん……!」

「……」

憂「……どうして何も言ってくれないの……?お姉ちゃん……うっ……うぅぅ」

「……」

梓「この人は記憶を失っているの……」

憂「そんな……」

梓「今は色々な状況に混乱してしまっているから……記憶が戻ったらきっと名前を呼んでくれるよ」

憂「……」

「……」

バタン……



梓「……落ち込む事はないです。記憶が戻らない事で自分を苛む必要はありません」

「……」

梓「それに、まだ手がかりはあります」

「!……本当ですか」

梓「軽音楽部のメンバーにまつわる資料、写真、日記、ビデオなどを集めました」

「おお……」

梓「それを隅から隅まで見れば、必ず過去の記憶が戻るでしょう」

「……」

梓「こっちの部屋に置いてあります。来て下さい」

薄暗い廊下を進んでいくと、突き当たりに少し立派な装飾が施された扉があった。
中野梓はそれを開け、あたしに中へ入るのを促した。
そこには背の高い本棚や、長い机、ソファー等があり……言うなれば応接室のような場所だった。
ところどころに、紙やCDが詰められた段ボールが置かれている。


「……!」

梓「この部屋にある全てのものは、あなたと軽音部に関わる資料です」

「すごい量……」

梓「時間はたっぷりあります。……ゆっくり見ていって下さい」

「……」

「あの、この写真は」

梓「この写真ですか、これは……」

梓「ちょうど私が入部した頃の写真ですね……」

梓「右から、琴吹紬センパイ、田井中律センパイ、平沢唯センパイ、秋山澪センパイ、私、の順です」

「……これ、あたし……?」

梓「……」

「さっき鏡で見たあたしと……同じ格好……同じ髪……」

梓「……確かに今のあなたと、その写真の唯センパイはそっくりです」

梓「でも、自分で心から『私は平沢唯だ!』と確信できる程に記憶が戻らなければ、結果として意味がないんです」

「……」

梓「記憶が戻った、という実感はまだ湧いていないでしょう?」


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最終更新:2010年01月28日 03:30