唯「そして!」
唯先輩はこちらに向くと。
唯「あずにゃ~ん、充電~」
梓「わわわっ!」
いつも恒例のハグ&スリスリが始まった。
梓「あ、暑いですから離れて下さーい!」
そう言いつつも本気では嫌がらない。適度に嫌がる振りをしつつも、気が済むまで好きにさせてやるのが一番なのである。
梓(…はぁ…、唯先輩って相変わらず犬っぽい…)
諦めの境地に達しつつ、ふとどうでもいい事を思う。
梓(もし私が猫だったら、そのまま怒って引っ掻いて逃げるんだろうな)
唯「う~ん、あずにゃ~ん♪」
梓「って!いつまでやってるんですか!いい加減離れて下さい!」
気が付くと普段の倍はスリスリされていた。真夏の部室の気温も相まって流石に暑い。
唯「あ~う~…、たまにしか会えないから大好きなあずにゃん分が不足してるんだよぉ~」
それを聞いて思わず顔が赤くなる。
梓「な、何言ってるんですか!メールしてくれたらいつだって会いに行きますから離れて下さい!」
流石に室内気温30℃越えでこれ以上は無理だった。エアコンはあるけど休み中の私的仕様は学校側からも禁止されている。
唯「ううう、仕方ないから離れるよぉ~」
そして…。
唯「そうだあずにゃん!この後暇?」
↓暇?暇じゃない?
※暇じゃない
梓「いえ、私この後に家の買い物とかありますから…」
唯「そっか~、帰りに一緒にハンバーガーとか思ったんだけど~。残念」
暇じゃないと言うのは本当だった。だからこそ唯先輩の誘いを断ったさっきの自分がやるせない。用事なんて幾らでも後回しに出来たのだ。
梓「ごめんなさい、また今度誘ってくれれば」
唯「うん!絶対だよ?」
本当に嬉しそうにそう答える唯先輩。何時も見せるこんな無防備な表情や行動が、梓の秘めた思いの満ちた胸にちくりと棘のように刺さった。
梓(…はぁ…、『実は用事なんて無かったんです!』とか言えたら楽なんだろうなぁ…)
梓「そ、それじゃあ先輩。私部室の鍵を返してきますから」
結局言わずじまいで揃って部室を出る。こう言う時の勇気の無さが何だか悔しい。
唯「うん、それじゃよろしくね~」
一緒に部室を出ながら見せた唯のいつも通りのその笑顔が、今の梓には心苦しかった。
梓(…だって!やっぱりこんなのって変よ!女同士なんて!)
職員室に向かう為、そして早く唯から離れる為に先に部室前の階段を駆け下りる。だが、余計な事を考えながら駆け下りたせいか…。
梓(…あ)
最後の数段を残して、階段から足を踏み外した…。
梓(落ちる…?)
全ての景色が一瞬、緩慢になる。
せまる階段の踊り場…。そして今の自分の体勢…。受け身すら取れないまま落ちるのが安易に予想できた。
梓(これ…ヤバイよね?)
まるで人事のようなその感覚が笑いたくなるぐらいに可笑しかった。この後には絶対激痛が待っているのに…。
だが、そうはならなかった。
唯「あずにゃん!」
後ろから誰かに腕を摑まれる。たったそれだけで緩慢だった世界は元の速さを取り戻した。
梓「…ひゃ…っ!ゆ、唯先輩…?」
転落するかしないかギリギリの角度で、梓は唯によって引き止められていた。
唯「だいじょうぶ?危なかったね~あずにゃん」
階段の残りは三段…。低くてもそのまま落ちれば大怪我するかもしれない高さ。
梓「あ…、ありがとうございます…唯先輩…」
↓アクシデントはまだ続く?続かない?
※続かない
体勢を立て直し、踊り場に立つ梓…。
唯「どうしたのあずにゃん?何だか何時ものあずにゃんらしくないよ?」
心配そうに覗き込む。
梓(ああ、こういった所はしっかりと見てるんだ。…絶対に意識しての行動じゃないと思うけど)
梓「あ、いえ…、少しだけ考え事してた物ですから…。もう大丈夫です!」
笑顔を作り、その場を取り繕う梓。
唯「そう?気をつけないと駄目だよ~?って、いつもしっかりしてるあずにゃんに言ったら怒られちゃうね?」
そう言って笑う唯の姿に梓は。
梓「私は…、いつもしっかりしてる訳じゃないですから…」
唯「…?」
聞えるか聞えないかの小声でそう言うと、一通りお礼を述べてからその場を後にした。
和「あら?中野…さん?」
職員室へ向かう途中、生徒会長である
真鍋和さんに出会った。
梓「あ、どうもこんにちわ」
個人的にはこれといってあまり親しくはないのだが、何故かいつも問題を起こしてしまう軽音部に尽力してくれたりするいい生徒会長だ。
そして、あの唯先輩の幼稚園の頃からの幼馴染みにして一番の親友…。それだけで人間的にも素晴らしい人だとは認識している。
和「あら?今日は中野さんが部室でトンちゃんの世話だったの?」
梓「あ、はい。それで今から職員室に鍵を返そうかと」
私はそう言って手に持った鍵を見せると。
和「ならちょうどいいわ、私も職員室に用があるの。ついでに私が持って行って上げるわ」
梓「え?いいんですか?」
和「ええ、そう言えばさっき唯が来ていたみたいだけど…。あの子の世話当番って明後日…だっけ?」
不意に話題が唯先輩の事になった。
梓「あ、はい。練習の日ですが…」
和はそれを聞くと少し考えるような仕草をし、そして。
和「そう、ありがと」
梓から鍵を受け取ると、その場から去っていった。
梓「…まぁ、いいか…」
↓自宅or寄り道
※自宅
梓「はぁ…、今日はびっくりした…」
帰ってから昼間の部室での事を思い出す。
梓「もしあの時、唯先輩が助けてくれなかったら…」
摑まれた手首を触る。そこだけがまだ熱を帯びたように熱い気がした。
梓(何だか、唯先輩がかっこよかった…)
思わず顔が赤くなった。いつもはホゲホゲとしてるくせに…。
梓(ここぞと言う時に、かっこいいのって反則だよね…)
部屋のクッションを抱えて顔を埋める。そのまま部屋を転がりまわりたい気分だった。
非常にヤバイのが自分でも分かった。本気で唯先輩の事が頭から離れなくなっているのだ。
梓「あーーーーーっ!もうっ!どうしたいのよ私はーーー!」
やっぱり転がった。
部屋中を堪能するまで転がりまわった梓は我に帰って唐突に停止する。
梓「…何やってんだろ私…」
かなり恥ずかしい事をやってしまった…。家の中に自分一人だったのは幸いだ。家族にこの姿を見られたら暫く再起不能かもしれない。
いや、誰に見られても再起不能になりそうだが…。
梓「…落ち着け私…」
そして何か思いついたのか、立ち上がるとキッチンに向かい、小麦粉やらバターやら色々と準備しだした。
梓「何かに集中していれば!」
↓何を作る?生クリームケーキorクッキー
※生クリームまみれのあずにゃん…ゴクリ
梓「よしっ!本格的にケーキでも作っちゃおう!」
材料を混ぜてオーブンをセットし、そして出来上がったスポンジにホイップした生クリームを塗りつける。
スポンジの間に挟み込んだり上に飾り付ける果物は家に備蓄してあった缶詰の桃だが、この際種類なんてどうでもいいだろう。
梓「出来た!」
自分でも惚れ惚れするぐらいの完成度。夕食前だが思わず食べてしまいそうな衝動に駆られた。
梓(うう、今すぐ食べたい…でも…)
そこでふと携帯電話が目に入る。
梓(唯先輩、家に居るかな?)
ここで友人の憂の名前が挙がらない事に自分でも気が付いていなかった。
↓メールする?しない?
※する
メールをしたら唯先輩は家に居るようだ。ケーキの事を書くと速攻で『食べたい!』と返ってくる。
梓「それでは…今から家に…持って行きます…っと!」
そう送ってから梓は出来上がったケーキを箱に入れて出発の準備をした。
梓「と、その前に洗い物しなきゃ」
ケーキを作るのに使用した材料や道具を片付け始める。途中ボールの底に残った生クリームの残りを泡だて器ごと舐めたりして。
梓「よし!洗い物完了!」
妙に気合いが入った状態で梓は唯の家に向けて出発した。
梓(美味しいって言ってくれるかな…?)
『ぴんぽーん』
玄関でチャイムを押すと、憂が出てきて家に上げてくれた。
唯「あ!あずにゃんいらっしゃ~い」
リビングに入ると同時、私の姿を確認した唯先輩が飛びついてくる。
唯「う~ん、あずにゃんから甘い匂いがするぅ~」
梓「ちょ!私ケーキ持ってるんですからあまり抱き付かれると潰れちゃいます!」
唯「おっとそうだった!ケーキがあったのを忘れてあずにゃんにスリスリしちゃったよ!」
ケーキの存在を忘れるぐらい抱きつくのが好きなのね…。あ、それは人に抱きつくのが好きなのであって別に私じゃ…。
唯「憂~、お茶入れて~」
憂「うん、梓ちゃんちょっと待っててね?今お皿とお茶を持って来るから」
そう言ってリビングから出る憂。
梓「ところで先輩、何をしていたんですか?」
私はリビングに敷き詰められたやたらカラフルなシートが目に付いた。
唯「これ?家の物置を漁っていたら出てきたんだよ~。ツイスターって言うんだって」
何か、遥か昔に聞いた事があるような…。
唯「さっきまで憂とやってたんだけど結構面白いよ~。あずにゃんもやって見る?」
梓(…唯先輩の目が本気だ)
↓する?しない?
※そりゃするよ
梓「わかりました。…ところで、コレってどうやって遊ぶ物なんですか?」
カラフルな丸い水玉模様にルーレット。ルーレットは回すとして…。
唯「えっと、このルーレットを回して出た色の指示通りに手足をシートの上に置いて行くんだよ?」
そう言って唯先輩はルーレットを回す。右足を赤にで止まった。
唯「ほら、こうするんだよ」
指示通りに右足を赤い水玉の上に置く。
唯「ほら、あずにゃん乗って」
交替するように入れ替わる私と唯先輩。
唯「それじゃ、私がルーレット回すよ~」
右足が黄、左手が青、右手も青が出る。
梓「う…、結構無茶な体勢になりますね…」
シートの上でプルプルしながら指示通りに手足を持っていく。
唯「でしょ?なかなか憂に勝てなくてー」
梓「と言うか、…コレって一人で…遊ぶも…のでしたっけ?」
唯先輩によってどんどんと回されるルーレットに既に私の身体はかなり無茶な体勢になっていた。
唯「あ… … …」
ちょ!何なんですかその今思い出したようなその顔は!
唯「だよね~、憂が戻ってきたら勝負しよう~…あ、あずにゃん左手が赤だよ」
そのまま私は身体を支え切れずにシートの上で倒れてしまった。
憂がお茶とお皿を持って来たので、ツイスターゲームは休憩となる。
唯「う~~~ん、美味しいよあずにゃん~」
憂「うん、すごく美味しい」
梓「あ、ありがとう」
どうやら味の方も好評なようだ。この姉妹にそう言われると素直に嬉しい。
梓「憂の入れたこのお茶も美味しいよ」
そんなこんなであっという間に時間は流れ、お茶会はケーキを完食するという事で終わりを迎えた。
唯「憂!」
甘さの余韻に浸ってまったりしている所に、唯先輩が声を上げる。
憂「何?お姉ちゃん?」
唯「憂に審判の任務を与えます!」
どうやらさっきのツイスターで勝負すると言う約束事はまだ生きているようであった…。
憂「それじゃあ、まずは梓ちゃんから」
向かい合った私と唯先輩の運命を決めるルーレットが憂の手によって回された。
憂「左手、ピンク」
最初から結構遠い所だ。指示された通りに手を持っていく…。
憂「次お姉ちゃん…右足青」
唯「らじゃ!」
ゲームが進む程に、運命の女神である憂によって私達の体勢は交差したり離れたりを繰り返す。
梓(くっ…、けっこうキツイ体勢になってきた…)
まるでブリッジのような体勢で固まる私に…。
憂「お姉ちゃん、次左手オレンジ」
梓(え…?)
唯先輩の顔がブリッジ状態の私の正面に現れる。
まるで私が唯先輩に押し倒されたような体勢。
唯「う~、あずにゃん…もうちょっと身体を低くして~届かないよ~」
梓「む、無茶言わないでくださーーい!」
それでも尚、唯先輩は私の身体を押し潰さんばかりに体重を掛けて左手をオレンジに持って行こうとする。
唯「あうう…、もうちょっと…」
梓「わ、私…も…もう限界…です」
↓頑張るor力尽きる
※力尽きてもおk
唯「あ…」
不吉な唯先輩の一言。その体重が一気に私に圧し掛かり…。
梓「ひゃん!」
全身から力が抜けて私はシートの上で唯先輩の下敷きになってしまった。
唯「あ~う~、疲れたよ~」
梓「それは分かりましたから早く退いて下さ~い」
正面から抱きついて倒れこんだような体勢。力尽きた唯先輩を退かそうにも、私も力尽きているのでそれすらもままならない。
唯「このままの体勢でちょっと休ませて~、あずにゃん抱き枕~」
ぎゅっ!とそのまま抱きつかれる。
梓(あわわわわわ…)
思わず目がぐるぐると回る。顔がどんどんと赤くなってくるのが分かった。
憂「もうお姉ちゃんったら…。梓ちゃん、今から退かしちゃうからもうちょっと我慢してね?」
憂がいつものにこやかな笑顔でそう言った。
(え?もう退かしちゃうの…?)
…って、私は何を考えてるのよ!
抱きついて離れない唯先輩を引き剥がし、しばらく談笑した後に私は家に帰ることにする。
日の暮れ始めた平沢家の玄関で。
憂「ごはん食べて行けばいいのに」
梓「ううん、ケーキも食べたし…それに帰るのが遅くなったら心配するだろうから」
唯「あずにゃ~ん、またいつでも遊びに来てね~」
梓「は、…はい。また何か作って来ます!」
帰路…。
電車の中で席に座りながら、先程の事を思い出しては顔が思わずにやけてしまう私がそこに居た。
梓(今度は…何を作って行こうかな?)
…
梓「えっと…確かこの辺りに…」
帰宅後、梓は自室の押入れの中を漁りだす。以前買ったものの、殆ど使わないまま押入れに直し込んだものがあるのだ。
梓「この中かな…?あった!」
大きな収納用の箱の中から出てきたのは、自身の身長程もある抱き枕。
梓「よかった…、汚れてはないみたい」
ぎゅっと抱きしめて感覚を確かめる。適度な反発性が心地いい。そして抱きかかえたままベッドに横になる。
梓「… … …」
唯に圧し掛かられ、そして抱き枕状態にされた時の事を思い出した。
梓「唯先輩…」
『梓~、お風呂入りなさーい』
階下から母の呼ぶ声が聞こえた。梓は抱き枕をベッドの上に残して部屋を出る。
続きはお風呂から出て、夜中に家族が寝静まった後と決めていた…。
最終更新:2010年06月26日 23:09