• 2日目-

日差しが校舎を茜色に染める。
作りは古いが、生徒によって丁寧に手入れされた廊下に窓枠の影が落ちる。
いつもと変わらない風景だが、今日はどこか違う世界に紛れ込んだような錯覚に陥る。
「錯覚か・・・」
無意識につぶやいてしまっていた、でもそれが錯覚でないことを私は知っていた。
別の世界に来てしまったわけではないけれど、昨日までとは違う今日に。
私の名前は真鍋和、桜が丘高校3年2組 ごくごく普通の生徒と自分では思っているけど生徒会長と言う肩書きのためか、クラスメートにもわずかに距離を置かれているように思う。
元来の性格もそうだが、あの子と知り合ってから更に保護者のような行動をとることが多い。
つまり良く言えば面倒見が良い、おせっかい焼きとは言われたことはないけれど一部では多少なりとも煙たがられているのは知っている。
心を許してくれるのはほんのわずかな友人だけ。
でも、もうその友人も私から離れていってしまうかもしれない。


階段を上り、音楽準備室と書かれた扉の前にたどり着く。
扉に近づきノックをしようと構えた時に、部屋の中が騒がしいことに気づいて手を止めた。
「おい、唯どうしたんだよ大丈夫か!?」
「なっ、なんでもないよ律ちゃん・・・ちょっとあくびが出て」
「あくびって、、嘘つくなよ!どう見ても泣いてるじゃないか!?」
「ちょっと律やめなよ、唯が怯えてるじゃないか。唯大丈夫だから、ねっ?」
「だっ、大丈夫だよ澪ちゃん・・・ほ、ほらねっ」
おそらく無理に笑っているのだろう、あの子は。
「唯ちゃん・・・今日は一日変でしたわよね、私の持ってきたケーキも残してるし具合でも悪いの?」
「唯先輩、具合が悪いんだったら無理しないでくださいね?」
「うん、みんなありがとう。でも本当になんでもないの・・・」


「唯・・・悩み事があるなら私が相談に乗るからさ!」
「そうだよ律じゃ不安だったら私でも紬でもいいから」
「ちょっ澪、何気にひどい・・・」
「ありがとう・・・でもごめん、本当になんでもないの」
「・・・そっか、わかった。でも相談したくなったらいつでも言ってこいよ」
コンコン。
一連の話を扉の前で聞き終えて、安堵した気持ちで扉をたたいた。
安堵して・・・。
そうか私は・・・私は自己嫌悪に陥りながら扉を開けた。
「律、この間頼んだ書類まだ提出してないでしょ?」
努めて平静を装う。
でも、私の声に反射的にビクッとした唯が目に映り更に自己嫌悪に陥った。
「和・・・あっ!」
「忘れてたわね・・・仕方ないわ、明日のお昼までに絶対提出してね」
「悪い和、明日には間違いなく!」
悪いと言っている割には悪びれた様子もなく、ヘヘヘッと笑いながら律が私を拝んでいる。
「頼むわよ」


「ごめんみんな、やっぱり私今日は帰るね・・・」

そう言いながら唯がごそごそと帰り支度を始めた。

「あ、私送っていこうか?」

「私もこれで帰るつもりだったから私が送るわ」

立ち上がろうとした澪を制して私が唯に付き添った。

「じゃぁ和、お願いね唯具合悪いみたいだから・・・」

「うん任せて。さぁ、唯行きましょう」

「う、うん」

肩に触れた瞬間ビクッとするが、それを周りに悟られないように努めて明るく声を出しているのが分かる。

軽音部の部室を出て、私の鞄を取るために教室に向かう。

唯は何も言わず私の斜め後ろをついてくる。

「唯・・・」

不意に話しかけられたからなのか、ビクッとしただけで返事はなかった。

「なんでもない・・・」

私はまた唯を追い込んでいることに自己嫌悪した。


「唯ちゃん大丈夫かしら?」

「和がついているから大丈夫だと思うけど」

「あ、あの・・・」

「どうした梓?」

「・・・えっと、私の勘違いかもしれないんですけど」

「なになに?」

「さっきの唯先輩変じゃありませんでした?」

「・・・梓、そのことでみんな話してるの分かってなかったのか?」

「わかってますよ!そうじゃなくて、その・・・」

「もしかして・・・和ちゃん?」

「あ、はいそうです。紬先輩も気づきました?」

「なになに、どういうこと?」

「その、唯先輩の反応って言うか・・・」

「うん私も思ったんだけど、和ちゃんが入ってきたときと一緒に出て行くときに・・・唯ちゃん何か怯えてたような感じが」

「唯が和に怯える!?・・・それは勘違いだろ~w」

ありえないって感じで両手をひらひら挙げる律。

「律・・・二人が言ってることは多分、その・・・そうだと思う」

「澪?」

「私は、その・・・唯のほうは気づいてなかったんだけど和のことで引っかかってて」

「?」

「その、いつもの和なら唯が具合悪いって言ったらもうちょっと心配すると思うんだけど・・・」

「う~ん、じゃぁ唯と和が変だとして・・・わかんねーー!」

そう言って律は頭を抱えてジタバタした。

「つまり、唯ちゃんと和ちゃんの様子がおかしいんだから二人の間で何かがあったんじゃないかって澪ちゃんは言いたいのよね?」

こくこく、と頷く澪。

「で、何があったんだ?」

「さすがにそこまでは・・・」

「そうですよ、それが分かってたらみんな悩みませんよ」

呆れた顔で律を見る梓。


「そっか、でも喧嘩したとかなら一緒に帰らないよな?」

「そうですね、それに私唯先輩が喧嘩したところなんて見たことないし」

「じゃぁ、恋愛問題だな!思いつめた唯が和に告白!でも和は澪が居るからと振ったわけだ!」

「ちょ、なんでそこで私が出てくるんだ!、、、じゃなくてみんなまじめに考えてるんだからちゃかすなバカ律!!」

ポカッ!

「いてて、殴らなくてもいいだろ・・・」

「ともかく考えても分からないですし、明日もう一度唯ちゃんに聞いてみましょう?」

「そうだな、和にも聞いて見るか」

「そうですね、もし喧嘩をしてしまったなら二人の言い分も聞いた方が仲直りさせやすいですし」

「分かった、とりあえず明日二人に聞いてみるって事でOK?」

こくこく、と三人がそろって頷く。


校門を出て家路をたどる、夕日に照らされた二つの影が一定の距離を置いてアスファルトに写る。

唯は黙ったまま私の斜め後ろをついて歩く。

昨日までは私の横を歩いていた、でもそうさせたのは私。

決して望んだ結果ではないけれど、おそらく・・・いや、もう取り返しのつかないことだろう。

ただそれでも満足している自分の一部分に、また自己嫌悪を抱いた。

「話さなかったんだね」

「えっ!?」

「軽音部のみんなに」

「・・・誰にも言わないよ」

言わないよ・・・か、それは自分のために?それとも私のために?

聞くまでもない、私のためだ。


「今日も家においでよ」

ビクッと唯の肩が跳ねる。

「あの・・・えっと・・・」

唯の目元にうっすら涙が光る、その様子を見て何故かゾクゾクするものを感じる。

私は唯を傷つけたいわけじゃない、そのはずなのに心のどこかでひとつの感情が沸き上がってくる。

「和ちゃん、あのね・・・」

「・・・言う事聞いてくれないと私、死んじゃうかも」

拒否させない様に唯の耳元で囁く、唯の肩が大きく跳ねる。

耐え切れなくなった雫が大きな瞳から零れ落ちる。


ゾクゾクッ

言い知れぬ快感が背中をはしる、自分でも気づいていなかったが私はこういう性癖なのだとはっきり自覚した。

すがるような目つきで見つめてくる唯が殊更愛おしく見える。

「大丈夫、今日は痛くしないから、ねっ?」

こくっ。

納得したわけではないだろうが、素直についてくる唯がたまらなく可愛い。

たとえ嫌われていても、もう手放す事は出来ない私の唯、可愛い私だけの・・・。



  • 1日目-

「和ちゃ~ん」

ぱたぱたと落ち着きなく走ってくる一人の生徒。

「唯、廊下走っちゃダメでしょ」

「えへへ、おこられちゃった」

薄紅色の整った唇から軽く舌を出し「てへっ」って顔でまったく反省の色が見えない。

まぁ、それが唯の良いところではあるけど。

「ねぇ、和ちゃん今日は一緒に帰ろうよ~」

「軽音部は?」

「ん~今日は律ちゃんと紬ちゃんが用事があるからってお休みなの」

「そう、私もう少し掛かるけどどうする?」

「いいよ~まってる~」

正直、この申し出はうれしかった。


唯が軽音部に入ってから一緒に帰ることは少なくなっていた。

私も生徒会で雑務に追われていたので忙しかったのもあるけど・・・。

唯から誘ってくれた、それだけで私は心が弾んでいた。

雑務を終わらせ、唯が待つ教室に向かう。

ダメだと思いつつもついつい小走りになってしまう。

「おまたせ唯・・・唯?」

「んっ・・・むにゃ・・・おいしい・・・」

「もうっ、唯ったら」

クスッと笑い、机でだらしなく眠る唯の髪にそっと触れる。

サラサラと流れる髪の間から垣間見える長いまつげ。

美少女とまでは言わないが、十二分に可愛らしい顔立ち。

おそらくそのキャラクター故に周りからは認識されていないと思う。

でも、常にそばに居た私だけが知っていればいい事だし、なるべくなら他の人に気づかれたくない。


「むにゅ・・・あ、和ちゃんおはよ~」

「おはよう じゃないわよ。さぁ、帰りましょう」

「うん!」

「ほら、涎拭垂れてるわよ」

ふきふき。

「えへへ、ありがとう~」

あーもう、可愛すぎる。

校門を出て並ぶ二つの影、唯と私。

「ねぇ、和ちゃん手繋いで良い?」

「子供じゃないんだから」

「え~、繋ごうよ~」

「もう、仕方ないわね」

言葉とは裏腹にすごくうれしかった。

胸のどきどきが手から伝わってしまわないかとあせってしまい、余計に鼓動が速くなってしまう。

「和ちゃんの手、あったか~い」

「唯の手の方が暖かいよ」

「えへへ」

うれしかったのかまるで子供のように唯が腕を振りはじめた、でもそんな唯の態度が私もうれしい。

「ふふふっ」

「えへへ」

二つの影が繋がってどこまでも伸びていた。

「唯、たまには家に来る?」

「行く行きます!和ちゃんの家久しぶりだよ~たのしみ~」

何のためらいもなく即答、唯らしいわ。

クスッと笑いながらも憂ちゃんに連絡を入れるように促した。


プルルルル・・・

「あ、うい~あのね和ちゃんの家に遊びに行くから・・・うんうん、大丈夫だよ~

も~ういは心配性なんだから・・・うん、はーい」

ピッと音を立てて電話を切る。

「これでOK~行こう!和ちゃん!」




「おじゃましまーす」

「先に部屋に行ってて」

「はーい」

唯が脱いだ靴をきれいに並べてから台所に向かい飲み物を取ってくる。

ガチャ。

「麦茶しかなかったけどいい?」

「うん~ありがと~」

ゴクゴク。

「久しぶりだけど、やっぱり和ちゃんのお部屋は落ち着く~」

「そう?」

「うん、こうするともっと落ち着く!」

ぱふっ。

そう言ってベットの上でゴロゴロとしはじめる唯、無防備過ぎて目のやり場に困る。


「ゆっ、唯見えてる」

「ほえ?いいよ~和ちゃんになら見られても」

ドキッとして、顔に血が上ってくるのが分かる。

今だったら・・・。

「ゆ、唯・・・」

「なぁに?」

ゴロゴロ。

「えっと・・・その」

ゴロゴロ。

「・・・私、ゆっ、唯のこと」

ゴロゴロ。

「す・・・好きなの・・・」

ピタッ。

・・・言ってしまった、本当なら一生言うつもりはなかった。

言ったそばからすぐに後悔し始めている・・・でも唯に知って欲しかった。

そして唯の気持ちが知りたい。

「・・・」

無言で唯が立ち上がって・・・。

ぎゅっ。

「私も和ちゃんが大好きだよ~」

そう言って私に抱きついてきた。

「!!」

言葉にならないうれしさで私は満たされていた。

「えへへ~」

夢なのかな、でもこの温もりは夢じゃない。

こんなことだったらもっと早く打ち明ければよかったのに。

「ゆっ、唯・・・」


唯の目をじっと見つめる、綺麗に澄んだ瞳が目の前にある。

キョトンとした仕草が可愛い。

私は抑えられなくなって唯の唇にそっと自分の唇を重ねた。

「!」

ドン!

「えっ?」

私は何が起こったのかわからなかった。

目の前には狼狽する唯の姿、突き飛ばされた!?

どうして!?唯も私が好きだって言ってくれたのに・・・。


好き・・・?

私は好きだといわれて頭がいっぱいになっていた、そうよね・・・。

この子はそういう子だったわ。

唯の好きはただの好き、みんな大好きの好き・・・ただの親愛の情、それは私が唯に持つ感情とは別の・・・。

「ご・・・ごめん、和ちゃん、でも・・・あの・・・」

拒絶された。

狼狽しながらも、申し訳なさそうに謝る唯を見たら私の中の何かが弾け飛んだ。

「のどかちゃん、ちが・・・」

ばふっ。

私は勢い良く唯をベットに押し付けた。


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最終更新:2010年06月28日 22:04