「お、おいどうしたんだよ澪……」
揺すって見ると手にぬるりと生暖かいものが触れた。
それが何かを理解したくはなかった。しかしそう思っていても確認せずにはいられなかった。
赤かった。律の掌はとても綺麗な赤色に塗り潰されていた。そして理解した。
澪は撃たれたのだと。
「み、お……?う、嘘だろ……?」
よく見ると胸の辺りが真っ赤になっていた。律は咄嗟に澪の体を横にした。
「しっかりしろよ!なあ澪!!こんな……こんなことくらいでさあ!!」
律は自分の衣服を破き必死に傷口を押さえた。それでも一向に出血が収まる気配はない。
「り、つ……ごめん……私、もう…………」
「ごめんじゃねーよ!!『もう』なんて言葉使うなよ!!まだ、まだ澪は……!」
初めて出会った時の記憶から最近の記憶までがまるでビデオのように律の頭で再生された。
恥ずかしがり屋な小さい頃の澪。二人して遊んで笑ってる澪。
一緒にライブに行って感動してる澪。ベースを見て悩んでる澪
一生懸命ベースを練習してる澪。受験勉強に付き合ってくれた澪
高校合格に喜ぶ澪。初めてのライブで歌ってる澪。
そしてつい先週の本を読んでいた澪。
まるで一枚の絵画のように美しいかった光景。
――なあ、澪は私のこと好きか?
「私が無茶した時止めるのが澪の役目だろ!!」
――い、いきなりなんだ……いや、まあ嫌いではないけど……
「放課後ティータイムのベースはどうすんだよ!武道館行くんだろ!なあ!」
もう既に澪の血色は青くなっている。呼吸も止まりかけている。
それでも最後に澪は律をしっかりと見つめながら口を開いた。
「大、好きだ……り……っ…………」
搾り出すように告げると澪は眠るように息を引き取った。
「澪のばかぁ……私も、大好きだ馬鹿野郎……」
思わず見惚れてしまうほどの長く綺麗な黒髪を撫でながら、律は声を押し殺して泣いていた。
「秋山澪、死亡……っと。じゃあ次、
琴吹紬。さっさと行け」
「……ッ!!」
あまりに事務的な、あまりに無礼な男の態度で悲しみから一転、激しい怒りへと変わった。
(ふざけんなよ……澪を、澪を殺しといてなんだそれ!?)
律は近くにあった椅子を手に取るとゆっくりと立ち上がった。
悲しさと悔しさと怒りで涙が溢れる瞳で、律は先ほど澪を撃った隊長を睨み付けた。
「あんただけは……ぜってー許さねぇ!!」
椅子を振り上げ突進しようとする律を咄嗟にさわ子が抑えた。
「駄目よりっちゃん!!あなたも殺されちゃうわ!!」
「放せよ!!こいつだけ……こいつだけは刺し違えてでもぶっ殺さなきゃ気がすまねーんだ!!」
「そんなの無駄死によ!!生きて、生きて仇を取るの!!死んだ澪ちゃんのためにも!!」
そう説得するさわ子の目は真っ赤で今にも涙が溢れそうだった。しかし年長者としてそれを我慢した。
周りに弱さを見せてはいけない。気丈に振舞う姿に次第に律は落ち着きを取り戻した。
「くっ……畜生!!」
さわ子の説得に律は椅子を下ろした。それを見てさわ子はホッとした。
何せあの隊長は腰のホルダーに手を掛けていたのだから。
(これ以上みんなを死なせない……!)
紬はデイバックを受け取り教室を出ようとした所で隊長に振り返った。
「許せないのはりっちゃんだけじゃないですから」
謝っても許さない。そう一言呟くと今度こそ教室を出て行った。
次に律が呼ばれた。律は乱暴にデイバックを掴み取る早足で出て行った。
出て行く最後まで隊長を睨みっ放しだったが当の本人は涼しい顔だった。
「次、
平沢唯」
隊長の呼びかけに応じることもなく唯は放心状態だった。
(澪ちゃんが……死んだ?殺された……?なんで?どうして?)
「平沢唯!!早くしろ!!」
隊長が叫ぶとやっと歩きだしたがふらふらと覚束ない足取りで出ていった。
唯は校舎出てしばらく進んだ所にある森の大きめ木に寄りかかるように座った。
(何で泣いてるの私?涙が止まんないや、なんでだろう……)
先ほどの映像が繰り返される。
(そっか……)
――澪ちゃんが死んじゃったからだ
「うぅ……ふぇ……ひっく……澪ちゃん」
それから数時間、唯は膝を抱えて泣いていた。
…………
……
気付けば周りはすっかり暗くなっていた。時計を見てみれば夜の9時近くだ。
大分落ち着いた唯は梓を守るという決意を思い出しまずはバックの確認をした。
中身は言われた通りの物が入っていた。その中の地図を取り出した。
「まずはあずにゃんを探さないと……ってあれ?」
地図を見た所で唯は気付いた。
「私今どこにいるんだろ……?」
時間は遡り、唯が教室から出て行った後、和が出て行き最後にさわ子が出て行った。
さわ子は学校の廊下を歩きながら考える。どうすれば脱出できるかを。
あれこれこ考えてみたもののどれも良い案が見つからない。
(今は始まって混乱してるし、脱出法は後にして先にみんなをあつめないと……)
玄関を出ると校庭に出た。見通しは良く、隠れる場所は遊具の影くらいしかない。
「とりあえず住宅地か町に行こうかし……」
突然左腕に激痛が奔った。同時に発砲音が聞こえた事から咄嗟にさわ子は撃たれたと思い悲鳴を堪えて辺りを警戒した。
(どこから!?止まってちゃ撃たれる!!)
走りながらさわ子は唇をかみ締める。少なくとも一人はこのゲームに乗っているからだ。
――子供達だけじゃ危ないから監督も必要でしょ
出発前にこんな事を言った自分に苛立ちを覚える。
何が監督だ、何が顧問だ。危ない所かもう既に一人死なせてしまっているではないか。
だからこれ以上誰一人死なせる訳にはいかない。それが死んでしまった澪のためでもあるから。
考えに没頭していると2発目が足元の地面にめり込んだ。
思わず足を止めてしまったが音や弾が飛んできた方向から相手のおよその位置は分かった。
取りあえず反対方向の体育倉庫の影に隠れると壁にもたるように座りこみ傷口の処理をし始めた。
治療に使えるものはないかとデイバックを確認するとボウガンが出てきた。
さわ子はしばらくそれを見つめていたがすぐにバックの奥へと押しやり水を取り出した。
(確か貫通してたほうがいいって映画で見たわね……)
幸い弾丸は腕を貫通していた。傷口を水で洗い自分の鞄から出したタオルを巻きつけ取りあえずの止血をした。
一通りの処置が終わるとどう説得するかを考えた。
(どの子か分からないけど……きっとわかってくれるはずよ。みんな優しくて……いい子だから)
少し影から覗くと僅かに人影が確認できた。だが誰なのかは分からない。
しかし誰であろうと関係ない。みんなと協力して脱出するのだ。
「撃つのは止めてちょうだい!私は戦う気はないわ!」
返事はない。さわ子は更に続ける。
「みんなで脱出するのよ!みんなで力を合わせればきっとなんとか……!!」
その時、人影がこちらに向かって歩いてきた。月明かりに照らされ徐々にその人物が鮮明になる。
「和ちゃん……」
自分の一つ前に出発した
真鍋和だった。眼鏡に光が反射してその表情は伺えない。
とにかく説得して仲間を増やさねばならないさわ子は説得を続ける。
「怖いわよね……私だって怖いわ。でもね、殺すのはいけないわ。今なら間に合うか……」
ドン!!という音がするのさわ子の右頬を弾丸が掠めた。
撃った和もまだ射撃に慣れていないのか、反動で後ろによろけた。
「和ちゃん……どうして」
頬から流れる血を拭いながらさわ子は尋ねた。その瞳はとても悲しいものだった。
「無理なんです……そんなこと」
和はぽつりと呟くように答える。
「脱出なんて……不可能なんです。先生も気付いてるはずです。みんなが集まった所で何もできないって」
「そ、そんな事ないわ!!みんなで力を合わせれば必ず脱出法の一つや二つ……」
「そんな可能性の低い事に乗ることはできないです。私はまだ……死にたくありませんから!!」
和は2発の弾丸を放ったがどちらもさわ子に当たることはなかった。
発砲による拒絶に対してさわ子は悔しさに唇を噛み締めながら逃げる事しかできなかった。
更に追撃しようと銃を構えるが走ってる相手になかなか照準が定まらずついには林の中に逃げ込まれてしまった。
諦めた和は銃を下ろし鞄を持ち直した。
「脱出なんて無理よ……」
しばらくさわ子の逃げた方角を見つめると反対方向に歩き出した。
「もうすぐ禁止エリアになる……早く出ないと。こんな所で死ぬわけにはいかないわ」
さわ子は走りながら泣いていた。和まで救うことが出来なかったから。
自分だって怖い。それでもあの娘達ならきっとこの困難な状況もきっと打破できる。
そう信じて自分も何とかしようと思った。限りなく0に近い方法でも諦めずに。
それがどうだろう?澪は殺され、真面目で優しい和もこのゲームに乗ってしまった。
他にも一体誰がこのゲームに乗っているのか分からなくなっていた。
(それでも……それでも少なくともりっちゃんとむぎちゃんは仲間になってくれるはず)
そう考えていた時、突然目の前に人影が現れた。と同時に首に何か衝撃が来た。
首がやけに熱いと思い視線を動かして見ると銀色に光るものが見えた。
それが刃物だと気付いた時には既に自分は倒れていた。
(結局なんにもできずに終わっちゃうんだ……)
自分の無力さ、あっけなさに涙が止まらなかった。
ぼやけた視界に写る人物はひたすら『ごめんなさい』と謝りながらさわ子に刺さった刃物を抜き取った。
水道管が破裂したかの様に赤い液体を出しさわ子はそのまま息絶えた。
抜き取った刃物――鉈に付いた血をタオルで拭きながらたった今さわ子を手に掛けた
平沢憂はただただ謝るばかりだった。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……さわ子先生は優しくて綺麗でとっても好きでした」
拭き終わるとさわ子の瞼を閉じさせ両手を組ませ、どこからか摘んできた一輪の花を添えた。
「でも、私はお姉ちゃんのほうが大事なんです。こんなゲーム、きっとお姉ちゃんは生き残れないから……だからごめんなさい」
両手を合わせ黙祷を捧げると憂は歩き出した。
「くっそー。なんかいい方法はねーかなー」
学校が見渡せる丘に律はいた。こうして見下ろすだけで何もできない事にイライラが募っていく。
「爆弾とかあれば……ああ、でもどうやって向こうまで……ってそういえば」
ポン、と手を叩き自分の支給品を確認する。今まで怒りで我を忘れてたためすっかり支給品の事など頭から抜け落ちてた。
ゴソゴソと中身を探ると何か金属っぽいものに触れた。円盤状でどんな武器か想像が付かないが取りあえず中から出してみた。
「なんじゃ……こりゃ?」
律は見た事ある。それは台所にあるものである。そういえば百円ショップにも売ってた気もする。
それはどこにでもある鍋の蓋。どこからどうみても鍋の蓋だった。
「武器……だと?」
裏に何やら紙が張り付いており、見てみると何か書かれてた。
『ざんねんはずれ(^w^)』
血管が数本切れる音が聞こえた。取りあえず近くにあった木の枝で草むらや木を殴り八つ当たり。
その後、韋駄天の如くスピードで丘を一気に駆け下りていった。
梓はふらふらと途方に暮れていた。
いきなり殺し合いをしろと言われた。あの銃も本物だった。きっと本気なんだろう。
大好きな先輩達や憂、先生と殺し合い。考えただけで頭がおかしくなりそうだった。
(殺したくはない……でも殺されるのは嫌だ)
唯先輩は言っていた。『私達は仲間』だと。いつもふわふわしてるあの唯先輩が真剣な眼で言ってくれた。
「唯先輩……助けてください……」
音が聞こえた。最初は風で何かが揺れてるのだろうと思っていた。
しかしそれは徐々に大きくなり次第それが足音だと分かった。
(だ、誰!どど、どこから!?)
音は山の上から聞こえてきた。見上げると何かが動いている。それが猛烈な勢いで山を下ってきている。
人間のスピードではない。得体の知れない恐怖に梓は足が竦んでしまった。
かなりの至近距離まで来た時、梓はそれが律だとわかった。だが安心感はない。
鬼のような形相で今にも人の一人や二人食い殺さんとする気迫だった。
梓は殺されると思った。この律の皮を被った鬼に嬲り殺しされるのだと。
(嫌だ、こんな所で死ぬなんて嫌だ!!)
「あれ?梓、どうし……」
「た、助けて……唯先ぱああああああい!!!!」
「っておい!どうしたいきなり!?誰かいんのか!?」
「ここ、来ないでください!!!誰か!!唯先輩!!!」
「落ち着けって!何もしないって!!ほ、ほら、髭ー」
「ほ、ほんとに律先輩ですか……?」
「ほんとほんと。なーんにもしません!」
それを聞いて梓はホッと胸を撫で下ろした。
恐ろしい表情で走ってきて紛らわしいと抗議され律はこれまでの経緯を話した。
「そんな……澪先輩が……?」
真面目で頼りがいのある、姉のように慕っていた澪が死んでしまった事にショックを隠せないでいた。
「ああ……だから私はあいつらを絶対許さない。必ず、必ずあいつらを……」
そう言っている律の握り拳からは血が垂れていた。
「私も……私も手伝います!」
梓の発言に律は驚いた。
「おいおい、本部に反抗する奴は殺されるんだぞ?無理に付き合わなくても……」
「無理じゃないです!私だって澪先輩の仇を取りたいんです!」
律は悩んだ。自分のやることはかなり危険である。最悪何もできずに死ぬかもしれない。
しかし梓の眼を見て突き放すことはできなかった。覚悟の宿った眼差しに律は柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとな梓。まったく……澪も幸せ者だよな」
「……はい」
二人は歩き出す。この先の運命はわからない。それでも二人は止まる事をせず歩く。一筋の光明を捜し求めて。
「で、澪と唯どっちが好きなんだ?ん?」
「ななな、何を突然……!?」
「『唯せんぱ~い助けて~』とか泣き叫んでたじゃんか。可愛い奴め~うりうり~」
「ちち、違いますあれは……!!」
夜の森に笑い声が聞こえる。少しだけ普段の軽音部の空気が戻った。
梓をからかっていると、笑い声が聞こえた気がした。
梓は顔を赤くして混乱しているので梓ではない。それにとても聞き覚えのある声だった。
(私達が仇を打つ。だからそこで待ってなよ)
律はそう心に誓った。
普段おっとりしている人、怒ることが全くない人。そういう人に限って怒る時は誰も手が付けられなくなる。
琴吹紬という人物はまさにその典型である。
更に性質が悪いのは律のように我を忘れ突っ走ることはなく極めて冷静だということ。
だから紬はまずは商店街で物資の調達、そして民家を本拠地とし作戦を立てることにした。
まずは実家と連絡。しかし当然電波は妨害されていた。だがこれは想定内。
紬は自分の鞄の裏ポケットから何やら小さい機械を取り出した。
機械にはボタンが付いており紬はそのボタンをしっかりと押した。
これは琴吹家専用の発信機で何かあればこれを押すとすぐにSPが駆けつけてくれるというもの。
普段ならこんな物はいらないと突っぱねるのだが、今日ほど持っててよかったと思った日はない。
(でもこれで来てくれればいいけど……あまり期待しないほうがいいかもしれないわ……)
もしもの時のために他にも対策は打たなければならない。
そのためまずは首輪について調べることにした。
首輪があっては逃げる事も学校に近づいて本部に攻撃することもできない。
(まさに“ネック”ね……ふふ)
一人笑いながら鏡で首輪を眺めているという姿はどこか危なかった。
最終更新:2010年01月28日 22:50