ガチャッ

唯「行っちゃった。まだ5時なのに」

梓「気を遣わせちゃいましたね…」

唯「…」

梓「…」

…沈黙。
話したい事は沢山あったはずなのに…
まるで何ヵ月も会っていないかのような錯覚に陥る。
遠距離恋愛の人達は会うたびにこんな気持ちを味わうんだろうか。
…沈黙を破ったのは唯先輩だった。

唯「…あずにゃん、ごめんね?」

梓「…謝らなきゃいけないのは…」

私の方です。
そう言い掛けたところで遮られた。


唯「あの時私凄い力で引っ張っちゃって…」

 「あずにゃんが転けちゃったから怪我させちゃったかなって、今日ずっと考えてた…」

この人は…

唯「痛かったよね?ごめんね、あずにゃん…」

この人は何を言ってるんだ…
身を呈して私を守ってくれた。
私の怪我なんて、唯先輩の怪我に比べたら可愛いもの。
…それなのに、まだ私の身を案じてくれている。
この人は…

梓「唯先輩は…馬鹿ですよ…」

梓「どうしようもないくらい…馬鹿ですっ…」

 「何で…まだ私なんかの心配をするんですかっ!」

 「唯先輩の方が重傷なんですよ!?」

 「それに…謝らなきゃいけないのは私の方なのにっ!」

 「何で唯先輩が…謝るんですかぁ…」ポロッ

唯「あずにゃんだからだよ」

梓「…?」グスッ

唯「私にとって、理由はそれだけで十分」ニコッ

 「あずにゃん、こっちにおいで?」クイクイ

唯先輩に手招きされ、唯先輩の側へ向かう。
唯先輩の隣に立つのは久しぶりだ。
とても優しい、ふんわりした空気。
…心が次第に落ち着いてくる。


梓「唯先輩…私、約束破っちゃいました…」

唯「大丈夫だよ。それに、ずっと笑っててって結構酷い約束だよね…」

 「あずにゃんの気持ちを無視しちゃってた…ごめんなさい」

梓「いえ、いいんです」ニコッ

唯「あずにゃん、一つだけ言いたい事があるんだ」

梓「何ですか?」

唯「…あずにゃんにね、『私なんか』って言って欲しくないなって」

梓「でも、私はそれぐらい…」

唯「私はあずにゃんを愛してるの!」ギュッ

私と唯先輩の手が繋がる。


唯「あずにゃんも私を愛してくれてる!その私が愛してる人は…」

 「『私なんか』…なの…?」

梓「…っ!」

私は、私が嫌いになりかけていた。
約束を全然守る事が出来なかったから。
そして、咄嗟に出た言葉…
…それが唯先輩を傷つけたんだ。

梓「…ごめんなさいっ!」

唯「ううん…私も大声出しちゃってごめんね…」

 「でもあずにゃん、これからは自分で自分を傷つけるような事は…」

梓「はい、絶対言いません!や…」


約束です!
そう言い掛けたところで、私は口を閉ざした。
私は二度も約束を破っている。
私に約束なんて言う資格はない。
突然黙った私に、唯先輩は一言だけ言った。

唯「信じてるよ」ニコッ





お姉ちゃんは順調に回復している。
この調子でいくと、学園祭の頃には外出許可が下りる可能性が高いらしい。
頑張って、お姉ちゃん…
学園祭と言えば、今年の軽音部は、一曲だけ梓ちゃんが歌うらしい。
何でも、お姉ちゃんに自分の成長した姿を見てもらいたいからって。
だから、この事はお姉ちゃんには秘密。
お姉ちゃんすっごく喜ぶだろうなぁ…





学園祭一週間前

~~~♪

律「梓のボーカルもなかなか様になってきたな」

紬「本当ね~♪」

梓「本当ですか!?ありがとうございます!」パアッ

律「こりゃあ澪が抜かれる日も近いんじゃないか~?」ニヤッ

紬「でも…今度が私達の最後のライブなのよね…」

澪「…そうだな。唯抜きになっちゃって寂しいけど…」

梓「大丈夫ですよ!唯先輩は来てくれます」

梓「一緒に演奏してなくても私達5人は繋がってます」

 「もうそれは放課後ティータイム5人の演奏と一緒ですよ!」ニコッ


澪「…そうだな」フフッ

律「何だか成長したな、梓は」ナデナデ

紬「ええ、本当。去年までが嘘みたい」フフッ

梓「ム、ムギ先輩!余計な事は…」

ブーッブーッ

梓「電話…憂だ」

 「ちょっとすみません」ピッ

 「もしもし。憂、どうしたの?」

 「…唯先輩が!?」ガタッ


紬「唯ちゃんがどうしたの!?」

梓「容態が急に悪化して…意し…」

律「皆!唯の所に行くぞ!急げ!」ガタッ

梓「憂っ!今からそっちに行く!」ピッ

唯先輩…
唯先輩っ…!

病院

手術室の前に平沢家が揃っている。
…唯先輩を除いて。
赤く手術中のランプが灯っている。
唯先輩はあそこに…


梓「憂っ!」ハァハァ…

憂「梓ちゃん…それに皆さんも…」グスッ

律「憂ちゃん!唯は!?」

そっと、憂は手術室の方を指す。

唯母「あなた達が軽音部の…」

澪「はい。それで、唯は一体…」

唯父「くそっ!何で唯がこんな目に遭わなきゃならないんだ…」ポロッ

唯母「…皆、聞いてくれる?」

唯先輩のお母さんの説明によると、こうだ。
普通なら有り得ないような医療事故。
…唯先輩のお腹の中には鉗子が置き忘れてあったらしい。


唯母「…私がもっと早く伝えてればっ!」グスッ

少し前から唯先輩に異変はあったらしい。
気分が優れないと言って、夕方頃までは寝ていたって。
…夕方まで。
…そう、私がお見舞いに行くまで。
夕方になると唯先輩は無理矢理起きたらしい。
…あずにゃんが来るからって。
あずにゃんが来るから寝てなんかいられないって。
キツい体で、だけれど満面の笑みで私を迎えてくれていた。
毎日、毎日…
…笑顔の裏で必死に戦いながら。


梓「…私の…せいだ」ポロッ

 「私が毎日お見舞いに行ったからっ…」ヒック

 「私がっ…唯先輩の異変に気付けなかったからっ…!」グスッ

 「毎日毎日お見舞いに行って…唯先輩に辛い思いをさせたからっ…!」ブワッ

憂「…梓ちゃん、それは違うよ」

梓「…っ」グスッ

憂「お姉ちゃん、梓ちゃんに会う時凄く幸せそうだった」

 「お姉ちゃんの笑顔は本物だよ。それは梓ちゃんが一番分かるはず…」

憂「…ねぇ梓ちゃん。梓ちゃんとお姉ちゃんは繋がってるんだよね?」

梓「…」コクッ

憂「梓ちゃんは、お姉ちゃんと会う時どんな気持ちだった?」

梓「…幸せ…だった」

憂「ほら、もう答えは出てるよ?」

梓「唯先輩は…幸せ…だった…?」

幸せ…
そっか、唯先輩も幸せだったんだ。
私達は繋がってる。
私が幸せなのに唯先輩が幸せじゃないはずがない。
…とっても大事な事を忘れそうになってた。


梓「ありがとう、憂」

憂「ううん、いいよ。それより」

 「祈ろう、お姉ちゃんの無事を…」ギュッ

梓「うんっ」ギュッ

私に出来る事は無事を祈るだけ。
また、最愛の人と笑って過ごせるように…

数時間後

手術中のランプが灯りを失う。
…手術が終わった。
手術室の扉が開き、医者が一人出てくる。

唯父「唯はっ!?唯は無事なんですか!?」ガシッ

…医者は何も言葉を発さない。
嫌な予感がする。


医者「…一命は取り留めました」

…?
何で成功って言わないの?
医者の言葉に疑問を感じていると、また医者が口を開く。

医者「…しかし」

  「今夜が山です…」

律「おい!ふざけんなよ!」ガシィッ

 「お前達のミスのせいでこんなことになったんだろ!?」

 「それが今夜が山!?ふざけるのも…大概にしろよ!」ポロッ


唯母「律ちゃん、落ち着いて…」

  「…それで、唯が助かる見込みは…?」

…次の言葉で、私達はどん底に突き落とされた。
恐らく、絶望とはこんな気持ちなのだろう。

医者「…今晩は、皆さん一緒にいてあげてください」

…誰も言葉を発さなかった。
いや、発せなかった…
…この言葉が持つ意味を、私達は理解したから。


少しして、唯先輩が目を覚ましたとの報せが入った。
病室に行くと、既に全員揃っていた。
唯先輩にはチューブが沢山繋がっていた。
あまりにも痛々しくて、思わず目を背けそうになる。
でも、あれが今の唯先輩の姿。
私が目を逸らす訳にはいかない。
私はしっかりと唯先輩を見据えて、歩を進める。

梓「…唯先輩、私ですよ」ギュッ

唯「…あず…にゃん」ギュッ…

私は唯先輩の手を握る。
とても弱々しく、握り返してくれた。
その弱々しさが、唯先輩に残されている時間を表しているようで…

梓「唯…先輩…」ポロッ


唯「あずにゃん…何で…泣いてるの…?」

梓「何でも…ありません…」グシッ

憂「…あのね、梓ちゃん」

私は事前にお姉ちゃんに頼まれていたように、全員を病室から出した。
お姉ちゃんは、皆と話したいらしい。
だから、順番に病室に入って欲しい、との旨を伝えた。


最初はお父さんとお母さんが入っていった。
少しすると、お父さんとお母さんが号泣して病室から出てきた。
…二人のこんな姿は初めてみる。
思わず私も泣きだしそうになったけど、必死の思いで堪える。

次は律さん、澪さん、紬さんが入って行く。
少しして、部屋の中から3人分の大きな嗚咽が聞こえてくる。
…お姉ちゃん、とても愛されてるんだな。

…次はいよいよ私の番だ。

憂「…お姉ちゃん」ガラッ

唯「…憂、おいで」

私はお姉ちゃんの傍に立つ。
笑顔だ…
本当はとっても苦しいはずなのに…

唯「…憂、頼りないお姉ちゃんでごめんね…」

 「私、憂がいなかったら何も出来なかった…」

憂「そんな…もう終わりみたいに言わないでよ…!」ッ

 「最近はお姉ちゃんも家のこと色々手伝ってくれてるよ!?」

 「何も出来ないことなんてないよ…」

 「むしろ何も出来ないのは私の方…」

 「お姉ちゃんの笑顔が、お姉ちゃんの喜ぶ姿が、私のやる気を出してくれた…」

 「お姉ちゃんの笑顔や温かさを貰う度に、何か私に出来る事はないかって…」

 「だから今まで休まないでやってこれたの!」

唯「…私ね、憂が妹で本当に良かったって思う」


唯「私は、いつもいつも憂の真心に助けられてた」

 「憂は私の誇りだよ。憂、大好き」ニコッ

憂「おね…えっ…ぢゃん…」ブワッ

唯「憂、もう少し近くに来て…」

憂「っ…えぐっ…」スッ

唯「よしよし、いい子いい子…」ナデナデ

憂「…っ」グシッ

唯「…落ち着いた?」ナデナデ

憂「うん…っ…」ヒック

唯「えへへ…」

 「最後に…お姉ちゃんらしい事できたかな…」

憂「お姉ちゃんはお姉ちゃんだよっ!」ギュッ

唯「ありがとう、憂」ギュッ…

 「………」

 「…ごめんね、あずにゃん呼んで欲しい…」

憂「…分かった」パッ

 「…またね、お姉ちゃん!」ニコッ


…憂が出てきた。
…出てくると同時に、床に泣き崩れる。
頑張ったね、憂…

最後は私だ。
最後は絶対に泣かない…
笑顔で唯先輩と…最愛の人と別れよう…

梓「…唯先輩」ガラッ

唯「あずにゃん…」

私はすぐに唯先輩の傍に行く。
出来るだけ長く唯先輩を感じていたいから。

唯「あずにゃん…」

梓「何ですか?」

唯「ギューッてして?」

梓「…唯先輩は甘えん坊ですね」ギュッ


唯「もっと…」

梓「…」ギュ-ッ

唯「もっと強く…」

梓「…」ギュ-ッ

唯「…ありがとう、あずにゃん」スッ

唯「ん…」チュッ

梓「…っ!」ウルッ

…ほっぺたへのキスは挨拶……
…きっと、今のキスは……

…バイバイ、あずにゃん

…お別れのキス。
私は…


梓「ん…」チュッ

…私もキスをした。
バイバイ、何て悲しい挨拶じゃない。

…またいつか…会いましょう。

そんな意味を込めて…

唯「…ありがとう、あずにゃん」ポロッ

梓「…唯先輩、愛してます」ギュッ

唯「…わた…し…も……愛っ…し…てる…」ニコッ

ピーー

医者達が病室に入ってくる。
私は唯先輩から引き剥がされる。
部屋の外からは、絶叫とも悲鳴ともとれるような悲痛な叫び声。
医者達が懸命に蘇生措置を行っている。
…しかし、懸命な措置も実らず。

唯先輩は、私が世界で一番愛する人は、遠い、とても遠い世界へと旅立った…


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最終更新:2010年07月07日 23:48