私は今日も憂ホールを掘っている。
昨日も一昨日も、その前も掘っていた。
だからきっと、明日も明後日もその明くる日も、きっと掘っていることだろう。


 この前、同級の鈴木純が私の掘った穴に落ちた。
 私はすこうし、嬉しかった。いくら学校中に穴を掘っても、たまに引っ掛かったと思えば、それはどれも、一年生か、私の姉の唯だけだったからだ。

 しかし、私はすぐに気分を害した。

 鈴木純は、憂ホールに落ちたことに関して、なにか言い訳をしていた。
 あんまりに長かったものだから殆ど覚えてはいないれど、なかなかよくできた言い訳であったように思う。
 でもどんどん論点がずれていって、果てには、
「あんたはこれを憂ホールなんて言っているけれど違う。これは単なるくだらない落とし穴だ。そんなこともわからずに……」
 とか言い出したから、私は助けてやるのをやめた。

 だって、これは憂ホールだから。


 気分を害したといっても、苛苛したわけじゃあない。
 鈴木純のとっても必死な顔を見たのと、憂ホールを落とし穴呼ばわりされたことで、心がさみしくなった。

 次の日、とてもやつれている鈴木純に会ったけれど、何の会話も交わさなかった。
 彼女は、いつも通り、どちらかというと粗暴に振る舞っていた。でも私を見る瞳の奥には怯えの色が見えていた。
 きっと、憂ホールのことを誰にも言ってほしくなかったんだろと思う。
 心配しなくても、私は鈴木純じゃないから、自分の功績を触れ回ったりだとか、そんなことはしない。

 落とした獲物は一人でこっそりと楽しむほうが好きなんだ。


 そういえば、少し前に姉と同じ軽音部で三年生の秋山澪を落としたこともあった。

 どうやら部活に行く途中に落ちたみたいで、発見したときはそれはそれは見るにも無残な状態だった。
 憂ホールというお皿の中に、秋山澪とベースのカルパッチョ、みたいな状態だった。
 私が声を掛けると、秋山澪は第一声にいきなり「わざとかかってやったんだ」と言った。だから助けなかった。
 自分で這い上がる見込みがあるからわざと落ちたんだろうと思ったからだ。
 私は「ホールが無駄になるから今度からはわざと落ちないでくださいね」と言ってその場を去った。
 なにか叫び声が聞こえたけれど、忙しかったから後でいいやと思った。本当に用事があるならまた私のところに来るだろう。そう思った。

 でも、秋山澪はそれから私に話しかけることがなくなった。
 覚えている限りで一度もない。前は、家に来たりしたときに必ず「いつも大変だね」なんて声を掛けてきたのに、どうしたんだろう。

 まあ、いいや。とるに足らないことだ。



 私は、そうやって今までいろんな人を落としてきた。
 そしてきっとこれからも。
 それでも、今日のように素晴らしい日は、もうやって来ないだろうと、確信している。


 唐突だけれど、私にはとてもお気に入りの穴がある。
 それは一年前、私が学校に入ったばかりの頃、初めて掘った憂ホール。
 そう、やりたいことを見つけた姉への憧れと少しの寂しさから、何か自分も打ち込めることがないかと模索していたあの頃。
 とても稚拙で、醜いけれど、でもきらきら光るホール。そのホールは私にとって特別だった。
 正直、今までたくさん掘りすぎてどのホールがどのホールかなんて覚えてはいないけど、あれだけはずっと忘れない。
 私の。



 それは、空が蒼く、疎らな雲に侵されている午後、私はちいさなちいさな、でもとてもいとおしい存在を手に入れた。


「あ、の、さあっ」

 声が聞こえる。とてもとても奥のほうから。そのいとおしい声に、私は顔を綻ばせた。

「あなたの落とし穴にかける情熱はわかったわよ!
でもさ、早いところここから出してくれないかしら!
行かなきゃいけないとこあるし……それにここなんか怖いんだけど!」

「落とし穴ではないのです。憂ホールです。あなたのお名前はなんですか?」
「曽我部、よっ!
とにかく早く出し……ま、まさか鈴木純さんとやらや澪さんみたいに置き去りにするつもりじゃないよわね!?
ちょっ……」
「曽我部先輩さん……素敵なお名前ですね。待っていてください、今出して差し上げます」
「よかった……もうだめかと思ったわ……」
「と思ったけれど、どうやって出そう。
引き上げるにしてもそんな長い紐はないですし……結んでも途中で切れたら悲惨ですし。
それ以前に私には引き上げる力がないですね、多分」


「えええっ、だめでもいいからやってみてよ! 頼むわよ!」
「そうですね、紐がないなら自分で結えばいいですね。やってみましょう。
私は不器用だから時間がかかるかもしれないけれど」
「そっち違うわ! ていうか人を呼んでー!? 後生ですから! 土下座でもなんでもしますから!」
「いやだなあ、こんな状況で野暮ですよ、人を呼ぶだなんて。ここは私とあなたの世界なんですから」
「いや、ここは私だけの真っ暗な世界だよ! お前は上から見下ろしてるだけだろーが!」


「……私もそちらへ行ったほうが良いですか?」
「やめろー!」
「少々お待ちください。いま、会いにゆきます」
「ちょっ……いろんな意味でやめろぉおぉぉぉぉぉ!!」

 叫び声までもがいとおしい。
 こんな気持ちは、きっと、ずっと、これからも続く。
 初めてのホールの初めてのお客さま。ずっと放しはしない。



 出会いは、二年間掘り進めた私のホール。二十七ヤード。


終わり



最終更新:2010年07月11日 17:33