不機嫌な顔の彼女が大好きだ。なんて、勿論コレは強がりだ。
 本当は笑ってほしい、心から。けれどもそれはないだろうからせめて、きつい言葉も嫌な顔も好きになってやるんだ。
 それが彼女への復讐。ま、逆恨みだけどね。

 重なった唇に戦慄した。自分から仕掛けたこととはいえ、震えが止まらない。
 けれどそれは勿論自分の心の中だけであって、彼女からすれば普段となんら変わりない私に見ただろう。
 いや、それ以前に彼女には私の顔を見る余裕など無かったと思うけれど。

「うわあ、いま唇付いたねえ」

 どうでもないことのように口に出せば、彼女ははっと体を震わせ、私を睨んだ。
 それからまるで見せ付けるかのように口を拭い、彼女の制服の裾を掴む私を投げ捨てた。


 別に本当に巴投げされたわけじゃあない。ぺっ、と引き剥がされただけだ。
 それでも私は存在ごと捨てられたような気分になった。そしてお決まりの文句。

「あなたが嫌いです」

 知ってらあ、そんなこと。
 それともなにか、私のことを会うたびに言われないと覚えていられないほどの白痴だと思ってるとでもいうのか。

 彼女の言葉に眉を下げて、私は情けなく笑った。
 視界の端で揺れる花が無残に手折られる妄想をしながら。勿論、折ったのは私じゃない。彼女。


「そんなあ、ひどいよ、あずにゃん。それにさっきのは私だけのせいじゃないじゃんかあ」
「そうだです、だから苛々しているんです」

 本当に忌々しそうに彼女が言う。
 自分の失態と、私と。彼女の嫌なものが二つ仲良く並んでしまったのだから仕方ない。
 口元を思い切り歪め、拳を震わす。彼女のこんなとことろ、好きだ。


平生彼女は自分の弱みを他人に見せることを好かない。
 他人というのは、自分の他、の意味だ。
 敬愛する先輩であろうと、好意を向けるクラスメイト――私にとっての妹――であろうと、
 いやむしろそうであるからこそ、強く自立した人間に思われたいのだろう。

 周りに負けないよう精一杯に背伸びをしている彼女を見ると、なんだか妙な気分になるのだ。
 なんともいえぬ、絶妙な。
 そう、俗な言葉でいえば、そそられる、とでもいうのか。

でも、今自分の前にいる彼女のほうがもっと素晴らしい。
 いつもの生意気だけれどどこか可愛らしい雰囲気はどこへやら、あからさまな敵意をこちらに向け、一方で自己嫌悪に打ちひしがれ。
 こんな姿、他に誰に見せているっていうんだろうか。
 そのことについて彼女の自覚を問いたい。

「もういいです、急いでいるので。用事がないならどいてください」
「ええー、つれないなあ、そんな」
「とにかく私はもう行きます。先生に呼ばれているので。じゃあ」


 去っていく後ろ姿に「さわちゃん先生なら、今はうちの教室のへんにいるよ、たぶんー」と叫ぶ。
 何の反応も無かったが、その足取りは三年の校舎へ向かっていた。
 一応信用はするのか。まあ、そんなこと疑るほうがおかしいか。
 いくら私が相手でも。

 どうせならば嘘を教えてみるんだった、と頭の片隅で考え、仕方の無い自分に笑った。
 唇を人差し指でなぞる。
 先程のことを思い出したら体が熱くなった。


 彼女が私に厳しく接する理由は、自分と正反対だからとか、人に余計な手間を掛けさせるからだとか、
 それでいてへらへらしているのが気に喰わないからだとか、思い当たるものを挙げればきりが無いけれど。
 実際のところ、考えても無駄だ。

 何故そこまで嫌悪するのかなんて、そんなことはわからない。
 とにかく好きではないのだ。そしてそれはこれからも変わらない。

 きっと彼女の中に、私を好きになる、なんて選択肢はないのだ。
 そんなことは彼女を構成する何かを壊すことになる。
 一種、私を嫌うことで何かを保っているようにも感じる彼女が、愛おしい。
 そう言ったら、どんな顔をするだろう。絶対に言わないけれど。


 そう、彼女が彼女であるように私は大いに協力をしているんだ。
 そのことに彼女は気付かない。それはとてもつらいことだけれど、気付いたら終わってしまうのだから、仕方ない。
 本当は、彼女にとって私はどうとでもないことはわかっている。

 けれどもあんまりにそれが悔しいものだから。

「あーあずにゃん二番目だあ!」
「あー……こんにちは」

 音楽室のドアを閉めながら、事務的な口調で彼女が囁く。
 その口調を崩してやろうと思って、私は言った。

「あずにゃんとね、キスをしたって言ったら、みんなとても驚いてたよ。
 私はそういうんじゃないって、言ったんだけどー」

 嘘だった。そんなこと、誰の前でも言うのものか。私だけの、秘密だ。

 もしかしたら、拳が飛んでくるかも、と思った。けれど、平手で済んだ。
 しかも顔じゃあなくて、頭だ。
 まあ、ここはまだ決定打ではないので、そうカッカしてもらっても困る。まだ。

あのねえあずにゃん、憂にもね・・・。

 私が口を開こうとした時、彼女が言った。

「ほんとうに、嫌いです」


 苦々しい表情に、私は押し黙った。
 笑わなければならないのに。笑って、流して、そして。

「ひ・・・ひどいよお!」

 思い切り悲痛な顔で叫んだ。よかった、私はまだやれる。

「もうあなたの顔は見たくないです。今日は帰ります」
「待って、よ」

 呼び止めれば、嫌そうな顔の彼女。心など痛まない。いつものことだ。

「明日は来てね。みんな心配しちゃうから。だから会いに来てね」

 軽薄な笑顔でそう言えば、彼女はこちらを見ずに答えた。

「言われなくても」
「えへへへへ」

 私に、だよ。そう言ってもおかしく思われないだろうか。
 戯言だと思ってくれるだろうか。

 思い迷ったときにはもう彼女の背中は遠くて、私は目を細めた。





 彼女が笑いはしないのなら、怒った顔を好きになる。
 たとえ、愛しい人の前で笑っている姿があったとしても、私は平気だ。平気なんだ。



終わり



最終更新:2010年07月11日 17:35