さしあたりやることが決められない私は、校舎内を彷徨していた。
入学して3ヶ月近く経過しているが、それくらいでは学校内を熟知するには至れない。
授業数の関係で使わない特別教室があるわけだが、今初めて存在を知った部屋も多数だ。
「第一、第二……」
なぜ化学室は二部屋も用意されてるのか。
使ったことのない教室に興味がわいたが、化学室は鍵が掛かっていて見ることは出来ない。
扉に付いた小さい窓からつま先立ちで覗いてみた。
「一緒だ……」
中学のころとほぼ同じ作りだった。
すこしがっかりしながら次へ。
この階に揃ってるのは理科系の特別教室だった。
残念ながら、全ての教室は施錠されていた。
時が経てば追々使う機会がくるだろうと、私は次の階に移った。
「……」
私立ということもあり、他の学校とは違う施設を期待していた。
歴史のある学校ということもあり、木造の部分が残っていて味があるけれど。
午前中の授業は終了。
私は昼食のために学食に向かってみた。
「……」
とはいえ。教室で机に向かっていたわけじゃない。
校内探索で時間を使い、残った時間は音楽準備室で過ごしていた。
律先輩。澪先輩。私たちの接点はなんだったっけ。
「っつ……!」
ジリ、と頭痛。一瞬で消えたがやはり慣れる痛みじゃない。
さすりながら渡り廊下を歩き、学食の扉を開ける。
学食の建物はまだ比較的最近建てられたのか綺麗だ。
「あー……」
がらんとした食堂。貸し切りだ。
さて、初めて利用するのだが……。何を食べよう。
なぜか食堂は機能しなかった。食券を購入して利用するのだが、券売機が動かなかった。
以前のファミレスの様になぜか用意されてなかった。上手くいかないものだ。
「おでんかぁ……」
食べてみたいのだが、いかんせん季節的に……。
いや。もちきん食べたい。食べ物に季節なんて関係ない。
あの公園で食べることにした。
「なんか……」
抜ける様な青い空、子供達が遊ぶであろう公園にて。
高校生がおでんを一人つつく。変な光景だ。
こういうのも誰もいないからこそ出来る、ある種独りということの醍醐味か。
「もちきん!」
いよいよメインディッシュ。
私は猫舌だ。熱い物はすこし時間が経ってからでないと口を付けない。
最初におにぎりを食べ、やや時間を空け――。
午後。
昼休みを終えた私は教室に戻る。
しかし、
「勉強道具ない」
条件反射だろう。昼休みの後はなんだかんだ教室に戻る事の方が多い。
五限開始のチャイム。
さて、次はどこに行こうか……。
「……」
待て待て待て。どうして10GIAに行きたがるんだ私は。
ギターが弾きたいのはわかるが、残念ながら今はまだ放課後ではないのだ。
我慢です。
澪先輩が1組、律先輩が2組。
幼馴染みのあの二人だと同じクラスのイメージが強い。
こんな機会でもないとじっくり上級生の教室なんて見られないだろう。
席はわからないけど少しお邪魔しよう。
まあ、先輩の教室だろうが後輩の教室だろうが。
同じ教室なので自分の教室と変わりはしなかった。
放課後。目的はないけど、音楽準備室に向かう。
誰もいないけど、挨拶して扉を開けた。
茶道部部員になった覚えはないが、なぜかこの部屋は居心地が良い。
「……」
向かい合わせの4つの机。
律先輩と澪先輩の席の横が私の定位置。
ひとまずそこに腰を落ち着けた。
「……」
さて。今日は少し部室を物色してみようか。
気になるのは……、やっぱりあの食器棚だろう。
高級そうなティーセットがいくつもしまってある。
そういえば茶道部なのにティーセット?
洋風茶道部とか、変な部活なのだろうか。同好会?
食器棚を調べていたらティーポットに茶葉まで出て来た。
「コンロ!」
すごい。カセットコンロまで用意している。
水さえ汲んでくればこの部屋でティータイムが出来るのか。
やかんもある。
「……」
おしゃれなガラス瓶が3つ。ネスカフェとかコーヒーの瓶と同じ大きさのものだ。
よく見ると3つが3つとも違う茶葉のようだ。ほんの少し色が違う。
うち1つを開け匂いをかぐと、良い薫りがした。紅茶みたいだ。
「……?」
3つとも嗅いでみたが、もちろん銘柄なんてわからない。
なんとなく気になった茶葉を、これまたなんとなーくとりだして。
私はやかんを手に、水道へ向かった。
コンロに掛けたやかんが沸騰するのを待つ。
開けた窓から風はない。
コンロの火で温まった空気が流れるのだけ感じる。
そろそろお湯が沸く。
ぼーっとするのも中断して、私はティーカップを準備することにした。
さてどれにしようか。
「これなんだろ」
一見ただの真っ白いカップの様だが、内側に出っ張りがある。
出っ張りを下にすると、カップの縁と出っ張りでまるで桃の様なシルエットだ。
カップにしては変な形だ。
「決めた」
なんだか気になる。セットのソーサーとカップ。
桃ティーセットを机に置いて、私はカセットコンロの火を消した。
さて、茶葉はどのくらい使うんだろうか。
これだけ備品が揃っているのだから、計量スプーンぐらいあるだろう。
「あったー」
3つのサイズがリングで一つになってるものだが、中くらいのを使っておこう。
すり切り一杯をポットに入れて、お湯を投入。
ポットから良い薫りがのぼってくる。
「いいにおい……」
少し蒸らしてカップに注いだ。
「すごい。ハートになった!」
桃のカップ。内側の出っ張りはハートを作り出すものだった。
紅茶の色のハートはなんだか暖かい。
飲まずに眺める。
「色んなのがあるんだなぁ……」
ふーっと、湯気を払う。
他にも綺麗なカップがまだある。
放課後は
「いづっ!?」
脳裏に浮かぶ姿? 姿
誰かが私の前にティーセットを置いていく。 誰か
……頭痛。
後頭部を走る痛みは。
そこに留まらず私を塗り潰す。
椅子から転げ落ちると床に強かに体を打ち付ける。
「うあ、ぁ……っ」
頭を抱えて、ただ痛みが止むのを待った。
気付いたらいつもの長椅子に横たわっていた。
朱色に染まる部屋が 。
「ふ……ぅ」
後頭部をさすりながら、息を整える。寝て起きれば頭痛は消える。
停滞した部屋の空気、私は立ち上がると窓を全部開けた。
開けてもほとんど変わらない、気休め程度だ。
紅茶からは湯気はなく、やかんもぬるくなっていた。
ハートが静かにそこにある。冷めたそれに口を付けた。
「……」
うん、美味しくない。私は喉を潤すためにひとまず紅茶を片付けた。
良くできているカップだ。中身が無くなるまでハートは消えない。
「ムギ先輩が入れたのなら冷めても美味しかったんだろうな……」
何だか苦くて後味の悪い。
飲む気も無くなってしまった。
わたしはティーセットにポット、やかんをどうにかして持って水道に向かった。
時刻は4時45分。
ここ最近の日課。放課後はアーケードに繰り出す。
何か一つのデザートで小腹を満たし、その後は10GIAでギター試奏。
なんだか放課後の方が充実している気がするのはなんでだろう。
日が落ちて帰宅。
家族がいない、それ以外はいつもと同じ。
食事、お風呂。今日の勉強の予習復習。
そういえば、テレビは電源は入るものの砂嵐しか映らなかった。
ラジオもノイズだけ。
娯楽にいつも掛けていた時間を、ギターの練習にまわす。
そして日付が変わって一時間後。
私は眠りにつく。
今夜もおやすみ。
リビングで静かに朝食を摂る。異常もこう何度も過ごせば日常となると気付いた。
普段なら
ニュースを喋らせるテレビも黙ったまま。
食器を片付け、元栓チェック、火の元確認。
鍵は、一応しておこう。
泥棒する人間のいないここで、鍵締めや用心など不要なものだけど。
普通を無くしたら何かが無くなる気がした。
最近はまた部室とアーケードで過ごしていたが。
今日は遠出でもしてみようか。
いつかまたみんなと過ごせる日常が過ごせたらいい。
放課後、音楽準備室へ。
ムギ先輩のティーセットを拝借。ハートの紅茶を用意した。
昨日はあの頭痛のせいで温かいうちに飲めなかったけど、今日はゆっくりいただいた。
「……ほ」
温かいものが喉を下る感覚を楽しんで。
やっぱりムギ先輩が淹れてくれた紅茶とは雲泥の差だった。
味も風味もあったものじゃない。
ひとまず一杯で終わりにして、私は律先輩の隣の席の椅子を拝借する。
前々から気になっていた。食器棚の上にある段ボール。
「くっ」
指先が引っかかるだけ。
この段ボール、そこそこ中身が詰まっているようそれだけだと引き寄せられない。
「もぉぉ……!」
駄目だ。机も借りよう……。
箱自体は古いものだったが、中のものは比較的綺麗だった。
カセットテープが数本と、アルバムが一冊。
そして書きかけのスコアが何枚も。どれも書きかけで中途半端だ。
とりあえず机を元に戻して、箱は机の上に置いた。
誇りも全然たまってないし放置されていたわけではなさそう。
しかし今どきカセットテープとは……。
この荷物は茶道部のものじゃないのだろうか。
「これはまた……」
アルバムを開いてみるとなんとまあ、前時代的な写真である。
白黒というわけじゃない。映ってる方々の格好だ。
どぎつい化粧の面々がそこにいた。
「……ほぉぉ」
ある意味珍しいそれに、私は見入る。ビジュアル系バンド……?
楽器を構えて写っていたり。メンバー全員でメロイックサインで写っていたり
「うぇぇ!?」
私達の先輩でした。
長椅子から立ち上がる午後四時半。
箱の中身をそのままに、いつのまにか寝てしまっていたらしい。
開いたままのアルバムのページ。
写真の一枚、“桜高学園祭”と書かれた看板をバックに演奏している。
何年前の学園祭の写真なんだろうか。
カセットテープは拝借して家で聞いてみよう。
たぶんこの写真の人たちの音楽が入ってるはず。
写真からにじみ出る激しさからして、ヘヴィーメタルに違いない。
「ん? デス、デビル?」
大判サイズのアルバム。1ページに数枚貼り付ける容量がある。
見つけたのはこの一枚。
“DEATH DEVIL (SAW-AKO)”と書き込まれており……
「……」
化粧のおかげで判りづらいが、整った顔つきをしている人だった。
「ソウ、アコ?」
デスデビルというのはバンド名? 写真に写ってるのは一人だけど……。
「さ、わ、こ?」
さわ子? これ、さわ子先生なの!?
まさかあの綺麗な人が凄まじい歴史を持っているものだ。
……でも納得させてしまうところがあるのもあの人らしい。
箱はそのままにして、準備室をあとにする。
……片付けるのに元の場所に戻すのも一苦労だし。
スコアも一通り目を通しておきたかったから。
とりあえず今日はもうアーケードに行こう。
懐かしいアルバムを閉じ、片付ける。
あのカセットテープも、書きかけのスコアも何も変わらずそこにある。
踏み台代わりの椅子を元に戻して、私は部室をあとにした。
すこしお腹が空いて。まずは空腹を鎮めることに。
「ハンバーガー……」
浮かんだのはハンバーガーなのにポテトが食べたくなるってよくあるよね。
自動ドアが開いても、いつもの、必要以上に威勢の良い挨拶は無い。
ただ電化製品のノイズが店内をひっそりと沈めている。
「あ」
3つあるレジの一つ。真ん中のカウンターにコーラのMサイズとポテトのMサイズがあった。
トレイに乗せられていて、ポテトからは湯気がたっている。
「いただきます」
誰に対して言ったわけではなく。
窓際の外の通りが見える席に腰を落ち着けた。
Lポテトが出てなくてよかった……。
夜。やることを全て済ませて、今日はギターの練習は休む。
代わりに放課後見つけたカセットテープを聴いてみようと思う。
早速オーディオルームへ。
カセットテープにはタイトルとか書いてないから適当に順番に聞いてみよう。
「やっぱりヘビメタだ」
たしか先生は写真だとギターを持っていたけど……。
このテープが先生のバンドの音源だとしたら、ギターが並外れて安定してる。
意外な収穫。先生がまさかメタルを好んでいたとは。
どうやら先の数本がDEATH DEVILのものらしい。
最後の一本をセットする。
巻き戻っているようなのでそのまま再生。
ざわざわとした音が数秒流れた後。
スティックの響き、始まりの合図。
最終更新:2010年01月25日 14:43