「帰れるのかなぁ……」

この日記の端々から、元の生活に戻ることを望んでいることが判る。
元の生活ってなんだろうか……?

「……先輩達がいる? 私以外の誰かがいる?」

そっか。私はなんだか順応しすぎたのかも。
確かにこんな世界は変だ。変だけど。
過ごしやすいのも確かなのだ。

自分のペースで好きなことを好きなときに。
繰り返す時間のおかげで時間の限りは無いはず。
何せリセットを使えば、体もこのままだ。

「……」

どうして“彼女”は帰りたがったのか。
……それに帰るも何も、ここが違う世界だという証明は無い。


気ままに過ごして1ヶ月分の日数は経った。
考えれば日常というのは“繰り返し”の毎日だと思う。
起床、食事、登校、授業、部活、下校、帰宅、入浴、食事、勉強、練習、就寝――。

「……」

今日の新聞もそろそろ読み飽きてしまった。といっても内容が変わることは無かったが。

例えば毎秒変化していそうな、目に見えてわかりやすい事柄。
そういったことも1日の中でなら変化する。毎回同じ数字で。
私が手を加えて変化させることは出来ても、それを次に持ち越すことは不可能。

これが致命的までに追い詰める。
なまじ

繋がりを持っているのは、私の記憶だけだった。
しかし、これがつらい。

「…………」

ここで、私を知っているのは私だけなのだ。
誰も私を知らない。
誰でもいいから、私を知ってもらいたかった。

昼。
せめて自分の中だけでも変化が欲しくて、曜日を設定することにしていた。
通常の1週間と一緒だ。
日曜で始まり土曜で閉める。

まあ。毎日自分のペースで進められるから有って無いようなものだけど。
リセットされないように部室に戻るから、結局毎日学校へは行く。
帰りたいという気持ちは、まだ、というより以前より強くなっている。

“彼女”の言葉が正しいかわからないけど、今は縋るしかない。
ここのルールから逸脱していれば元に戻れる。
そう考えての行動だ。

「はぁ……」

変化は無いけどね。
いつもみたいに爪を切る時間が出来た。
ちょっとだけ髪が伸びた(気がする)。

あとは……。あとは少し日に焼けたと思う。
変化なんて微々たるものだ。
普段と同じなのだからそんな大きな変化があるはずがない。

今日も私は学校へ行く準備を始める。

カバン持って、ギター持って。
これで準備は完了。あっという間。

「あ……携帯」

勉強机に置いてあったそれに気付く。
そういえば。今まで持ち歩いてなかったな。

どういうわけかこの世界、生活するには困らないレベルで回っていた。
こう考えるとなんとも都合の良い世界だった。電気よし、水道よし。
しかし電話、インターネットはどうしてもダメ。
こうなると元々いじらない私にとって、携帯電話は無用のものと化していた。

「たまには持って行ってみようか……」

電池はOK、満タンだ。マナーモードのまま。
そのままバッグに入れて私は部屋を出、戸締まり火の元を確認して家を出た。

すれ違う人々はもちろん、空を行く鳥もそろそろ聞こえてきそうな蝉の声も無し。
道路はいつだって歩行者天国だ。
さて世間は相変わらず静かなまま。

「……」

学校に近付くにつれて聞こえる喧噪も、耳の中の出来事。
私は開け放たれた校門を抜けて昇降口に入る。
ざわめきはなく、私の足音が小さく響く。

学校指定の上靴の性質上、足音なんてあまり出ない。
ただ、校舎が木造で周りに音が何もないから響いて耳に届く。

「――っ」

“自分”しか聞こえない中。私は立ち尽くす。
最近になってこんな感覚が私を取り巻くんだ。

校舎に私の絶叫がこだまする

部室で過ごす時間。紅茶が喉にしみた。
今朝のシャウトで軽く痛めてしまったらしい。
潤すようにしてゆっくりと紅茶を嚥下する。

「ああ……」

なんと恥ずかしいことをした……。
羞恥心と喉が私を責める。足をバタバタさせてみる。
また溜め息が出た。

「4時かぁ」

今日も残り30分。いつも通りだった……。
あ、いや。今日は珍しく携帯電話があるんだった。
カバンを机の上に置いて中を漁る。

「ここの時計にあわせておけば、間違いないかな」

この世界の時計全てが同じ時刻を刻んでいるわけがない。
部室の時計なら今のところずれたことが無いから大丈夫そうだ。
外に出るときの時計代わりに使える。

ぞんざいに扱いすぎたらしく。
携帯はカバンの中をまさぐっても中々手に触れない。

「あ、ったと」

底の方から引っ張り出して、開く。

「え――う、そ」

画面に表示された通話中の三文字。そして電話からは微かな雑音が聞こえた。
見逃していた。普通の電話が使えないからという理由で目を向けなかったのだ。
まして普段それほど気に掛けていないものだから尚更……。

「も、もしもし!」

慌てて耳に当てる。

途切れ途切れ聞こえる音は、まごう事なき雑音で。
ただ違う、この世界には無いと断言できる何かで構成されたノイズだった。
何度も呼びかけるも、あちらからの反応はない。

人だ。人が、私以外の誰かがこの世界にもいる。
最初よりはマシになった気がするけど、でもまだ雑音だらけで聞き取れない。
電波。そう思って私は慌てて窓辺に立つ。

「……や」

その瞬間、電話口から音が消える。通話終了のあの音も無く、無音となり。
いつもの静けさが帰ってくる。
崩れそうになる体を奮わせ、私は部室の時計に目を向ける。

「……4時5分!」

同じ日の繰り返しの中において、今日のこれは起きたことのないもの。
経験上、どんな出来事も必ず決まった時間に起こる。
今まで無かったことに当てはまるかは判らないけど、試してみるしか……!

結局そのあと。部室をふらついて見たけれど雑音が入ることは無かった。
画面に出ている電波状況は常に三つのままだった。
自分でも落胆しているのがわかる。

そろそろ時間だった。
私は席に着いてリセットの時間を迎えた。



                       ポーン


                    /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
                  /  / ̄ ̄ ̄12 ̄ ̄ヽ  ヽ
                  /  /     |     ヽ ヽ
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                 | | 9    \|      .3 | .|
                 | |              |.|
                  ヽ ヽ            / /
                   ヽ ヽ___6___/ /
                    ヽ _______/



片付けて部室をあとにすると、私は行ける限り街を歩き回った。
いつも使っているお店、いつも通る道。もちろん校舎の中も隅々見て回った。
だけど何も変化は無かった。

きっとあのノイズは何かが劇的に変わる合図。
それを見つけられればもしかしたら現状を打開できるかも知れない。
そう考えて、いや、そう望んでの行動だ。

「あぁ……」

結局明日また同じ時間に携帯電話で確認するしかない。
この日はいつもの様に軽く街をふらついたあと帰宅した。

「……」

溜め息の私を出迎えたのは、我が家の静寂だった。

5日間ほど携帯電話が中心の生活になった。
耳に電話を当てたまま、歩きで確かめられる範囲をうろつく。

正直周りの音が入りづらくなる上に、周囲にも気を配りづらくなるからこのスタイルは嫌いだ。
それでもやったのは、気付いたら独りが怖くなっていたからだろう。
誰かに会える可能性が有るのならそれに縋りたかった。

「結局ここだけかぁ……」

歩き回っても得られるたことは、あの机でないと繋がらないということだった。
リセットキャンセルのルールと同じ。机が整っていないとウンともスンとも言わない。

「……」

こうして部室で必ず放課後を過ごすことになった。
繋がるのに時間も関係あると思っていたが、違うらしい。
机にさえいれば一日中繋がる。

「……」

そして日を重ねたごとに音はクリアになっていき、今は雑音はほぼ無い。
ただ電話口から聞こえてくる音に意識を傾けている。
まるで、あちらの受話器が外れていて電話が繋がっていることに気付いてないような。

時折、何かが揺らめく音、遠くの人の声が聞こえ。
ドアの開く音のあと電話に近付いてくる足音が聞こえる。
その度に大きな声で呼びかけるのだが、あちらは気付かない。

久しぶりに聞いた“雑音”。懐かしさすら覚えてしまう。
こっちの過ごしやすい環境と相まってまるで春先のような心地よさを錯覚させる。

「――ぁふ……」

ああ、ほら眠くなってしまった。
午後1時過ぎにこんな気持ちのいい空気はいけない。
私はいそいそとカバンから充電ケーブルをとりだす。
スピーカーモードに設定し、私は腕に頭をのせて目を閉じた。

………………………………………………
………………………………
………………
……


「おー、よく寝てるなー」

「あずにゃーん、ほっぺぷにぷにだよ~」

「こら、二人とも! イタズラするんじゃない!」

「ふふ。私もちょっと失礼して……うふふふふ」

……
………………
………………………………
………………………………………………

「ん……」

眠いのに顔とかいじるのはやめてもらいたい。

「――! 先輩!」

一瞬で目が覚め、私は跳ね起きる。
部室に椅子が倒れる音と。

「――先輩」

電話口からあの人達の声が聞こえてくる。相変わらず騒がしい人たち。

律先輩と唯先輩が騒いで、
澪先輩に叱られて、
ムギ先輩がそれを優しく見守って。

ああ、やっと帰れるんだ。またあの人達と一緒にいられる。
ふるえる手でゆっくりと携帯電話に耳をあてる。

「もしもし、先輩?」

何だかいつもの電話と聞こえ方が違う。
レシーバから聞こえてない……?
って、当たり前だ。スピーカーモードのまま使っていた。
慌てて切り替えた私は改めて呼びかける。

「先輩、みなさん、今どこにいるんですか!?」

わいわい、がやがやという表現がぴったりだ。
呼びかけたって言うのに、全然聞こえていない。
というより誰が電話を持ったままなのか。

「みーなさーん!」

ああ電話でこんな大声で呼びかけるなんて恥ずかしい。



「唯、猫耳持ってるかー?」

「あるよー? どうするの?」

「あらぁ。もう、りっちゃんたら」

「おい、律……」

「いいからいいから。ほれ」

「あずにゃ~んっ」

「こらぁ! 抱きつくんじゃない」

「……イイ……うふふふふ」


私の呼びかけは部室にだけ響く。
電話口の向こうの騒がしさは、何に止められることもなく続いていた。
声が届いていない。一方通行。
そして。あちらには私がいる。

「    」

滑り落ちた携帯電話が机に転がり、私は頽れる。
遠くなった声が私を取り巻いていた。

「私は誰なの……? わ、たしは……」

窓辺の壁に体を寄せて丸くなり、遠い世界の出来事を前に呆ける。
やっぱり違う世界なんだ……。
聴けば聴くほど私が会話の中にいないことを認識させる。

話し声は小さくなっていて、もう離れていると殆ど聞き取れない。
幸いだった。耳を傾けるのが怖い。
私はここにいるのに私抜きで交わされる会話。

向こうにはみんな知ってる私がいて。私がここにいることを知らない。
ここにいる私は私だけしか知らない。

えーと、アイデンティティとかなんとか。
……逃避するにはちょうど良さそうな議題だ。
こうしてずっと自分が何なのか考え続ける物体になるのも面白そう。

理由があったわけじゃないけど、リセットをキャンセルして進まなければ行けない、と。
きっと“彼女”がそうしていたからだ……私の意志じゃない。
終われないのだ。この場所でただの思考する物体になれたとしても。

「……」

のそのそと立ち上がり、倒れた椅子を戻すと腰を下ろし、どさりと机に突っ伏した。
近くなった電話。せめて少しでも。
私はゆっくりと死んでいくことを選んだ。
そう。せめて、これ以上先輩達の声が絶望になる前に。

ゆるゆると流れていく時間を、ただ無情に過ごす。
生きてきたうえでこんな訳の分からない思いを巡らせることがあっただろうか。
携帯電話からたまに流れてくる声が、つらい。

10年そこらしか生きてないけど、思い返せば色々なことが浮かんで来てしまう。
これが走馬燈なのだろうか。
普段だったら思い起こしもしない小さい頃の思い出すら流れては消える。

お父さんとお母さんと私の3人で手を繋いで歩く。
春先だと思う。川沿いの道、黄色い花が道の両脇に咲いていた。
童謡を口ずさんでいたみたいだけど、思い出せなかった。

一面の白。お父さんに倣って雪の玉を転がす。
作った雪玉を持ち上げられずにいると、お母さんが手伝ってくれた。
お父さんは一人でかまくらを作っていた。3人で入れるくらいの大きさだった。
温かかった。

秋。とある伝で手に入れた、進学希望の高校の文化祭のライブの音源。
ギターの巧さに聞き惚れた。もちろんアマチュアバンドだ。演奏の粗は目立つ。
だけどそれでもその演奏は完全に私を――。

桜。桜が丘高校。逸る気持ちを抑えながら初登校。
歴史のある学校だけあって木造校舎。新しい生活が始まる。
だけど、そんなことより。私は掲示板にある告知物を見て胸を躍らせていた。

軽音部。あった!

新歓ライブで生で演奏を聴いたときは、興奮して泣きそうになった


現実はいつだって非情だ。
思っていた光景と目の前で繰り広げられる光景は食い違ってばかり。
正直、予想外にだらしない部活だったわけで……。

ところが唯先輩、律先輩、澪先輩、ムギ先輩。
4人揃うと素敵な演奏になり、いい曲ができあがるのだ。
相乗効果というのか、はたまた化学変化か。
たまに唯先輩と律先輩に到っては、ライブ時だけ違う人が演奏してるのかと疑ってしまう。

それほどまでに“桜高軽音部”の演奏は、魅力的なんだ。
なんだかんだ合宿などもして練習しているらしい。
……意外とやることはやっているのだ。

そう、文化祭前の夏合宿。
軽くほのめかされて、待ち遠しくて今以上に嬉しくて。
いよいよ本格的に軽音部の混ざれるとなると待ち遠しかった

「……ぉんやもー、おやすみ」

枕にした腕が濡れていて、漏らした声は掠れる。
自分でも気付かないうちに泣いていた。

「な、んで……せっか、く……」

悔しくて、どうにも出来ない歯痒さに涙が止まらなかった。
たかだか私の覚悟なんてこんなものなのだ。

「帰り、たいよ……。お父さん、お母さん……せんぱ、い」

朱色。
低い確度の太陽の陽射しに染められて、私は。



                     ――あずさ




声。電話の向こう。
有るはずのない温もりに頬が包まれる。……いっそここまで来れば完璧だろう。
ようやく精神が限界を迎えてくれたみたいだ。

「澪先輩……」

もう懐かしさすら覚える声に想いを馳せる。
なんだかんだで澪先輩は一番頼りにしてました。



                     ――あずさちゃん



ムギ先輩。
もう一回先輩のお茶が飲みたかったです。
結局最後まで私は先輩みたいに上手く入れられなかったけど。



                     ――あずさ


律先輩……。
もっと繊細さを覚えて下さい……。
頼もしいところもあるけれど大雑把すぎです。



                     ――あずにゃん



唯先輩。
すごいのかすごくないのか分かりません。
でもきっと部活の大きな支えになっているのはきっとあなたです。

せめて向こうの私には高校生活を満喫して貰いたいな。


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最終更新:2010年01月25日 14:52