一つここに仮定を立てよう。もしも私が彼女を引き止めず、この部を復活させなければどうなっていたか。
彼女は文芸部に、ある彼女は合唱部に、またある彼女はジャズ研。
そしてとある彼女は……おそらくニートだろうか。案外生徒会に引っ張れているかも知れない。
問題は私だ。仮定上、私はどこにいる?文芸部なんてちまちましたものは嫌だし、ジャズ研にドラムはいらない。
そもそも一人ならけいおん部さえ入る気すらないのだから仮定にはならないか。
そんな意味が無い仮定を立てたのも原因は今の状態にある。
今の地位には不満はないが何せ権力が足りない。権力があれば止められたかも知れないしな。
平沢唯が
秋山澪に殴られた。事件は、歪みはここから全て始まった。
始まっていたが正しいのかな?
もしもあの時私が澪に部活の話を持ちかけなかったら、この事件は起きなかったはずだ。
さて、事件を話す前に自己紹介をしよう。私は律。名前通り皆を『律』しているけいおん部の部長だ。
そしてそのけいおん部の部員……まぁ、知っていると思うし割愛。
皆さんがお知りの通り私達は仲が良い。
いや、正確には仲が良かったように見えた。
始めは前者だったんだけど人間ってやつは無駄な思考があって、嫉妬という事が起こる。目標は武道館だったが私達は本気でプロなんて目指しちゃいなかった。
ただの仲良しクラブか、と笑われたなら笑顔でそうだ、と肯定するだろう。その方が楽しいし。
ただ、その仲良しクラブの最大の誤算はそこに一人、ダイヤモンドの原石が混ざっていたことだ。
次第にそれは光だし、私たちを普通の石ころから価値のない石ころに変えてしまった。
人間は誰かに抜かされるというのに嫌悪感を抱く。教え子なら尚更だ。世の中には一子相伝の拳法みたいのもあるが、それは愛があってこそ。自分が優れていたと思っていたらそれは嘘で、勘違いだと気が付くのは痛みを伴う。
プライドに穴が開くのは痛いものだからねぇ。
「律先輩一体こんな時に何一人でぶつぶつ喋ってるんですか!唯先輩も澪先輩も部活来てくれませんよ!」
「まぁまぁ、焦るなよワトソン君。一番焦っているのは私だし」
焦りすぎて悟りひらきそうだ、ちきしょう。
今、音楽室には私、梓の二人だけだ。ムギはどちらかを探しに出ていった。
まだ学校にいるかも怪しいが二人が二人だけに案外トイレあたりにひきこもっているのかも知れない
「これが愛の逃避行ならまだいいんだけど」
よいしょ、と私も立ち上がり、背筋を伸ばした。
「律先輩らしくないですよ、我先に探しに行きそうなタイプなのに」
「それがさぁ、梓。かける言葉が見つからなくて」
今でも見つからない。私は澪になんて言葉を掛けられるんだ?
『唯に謝れよ』
『なんでそんなことしたんだ』
はたまた、
『大丈夫だよ?』
『元気出して?』
と慰めてみるか?澪が悪いはずなのに。
本当は簡単に解決するはずなのに自分から泥沼にはまっている気がする。
「このまま唯先輩と澪先輩が仲直りしなかったら、どうなるんでしょうね」
「……梓は嫉妬しなかったのか?唯に自分が抜かされて。梓だって自分の方が上手いっていう自覚あったろ?」
「抱かなかった、といったら嘘ですね。絶対音感、あの才能。同じ楽器をやってて嫉妬しないほうが可笑しいですよ」
だろうなぁ、と私は呟いた。ドラムは一人だから上手さに嫉妬して仲間割れなんてはしないけど、気持ちはよくわかる。ライブハウスの件とか。
「もう一度電話してみるか」
片手で携帯を開き、リダイアルの一番上の番号に掛ける。
…………。
『……律』
「なんだ、澪。出てくれないと思った。リダイアル12回目だぜ」
『うるさくて眠れないんだよ』
「電源切ればいいのにな、澪」
『……だな』
眠れない、ということは自宅か?声のトーンが沈んだ彼女の声を聞きながら、私はこれからを模索した。
「……澪先輩出たんですか?」
梓が駆け寄り、小声で尋ねてくるのに指で丸を作ると、再び私は教室の床に腰を落とす。
『怒ってるよな、急にあんなことして』
「ああ、怒り心頭で次会ったらどうしてやろうか考えいるとこだ」
『……唯は』
「学校には来てた。憂ちゃんに急かされたのかな?昨日の話は家じゃしなかったみたいだ。ただ部活には、な」
唯も唯なりに憂ちゃんに気を遣ったのだろう。あれでも姉だからな。弟がいる私としては兄弟に負担を掛けたくない気持ちはよくわかる。
『けど、私許せなかったんだ』
「許せなかった?自分がか?」
『違う、こんなこと行って信じてもらえないかもしれないけど、律達が思っているみたいな私は唯に嫉妬したからぶったんじゃない』
「……うん」
嫉妬じゃないのか。じゃあなんで澪は唯を殴ったんだよ?ヒステリーか?
梓が私の携帯に耳をよせ顔をよせで携帯中心に体温が上がっているのを感じながら、澪の話に耳を傾けた。
『私は嬉しかったんだ。これだけは信じてくれ!私は唯が上手くなって嬉しかったんだ!』
「ああ、信じるよ。親友なんだから当然だろ?だから泣くな、澪」
こっちまで悲しくなってくるじゃないか、と嗚咽まみれのあちら側を想像する。
『……ごめん、なんだか思い出して』
「で、なんで殴ったんだよ?何か理由があるんだろ」
『……律、ごめん。また掛ける』
……ツー、ツー、ツー。
「切られちゃいましたね」
「私のせいみたいに言うなよ、梓。けどどーゆうことだ?澪は嫉妬じゃないって言ってるぜ」
「出鱈目かも知れませんよ」
まさか、と私は苦笑いを浮かべながら澪の心情を思い浮べれば梓の説もあながち否定はできなかった。
ついカッとなって殴って、あとからこのままではいけないと自分の心理が判断し、私は嫉妬を抱いていない、なんていう嘘の記憶にすり替える。
あり得ない話じゃないよなぁ。
「けど、澪は許せなかったんだって言ってたんだぜ」
「許せなかった、ですか。なんだかよりわからなくなりました」
「……梓、とりあえず今の状況を整理してみないか?案外テンパってるのは私達だけで落ち着けば理由が隠れてるかも知れないぞ」
ですね、と飲みかけの紅茶が置いてあるテーブルに場所を移し、冷たくなっている紅茶を口を付けた。
「アイスティーと思えば飲めなくはないけどなぁ」
「やっぱりイマイチですね、分かってはいましたが」
テーブルには5人分の食器は準備してはいるがそのうち二つはカップが下を向いている。
「そもそもだ、誰が澪に唯が殴られた現場を見たんだ?私は知らせを聞いて日直ほったらかしにして飛んできたんだぞ」
「誰に聞いたんですか?私は律先輩から呼ばれて部室に来ましたから」
「ムギだよ。今、部室が大変なことになってるからって携帯に電話来てな」
「じゃあ二人の修羅場を目撃したのはムギ先輩になりますね」
「そうだな。澪はその日私のこと置いて部室に向かったし、唯は多分トイレ経由で行ったんじゃないか?それで何かトラブルが起きた」
「まるで探偵みたいですね、律先輩」
「だから言ったじゃないか、ワトソン君って」
適当に言った割りには今更になって効いてきたな、コレ。
「けど、澪先輩と唯先輩が喧嘩をする理由がわからないんですよね~」
「お互い別にギスギスした関係とか、最近何か仲違いが起こった、なんていうことも私は気が付かなかったぞ」
「じゃあやっぱりただ単にあることにカチンと来て殴っちゃったんでしょうか」
……ならこんな私が柄にもない名探偵にならなくてもいいんだけど。
「……とりあえず私は澪のウチに行ってくるよ。梓、お前も来るか?」
「なら私はムギ先輩と唯先輩の家に行きますよ。私じゃダメでもムギ先輩がなんとかしてくれそうですし」
と、梓は携帯を開きアドレス帳からムギの電話番号を探している様であった。
「律先輩も一途ですよね。案外尽くすタイプですか?」
「うーるーさーい」
ただ私は澪が心配なだけだ。それだけなんだ。
「……そういえば先輩、今回のこの喧嘩で、唯先輩と澪先輩が仲違いになって一番得をするのは誰なんですかね」
「なんだよ、それ」
「いえ、なんとなく」
「…………」
澪と唯が喧嘩して一番得をする人物、か。
なにかこう、歯に海苔が挟まるもどかしい感じがする。
……一度こんな事を思ってみたかったんだよなぁ。
澪と唯を引き離して得ねぇ……。
私はバッグをひょいと掴み、澪の顔を思い浮べた。
もし、そんなことをする犯人がいるとしたら、どう考えたって身内も身内だ。
「あっ、ムギ先輩ですか?梓です。今から唯先輩の家に行こうって話を……はい、学校にはやっぱりいないみたいで」
じゃあな、と梓に一言掛け、私は音楽室を出た。
励ましに澪のウチにいくのもいつぶりかな?中学生?いや、小学生だったかな。
「りっちゃん!」
ムギ、と私は音楽室近くの廊下で振り向いた。案外近くにいたらしい。
「澪のことは私に任せて、唯の事、よろしくな」
「その件なんだけど、今さっき変な話を聞いたのよ」
「変な話?また澪のファンクラブが何か企んでるのか?」
「ううん、そうじゃなくて……」
ムギが私の傍に近寄り、私とムギだけの内緒話のように耳打ちする。
……、………、………。
「……まさかねぇ」
「りっちゃん、何か心当たりある?」
「いや、まだわかんないな。もしかしたら勘違いかも」
勘違いだったら嬉しいんだけど。
と、内心思いながら私はムギと別れ、昇降口へと向かった。
あっ、そういえば今日はムギのケーキ食べなかったなぁ。
……
澪の家に行くのもなんだか久しぶりに思える。いつもは澪が私を迎えに私ん家に来たりすることが多いからあんまり澪の家には行くことも無くなってしまった。
ピンポーン
呼び鈴を鳴らす。少し胸がドキドキしているのは久しぶりだからだろうか。別に彼氏の家に行くわけじゃないのに。
彼氏なんて出来たことないけど。
あっ、澪はいたりするのかなぁ。小学生、中学生といつも一緒にいてそんな素振りは見せなかった。
いつもモテモテの割りに誰とも付き合わないのは私みたいなお目付け役というかお邪魔虫がいたからなんだろうなぁ。
今だってそうかも知れないけど実は……みたいな事がありそうで怖い。
浮気されている気分だ。
「……律、人ん家の玄関で何難しい顔してるんだ」
「よっ澪、案外元気そうだな」
「……上がってよ。話したいこともあるし」
ああ、と私は目にくまができている親友に率いられ、玄関で靴を脱ぎ捨てた。
「また寝てたのか?」
「いや、やっぱり寝付けなくて、シャワー浴びてた」
そういわれるとパジャマ姿の澪は妙に艶やかであった。雨に滴るじゃないけど、湿った肌や長い黒髪が妙に色っぽいものがある。
「澪の部屋も久しぶりだな」
「何言ってるんだ前だって…あれ、前いつ来たったけ」
「テスト前かな?ノート借りるついでに一緒に勉強したじゃん」
ああ、そうだった、と澪はベッドに座る。私は床にでも座るかと考えたが適当にバッグを投げたし澪の隣に座ることにした。
「…なんであんなことしたんだろうな、私」
「唯を殴った事か?そんなに気背負うなって。別に怪我させたわけじゃないんだし」
軽口を叩く。
澪が許せないのは自分の行った行為であって、その被害の大きさで無い事は重々分かっているつもりだ。
「…律は慰めるのへただよな、昔から」
「いや、昔よりはうまくなったんじゃないかなぁ。誰かさんがよく泣くせいで」
澪は俯き、その表情を見ることは出来ない。
「いつも慰めてくれるのは律だけだから」
「……澪だって私が風邪引いた時お見舞いに来てくれたじゃないか」
「それは……律が心配で」
澪が手を伸ばし、私の掌を握った。カーテンの閉まる部屋でベッドに座る二人が手を握り合う。
……安っぽい恋愛小説みたいだな。
「なんだよ、澪。手なんか握ってきて」
最終更新:2010年07月20日 00:14