律「……いまなんて?」

澪『うぅ……ぐしゅ…』


 ある日曜日の朝。
 前日から夜更かししていた私は、冬の遅く昇ってきた朝日を顔に浴びていると、一本の電話を受けた。

 ケータイのディスプレイに表示されるのは、『秋山 澪』の名前。
 私の幼なじみで、親友で、将来を誓い合った相手だ。

律「こんな朝はやくに珍しいな。今日は何も約束してないはずだけど」

 仲が良いと言っても、四六時中いっしょにいるわけじゃない。
 もし今日、澪と遊ぶ約束をしていたのだったら、私は夜更かしなんかしない。大事な澪との約束だもん。……夜更かしなんかしない、多分。

律「あー澪? どーしたこんな朝はやくに。夜更かしでもして眠れなかったのかー?」

 寝ていないから、自然とテンションが上がってる。ナチュラル・ハイ!
 つい語気にも、澪からの電話に嬉しがっている気持ちが混じる。
 イカンイカン。落ち着け私、餅つけ私。

澪『……律……』

──澪の様子が、おかしい。

 どんな時でもクール(ぶってる)、みんなをまとめる姉御肌(アナゴ肌と似てる)、押しに弱くてつい流されちゃう寂しがり屋(かわいい)、ドジもしちゃうけどそこがチャームポイント──な、澪じゃない。

律「…どうした、何かあったのか?」

 電話の向こうにいる相手に、いまの私に出来る限り優しい口調で話しかける。

 少し間を置いて、澪は言葉を返してくれた。

澪『…ふぐっ……り、りつぅぅぅ……』

 泣いていた。
 澪が、私の澪が、泣いていた。

律「どうした! なにがあった!?」

 さっきと同じことを、もう一度尋ねる。
 けど澪は私の声を聴いて安心したのか、嗚咽ばかりが返ってくる。

 ああ、埒があかない。


律「いま家にいるんだろ? いますぐいくから、待ってろ」

 幼なじみで、家も近いんだから、会って話した方が、話しやすい。
 なにより、澪の傍にいたい。泣いている澪を、私になにか求めている澪を、独りにさせたくない。

澪『だ──ダメッ!!』

慌てて、拒否られた。

 意外な、しかも力強く否定をした澪の反応に、私のテンションは急速に落ちていく。
 レールを踏み外したドンキーのトロッコ並みに落ちていく。

律「な、なんだよ、困ってるんじゃないのか?」

澪『こ、困ってるぞ。いままでの人生でいちばんってくらい困ってるぞ』

 人生で一番。
 いつも言葉の一つ一つを大事にしてしゃべる澪が、「一生のお願い」って言葉を本当に一生に一回しか言わないような澪が、人生で一番困ってるらしい。

律「なら、なおさら行く。そんな澪を放っておけるか」

 すこし、強く出てみる。

澪『だ、だから…来たらダメなんだよ…』

律「なんでダメなんだ? 電話した理由があるなら、ハッキリ言ってくれよ」

澪『………』

 澪が沈黙する。
 沈黙もくもく、もくもく☆時間。

澪『……笑うなよ?』

 おっ、話す気になったみたいだ。

澪『お…驚くのも、ダメだからな?』


なんだ……やけに念をおしてくるな。

律「澪。私は、澪のことが大好きだ」

澪『……ふぉあっ!?』

律「どんなことだって、澪を笑ったり驚いたりなんて、しない。大事な澪を傷付けることなんか、するはずないだろ?」

 ──言った! 私言ったよ!!
 サクラ大戦的に言えば澪を「やる気充分!」に出来るくらいのキザ台詞言ったよ!!

澪『…ぁぅぁぅ…』

 案の定、あしたのジョー、澪さんが慌てております。

律「だから……話してくれよ、澪」

 なんか澪の対応から察するに、事故とか事件ではなさそうだ。
 でも、私なんかに電話して、安心して泣いちゃうくらいの事があったなら、ちゃんと話してほしい。

 澪のことが大好きっていうのは、本当なんだから。

澪『……朝、起きたらな?』

律「ふむふむ」

澪『……体がちっちゃくなってた』

律「ふむふ……なんですと?」

律「……いまなんて?」

澪『うぅ……ぐしゅ…』

 なにを、なにを言っているんだこの子は。
 そう言えば、確かに声がいつもより幼い気がするし、しゃべり方も舌足らずなかんじがするけど……いやまさか。

律「ははっ、澪ってば、エイプリルフールは季節外れじゃないか?」

澪『うわーん! 笑わないって言ったじゃないかー!!』

 電話の向こうで澪が叫ぶ。
 むむ…冗談じゃない…のか?

律「じゃあ、いまからそっち行くね」

澪『な、なにっ!?』

律「とりあえず、直接話さなきゃ埒があかない。澪も、そのつもりで電話したんだろ?」

澪『うぐ…』

 澪は、なんでも独りで出来る子だ。
 私と違って頭も良いし綺麗だし、判断力もあるから、多少のことは独りで片付けられる。
 でも、“私に電話を”してきたんだ。
 いつも勉強を見てもらっているくらい頭の悪い、器量だってそんな良くない私を、頼ってきたんだ。
 そうとう、心細かったんだと思う。それこそ、泣き出しちゃうくらいに。

 ああ、澪に逢いたい。
 私になにが出来るかなんてわからないけど、逢って、その細いカラダを抱きしめてあげたい。

 で、身仕度をして急いで出てきたわけだけど。

澪母「澪ー? 律ちゃんが遊びに来てくれたわよー?」

澪『………』

 澪の家、澪の部屋の前。
 愛しのお姫様は、起きているはずなのに籠城戦を繰り出してた。

律「…朝はやくに来た私が悪いですから、お母さんはもう戻ってください」

澪母「でも、せっかく律ちゃんが来てくれたのにねぇ…」

律「私が、なんとかして開けさせてみますから」

澪母「まぁ、律ちゃんのアメノウズメにかかれば、アマテラスな澪も出てくるわよね」

 ウズメ? アマテラス?
 ……なんかおとぎ話で聞いたことある気がする。

律「あはは、私はタヂカラが良いところですよー」

 そうした軽い談笑をしてから、澪のお母さんは台所に戻っていった。

 私は、歌も踊りも出来やしない。
 力任せに、自分勝手に、ドラムを叩くしか出来ない。
 私がアメノウズメなもんか。
 私なんか、力がすべてのタヂカラノミコトがお似合いだよ。

律「みーおー。入れてくれよー」

 コンコンと、ノックをする。
 きっと澪は、“お母さんに見られたくない”んだ。
 私だけなら、入れてくれる。たぶん。

澪『………』

 キィ、と扉が開いた。
 少しだけ開いたまま固まる扉の隙間から、スルっと体を滑り込ませた。
 入った直後にバタンと音がして、澪が私以外の人間を入れる気がないのがよくわかった。

律「…澪、いくらなんでも警戒し…す、ぎ──」

 昔から恥ずかしがり屋の澪のことだ、電話のことが本当なら、たとえ家族でも、恥ずかしいんだろう。
 やれやれと、ため息をついて振り返る。

 振り返って、私は、その瞬間、呼吸という行為を、忘れてしまった。

澪「…お、お前いがいに見られたら、色々とやっかいだから……しっ、しかたないだろ!」

 えらい美少女…いや美幼女が、ブカブカなパジャマ姿で立っていた。

 息が、できない。

律「………」

 大好きな幼なじみの、変わり果てた姿を見て。
 言葉を、失った。

澪「……やっぱり、驚くよな。私自身、いまでもまだ信じられないんだ」

 そんな私の様子を見て、しょんぼりとうなだれる幼女。

律「あ、う、や…」

 なんだ、この生き物は。
 なんなんだこの──破 壊 力 は ! !

律「うっひゃああああぁっ! 澪ってばかわいいぃぃぃぃぃ!!」

 堰を切って、溢れ出すリビドー。

 可愛いかわいいカワイイ! 抱きしめたい抱っこしたいハグハグしたいチューしたぁぁぁい!!

澪「うぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 おっと、考えが行動に出ちゃってる。

律「ひゃ~、ひゃふぁはほふふぁひははひぃほわ…」

澪「ほ、ほっぺを吸いながらしゃべるなバカぁ!」

 ただでさえブカブカなパジャマを乱して、息を切らせてる幼女澪。うん。アグネヌが来そう。

律「痛いです澪さん」

澪「急に抱きついてくるからだバカっ!」

律「だって可愛かったから…」

 ペチペチたたかれたほっぺをさする。あぁ、幸せな痛み。

澪「……なぁ、驚かないのか?」

律「へ?」

澪「よく見ろ。私、こどもになってるんだぞ?」

 そんなの、よく見なくてもわかりますって。

律「でも、澪は澪なんだろ? だったらいいじゃん、かわいいは正義じゃん」

澪「………」

 あれ? 澪がすごく遠い眼をして私を見てるぞ? よせやい、照れるじゃないか。

澪「──ありがとう──」

律「うん?」

澪「な、なんでもないっ!」


澪「とりあえず、なんでこどもになったのか、その原因がわからない」

律「お着替えしましょうねぇ、はーいばんざーい」

 キャミソール姿の幼女澪…ハァハァ…。

澪「んっ……ただの高校生がいきなり小学生、もしかしたらもっと小さいこどもになるなんて、非科学的すぎる」

律「澪たしかクローゼットにこども服のこしてあったよな?」

 って言うか、普段から澪はパジャマの下にこんなエロい肌着を着てたのか?
 ……なんか み な ぎ っ て き た 。

澪「こ、こら! ひとのクローゼットを勝手に…ってわー!! なんてもの出してるんだ、それは…!!」

律「あ、甘ロリ……」

 こんな小さいの…昔は着てなかったはずだけど…?

澪「そ、それは将来……娘ができたら、着せたいなぁって…」

律「………」

澪「り、律…?」

律「やっぱり澪はかわいいなぁーもぉー!!」

 クンカクンカクンカクンカ、スリスリスリスリ!!

律「痛いです、澪さん」

澪「あぁもう、話が進まないから要件だけ進めていこう」

 結局、澪の服は甘ロリに決まった。

澪「寝るまえは、なんともなかったんだ。寝て起きたら、ちっちゃくなってた」

律「また寝たら戻るんじゃない?」

澪「ざんねん。私もそう思って、すでに二度寝ずみなんだ」

律「うーん……なにか変なもの食った?」

澪「思いあたるものは……無いな。強いて言えば、きのうは休日でも部活をしたから、その時出されたムギのケーキくらいだ」

 部活動強化の名目で、土曜日も集まった私たち。
 結局、ほとんど演奏はしなかったけど。

律「あー、そう言えば昨日のケーキはいつもと違ったよなー」

澪「いつも同じのを人数分もってくるムギが、きのうはバラバラのケーキを人数分もってきたからな」

律「澪が食ってたヤツ、見た目のわりにすごい美味そうに食べてたもんなぁ」

澪&律「あははははははっ」

 ムギは、家の人に頼んでたらバラバラのが入ってて、すごく申し訳なさそうにしてたけど──。

澪&律「──あやしい、よな」


律「どうする?」

澪「……どうしよう」

律「いまからムギに連絡するか?」

澪「いや…まだムギのケーキが原因って決まったわけじゃないから…」

 思考が、行き詰まった。

律「…じゃあ、今日はなんとかしのいで、明日になったら学校でムギに訊いてみよう。案外、明日になったら元に戻ってるかも知れないし」

澪「う、ん……」

 澪が明らかに、気落ちしてる。
 明確な原因が見えてきた分、解決法ばかり考えてしまって、気が滅入ってるんだ。

律「──そうと決まったら、私の家にいこう」

澪「うん……え?」

律「えっ?」

 ぱちくりと、目を見開く。
 クリクリまなこがキュートだぜ!


律「だって、澪ん家で1日過ごすのは無理だろ?」

 家族と会えないんじゃ、どんなに頑張っても限界がある。
 だったらいっそ、ウチに来たほうが何かと誤魔化しやすいじゃないか。

澪「でっ、でも、明日までって…泊まりになるじゃないか」

 不安そうな、ちょっと慌てた表情。

律「まかせろ。たったいま、名案が思い浮かんだ!」

 その不安を、私が拭ってやる。

澪「………」

 しばらく、意気揚々としている私を見つめていた澪がトコトコと近寄ってきて、私を裾を掴み見上げながら

澪「まかせた、からな」

 と、舌足らずな口調で言ってきた。

 あの脆くも気丈な澪が、私にすがってる。
 頼れるのは、私しかいないんだろう。
 任せられるのは、私しかいないんだろう。
 こうして澪の信頼を受けることの出来る今が、とても幸せで、とても嬉しい。

律「──まかされたっ!」

 こんな私は、なんてズルいやつなんだろう。

律「じゃあ澪は先に玄関から出ててよ。バレないようにさ」

澪「な、なに?」

律「私が帰り際、お母さんに外泊の理由を伝えてさり気なく出る。そしたら、一緒にウチにいこう」

澪「…いきなり外泊だなんて、許してもらえないかも知れないぞ?」

 困惑気味のお姫さま。
 まぁ見ててくださいな。とっておきの台詞を聞かせてあげる。

律「私を信じなよ。これ以上、澪に迷惑かけたりしないからさ」

澪「……わかった。じゃあ、先に出てる」

律「当面の着替えやら持って、ちゃちゃちゃっと済ませちゃお」

 パタパタパタ。私と澪、2人の足音が廊下に響く。

 迅速に、慎重に。
 足音に気付いた澪のお母さんが、玄関にやってくるまでが勝負。

 荷物は私が持っている。
 澪は甘ロリをまとった小さな天使。その姿をお母さんは捉えることが出来ずに終わる。

澪母「…あら律ちゃん、もう帰るの?」

律「あ、お母さん。…すみません、ちょっと澪と出掛けてきます」

澪母「まぁあの子ったら、朝ご飯も食べないで出掛けたの?」

律「すこし急ぎの用事があって…」

 あえて、何か隠し事があるかのように(実際あるけど)語尾を弱らせる。
 そして相手がそれに気付いた瞬間、私は、いままでの人生で最高にカッコイイ(と思う)真剣な表情を、澪のお母さんに向けた。

律「──今日から澪は、しばらくの間私のウチに寝泊まりさせます」

澪母「え……えぇ…?」

 突然の急展開についてこれていない。
 もちろん、もとより“それ”が狙い…!

律「帰ってくるのは、早ければ明日。遅ければ、もっと先になります」

澪母「ちょ、ちょっとまって……なんで急に、そんな事を2人だけで決めたの?」

律「許してください澪のお母さ──いやさ、お義母さん!!」

澪母「!!」

澪『…!?』

律「澪は、ウチに花嫁修行をしにくるんです!!」

澪母「……なん…だと……」

律「我が家の修行は厳しくて、修行中の帰宅は厳禁なんです。…でも! 澪はそんなウチでも! お嫁にきてくれるって!!」

澪母「…澪…」

律「私の、お嫁さんになってくれるって! 言ってくれたんです! ……だから、お義母さん…!!」

 強く、強く頭を下げる。
 罵詈雑言が飛んでくるのを予想していた私を包んだのは意外にも、優しい義母の腕だった。

澪母「…やっと…やっと決心したのね澪……律ちゃんも、あの子を受け入れてくれてありがとうね…」

律「──いえ! 澪と私は、将来を近いあった仲ですから!」


 涙の和解の後、満面の笑顔で澪の家を出た私を迎えてくれたのは、塀に登ってから飛び降りた、自由落下の勢いを利用した、澪のグーパンだった。

律「へぷっ!」

 顔面直撃。

澪「な、な、な、なにが“名案”だバカ律ー!!」

 ロリロリなスカートをひるがえして着地する様は、正に、地上に舞い降りた黒髪の戦乙女。チラリとパンツを見せることも忘れないその視聴者サービスには、毎回毎回頭が下がる思いだ。
 ……あぁ、鼻血が止まらない。(物理的な意味で)

律「えー。だって澪、私のお嫁さんになってくれるって言ったじゃんかよー。」

澪「言ってない! いつ言った!?」

律「小学校の調理実習の時、私がろくに料理できなくてイラついてたら」

『そんなことじゃ、立派なお嫁さんになれないぞ』
『えー、じゃあ澪が私のお嫁さんになってよー』
『まったく、しょうがないな』
『よっしゃー』

律「…って!!」

澪「そんなに前から約束してたの!!?」

律「帰ってきました我が家!」

 玄関の戸を開けて、叫びながら敷居をまたいだ。……うぅん、なんか変なテンションだなぁ。
 あ、そっか。私寝てないんだった。

律「ま、上がって上がって」

澪「うん……ふぅ、サンダルとは言え歩きづらかったなぁ」

 澪はちぃちゃくなって足のサイズまでキュートになっているので、ブカブカのサンダルでウチまで歩いてきた。
 途中、転けそうになって足をもたつかせる仕草とか、マジで可愛かったです。
 あぁ、もっと澪にラヴコールを贈りたい。

澪「まだ朝はやいけど……親御さんとか聡はまだ寝てるのか?」

律「……誰、それ」

澪「……え?」

律「そんなヒト、ウチにはいないぞ?」

澪「誰って、律の弟…」

律「ヤだなー、私が一人っ子なのは澪が一番よく知ってるだろー?」

澪「……あぁ……うん、そうだったな……」

 (この世界には存在しないことになっています)



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最終更新:2010年01月07日 02:57