まだ元通りにはなってない。
それが寂しくもあり、嬉しくもあった。
今ならまだ先へ進める。
友達に戻る前にしなきゃいけない事がある。


プールサイドを走る。
先生はプールにつきっきりだから、そんな真剣にやらなくてもいい。
たまに様子見られるから、堂々とサボることはできないけど。

話の出来るくらいのペースで澪の横を走る。
だけど話なんて出来ない。
走る音だけが耳に響いた。

澪「あのさ」

律「えっ何、何々?」

声が裏返ってしまった。咳払いをして軽くごまかす。

澪「声裏返った」

律「言うな!」

澪「あははっ」

今、普通に喋れてる。
澪と二人きりでしゃべったのは久しぶりだったから、すごい嬉しかった。
こんな関係に戻れるなら友達でいいのかもしれない。
だけど、私は欲深い人間だから、幸せと感じていてもさらに先を望んでしまうだろう。
きっとこの先、澪のことが欲しくて堪らなくなる。
何年でも何十年でも、ずっと澪のこと求め続けてる。


律「今日家行ってもいい?」

澪「え?…えっと…」

律「話があるんだ…梓のこと」

澪「4人で話したほうがいいんじゃないか?」


律「ちょっと相談したいだけだから。駄目?」

澪「…いいよ」

半ば強引に約束をする。
梓の話をするのは嘘じゃない。ただ、それ以外の話もするけど。


それ以外の話…。
私は上手くしゃべれるのかな。
澪本人が隣で走っているのに、私はその時に話す内容をひたすら頭の中で書き殴っていた。

けれど、どれも下書き段階。清書する間もなく、今日の授業が終わった。
部活行って、その後はどうする。早く考えなきゃだめだ。


4人で準備室に入る。
梓が椅子に座っていた。
私たち3年は同じクラスだから、皆で一緒に来ることが多い。
深く考えてなかったけど、私たちが来る前は梓はいつも1人だったんだよね。
あのにぎやかな準備室に、1人でポツンといる姿は寂しさを感じさせる。

今は私たちが来るのを待っているけれど、「遅いですよ」なんて言いながら頬をふくらませるけど。
私たちが引退した後の梓は、1人になる。
誰を待つわけでもなく、この準備室で1人過ごす。
梓の気持ちになると、どうしてもやりきれない思いがあった。

梓「遅いですよ、先輩方」

梓が立ちあがって、いつもの一言。

律「ごめんってあずにゃーん」ギュッ

梓「ちょっと律先輩!やめてくださいー」グググ

唯「りっちゃんばっかりずるい!私も!」ギュー

梓「く、苦しい…」

紬「私もぎゅうってしたかったの!」ギュウ

梓「ムギ先輩まで!」

澪「何やってんだ」ベリッ

澪があきれ顔で、唯とムギの頭を肩をつかんで梓から引き離す。
そのタイミングに合わせて私も梓から離れた。
本当は澪に離してほしかったけど。昔みたいにはいかない。

3人の先輩に埋もれてた梓が深く息を吸い込んだ。すーはーすーはー。

すー。

梓「この前はすみませんでした!」

一際大きく息を吸って、声を張り出した。
小さい梓が頭を下げると、いつもよりも小さく見えた。

梓「先輩方がいなくなることが嫌だったんです」

突然始まった梓の独白を私たちは静かに聞いた。



4月に入ってから進路の話とか、来年の軽音部の話とかして、先輩がいなくなっちゃうことに気付いたこと。
自分はすごい寂しいのに、先輩がいつも通りだから、自分だけが寂しく思ってるんじゃないかと不安だったこと。
その不安がだんだんと怒りに変わってしまったこと。
怒りの矛先が先輩に向かってしまったこと。
我に返って、自分が嫌になってしまったこと。

梓「それでも、私はやっぱり先輩方が好きです」

下を向き続ける梓の真下に水滴が落ちた。

梓「寂しいけど、先輩方といたいんです」

梓が顔をあげた。
唇をかみしめて、眉間にしわを寄せて。
告白するにしては酷い顔だ。
だけど、何よりも愛おしく思った。
いつの間にか、梓は成長していた。
もう、私たちの後輩なんかじゃ収まらない位。

梓「だから、卒業するまでは…先輩方の後輩で、いさせてください!」

律「馬鹿」

梓「え?」

律「お前は、一生、私たちの後輩だ」

紬「放課後ティータイムの、大切なメンバーよ」

唯「あずにゃーん」ポロポロ

澪「皆、梓のことが大好きなんだよ!」

まったく。
まだ、7月だって言うのに。
卒業式のようなしんみりした空気の中、私は盛大に笑った。
梓がいるから、私たちは演奏できる。
最後まで走りきれる。
走りきって走りきって、去れる。梓がいるから。


今までの中の最高の出来。目いっぱい練習とティータイムを満喫して学校を出た。

今日で梅雨も終わる。
午後になったら雨が降るなんて天気予報で言ったのに、今日一日ずっと晴れてた。
暑いと言いながら、ぐだぐだ歩く帰り道。
雨降らなかったな、なんて話をしていた時のこと。
空が光った。
最近天気悪かったから、この光が宇宙人襲来でも無くて火山噴火でも無くて、例のあの相図だということはすぐに分かった。

唯「光った!」

間髪いれず響く雷鳴。
直後の柔らかな感触。
いつも抱きしめてた、もう抱きしめられないと思ってた。

澪「きゃあっ!」

ドォン!と近くに落ちたであろう雷の音がただのBGMにしか聞こえなかった。
ぷるぷると震えながら首にまわされた澪の腕を解くことも出来ず、かといって抱きしめることも出来ず、立ち尽くした。

澪「あ、ごめん…」

律「いや、いいよ」

すぐ離れた澪の腕を掴みたいと思う衝動に駆られながらも、私は冷静を装った。

唯「もー。見せつけないでよ」

ニコニコしながら言う唯に、違うと澪が叫んだ。

澪「私たちは、もう…」

唯「澪ちゃん?」

澪「…っ…」ポロ

澪が泣いた。


紬「えっ?澪ちゃんどうしたの?」

唯「ごめん。私がからかったから?」

梓「澪先輩、泣かないでください」

慌てる3人の隣で、私は必死に自分を抑えた。

澪はずるい。
ずるいよ。
自分から言ったんじゃないか。

律「雷が怖かったんだろ?」

ぽつぽつと降り出した雨の中で、声を絞り出した。


雨が次第に強くなってくる。大粒の雨は澪の涙を隠した。

律「走るぞ!」

澪の手を取って走る。
お疲れと3人と手を振って別れ、ひたすら家を目指した。
靴下に跳ねる泥なんて気にならない。
繋いだ左手をぎゅっと握り返してくれたことが、不安を取り除いてくれた。

信号に引っ掛かり、立ち止まる私たちを周りの人が見てくる。
こんな雨の中、傘もささずびしょ濡れになってるのは私たちぐらいだった。

澪「律…」

律「何?」

澪「ごめん」

澪が繋いでた手を離した。
謝らないで。離さないで。
いきなり泣き出した澪の気持ちは、私がいる意味だと思うから。
嬉しかったんだ。ただ、純粋に。
だから、私は何のことか分からないというように首を傾げ、離された手を半ば強引に掴む。

澪「私、折り畳み傘持ってるんだ」

律「言えよ!」

澪「使っていいよ」

開かれた傘を差しだされる。

律「一緒に入ればいいじゃん」

澪「家まであとちょっとだから大丈夫」

律「あとちょっとなら、一緒に入るのも耐えられる?」

澪「…」

無表情に、澪は傘の中に私たち二人を収めた。
澪の強情さが悲しかった。
あとちょっとでもいいから一緒に居たいと思うのに、どこか嫌味っぽく言ってしまう自分の口の悪さを呪う。
素直になれたらどれだけ楽なんだろう。

相合傘で、少しの距離を歩く。
小さい傘だから、私は澪に身体を寄せた。

雨の音がすごい。

律「澪」

返事はない。
私の声が届かなかったのか。
それとも澪の声が届かなかったのか。

余計なもの全部排除して、雨音しか聞こえない。

ざあざあ。

この角を曲がると、私の家に着く。
もうすぐ、さよならになる。


律「澪」

やっぱり届かない。
届かなくても、私は。

律「好き」

久しぶりに口にした言葉。
たった二文字なのに、すごい重たかった。
その重さは私にどんどん圧し掛かってくる。
耐えきれなくて、一粒涙がこぼれた。
今の空模様のように、一度降りだしたら止まらない。
澪の隣で、声を殺して泣いた。


澪「…馬鹿律」

澪の声が震える。

澪「もう言わないで…」

押し寄せる涙が、音を漏らす。
雨の音は嗚咽を隠してくれない。
澪の声も。澪の泣き声も。

澪「…お願いだから」

一つの傘に入って、隣を歩いて、同じように二人涙を流しているのに。
どうしてこんなに遠く感じるのだろうか。

伝えることさえ許されないの?

それでも伝えたい。伝えたら変わる気がする。
ただ、それは憶測の範囲だ。
変わるかなんて保証はどこにもない。
怖かった。
また拒絶されるのではないかと思うと。

律「…ごめん」

私はどこまでも臆病者だ。

家の前で立ち止まる。
もう帰らなきゃいけない。

律「ありがと」

澪「……」

律「……」

澪「…家、入らないの?」

律「入るよ」

澪「ん。じゃぁまた学校で」

律「うん」

澪「……」

律「……」

澪「…私帰るよ?」

律「待って」

澪「何?」

律「話があるって今日言っただろ?」

澪「梓のこと?」

律「うん。まぁ今日の梓見てたら杞憂だったんだけど」

澪「そうだな。よかったよ」

律「乗り越えられたんだよ、梓は」

澪「あぁ」

律「…私たちは?」

澪「…やめてって言ってるのに」

律「だっておかしいじゃんか!どうして好きなのに別れなきゃいけないんだよ!?」

澪の肩を掴んで、正面に向かい合う。
傘が飛んで、二人を雨が包んだ。
顔を流れる水滴は、雨なのか、涙なのか、分からない。

律「私は澪が好きだ!大好きだ!離れても、ずっとずっと大好きだ!」

澪が顔を背けようとしたから、頬に手当てて逃がさなかった。
真っ赤になった目から落ちるものは、本当に雨なのだろうか。

律「澪は…私のこと好き?」

澪の口から聞かなくても分かってる。
澪のことなら何でも分かってる。

両頬に置いた手使って、無理やり頷かせて、そのまま引き寄せた。
自らも唇を近付ける。
ちょっと卑怯かもしれないけど。
どんな手を使っても澪が欲しくて欲しくて堪らなかった。

澪「やだっ!」ドン

ざあざあと降り続く雨の中、視線が急に低くなった。
澪に突き飛ばされて、尻もちをついたことに気付くまで時間はかからなかった。
見上げるように澪を見る。

おびえたような眼で私を見てた。

澪「ご、ごめんなさい…」

澪がこっちに近づくように走ってきて、そのまま私の横を通り過ぎて去った。

残された私はしばらく動けなかった。
結局追いかけることも出来ずに、金曜日が終わった。
次に澪に会うのは火曜日、学校で。
澪のことは相変わらず大好きだけど、頑張れるか自信ない。


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最終更新:2010年09月10日 20:15