「そろそろ終わりにしようか?」
「そうですね」
「待ったーーー!もう少しやろうぜ!」

練習を続けようとする私に違和感を感じたのか、澪は変な顔で私を見た。
「珍しいな。律が続けようと言うなんて何かあるのか?」
「いや、何でもない。なんでもないから…」

い、いかん。このままじゃ隠しとおせそうに無いかもな。
なんとか押して、ようやくもう1曲、という流れになった。

「よし、じゃあふわふわ時間いくか!」
「よっしゃー1234・123!」

梓のギターが小さく響いて澪が歌い始めた時の事だった。

梓の見えざる”猫耳”がピクリと反応している。
そして澪も同じように反応している。
そんな錯覚が見えた気がした。2人が急に演奏を止めたのだから仕方ない。

ムギが来たのか?私は最初そう思ったのに、ムギらしき人はどこにも見えない。
突然の沈黙に疑問だらけの私は口を開かずにはいられない。
「どうしたんだ?二人共急に…」

そう言いかけた時、こっちに向かってくる微かな足音が聞こえた。
やがて建物の間からひょっこり顔を見せ、こちらを見つけて嬉しそうに歩いてくる人影。
急ぎ足なのに上品なリズムを刻むその主は―

「「ムギ!!!」」

ブロンドの長髪と特徴的な眉毛、おっとりとした表情は変わりない。
間違いなく、桜高軽音部のキーボード担当だった琴吹紬だ。

「ムギぃぃぃ!」
「ムギ先輩!来てくれたんですね!!」

「お久しぶりね。ごめんなさい、遅れちゃって」

「いいっていいって!」
「コラ律!何でムギが来ること黙ってたんだよ!」
「へっへー!ビックリしただろう?」


「すぐ戻らなくちゃいけないから、あんまり長居できないけど…」

「いいっていいって!!」

ほんの数分だけだけど、ムギとは沢山話した。
ムギが想像を絶するような忙しい状況であることは庶民の私にもわかることだけど、やっぱりここにいるムギは私達の知っているムギだった。

時間が経つのは早いもので、やがて腕時計を盛んに気にし始めたムギを見て澪がアイコンタクトを送ってきた。

(律。しゃべりすぎだぞ。そろそろ終わりにしてあげないと)
(うへー マジかよー。)

「ムギ、ちょっと音が微妙な感じだけどさ、最後に1回だけ演奏聞いていかない?」

「本当に!?私も聞きたいと思ってたから是非お願い!」

ムギは心の底から聞きたいと思っていたようで、必死にスタンバイする私達の前で手を合わせて目を輝かせている。

そんなムギをみて思わずはにかみつつ、私達は顔を合わせた。
4人で円になるような形になる。

「よーし。じゃあ演奏するのは『私の恋はホッチキス』でいいかー?」

「どんとこいです!」

澪と梓と私の三人。客は一人のライブ。


演奏を聴いたムギは泣きそうになるほど感動して、って大袈裟じゃなくってほんとにそれぐらい感動して、ここが仮にも公共の場であることを忘れてはしゃいでいた。

また少ししゃべっていたけど、遅いからか迎えの人が来てしまったようでとうとう別れの時がきてしまった。

「ムギ!ムギも一緒に練習してライブやろうよ。練習にはちょっとだけ出る感じでもいいからさぁ」

「うん、うん。時間はなんとか見つけるから、やりましょう!」

「ほんとですか!?」
「ほ、本当かぁー!? いぃぃぃいやっはーっ!」
「ムギ…」

私の恋はホッチキス。
この曲はムギのキーボードがかなり重要になってくる曲だ。
あえてムギに聴かせることで、ムギの参加意欲をそそる作戦はひとまず成功ということか。
この曲は歌詞を含めて誰かを誘うにはうってつけなのかもしれない。
いつぞやの梓を思い出して、思わず顔が緩んでしまう。


ムギが立ち去った後、私は清々しい気分になっていた。

「いやぁームギが参加してくれるようで良かった!ところで、どうしてムギが来ることがわかったんだ?」

「なんのこと?」

「ほら、ムギが来る直前二人とも演奏をピタリと止めたじゃん。私ムギが来ること内緒にしてたのにさー!」

「え?いやあれは…。やっぱり律は気付かなかったのか」

「え?」

「梓はわかっていたんだよね?」
「はい。」

「いきなり凄い数の視線を感じてさ。しかも私達を伺うような何人もの強い視線が…」
「やっぱり澪先輩も気付いていたんですね」

「澪が恥ずかしがりやだという事が長所になる時もあるもんだなぁー」

「うるさいっ。それで身の危険を感じて止めたんだよ」

「そうだったのかー。…ってもしかしてその何人もの視線の正体って…」

「うん。恐らく、ムギのSP…」


なんとなく嫌な予感がした。
もう一波乱ぐらいあるのではないか?とね。


その後、ムギも練習に来るようになった。
ムギが加わることによって音楽も綺麗に響くからやりがいも増すというもの。
ただ、本人は隠しているつもりでも予定をキャンセルしまくって私達に加わっている事は私にもわかった。
その気がかりは澪にも梓にもあったのだけど、言い出せずにいるみたいだ。
唯とは、まだ連絡が取れない。


それでも1回本格的に練習しようという話になるまでに時間はかからなかった。
そんなわけでちょっと良いスタジオを借りて練習すると決めた日曜日のことだった。

「え?ムギと連絡が取れない!?」

「うん。携帯の電源は切れてるし、家に電話をかけても留守電になるし…」

「んな馬鹿な。ムギの家には執事がいるんだぞ?留守のはずが無いじゃんか」

ムギは今まで約束事をドタキャンしたことは一度も無い。
嫌な予感が瞬時に脳裏を駆け巡る。

「それに、誰よりも練習を楽しみにしていたのはムギだった。やっぱ忙しいのかな…」

「じゃあ行きましょうよ。ムギ先輩の家に」

私と澪のやりとりを横目に、梓がさらりと言った。
ムギの家に…行くですと? そりゃ住所はわかるけどさ。
でも、私は未知の”ノリ気”のようなものが沸いてくるのがわかった。


梓の車に乗って、カーナビに住所を入力して勢いよく走り出す。
しばらく走っているうちに、高級住宅街のような場所に辿りついた。
3階建てだったり、異常に広かったり…。私には無縁の場所だな。

やがて車が停止して、琴吹という文字が浮かぶ家に到着する。
お屋敷、とまではいかないけどかなり大きい。

「梓はここで待っててもらっていいか?」
「はい」

梓を運転席に待機させて、私と澪は一緒に車を降りて門まで歩き、家のチャイムを押した。

『はい』
「あの、私、紬さんの同級生の秋山と申します。紬さんはいますか?」
『……。 紬お嬢様は今はおられません』
「では、今どちらへ向かわれたかわかりますか?」
『わかりかねます』
「どこかに行くとか、聞いていないんですか?」
『いいえ…』

執事らしき人と澪が問答している間に、私は一人門の中に入っていった。
澪が私を呼び止めようとして手を伸ばしたが、大丈夫だと頷いて綺麗に手入れされた庭を歩く。

チャイムにすぐ出る執事がいるのに、電話に出ないなんて事があるのだろうか。
お出かけにSPを張らせるぐらいなのに、今日に限って一人でどこかに行きましたって?
おかしいだろ。
私は梓の車のトランクから持ってきた長いロープを握り締めた。
足音を立てないように広い家をゆっくりと周る。

…あった。あのカーテンの柄をティーセットで見たことがある。
窓の外からわずかに見える部屋の置物の趣味から、そこがムギの部屋であると特定する。

「ふふ。こういうの、初めてだけど一度はやってみたかったんだよな」

ベランダの丈夫そうな枠に上手くロープをひっかけて、手元を強く結ぶ。
音を立てないように、こっそりと、こっそりと上に上る

ベランダに上った時、私は目を丸くしてしまった。

ムギがいた。
部屋の隅で椅子に座って俯いているムギがいた。

「ムギの奴、ひょっとしたら私達のせいで家に閉じ込められてたりして」「まっさか~」
「でもそれ、ありえなくもないって思いました」「だろぉ~」

先ほどそんな会話を車でしていた。
嫌な予感が当たった。まさか本当に軟禁状態になっているなんて。
というか、ムギの家ってこんなことするような家柄じゃないと思っていたのに。
…もう後のことは考えないようにしよう。今はムギを助けなければ。

コン コン

ガラスの扉をノックする。

ムギがこっちに気付いた。
おお、ムギのこういう顔が見たかったぞ。
口を押さえて、信じられないという顔でこちらを見ている。
私は思わず笑ってしまう。

ムギはゆっくりとこっちに来てベランダのガラス戸の鍵を開けた。

「よぉムギ!迎えに来たぞ」

「…律っちゃん。どうして」

「いやぁ、あはは。これってさ、普通は男女でやることだよねー。なんちゃって!」
特に意味も無く言ったつもりだったけど、若干ムギの顔が赤くなっていた。

「ええ!? あ、あの、そ、それよりどうやって…」

「細かいことはいいから、はやくこっち来て!」

「え、律っちゃん!?」


戸惑うムギの手を取って部屋を飛び出し、ロープを使いゆっくりと下に降りる。
下には澪がいて、ムギを見つけては驚き、私を見てちょっと呆れ顔を作った。
なんだよー。何か言いたいことでもあるのかよー。
というか、澪も私がやることわかってたのかな?迎えに来てくれるなんて頼もしいじゃん。

ムギを降ろした後ロープをたぐりよせ、急ぎ足で三人は梓の車に向かう。
想像以上の事態だったのか、澪が耳打ちしてきた。
「マズいって律。こんな…」
「話は後だ。バレないうちに逃げ切るぞ!」
もしかしたら今頃ムギの部屋を見て腰を抜かしている人がいるかもしれない。

ムギの部屋を降りた場所から車を停めている門の前までそう距離は無い。
この時とにかくムギを連れて行くことしか考えていなかったので、気付かなかった。
さっきまで開いていた門が閉まっている。
鉄製の門の向こう側で、凍りついた私達を心配そうな梓が覗き込んでいた。

「先輩!?」
「梓!いつからここが閉まって…」
「それより車を出す準備を!」
「あ…! せ、先輩…う、後ろ…」

やば!?
とっさに後ろを振り向くと、遅かった。
私と澪とムギを囲むようにSPが取り囲んでいた。
思わず両手で澪とムギを庇おうとするも、どう考えても勝算が無い。
今無理に逃げようとすれば手が後ろに回る事もありえる。
やっぱり漫画みたいに上手くはいかないよなぁ。でも!


必死に打開策を考えていると、コツコツと落ち着いた足音が聞こえた。
ムギが息を呑む様子がわかった。澪は緊張しているのか、私の裾を掴んでいる。

やがて目の前に立った執事は、うまくいえないけど怒っているというより心配そうな顔つきだった。

「…お嬢様」

何かを言おうとする執事に対し、ムギは意を決したように言った。

「斉藤。私が散々迷惑をかけていることは知っているわ。でも、私バンドをやりたいの」

それだけ言って執事を睨みつけた。
正直これには私がビクリとなる。こんなに強気なムギは初めて見た気がする。

ここまでムギががんばっているんだ。
ここでまだ私達を止めようというのなら、力ずくででも逃げてやる。

無言のにらみ合いが続くのかと思っていたけど、意外にも斉藤と呼ばれた執事はニコリと笑った。

「わかっております。私はお嬢様の忘れ物を届けにきたまでです」


そう言って執事は大型の茶封筒を差し出した。
この状況で物を渡すということが、ムギを捕まえる罠じゃないか?
そう思った私は、ムギを手で制して変わりに封筒を受け取った。

ムギがゆっくりと頷いているのを見て、私はゆっくりと封筒を開ける。
封筒の中には五線譜の書かれた紙がぎっしりと詰まっていた。
しかも日付は最近のばかりときた。

「お嬢様が最近、家の者に内緒にして作曲やピアノの練習に力を入れていることは知っておりました。紬お嬢様がそこまで音楽活動をやりたいとおっしゃるのなら、私も止めは致しません。」

むしろ喜ばしいことです。と付け加えて執事は指をパチンと鳴らした。
合図を聞いて周りを囲んでいたSPは立ち去り、門がゆっくりと開いた。

私と澪、門越しに後ろで様子を見ていた梓は軽く放心状態になっていた。


「ムギぃ、本当にあれで良かったのか?」

「いいのよ。私最初から会社の跡継ぎになるつもりは無かったもの」

「えええ?そんな話にまでなってたのか」

「跡継ぎなんか誰にでも出来るわ。私は私にしかできないことをやりたいの。ね?」

「いや、跡継ぎだって誰にでもできないから!」

梓の車で移動中、嵐の去った気分が充満する中話をしていた。
やっぱりムギは家の人といろいろ揉めたらしい。
それでも自分のやりたいことを貫き通す所は素直に凄いと思う。

「私達ん中で一番たくましいのは、ムギだな」
ポツリと言った私に対し、

「あら、律っちゃん。さっきどうやって私を助けたのか、忘れたの?」


そういえばさっきは興奮していたけど、冷静に考えれば…。
「映画のヒーローみたいだったわよ。ね?澪ちゃん」

話を振られた澪はチラリと私を見てニヤリと笑った。
「そうだなー。そういえばこの前見た映画の影響かもね」

コラ!それを言うな!

「ふふ、でもりっちゃんが助けてくれたのは確かだから」

「そりゃそうだけど…」
思い出すのは、最後に背一杯啖呵を切ったムギの横顔。
なんだかムギを助けようとして、結局ムギに助けられた気がしてならないんだよ。
「最後に活躍したのはムギ自身だよ」

「そうそう律はいっつも肝心なところでへたれるからなぁ♪」

「う、うっさい!」


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最終更新:2010年01月22日 22:11