その後、なんとか間に合った練習用スタジオで4人で思いっきり演奏をした。
ムギが参加することによって楽曲が本格的になったし、作曲者でもあるから澪は歌詞を作ろうととに気合を入れていた。

しかし梓を始め、全員が考えていることはもはやひとつ。
唯の存在だった。

「律。まだ唯との連絡取れないのか?」

「そうなんだよなー。なんかここまで無視されてると罪悪感わいてくるよ」

「私もこの前電話してみたけど、さっぱりだったわ」


ムギ救出の日以来の練習。いつものストリートでの練習にて、私とムギと澪の会話である。
梓が来るのを待ちながらの談笑だが、話題は自然に唯の一択になる。
ちなみにムギはこういうストリートに一切抵抗を見せず、むしろ楽しんでくれるからこちらも安心だ。

事は、梓が駆けつけたところから始まる。

「先輩ぁ~~~ぃ!!」

「おー梓。どーしたんだそんなに慌てて」

「大変です!唯先輩と連絡が取れないので憂に電話したんですけど…」

「え?繋がったのか?」

「はい、やっと繋がって…それで…」

「それで…?」

「唯先輩が…!」

私達はまた梓の車のお世話になって唯の家に向かうこととなった。
今度は車の中での会話が無い。当たり前だ。


ピンポンピンポン

「ごめんくださーい!!」

車を停めて4人で唯の家のチャイムを鳴らして中の人を呼んでみる。
梓が憂ちゃんの名前を叫んでいたけど、すぐには出てこない。
でもどうやら中に人はいるみたいなので強行突破するしかないな、と思ったところで…
ゆっくりとドアが開いた。

「憂ちゃん!!」

「皆さん…。こんにちは。」

中から元気のなさそうな憂ちゃんが出てきた。
目の下にクマのようなものが見えるのは気のせいだろうか。
「えと、とりあえず上がってください。でも…」

「大丈夫だから!」
なにが大丈夫なのかは知らない。全員スリッパも履かずに急いで唯の部屋へ向かう。
私は先頭を切って部屋のドアを勢いよく開けた。
「唯!」

雨戸もカーテンも閉めて電気も消えている暗い部屋。
一瞬誰もいないかと思って澪の顔を見て、そして澪の固まった視線の先を改めて見直す。
部屋の奥にあるベッドの上に、人がいた。正しくは、人が隠れていそうな布の山だ。
「唯?」
ゆっくりと蠢くような布。暗くてよく見えない。
これが…唯?
「と、とりあえず電気つけようぜ…?」
そう提案した私に頷いて、梓が電気のスイッチに手を掛けた瞬間、
「あ、電気はつけちゃ…」
憂ちゃんの制止がかかった。

一歩遅かった制止だったらしい。
部屋の明かりがつくと、小さい嗚咽と一緒にベッドの上の布がダンゴ虫のように丸まった。
これはどう見ても異常だ。澪もムギも梓も口が半開きになって止まっている。
憂ちゃんがまた電気を消そうとしたが、なぜか梓に止められていた。
「唯ー?」
「…………」
「唯。えっと、私達だよ。桜高軽音部でぇす?」
「…………」
ゆっくりとベッドに近付き、できる限り優しい声で呼びかける。が返事は無い。
返事が無いので布団を剥ぎ取ってみようかと思い手を伸ばしてみるも、澪に止められた。
「何すんだよ澪ー」
「律、やめといたほうが、いいと思う」
澪はものすごく真剣な顔でどうしようと悩んでいるみたいだけど、私はイマイチ実感が沸かなくなっていた。だってあの唯が、あの平沢唯がこんな状態になってしまうなんて信じられないから。
未だになにかの冗談じゃないかって思う。我ながらいいかげんだなとは思うけど。


『唯先輩が…唯先輩が家に引きこもって出られない状態になってるって!!』
『っ…!? 梓。それはマジで言ってるのか!』
『は、はい。憂も最初はただの現実逃避だと思っていて、そしたら…そしたら…』
『梓。落ち着いて。皆、唯の家に行く準備だ』
『おっしゃ!』
『行きましょう!』


最初に梓から唯の異変を聞いたときは正直冗談だと思っていた。
冗談なんかじゃないけど、唯がいつもの唯じゃないのは冗談であってほしい。
でも冗談じゃなくて…ん?あれ?考えてることがごちゃごちゃになってきたぞ。
そうやってあわあわしている私の手を澪が掴んだ。
「律。落ち着いて。とりあえず憂ちゃんに詳しい話を聞こう?」
「あ、うん…」
あ、やばい。私ったら冷静に行動しているつもりだったのに気付いたらテンパっていたらしい。

とにかく憂ちゃんに話を聞こう。うん。
そう思ったときだった。


モゾモゾ
布団がゆっくりと動き始めて、見覚えのある茶色の頭髪がゆっくりと、亀の頭のように出てきた。
出てきたのは頭の上だけで、顔は布団に隠れたままだ。
一同、停止。

「う~~~~~~~ぃ~~~~~…」

もはや懐かしいとすら思えるけど、間違いなく唯の声だった。
呼ばれたらしい憂ちゃんが恐る恐る返事をした。
「お、お姉ちゃん?」

「ぅ~~~いい~~まぶしいよぉ…」

「唯?起きてるのか?ほら、私だよ!りっちゃんだよ!?」

「りっ…ちゃんー?」

「そ、そうだぞ!唯!」

「おは~~ようぉ~~~こそ~~」

「私だけじゃないぞ!軽音部の皆もいるよ」

「しょうなんだぁー…」

「唯。これから皆でご飯に行くところなんだけど一緒に行こうぜっ!」

澪に小突かれた。
「(おい!そんなこと聞いてないぞ)」

「(だってまず食べ物で釣ったほうが早いかなって)」

唯に気が付かれないようにコソコソやりとりをする私達
今はどんな手段を使ってでも布団から唯を引きずり出すことが大事なんだよ。
なんだかそんな気がしてならない。

不意に、唯が呟いた。

「…りっちゃん。私もう駄目なんだあー」
唯にしては曇った声だ。鼻の先から出ているかようなか細い声。
「ダメって…。何が?」
「もう全部駄目なんだ。だから駄目なんだぁ。」
「いや、意味わかんないって!駄目なんかじゃないって私達は知ってるぞ」
「そうだけど、駄目なんだー。ごめんね。うううぅぅぅぅううぅぅぅうううぅうう」

そう言って唯は出ていた頭の先をまた布団の中に引っ込めた。
重症だ。
正直救いようが無いと一瞬思ってしまったけど、でもそう思ってしまうのも無理はないと理解頂きたい。ムギも唯の名前を呟いて絶句したまま動かない。
梓に至ってはムギに支えられている状態にある。
澪も黙り込んで動かないまま、時間だけが過ぎていった。


「お姉ちゃん、大学で上手くいかなかったんです」

唯の部屋から出て、下のリビングルームで憂ちゃんが漏らした。
うまくいかないことが続いたらしい。しゃべるのにも背一杯という感じだ。

「それで大学を辞めて、しばらくアルバイトをしていたんだけど、最近部屋に閉じこもっているからおかしいな、って。それで気が付いたらあんな状態に…」

憂ちゃんはホコリのかぶった携帯電話を差し出した。電源は切れている。
電源を入れたら私を含めた各メンバーからのお知らせ表示が何十件も表示されるだろう。
もはや姉を心配するあまり今度は憂ちゃんがおかしくなってしまうのではという勢い。

「私、いろいろ試したんだけど全部駄目で、もう軽音部の皆さんにすがるしか…」

憂ちゃんはこんな姉を見られたくなくて最初梓からの連絡をスルーしていたんだとか。

「ということは、唯がニートになってからそんなに日が経ってないということだな?」
そう言ったのは澪。 ニートってまた極端だなと思ったけど、あながち間違いではない。

「はい…。けど…」

「だったら希望はある。落ち込むのも早ければ復活も早いんじゃないかな?その単純さが唯の長所でもあるわけだし」
澪なりのポジティブな考え。

唯は確かに単純だけど正直そこまで上手くいくわけないと考えてしまう。
「でもそう簡単に復活するかな?唯だっていろいろ遭って今に至っているわけだし…」

「だから、やってみなきゃわからないだろ?」
あ、それあたしが言おうとしたのに!

「あの、唯ちゃんは自分が輝いていた時のことを否定しなかったでしょう?だったらそれをちゃんと思い出せば立ち上がる気力が沸くんじゃないかしら」
ムギの搾り出すような声が部屋に響いた。


「でも、どうやって?」

憂ちゃんがそう言った瞬間、私達ははっと全員顔を見合わせた。
どうすればいいのかわからなくて縋る不安な顔は誰もしていない。
ニヤリと笑いを隠せない。
これしかない。全員わかっているという意思表示だ。私もわかっている。
最初からこうすることがわかっていたと言ってもいい。

「よし!唯のために桜高の講堂を借りて演奏しようぜ!」

「絶対そう来ると思いましたよ。大賛成です!」
「よっしゃ決まりィ!明日から早速練習するぞおー!」
「おー!」
「おおぅ!」

「皆さん…」

さっきの空気と変わって明るく賑わうリビング。
私はここで漠然と誰かの為に皆で協力するっていいな、なんて考えていた。


話は自然に唯のために演奏する曲を考える流れになっている。

「それで、何の曲を演奏しようか」
澪が切り出した。
「う~ん。誰かを誘う曲として評判の『私の恋はホッチキス』はどうでしょうか」
そう。ホッチキスは確かに梓には効果覿面だった。ムギにも。梓の気持ちはわかる、けど…。

「唯が本気でがんばることを思い出すにはやっぱ『ふでペンボールペン』がいいんじゃないか?」
これが私の意見。一番熱心に練習していたのはこの曲だった…気がする。
歌詞だってあふれる本気を表してるわけじゃん?そうでしょ澪。
しかしそれに対して澪は、
「私はやっぱり原点に近い『ふわふわ時間』がいいと思う。初めてのステージもこの曲だったし、やっぱり唯にとっても思い入れが深い曲だよ。」

そう。それもすごく良い。私も真っ先に思いついたんだけ…ど。
それは唯がガラ声になってしまった事も思い出しそうで怖くないかぁ?
「原点の原点に帰るっていったら、『翼を下さい』なんてどうだ?」
「戻りすぎだろ!」
「いや、アリかもしれませんよ…?」
「それよりこっちの曲は…」

皆の意見は見事にバラバラ。
しばらく話し合っていたけどまとまる様子は無い。
そんな踊る会議に突破口を開いたのはムギだった。

「あの~…」
ムギは1泊置いてからまた言った。

「こういうのはどうでしょうか?」


それから1週間後。

「うい~あんまり電気つけないでぇぇ」

「お姉ちゃん起きて!今日は出掛けるって言ったでしょう」

「…でも私起きれないし、外出るのもなんか無理そう…」

「そんなぁ。お願い、今日だけでいいから…」

「ぅぃぃぃーでも眠いよぉ…」

「もう。お姉ちゃん起きてって!軽音部の人達が待ってるよ」

「私行っても何もできないし、皆に期待だけさせてたら、なんて謝ったらいいのかぁぁ」

「お姉ちゃんが何かするわけじゃないんだってば!演奏だけ聴いてくれればいいだけだって!」

「演奏してくれるの!? あれ?」

「わぁっ。いきなり起き上がってどうしたの?」

「ういー。変だよ。なんか行かなきゃいけない気がしてきてぃあー」

「そ、そう。良かったぁ」


今日の天気はどうしようもなく晴れている。
私ら軽音部は元桜高の講堂を借りて唯のためのライブの準備をしている。


正直、唯を起こして外に出かけさせるのが一番難しいところなのだけど、憂ちゃんからどうやって唯を起こしたのかを聞いて、ちょっと納得した。憂ちゃんは唯が反応するキーワードを自然に使っているではないか。
憂ちゃんには倉庫で眠っていた唯のギターのチューニングをお願いしておいたので、ギターを背負っている。ふふ、ありがとさん!

憂ちゃんと私が会話している間に、唯は他のムギや澪や梓と会話をしていた。

久しぶりー とか、ごめんねー とか、大人っぽくなったね!とかそれらしい会話が聞こえてくる。 変わらないおどけたような会話に安心しつつ、これからの事に不安を抱く。

…やっぱり外に出たら普通の唯に見えるじゃんか。
でも、一緒に演奏してみない?の誘いにはNOで返ってきた。
待ってろよ唯。お前は、やる気と思い込みさえ変えればこの先どうとでも変われるんだ。


談笑タイムは終了。
唯と憂はステージの前に置かれた椅子にギターを挟んでちょこんと腰掛けた。
私達は音あわせをして、いよいよ演奏に入ることにする。

澪、ムギ、梓、私の4人。客は二人のライブ。


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最終更新:2010年01月22日 22:16