雨の降る夜だった。
私は湿気に蒸せる体をベッドから起こし、憂鬱そうにカーテンの間から見える夜雨を眺めていた。

覚醒していく────

そんな言葉しか見当たらなかった。
私は私のものじゃないみたいに自分の手や足を眺める。

闇に包まれた部屋の中で自分の瞳が光っている気がした。

目覚め─────

そうか…私は、ただの人間じゃないんだ。

そう理解するのに時間はいらなかった。


────学校

気が付いたら学校に来ていた。こんな体になっても習慣にはバカみたいに従順なんだなと思うと少しおかしくて内心で笑った。

教室には見慣れた顔、何も知らない、私を普通の人間、平沢唯としてしか知らないただのクラスメート。

越えてない───

瞬時にそう思った。
この人達は上辺で語り、ただこのクラスと言う外界での顔を保ってるに過ぎない。

律「おっはよ~ん唯! ギー太濡れなかったか~?」

陽気な声の持ち主、田井中律が私にそう言い放つ。
朝から元気なことだ…。

唯「大丈夫。それに濡れるって…そんな悪いことでもないから」

澪「何言ってんだよ唯。ギターとかベースは濡れたら大変なんだぞ? 音とか変わっちゃうし」

唯「……でも澪ちゃん。今の音が本当に奏でるべき音なのか…澪ちゃんにはわかるの?」

澪「?? 唯のやつ何言ってるんだ?」

律「さあ…寝ぼけてんじゃないか?」

そうだ……今在る形が全て本質とは限らない。変化して初めてもたらされるものもあるだろう。

私はそれを知っている────

だって私は私じゃないから。
そして私は私でもあるから。


放課後──

唯「」ブツブツ

梓「唯先輩今日はちょっとおかしいですね…」

律「今朝からああなんだよ…。頭でも打ったのかな」

澪「熱とか…かな?」

紬「心配ねぇ……」

ボロン…ボロン…

唯「良い音色…」

音と言うものは脳髄まで支配する。
食、匂いとは違う。本能的ではないのに人は音を愛する。

唯「不思議だよね…」

ここだけがまるで別世界に切り離されたよう。覚醒した私でも、ギターだけは変わらず愛せている。

唯「ギー太…よしよし」

梓「ギー太が大切なのは変わってないみたいですね…」
澪「でもなんかベクトルが違うって言うか…」
律「不気味だよな」
紬「(病んでる唯ちゃんもいいわ…!)」



──帰り道

まだ雨は止まない。
ギターのギー太は家で弾きたいが為に無理やりビニールに包みもって帰ることにした。
そのままもって帰ろうとしたが澪ちゃんがわざわざ包んでくれたのだ。
彼女は私がこんなになっても変わらず優しく接してくれる。
いや、昔の私に今の私を重ねているだけか。

ジャブ……ジャブ……

一歩、歩く度に道に薄く溜まった水に波紋が広がる。

雨は好きだ。前は嫌いだったがこの私になってから大好きになった。
降られる雨音で世界は支配される。それだけで私は自由になれた気がしていた。
誰にも縛られず……
支配されれず……



───家

憂「お帰りお姉ちゃん。ギー太持って帰って来たんだ。明日も雨らしいから置いてきた方が良かったんじゃない?」

憂「あっ、も~ギー太庇うのに必死になるのもいいけどお姉ちゃんが濡れちゃったらギー太も悲しむよ? 今拭いてあげるね」

優しい優しい妹。
この子は純粋に私を愛してくれているのだろう。
髪を優しく拭いてくれる。

憂「先にお風呂入る?」

上目遣いでそう聞いてくる憂。

いとおしい────

孤独になった私は飢えていた。
暖かさに……。

私は知らず知らずに憂を強く抱きしめていた。

憂「お姉ちゃん…どうしたの?」

唯「憂……」ぎゅうう

憂「お姉ちゃん……///」

憂も抱きしめ返してくれる。

暖かい───

忘れかけてた温もりが戻って来た様に思えた。けど……私はもう、憂が知っている平沢唯じゃない。
だから私はそっと憂から離れた。

唯「お風呂……入ってくるね」

歩きながら濡れた衣服を脱ぎ捨てる、下着も脱いで洗濯物かごにぶち込むと白く湯気った世界へと身を投げた。

憂「お姉ちゃん…。寂しかったのかな…最近お父さん達帰って来ないし…。私が側にいてあげないと…!」

姉が脱ぎ捨てた服を集め、洗濯物かごに入れ、「お姉ちゃん湯加減大丈夫~?」などとまで聞く辺り本当に良くできた妹である。

唯「うん、大丈夫…」

汚い体だ……汚れている。
私は、目を反らした



部屋───

雨は未だ止まない。
電気もつけないまま私はお風呂でびしょびしょになった体や髪の毛やらを拭いている。


瞳が顕微鏡の様に鋭く細まる感覚。
カーテンの向こう側、雨の世界に身を投じたい、そんな欲望が私を支配する。

そんな時、無機質な音が二回した。

憂「お姉ちゃん? 入るよ?」

それが憂のノックだと気付いた頃には憂は私の部屋に侵入していた。
あまり話したい気分じゃなかったけれど、可愛い妹がわざわざ尋ねて来てくれたのだ、無下に扱うこともないだろうと私は憂に向き直る。

唯「どうしたの…、憂?」

憂「うん…ちょっとお姉ちゃん寂しそうだったから…」

良く見ると妹は枕を持っている。
真っ暗な部屋に廊下の電気が入り込み、憂を後ろから照らしている。
男ならほっとかないシチュエーションだろう、なんて思いながら私は静かに憂の言葉に耳を傾ける。

憂「今日は一緒に寝よう?」

唯「憂…おいで」

そう言われると憂は暗い部屋に違和感を覚えながらも私の元に歩みよって来た。

憂「お姉ちゃん、電気…」

唯「つけなくていいよ。憂…」

私の隣、ベッドに座っている憂の肩を抱く。

憂「あっ……」

唯「よしよし……」

そのまま私の膝に誘うと、頭を撫でる。
憂は嬉しそうに「お姉ちゃん///」と言って素直に甘えて来た。


憂「何だかほんとにお姉ちゃんみたい……」

唯「ふふ、今まではお姉ちゃんらしくなかったかな?」

憂「そんなこと…ないけど///」

その間も憂を優しく、優しく撫でる。

憂は体制を変え、顔を上に向け私の顔を見ると、ニコッと微笑んだ。

幸せそうな顔だ。私みたいな人間でこうして幸せを感じてくれる人は憂ぐらいなものだろう。

憂「お姉ちゃん…大好き」

唯「憂……」

私はその言葉に……胸を撃ち貫かれた気がした。

唯「憂…ご飯、食べよっか」

憂「あっ! そうだったね……! ご飯まだ食べてないのに私…一緒に寝よう? なんて」アセアセ

唯「うふふ」

憂、あなたは幸せになってね。
私の代わりに……

私達はいつも通りご飯を食べ終えた後、少しテレビを見たり雑談をした後、一緒に寝ることにした。

私の布団の中には憂がいて、小さな寝息を立てている。

私はそんな憂の頬を優しく撫でると半分起き上がり、カーテンの合間から見える外を見据える。

唯「ごめんね……憂。行かなくちゃ…」

静かにベッドから降り着替える。
普段は全く着ない大人っぽい格好。
白いシャツ、黒色のデニム。髪止め類などは一切せずに、

私は、雨の降る真っ暗な世界へと身を投げた。


真っ暗だった。

雨が支配する世界。人、一人存在せず、そこには私だけが佇んでいる。

バカな子みたいに傘もささず、私はただ雨の道を歩いた。
こないだバーゲンで買ったローファーが
コツ、コツ、とアスファルトに音を刻み込む。

唯「いない……か」

雨で濡れた髪を掻き上げながら私は何かを探していた。

唯「……」

捨てられ、雨でずぶ濡れになっている雑誌を見て、まるで自分みたいだと微笑する。

早く、早く、見つけないと

私は逸る気持ちを押さえながらも、雨の道をただ歩いていった────



部屋───

憂「ん……」

唯「ごめん憂、起こした?」

憂「お姉ちゃん? またお風呂入ったの?」

唯「うん、ちょっと汗かいたから」

憂「あっ…ごめんね…」

私がいたせいで暑くなって、汗をかいてしまったと勘違いしている憂が可愛くて、可愛くて、少し憎らしい。

唯「憂のせいじゃないから、大丈夫だよ」

私は優しく微笑むと手早く着替えまた布団へと戻った。

憂「私…あっちで寝るから。お姉ちゃんもゆっくり寝て」

そう言ってベッドから離れようとする憂の腕を、私は強く掴んだ。

唯「憂……どうして…」

憂「お姉ちゃん…?」

唯「そんな優しい生き方してたら…きっとこの先後悔するよ…?」

憂「……」

私は憂の腕を強く引っ張るとベッドに引き戻した。

唯「憂は自分より相手を大事にしすぎだよ……それじゃきっといつか自分の悲しみでパンクしちゃう…」

強く、強く憂を抱きしめる。憂にはこうなって欲しくないから。

憂「お姉ちゃん…。ううん、私はね…お姉ちゃん。自分よりお姉ちゃんのことが大切で大切で仕方ないの…。お姉ちゃんが喜んだら私が嬉しいって思うことより嬉しいんだぁ…。迷惑…かな?」

唯「憂……ありがとう」

その優しさが嬉しくもあり、また、怖くもあった。
好きなものを貪りたいという衝動を殺しつつ、私は憂の体温を求めるに留めた。



次の日───

その日は曇りだった。

憂「ギー太濡れなくて良かったね、お姉ちゃん」

唯「うん…。」

落ち着いた感じの私にも慣れて来たのか憂は心配そうな顔も見せず楽しそうに話ていた。

唯「…昨日雑誌…。」

昨日そこにあった雑誌はなくなっていた。

唯「急がないと…」

憂「? どうしたの?」

唯「ううん、何でもない」

自分が消えてしまう前に終わらせないと…。

死んで妹を泣かせるには、まだちょっと早いだろう。



学校───

唯「おはよう」

律「あ、唯。今日は雨降らなくて良かったな!」

唯「そだね」

澪「ゆ、唯! 今日のお菓子は期待していいぞ! なっ! ムギ?」

紬「ええ♪ パティシエの人がわざわざ新しいスイーツを作ってくれたの♪」

律「わぁ! 楽しみだなぁ! なっ! 唯!?」

唯「…ん? あぁ、そうだね」

澪「(お菓子に反応しないなんて…)」

紬「(唯ちゃん何かあったのかしら…)」

律「(唯もとうとう大人になったか…!)」

心配してくれるのはありがたいけど勘ぐられるのは好きじゃないな…。
一時間目は英語か…

澪「唯が英語の予習してる…」ガクガク
律「こんなの唯じゃないっ!」

うるさいなぁ…



放課後───

私はいつも通り部活に出る。ここでいつもと違うことをすれば怪しまれるし、何より元々の私の作って来た世界を壊すのは忍びないと思ったからだ。

部室に入るといつも通りのメンバーがいた。

律「よしっ! 行くんだ梓っ! 唯を取り戻すんだっ!」

澪「もう梓しかいないんだ…頼む!」

梓「わ、わかりました!」

何を騒いでいるんだろう。私はギターを下ろすとみんなが溜まっている机に歩き出した。
机の上には美味しそうな色鮮やかなお菓子が並んでいる。
無駄な栄養摂取だけど、友達がせっかく持って来てくれたのだ。
食べないのは勿体無い。
私はただひねくれてるわけでも、病んでるわけでもないのだ。
だから彼女達の嫌がることを無理やりする意味はない。

梓「ゆ、唯先輩っ!」ババッ

私の席の前で後輩の梓が手を広げて何かをしている。

唯「どうしたの? あず…にゃん」

梓「えっ…、あの…その…」

何か照れたようにもじもじしている梓。

律「梓! 負けるな!」
澪「頑張れ梓!」
紬「梓ちゃん可愛い///」

梓「ふぅぅ~……唯先輩! 抱き締めてくださいっ!」

赤面しながらそんなことを告げる。
以前は私から良く抱きつき、困らせていた記憶があった。
しかし、梓が迷惑そうにしてた為やめたのだが…どういう事だろう。

唯「あずにゃん…」

梓「す、好きなだけどうぞっ!」

ここまで言われてスルーするのも梓の立場がない。私は言葉に甘え? ゆっくり梓を抱き締めた。


抱き締め、後ろに回した手で背中を優しくさすってやった。

梓「にゃ……」

唯「あずにゃん、いい匂いがする」

人間臭い、いい匂いが。

梓「唯先輩…」

私はゆっくり体を梓から離すと向き合い、小さな頭を撫でると席に座った。

唯「早く食べよ。お茶が冷めちゃうよ」

梓「は、はい…」

律「な、なんだあの大人な対応は……! いつもならもっと舐め回す様に撫で回すのに!」

澪「何か唯が遠くに行っちゃった気がする…」

紬「唯ちゃん大人っぽい…」

唯「そんなことないよ」

と言い、微笑む。

大人とか、子供とか、そんなことじゃないんだ。

私は…もうあなた達とは違うんだから

その後も悩みとか、何かあったの? とか、質問され続けたけど心配しないで、と微笑みながら言うとみんな安心したのかそれ以上は追求して来なかった。
りっちゃんは「ついに唯にも恋人が……」なんて女子高生には一番の花話にシフトさせていた。
練習を一通りこなし、私達は帰路についた。

律「じゃ~な~! 唯~彼氏紹介しろよ~」
澪「ったく律は……」

紬「ふふ、また明日ね唯ちゃん」

そうして三人と別れた後、梓と二人で帰っていた。

梓「唯先輩…何か大人っぽくなりましたよね」

唯「そうかな? いつも通りだと思うけど」

梓「ううん。何か…お姉ちゃんって感じになりました。憂とそういうゲームでもしてるんですか?」

唯「ゲーム?」

梓「いつまでお姉ちゃんらしくいられるかゲーム…みたいな?」

唯「ふふ、してないよぉ」

梓「で、ですよね」

唯「……前みたいに触れられないと不安?」

梓「えっ…いや、そうじゃないですけど…。ちょっと、寂しい…かな」

唯「寂しい?」

梓「はい…。私が知ってた唯先輩とは何て言うか…やっぱり違うくなってるから。自分が知ってる人がそうじゃなくなるって……何か寂しくて」

唯「あずにゃん……」

ごめんね…。
寂しがらせて…ごめんね…。

ぎゅっ…

梓「ひゃっ…」

唯「今はこうするぐらいしか思い付かなくて…寂しがらせてごめんね、あずにゃん」

梓「唯…先輩。(暖かい…とろけそう…けど前とは違う……。唯先輩…も…寂しいのかな)」


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最終更新:2010年08月12日 00:14