――――チッチッチッチッ……
時計の針が無限とも思える時間を刻み続ける。
この狭い空間にはその音だけが響いていた。

唯「すーすー」

梓「(唯先輩の寝息もか)」

唯先輩はベッドの上なので、ここからでは確認できない。
でも、いつも通りの幸せそうな寝顔をしているってことは何となくわかる。

梓「(寝苦しいな……)」

ほんの少しだけ首を傾け、隣で寝ている憂を見やる。
だけど憂は背中をこちらに向けていて、もう眠りについているかまではわからなかった。

梓「(憂、起きてる……のかな?)」

憂「(梓ちゃんの視線を感じる……どうしよう、最近、お姉ちゃんといるよりも、梓ちゃんといた方が楽しくなってきてる)」

憂「(もちろんお姉ちゃんは大好きなんだけど、それに負けないくらい……ううん、多分私、梓ちゃんの方が……好き、なんだ)」

憂「(でも、今更だよね…………今更、梓ちゃんの方が好きなんです、って言っても迷惑、だよね)」ポロポロ

憂「(梓ちゃんはお姉ちゃんの方が好きなんだし……私、どうしたら)」

唯「う~ん……あずにゃ~ん。ぐ~」

梓憂『!!』

梓「(寝言、か。唯先輩……最初は唯先輩しか見えなかった。いつも一緒にいられる憂に嫉妬してた)」

梓「(だけどお互いに胸の内を打ち明けて、お互いの目的が一緒で、その為に協力し合って……楽しかった)」

梓「(もしかしたら今は憂の方が好きなのかもしれない。でも……今更だ。憂には迷惑でしかないよ)」

梓「(怖いよ……このままじゃ正気でいられなくなる。私は本当は……)」

憂「梓……ちゃん、起きてる?」

梓「――!」


私は憂の問いかけに答えなかった。
何故かはわからない。
ここで答えておけばこの後の出来事は回避できたのかもしれない。

でも、しなかった。
何を聞かれるのかわかっていたんだと思う……そして、私がそれに対してどうするかも。

怖かったんだ。
全部、怖かった。
些細な事で壊れてしまうかもしれない、弱い自分が怖かった。


梓「あ、明日の用意しなくちゃ……」

今日は昼過ぎに平沢家を出て、それから自室にずっと篭って考え事をしていた。
議題はもちろん、唯先輩と憂……自分の気持ちについて。
結論は出ず仕舞い。
もっと時間が欲しいが、それでも月曜はやってくる。
なんと容赦の無いことだ。

梓「このままじゃまずいよね。練習も疎かになっちゃうし、事情を知ってるムギ先輩には迷惑かけっぱなしだし」

梓「これって決断の時、ってやつなのかな」

梓「ん~、明日! 明日決めよう!」

梓「お休みっ!」



唯「昨日はずーっとゴロゴロしてただけだったね~」テクテク

憂「……」テクテク

唯「あずにゃん、急に用事ができた、って帰っちゃったから仕方ないけどさ」

憂「……」

唯「折角いい天気だったのに勿体無かったねぇ……って、憂? 聞いてる?」

憂「えっ!? う、うん、そうだね。たまにはスイカバーも美味しいよね」

唯「そんなこと聞いてないよ……昨日からなんかおかしいよ、憂」

憂「ご、ごめんね、お姉ちゃん。何でもないよ」

憂「(今日、今日梓ちゃんに話そう! 部活の前なら少しくらい時間取れるよね)」



その日はずっと悩んでた。
憂も何か思い詰めた表情で、とても話しかける雰囲気ではなかったので丁度よかった、と言えば丁度よかったのかな。
私達が難しい顔をしてたから、純は変わらずの空気っぷりだった。

梓「(ああ、もう放課後になっちゃう……このままじゃ一緒だよ)」

憂「……」カチカチ

梓「(憂……携帯? そうだ! HR前に唯先輩を呼び出しちゃおう!)」

梓「(唯先輩、大事な話があるのでHRが始まる前に部室に来てくれませんか?、送信っと)」カチカチ

ブルルルルッ

梓「(きたきた、えっと【わかったよ! それにしてもあずにゃん不良だね~。】。よしっ)」

キーンコーン

梓「純、ちょっと準備があるから先に部室に行ったって伝えておいてっ!」ダダッ!

純「早っ! ちょ、ちょっと梓!」

憂「(梓ちゃん……何て呼び出そうか迷ってたけど、部室に行くなら丁度いいかな)」カチカチ

梓「はぁっ、はぁっ。あ、唯先輩もう来てるんだ。よし!」ガチャ

唯「おー、あずにゃん。突然呼び出してくれちゃってどうしたの? 和ちゃんに掃除当番代わってもらうの大変だったよ」

梓「突然すみませんでした。どうしても唯先輩に聞いてもらいたいことがあって」

唯「どんときんしゃい! 可愛い後輩の頼みを断るわけにはいかないよ」

梓「は、はい! えっと、あのですね――」

ブルルルルッ

梓「!?」

人が決心しようとしてるってのに。
気になるけど、今は無視。
全く間の悪いメールだ……メール!?

頭の中に思い詰めた表情でメールを打っている憂が浮かんだ。
このメール、憂かな? でも確認はしない。絶対決心が鈍っちゃうから。

唯「あずにゃん?」

梓「す、すみません! えっと、その……私は……唯……先輩が…………です」ゴニョゴニョ

唯「え? あずにゃん、よく聞こえないよ~」

梓「わ、私は唯先輩のことが、だ、大好きですっ!!」

唯「えっ」

梓「ずっと、ずっと前から好きでした! ゆ、唯先輩は、その、どうですか!」

唯「わ、私? うん、あずにゃんのことは出会った頃から」

出会った頃から! その続きを! 唯先輩、早く――――

――――バタンッ!!

扉を思いっきり開く大きな音。
恐る恐る振り返ると、そこには全身を震わせ、大きく目を見開き凄い形相をした憂が立っていた。

唯「あ、憂~」

梓「う、い……これは、その……!」

憂「梓ちゃん。そういうこと、しちゃうんだ」

全身が粟立つ感覚を覚える。
どうみても言い訳できる状況ではないけど、私はそれでも何とか言葉を選んでみる。

梓「ご、ごめんなさい、憂! これは――」

憂「言い訳なんてしないで!!」

梓「――!!」

普段の憂からは想像もできない怒声にたじろぐ。
しっかりと見開かれた双眸の端から涙が流れ落ちる。

憂「私、最初はお姉ちゃんが大好きで……そして梓ちゃんの気持ちを知って、梓ちゃんとお姉ちゃんの事で一緒に考えるようになって」

憂「それがずっと続いて、気付いたら梓ちゃんに会うことが凄く楽しみになってきてて……」

梓「憂……」

憂「もうわかったんだ。梓ちゃん……私、梓ちゃんの事が好きだよ。お姉ちゃんより」

憂は泣きながら笑っている。
無理して笑っていることを肯定するように、涙は絶えず流れ続けていた。
私は、なんて軽率なことをしてしまったのだろう。

梓「う、憂」

憂「触らないで!!」

とりあえず落ち着かせようと差し出した手を弾かれる。
さっきまで笑っていた憂の顔が再び暗く、澱んでいく。

憂「でもね、梓ちゃんはお姉ちゃんが好きだから……梓ちゃんに告白して嫌われるのが怖かったから、お姉ちゃんの事譲って、私は身を引こうって決心したんだ」

憂「そしたら梓ちゃんが、お姉ちゃんに……告白してて。もうわかんないよ。……約束を破ってまでした告白、どうだった?」

梓「憂、落ち着いて! 何言ってるのかわかんないよ」

憂「私もわからないよ! 私が引いて、梓ちゃんがお姉ちゃんに告白して。希望通りになったけど……何か違うよ!」ダッ

憂が背を向けてこの場を走り去ろうとする。
唯先輩は事態の把握が出来ていないのか、理解の範疇を超えているのかオロオロしている。
ここで憂を見失うと二度と元の関係に戻れなくなる気がして、咄嗟に私は憂の腕を掴んだ。

梓「憂、待って! 話を――」

憂「触らないでって言ったでしょ!!」ドンッ!

梓「あっ」

ガシャアァァァァァァァン!!

突然突き飛ばされた私は、体勢が悪かったせいもあってか後ろの机まで飛ばされた。
憂って力持ちなんだなー、とか、そういえば鞄を教室に置きっぱなしだっけ、とか色んな事がゆっくり浮かんできて、
鈍い痛みの到達と共に、そこで私の頭の中が真っ白になった。

憂「あっ!」

唯「ちょっ、憂! って、あずにゃん大丈夫!!」ガバッ

憂「ああ……!」

唯「あずにゃーん、あれ、起きないよあずにゃん。なんか頭がぬるぬる……コレッテ血ジャ」

律「よーっす、早速お茶にしようぜー! あれ、憂ちゃんじゃん。どした?」

澪「練習が先だ! わっ、机が無茶苦茶じゃないか」

紬「唯ちゃんこれって……! 梓ちゃんどうしたの!」

唯「ナンカアズニャン動カナクッテ……血ガダラダラデ……アハハ」グルグル

律「お、落ち着け唯! 澪、何してんだ、救急車だよ!」

澪「ウワー、血ガドバーッダ……アハハハハ」グルグル

律「だあぁぁぁ! もういい、私が呼んでくる!」

紬「唯ちゃん、私先生呼んでくるから。頭は動かさないようにしてね?」

唯「ワカッタヨムギチャン……エヘヘヘヘ」グルグル

紬「憂ちゃんも落ち着いて」

憂「つ、紬さん……私、こんなつもりじゃ」ガタガタ

紬「……話は後で聞くわ。今は梓ちゃんの事が先よ」

憂「は、はい……梓ちゃん……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」ポロポロ



……

梓「あ、憂。今日も来てくれたんだ。さっきまで唯先輩達もいたのに」

憂「うん、さっき受付ですれ違ったよ。……もう大丈夫なの?」

梓「みんな騒ぎ過ぎだって。頭って結構派手に血が出るけど、大した事無いこと多いみたいだし」

憂「でもまだ包帯取れないんだね」

梓「うん。包帯が邪魔で髪纏められないんだよね。これでいつもと一緒にしてたら、それこそ触覚だし」

憂「梓ちゃん、怪我した日は殆ど意識無かったんだよ。心配しちゃうよ」

梓「貧血でフラフラだったみたい。病院の先生や両親と会話してた記憶はあるけど、内容までは覚えてないんだ」

そう言って軽く笑い、心配そうな顔のままの憂を元気付ける。

目覚めた時、私は真っ白な病室のベッドの上だった。
丸一日寝込んでいた時は両親が付きっきりだったけど、昨日には大分回復してきたから二人とも仕事の前後に見舞いに来ただけだった。
今日は大事をとって安静にしているが、若いから回復が早いとかで、明日には退院できるみたいだ。

唯先輩たちは昨日もお見舞いに来てくれてた。
本当に怪我自体は大した事無いんだけど、唯先輩はすっごい泣いてて、澪先輩はもちろん、なんと律先輩まで涙ぐんでて、
ムギ先輩からは凄く高そうなフルーツ盛り合わせを頂いちゃったし、さわ子先生からもそれより大分劣ってたけど盛り合わせがきて、
純や和さんまで心配したって言ってくれて……。
凄く心配かけて申し訳ないって気持ちと、こんなに皆に気に掛けて貰ったっていうので、気付いたらボロボロ泣いちゃってた。

憂は……憂も昨日、皆と一緒に来ていた。
頭割っちゃった私よりもよっぽど青ざめた表情で、今にも倒れ込みそうな感じだった。
結局昨日は憂とは一言も話せなかった。

……まぁ、私だって空気が全く読めない訳じゃない。
憂が今日皆と時間を外してお見舞いに来たっていうのは、きっとそういう訳だろう。


梓「憂、ちょっと中庭でお話しようか」

憂「え? 出歩いちゃってもいいの?」

梓「だから大げさなんだって。ほら、大丈夫――って、あれ?」フラフラ

憂「梓ちゃん! まだ寝てた方がいいんじゃない?」

梓「ずっと寝てたからふらついちゃっただけだよ。本当に大丈夫」

憂「本当? うーん、具合悪くなったらすぐに言ってね?」

梓「うん。さぁ行こう」

憂「あ、そんなに急いだら危ないよ!」

梓「わぁ、外はまだまだ暑いねー」

憂「……」

梓「この分だと唯先輩は、いつも通り扇風機の前でゴロゴロしてるんじゃない?」

憂「……」

梓「ねぇ、憂。……憂? 聞いてる?」

憂「梓ちゃん……ごめんね、私のせいで」

梓「……」

憂「全部私が悪かったんだ。梓ちゃんがお姉ちゃんに告白して、それで良かったのに私が出しゃばっちゃって」

憂「梓ちゃんの事が好き、とか言っちゃって……迷惑だったよね? 困らせちゃったよね?」ポロポロ

憂「それで途中から訳分かんなくなっちゃって。気付いたら梓ちゃんを突き飛ばしてた」

梓「……憂」

憂「私、梓ちゃんと付き合うとかじゃなくって、ずっと一緒にいたいな、って思ってたんだ」

憂「あの時のメールの内容も、梓ちゃんを呼び出して告白しよう、ってそういうこと考えてた」

憂「でも多分できなかったと思う。私、肝心なところで弱気になっちゃうから……自分勝手だよね」

梓「憂……もういいよ」

憂「あの時梓ちゃんを怒鳴っちゃって、それで……梓ちゃんが負い目を感じて……っ、私に振り向いてくれないかな、って……うぅっ」

憂「本当に自分勝手っ……嫌になる。ごめんね、まだこんなに愚痴っちゃって。でも、もうこれで最後」

梓「えっ」

憂「こんなことしちゃって友達失格だよ。梓ちゃんも怒ってないはずないもん」

憂「もう……会わないようにするね。あっ、あずっ、さちゃんも……私のこと嫌いになって……ね? うぐっ、うぅっ」

梓「……」


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最終更新:2010年08月13日 21:15