それでも私は、呟く彼女が立ち去るのをそのまま見ているわけにはいかなかった。

 今りっちゃんがこんなに悲しい顔をしているのは、自分のせいだ。
 細かい理由はわからないけれど、私がこうさせてしまった。
 それがひどく痛かった。

「行かないで」

 振り払われるかもしれない、と思いながら、背中にしがみついた。

「最低なんかじゃないわ。私は……」

 私はりっちゃんにたくさんのものをもらった。りっちゃんのおかげで笑顔になれた。

 でも、さっきのは――さっきの切ないような悲しいような複雑な気持ちは、私のわがままだ。
 たくさん大切なものをもらったのに、よけいなものまで望みすぎた私の。

 しかし、りっちゃんの考えていたことは、私には全く予想のつかないものだった。

「だ、だ、だめだ。放してくれ。私は、ほんと、変なんだ。ムギに変なことしちゃいそうなんだ!」
「え……?」

 変なこと。

「え……っ」


 その言葉を聞いて、今までのりっちゃんの行動を思い返して、考えた。
 そして、やっと意味に思い当たった。

 拒否された理由。何しちゃうかわからない、の意味は。

「え……え、えええ……?」

 顔が熱い。身体も。そういえばりっちゃんにしがみついたままだ。

 理解ができた今、こうして抱きついたままでいるのは、いけない? おかしい? のかもしれない。
 でも、今放すべきではないと思った。

「あの、あの……えっと、うわあ」

 どうしたらいいのかわからない。
 でもこのまま放したら、別れたら、私がどう思おうと、りっちゃんは自己嫌悪だとか私に対する罪悪感だとかに苛まれるだろう。
 今までみたいにはいられないかもしれない。それは絶対に嫌だ。

「放せ、放してくれ、本当にいま私おかしいから!」
「いやよ! だって」

 暴れるりっちゃんの腰を、必死で抱き留めた。

「私、嫌じゃないもの! りっちゃんに、なにされても! りっちゃんが悲しい顔したり、自分を責めるほうが嫌なの。だから」
「ばっ、バカ! なんてこと言うんだよ!」
「えっ……あ」


 つい勢いで大胆なことを言ってしまった。
 思わず出た言葉だけれど、でも、嘘ではない。本心だ。

「だから、こっち向いて? どこにも行かないで。笑ってほしいの」

 一息に言い切って、りっちゃんを止めていた両手を放した。
 私の言葉は、気持ちは伝わったのだろうかと、不安だった。

 すると、りっちゃんはゆっくりとこちらを向いた。
 ほっとしたのもつかの間、身体に衝撃が起きた。

 ぼふ?

「りっちゃん?」
「ムギが、言ったんだぞ」

 ソファの上に押し倒されていた。

「なにをされてもいいって……」
「ええっ!?」


 まさかまさかまさか。
 嘘だ冗談だ。こんなこと、りっちゃんが言うはずない。するはずない。

 でも、りっちゃんは冗談でこんなことするような子じゃない。

「ほ、本気なの……?」
「私はおかしいって言っただろ、お前になにをするかわからないって」
「えぇっ? あのでも、ここ部室だし学校……というかもうそんな問題でもなくて、わ、わたし、こんな」
「好きな子にあんなこと言われて正気でいられる奴がいるかぁーっ」
「す、き……?」

 びっくりして、呟いた。
 その瞬間、りっちゃんの顔がぼっと赤くなった。
 そして、視線をそらして、ささやくように言った。

「じゃなかったら、こんなことするはずないだろ」
「う、う……」

 私相手に性的な衝動を感じたのだと言われて、もちろん驚いた。
 けれどまさかそこに感情がついてくるなんて、願うことさえしていなかった。

 対象外としてしか見てもらえないよりは、一時でも欲情された、それだけでもいいと思っていた……のだと思う、先ほどまでの私は。


 ――なんだ、私はりっちゃんが好きなんだ。


 私は一切の抵抗をやめた。いや、違う。できなくなってしまった。

 意識が遠のく。りっちゃんの顔が近づいてくる。
 どきどきどきどき。
 心臓が壊れるんじゃないかしら。

 ああ、もうどうでもいい。

「紬……」

 吐息が首筋を擽る。

 そういえば、さっきから名前で呼ばれてる、なんて思ったときだった。
 ガチャガチャと、ドアノブを回す音がした。

「っ!?」
「な、なに…っ?」

 まさかまた見回りがきたのか。
 こんな時間をおいて?
 というかこんなところを見られたら完全にアウトだ。
 テスト期間に、部室で、女同士とはいえソファーで抱き合い。
 停学か、へたすると退学になる、かも。

 一瞬、暗い未来が脳裏に浮かんだ。


 けれど、ドアの外から聞こえた声は、聞き覚えのあるものだった。

「閉まってるみたい」
「それはそうだよ、お姉ちゃん。みなさんだってテスト期間くらいわかってるって」

 唯ちゃんに、憂ちゃんだ。

「なんだ、あいつらかぁー」
「は、は……よかったわ」

 でも安心するのは早かった。
 唯ちゃんが合鍵を持っているということなんて、すっかり頭から抜けていた。

「ほんとはテスト期間は入っちゃいけないんだよ?」
「ううう~、でも今回は絶対に赤点取れないんだよぉ」
「今度からはワークブックを部室に置いたりしちゃ駄目だよ、お姉ちゃん!」

 鍵を開ける音がする。

 ドアが開いてしまう。


「あれ、ムギちゃん? なにやってるの? ムギちゃんもワーク忘れたの?」
「ううん、あのね、ちょっと掃除をしていたの」
「鍵を閉めて?」
「だって、見回りの先生がいるかもしれないから」
「っていうかなんで掃除を?」
「いつもはする時間ないから」

 誤魔化し笑いをすると、唯ちゃんは「そうなんだー」と呟いた。
 憂ちゃんは無表情だ。

「二人はどうしたの?」
「ワークとかを置き忘ちゃったんだぁ」
「そうなんだ。でも偉いわ。ちゃんと勉強するのね」
「うん! 前みたいにみんなに迷惑かけちゃいけないからさ」
「うふふ、私も頑張らないと」

 饒舌な唯ちゃんとは逆に、さっきから憂ちゃんは何も言わない。黙ってソファのほうを見ている。
 ドキリとした。

「う、憂ちゃん?」
「え……はい」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。……ところで、ここ、他に誰もいないですよね?」
「えぇっ!?」



 思い切り動揺してしまった私に気づいたのか気づかなかったのか、憂ちゃんは苦笑いした。

「……変なこと言ってごめんなさい、忘れてください」
「? ええ……」
「なになに、ホラーな話!? 今度澪ちゃんに聞かせてあげよ~」


「あ、ところで、紬さん」
「うん?」
「髪と服、乱れてますよ?」
「えっ!?」

 憂ちゃんの言葉に、私とりっちゃんは思わず声を上げてしまった。
 やっぱり、憂ちゃんはなにか気づいてるのかもしれない。恐るべし最強の妹。
 唯ちゃんはその言葉を聞いて「憂ったらそんなとこばっかみてヤラシーぞ、うりうり」なんて笑っていた。

 私もかなりドキドキしていたけれど、ソファーの後ろに隠れていたりっちゃんはもっとドキドキだったと思う。




終わり



おまけ

(やっぱり、部室はまずかったなぁ)
(ぶ、部室とか、そうじゃないかとかいう問題じゃないわ……)
(だな、学校はまずいよな。ってことは、どこでならいいんだろ……?)
(そそそそそそうじゃなくて! ていうかりっちゃん、キャラ違うわよ!?)
(人間、一度開き直るとどこまでもいけるもんだなー!)
(そんな妙にキラキラした笑顔はいいの! ていうか、卒業するまでそういうのはダメですーっ!!)
(な、なんだってー!?)




最終更新:2010年08月17日 01:33