とある日曜日。
ちょっとしたライブがあって、まあまあ成功して、みんなで浮かれて、そのまま打ち上げと称して夕飯を食べに行くことになった。
ふつうのファミレスだったけど、みんな良い気分になって盛り上がって、ついつい長居したら、あたりは真っ暗。
どうしよう、今日、自転車じゃないのに。
ちなみに私の家はここからけっこう遠い。
「澪、梓を後ろに乗せてけよ」
実は昔ちょーっとこわい目に遭ったことがあるので、夜道は苦手だ。
沈んでいたらムギ先輩が「梓ちゃんどうしたの?」と訊いてきてくれた。
「あ、ええーと……」
「ああ、もう遅いし徒歩では危ないわよね。うちの車を呼びましょうか?」
「いや、そんな、大丈夫です」
なにせムギ先輩のお宅とは反対方向なので、私は断った。
それに先輩自身が電車で帰ろうとしているのに、私のために車を呼んでもらうのは、さすがに悪い。
そんな様子を見ていた律先輩の口から出た言葉が、さっきのだ。
「澪が送っていけよ、ここからなら方向同じだろ?」
私とムギ先輩以外はみんな自転車で来ている。
律先輩の言葉に、唯先輩が「そうだねー」と頷いた。
いつもなら家の近い律先輩と澪先輩は一緒のはずだけれど、今日は律先輩は平沢家にお泊まりらしい。
なんでも「明日の朝は憂ちゃんのご飯と味噌汁で目覚めたい」んだとか。
それにしてもこの状況。
ちょっと前の私だったら、心から喜んでうきうきとしていただろうと思う。
けれど今は複雑な心境だった。
「おい澪、なに一人で帰ろうとしてんだよ!」
そろりそろりとその場を立ち去ろうとする、澪先輩。
私の好きな人。
澪先輩は律先輩の声にビクリと身体を硬直させ、振り向いた。
ぎこちない表情。困っている。
「い、いやでも、まずいんじゃないか? 二人乗りは。補導とかされるかもだし」
「平気だろ、このへん交番もないし」
「そういう問題か!?」
「なんだよ澪、嫌なのかよ」
多分嫌なんだろうと思う。もちろん澪先輩は口に出したりなんかしないけれど。
「そうじゃなくて……お、女の子同士で二人乗りとか変だろ? 恋人でもないのに」
「はぁ!? 澪、お前ちょっとおかしいぞ。どうしたんだよ」
ぺしぺし、と澪先輩の頬を叩く律先輩。
さすがにさっきの言い訳は私もおかしいと思う。
「なんだ澪、初めての二人乗りは好きな人とじゃまきゃ、はぁと! とか考えちゃってんのか?」
にやにや笑う律先輩の言葉に、ムギ先輩が目を輝かせた。
「まあ! それなら梓ちゃんが初めてになって……そこから……恋いが……ぁあ」
「おーい、帰ってこーい」
勝手なことを言ってるみんなに、やめてくれと思いながら澪先輩のほうを見た。
やっぱり困っている。
いつもの澪先輩なら、きっとこんなこと言わないで、なにも考えず一緒に帰ってくれた。
でも、今は違う。
なぜって、数日前、私が澪先輩に告白したからだ。
「ま、まあまあ、みんなぁ。とりあえず、もう遅いからさっ。
えーっと……澪ちゃん、あずにゃんのこと、送ってくれるよね?」
唯先輩が、澪先輩の顔を覗き込んだ。
でも口をあんぐり開けたまま挙動不審にぎくしゃく手を動かす澪先輩を見て、唯先輩は眉根を下げた。
「ひ、一人で帰るから平気です! それではまた明日!」
勇んで歩き出すけれど、ムギ先輩に止められた。
「待って梓ちゃん、もう暗いし、澪ちゃんと二人で帰ったほうがいいわ」
「う……いや、でも」
思わず下を向くと、律先輩に背中を押された。
澪先輩のほうに倒れかかってしまう。
「みおー、送り狼になるなよ!」
意味をわかって言っているのだろうか。
なんだかもう面倒だしみじめな気持ちになってきたので、私は澪先輩の服の裾を引っ張った。
「みんなから見えなくなるまでで、いいです」
「あ、ああ……え、でも」
「このままじゃ、他の先輩方も帰れないですから」
無理矢理澪先輩の背中を押して、歩き出す。
とりあえず先輩方にバイバイだ。ムギ先輩は心配そうな顔をしているけれど。
自転車を押しながら、ギクシャクとロボットのように歩く澪先輩を見て、ため息を吐いた。
「もう、忘れていいです」
「えっ!?」
「……告白のこと」
こんなふうになると思わなかった――わけじゃないけれど、でも実際なったら、ものすごくつらい。しんどい。
多少きまずくなるくらいは、もちろん覚悟の上だった。
それでも伝えたいと思った。言わないでいることが苦しくて。
でもやっぱり言うべきじゃなかった。こんなの、一人で悩んでいるよりもつらすぎる。
だってあの日から澪先輩は私に笑ってくれない。
澪先輩の笑顔を、いつも、一番近くで見ていたい。
そう思って告白したのに、これじゃあ全然反対だ。
「というか、忘れてください……ってかんじです」
小さく呟いた。
いっそなかったことにできるなら、そうなりたい。どんなに片思いが苦しくても、今より、へいきだ。
でも、澪先輩は意外なことを言った。
「あ、そうか……そうだよな、私なんか、な。ただの気の迷いだよな」
「はぁ!?」
え、なに。
「幻滅、するよな。うまい対処もできないし。先輩らしくきりっとしいることも、無理だ。
ただ意識してしまってあたふたするだけで……梓に、変な態度をとってた」
なに言ってるの、この人。
「忘れる……できるかわからないけど、梓がそうしてほしいなら、努力する」
「……ばっかじゃないの! です!」
思わず叫んだ。
だって、止まらなかった。
「私は……わたしはそんな理由で忘れてって言ったんじゃない! そんな軽い気持ちなら、言わないです……女の人になんて、告白できません……」
――澪先輩が好きです。友情や憧れなんかじゃなく、女の人として。
そう言ったとき、澪先輩は驚いた顔をしていた。
それ以外は、何を考えているのかわからなかった。
別にいい返事がもらえるなんて思ってたほど脳天気じゃない。
もし断られても、好きでいる権利くらいはあるよね? そんなふうに考えてた。
でも、結局澪先輩は何も言わないで固まったままで――沈黙がつらくて、私は逃げた。
言い逃げをした。
明日になれば、なにか言ってくるかも。それがいいことでも、悪いことでも、受け止める覚悟をしていなきゃ。
それとも、なにもなかったふりをされるかな。そうしたらどうしよう。
そんな不安を抱えたまま、何日も日が過ぎた。
でも、澪先輩はずっと変わらないまま。ぎくしゃくと、私を避けて、何日も何日も。
痛かった。
「嫌いなら、嫌いって言えばいいじゃないですか。困るなら、迷惑だって言えば……そしたら」
そうしたら、あきらめられるだろうか?
それはわからない。
それでも、はっきり言われたほうがいい。
「でも、もう、いいや。わかったからいいです……」
なにやってるんだろう、澪先輩を困らせて。これじゃあ、ただ振り回しただけだ。嫌われても仕方がない。
でも澪先輩は私の腕を掴んで、真剣な瞳で言った。
「嫌いじゃない。迷惑でも、ない」
「! 後輩、だから……嫌いなんて言えないですよね」
「いや、そうじゃなくっ、だから――」
だから。
そう呟いた澪先輩の眉間には、しわが寄っていた。なにか、苦しいような、そんな顔。
「困ったには困ったけど、迷惑だからじゃない……迷惑じゃ、なかったから、なんだ」
「……え?」
「私は女だし、こんな気持ちは、抱いたらいけないんだ。抱いても、伝えたりしちゃいけないんだ、なのに」
澪先輩は髪をかきむしった。
「ああっ、私はなにを言ってるんだ! もう……」
「……」
私は、夜の道路の真ん中を、ぼう然と立ちつくした。
澪先輩は、何を言っているの。これは現実なの。
「呆れるだろ……? ここ数日、こんなことばかり考えていた」
「え……ぁ……」
うまく声が出ない。息が、できない。
澪先輩の瞳が、夜の闇にきらりと光る。くらくらする。
「けど、もう、言ってしまった。梓にバレた。一線を越えたこれから先は、もう何をしても同じだって、そう思わない、か?」
「へ……、は?」
「ごめん、私ここ最近お前のことばかり考えてちょっとおかしくなってるみたいなんだ」
そう言って、澪先輩は私に、キスをした。あまりに自然な動作で。
はっと気づけば、そこは私の家の前。なんて大胆な犯行。
いや、そんなことはどうでもいい。
それよりも、私のファーストキスだ。いくらなんでも急すぎる。こんなのって、ない。
「本当に悩んだんだ、これくらい許してくれ」
じゃあ、気をつけろよ、と言って澪先輩は去った。家の前でなにを気をつけろというのか。
突然キスしてくる不埒な先輩に気をつけろって?それならばもう遅い。
結局、律先輩が言っていたとおりになってしまったじゃないか。
とんだ送り狼だ。
それによく考えてみれば、はっきりと好きだとは言われていない。
それでいてキスはするなんて、本当に女の子の気持ちがわかっていない。
いつも、あんなに乙女チックな歌詞を書いているのに。
なんなんだ、あの人。
もう、なんなんだ!
好きだ!
翌日、月曜日。
一限目が始まっている時間なのに私はまだベッドの中にいた。
昨日のことをいろいろと考えていると、憂と純から「どうしたの」というメールが来た。
なんて返そうか迷っていると、唯先輩からもメール。
憂経由で伝わったのかも。
「ふむ……」
とりあえず憂には『三限あたりから出る』と返信。純にはまあ、憂から伝えてもらえばいいだろう。
それから、唯先輩にはこう送った。
『送り狼さんに遭ったので、しばらく動けないってムギ先輩と律先輩に伝えておいてください』
目を輝かせて澪先輩に詰め寄るムギ先輩、驚く律先輩、首を傾げる唯先輩、いろいろな場面が脳裏に浮かぶ。
そして、困惑する愛しいあの人も。
ふああ、とあくびをして私はベッドから出た。
今日も部活が楽しみだ!
終わり
最終更新:2010年08月15日 01:08