紬「……」
カタカタカタカタカタカタカタカタ

唯「一日中パソコンの前に座ってキーボードを叩いています……」

紬「へっ、またブサヨがバカなこと言ってるよ……」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタ

唯「紬ちゃんは一日中2ちゃんねるというアングラ掲示板サイトに貼りついて、
  そこに居る人を煽ったりバカにしたり論争したりしています……」

唯「ムギちゃん、学校……いこ?」

紬「嫌よ」
カタカタカタカタ

唯「ムギちゃん……」

紬「高校なんて義務教育じゃないから行かなくてもいいの。
  将来は親が選んだ相手と結婚すればいいし、
  そうでなくても親のお金で一生暮らせるから勉強なんて必要ない。
  だから学校には行かない。はい論破」


今日も紬ちゃんの説得はできませんでした。
私は諦めて学校に向かいました。

学校に着くとグラウンドに澪ちゃんの姿が見えました。

唯「ベース担当、秋山澪ちゃん」

澪ちゃんは女子野球部で1塁ベースを守るポジションに付いています。


澪「お、唯~」

澪ちゃんは私に気付いたようでした。
野球のユニフォームに身を包んだ澪ちゃんが私に手を振りました。
私も手を振り返します。

唯「朝練頑張ってねー」

澪「おーう」

練習の邪魔をするのも悪いので、
私はさっさと教室へ行くことにしました。


教室には既にりっちゃんが来ていました。

唯「ドラム担当、田井中律ちゃん」

りっちゃんは今日もドラム缶の中にこもっています。
こうやって外界との交流を断って、もうどのくらい経つでしょうか。
私たちはりっちゃんの顔を久しく見ていません。

唯「りっちゃん、おはよう」

それでも私は一応、りっちゃんのドラム缶に挨拶をします。
返事はありませんでした。

授業が始まってもりっちゃんが出てくることはありません。
教室のど真ん中に大きなドラム缶がある。
そんな異様な光景にも、みんなはもう慣れていました。

先生「えーと今日は15日だから……名簿の15番は……田井中か……。
    じゃあその次の手塚、この問題をやってくれ」

先生も順応していました。


お昼休みになってもりっちゃんが何か行動を起こすことはありませんでした。
まあいつものことなんですけど。

澪「よー唯~、昼ごはん食べようぜ」

和「私も良いかな」

澪ちゃんと和ちゃんが教室にやってきました。
和ちゃんは生徒会役員です。

2人はりっちゃんのドラム缶に声をかけ、
私のところにやってきました。


澪ちゃんは真っ黒に日焼けしていました。
心なしかガタイが良くなったような気もします。

澪「さーて、昼ごはん昼ごはん」

澪ちゃんのお弁当箱は、私たちと比べて一回り大きなものでした。
その中にはボリューム満点のおかずが詰まっています。

澪「いっただきまーす」ばくばく

和「相変わらずいい食べっぷりね」

澪「ああ、ちゃんと食べとかないと放課後の練習がもたないからな」


澪ちゃんは野球部のエースでした。
1年の頃は補欠にもなれなかったけど、
猛練習を重ねて今の地位を獲得したのです。
私にとって澪ちゃんはまぶしい存在でした。

唯「澪ちゃんはスゴイよね~」

澪「はは、そんなことないって」

澪ちゃんは謙遜しましたが、
何もやらずにただ漫然と日々を過ごしている私と、
野球部で毎日頑張っている澪ちゃんのどちらが凄いかは明らかです。


澪ちゃんはさっさとお弁当を食べ終えると、
野球部の人に呼ばれて出ていってしまいました。

唯「私も何かやってみようかなぁ」

和「何か、って?」

唯「それはまだ決めてないけど。
  やっぱり高校時代に何もやらずにいるのは、勿体ないかなって」

和「まあ、そうねぇ」

唯「何かないかな~」

和「そうだわ、生徒会に欠員が出たの。やらない?」

唯「生徒会か~」


私は生徒会に入ることにしました。
他に候補者がいなかったので採用してもらえました。

順調に仕事をこなし、周りの人から評価され、
私の会議での発言権も大きくなってきました。

そして私は、ついに生徒会長にまで上り詰めたのです。

和「おめでとう、唯」

和ちゃんは副会長です。
私の右腕として働いてくれることとなりました。

唯「ありがとう、和ちゃん」

私の支持率は80%を超えていました(生徒会調べ)。
私が廊下を歩いていると、唯会長、唯会長とみんなが声をかけてくれます。



放課後、無人の教室。
私はりっちゃんのドラム缶の前に立っていました。

唯「りっちゃん、私、生徒会長になったんだよ」

いつものことですが、りっちゃんは反応してくれませんでした。
でも、きっとドラム缶の中で私の声を聞いてくれているはずです。

するとその時、誰かが教室に入ってきました。

梓「唯せんぱ……いや、会長」

知らない子でした。
おそらく下級生でしょう。

またサインのお願いかな、と思い、私はふところからペンを取り出しました。

梓「サインじゃありません」

唯「あ、そう。何の用?」

梓「わ、私のこと……覚えてませんか」

唯「?……ごめんなさい、分からない。
  校内ですれ違ったりしたことはあるかもしれないけど」

梓「私は、中野梓です」

唯「な……なか……の…………」

なんでしょう、なにか、脳の奥に引っ掛かります。
私はその名前に聞き覚えがありました。

唯「あずさ……?」

梓「そうです、中野梓です!けいお……」

するとその時、りっちゃんのドラム缶が立ち上がったのです。


立ちあがったという表現は語弊があるかもしれませんが、
ドラム缶の底から足が生えて、とにかく立ちあがったのです。
昔流行った安部公房の「箱男」みたいな感じといえば良いでしょうか。

りっちゃんはそのまま中野梓さんに向かって突進を開始しました。

梓「きゃ、きゃあああああああ!」

ドラム缶が迫ってくるという恐るべき事態に遭遇し、
中野梓さんは叫び声をあげて逃げて行きました。

教室はふたたび、私とりっちゃんの2人きりになりました。

唯「り……りっちゃん」


唯「りっちゃん?動けるの?」

りっちゃんは私の問いかけを無視し、
自分の席へと戻って行きました。

唯「りっちゃん、何であんなことを……」

無視されました。

唯「ねえ、あの子のこと、何か知ってるの?」

反応はありませんでした。

唯「りっちゃん、何か答えてよ!」

りっちゃんはいつものように何も話さず、
ドラム缶はそれから動くことはありませんでした。


私は諦めて教室を後にしました。

その後、校舎やグラウンドを軽く捜してみましたが、
中野梓さんは見つかりませんでした。
きっと帰ってしまったのでしょう。

その日は生徒会の仕事はなかったので、
私もさっさと下校することにしました。

唯「……」

私はムギちゃんの家に寄ることにしました。
中野梓さんのことを何か知っているかもしれないからです。


ムギちゃんの家に着いてインターホンを押し、
自分の名前を告げると、執事さんが出てきてムギちゃんの部屋まで案内してくれました。
もう覚えているので案内はいい、と言いましたが、仕事ですから、と返されました。

ムギちゃんは相変わらずパソコンに向かっていました。

紬「……ったく、これだからミンスは……マスゴミも……ブツブツ」
カタカタカタカタカタカタ

唯「ムギちゃん」

紬「ねえ!ちゃんと両親に自民党にいれるように言ったの?
  うちの地区の自民党負けちゃったじゃない!」
カタカタカタカタ

唯「私の両親が入れたとこで変わんないと思うよ……
  それよりムギちゃん」

紬「なに?学校なら行かないから」
カタカタカタカタカタ

唯「中野梓さんって知ってる?」

ムギちゃんのキーボードを叩く手が止まりました。


唯「知ってんの?」

紬「はあ?これだから質問厨は……
  ちょっとは自分でググるなり調べるなりしろよ。
  なんでお前のために私が労力割かなきゃいけないのよ」

ムギちゃんはいつも通りの2ちゃんねるかぶれの口調で喋っていましたが、
言葉の端々に戸惑いが見え隠れしていました。

唯「知ってるんでしょ?教えてよ」

紬「うぜえよ、しつこくしてたら教えてもらえると思うなよ、
  これだからゆとりは……ブツブツ」

唯「……」

教えてくれそうにありません。
私は帰ることにしました。


家に帰ると憂が出迎えてくれました。

憂「お帰り、お姉ちゃん……いや、会長様!」

唯「ただいま、やめてよ、家でまで会長なんて」

憂「あはは」

唯「ねえ、憂」

憂「ん?」

唯「中野梓さんって知ってる?」

憂「梓ちゃん?私のクラスメイトだよ」

唯「!……ほんと?」

憂「え、うん」

唯「ねえ、どうにかその子と連絡とれないかな?」

憂「え、うん、電話でいい?」

唯(やった……!)


憂は携帯電話を操作して、中野梓さんに電話をつなげてくれました。

憂「あ、梓ちゃん?今いいかな、お姉ちゃんが電話したいって……うん、うん」

憂は中野梓さんと二言三言交わし、
私に電話を貸してくれました。

私はドキドキを抑えながら、電話に耳を近づけました。

唯「中野梓さん?いきなり、ごめんね」

梓『ゆ、唯先輩……』

唯「ねえ、今日の、放課後のことなんだけど……
  私に何か用があったの?」

梓『はい……唯先輩、覚えてませんか?
  軽音楽部のこと……』

唯「軽音……楽……部?」

軽音楽部。
日常でもたまに耳にするなんでもない言葉ですが、
それは何か私にとって深い意味を持つような気がしました。

なんだろう……なにか、大事な……。

その時、憂が私の手から携帯電話を奪い取りました。


憂「ごめんお姉ちゃん、充電が足りなかったよ!
  またあとでいいかな?ね?」

そう早口でまくしたて、憂はすばやく通話停止ボタンを押しました。
明らかに普通の態度ではありません。

唯「憂!憂までどうしたの?何なの?
  中野梓さんに何があるの?教えてよ、憂!!」

憂「そ、そんなことどうでもいいでしょ。ほら、もうすぐ晩御飯出来るから、
  早く着替えてきて……」

唯「ごまかさないでよ!教えてよ、憂!!」

憂「何もない、何もないよ。梓ちゃんはお姉ちゃんとは何の関係もない」

唯「憂!」

憂「何もない、何もないよ。梓ちゃんはお姉ちゃんとは何の関係もない」

唯「憂、ふざけないで!」

憂「何もない、何もないよ。梓ちゃんはお姉ちゃんとは何の関係もない」

何度尋ねても、それを繰り返すばかりでした。


何かある。
中野梓さんには、何か大事なことが。
私が知ってはいけない、でも、知らなければならないことが。

深夜3時。
もう憂は寝ているでしょう。
私は、憂の部屋にこっそり忍び込みました。
携帯を勝手に借りて、中野梓さんに連絡を取るためです。

携帯は枕元に置かれていました。
私は携帯を手に取り、電話帳をひらいてみましたが、
中野梓さんは登録されていませんでした。
発信履歴も削除されています。
どうやら、私がこうするのを見越していたのでしょう。

唯「くそ……」

私はどうすることもできず、
部屋に戻り、寝ることにしました。


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最終更新:2009年12月02日 01:51