そうか、ここは地獄なんだ。

お父さんもお母さんも弟も唯も澪もムギも梓もいない。

………一人は嫌だ。

みんなに会いたい。

どうしても会いたい。

でも、会えない。

寂しくて泣きそうになる。

ふと、あることに気がつく。

―――そうだ。

こっちの世界に連れてくればいいんだ。



梓「律先輩が……死んだ…?」

私がその報せを聞いたのは5月のある日の放課後の事だった。

HRが終わった後、部活に行こうと準備をしていると澪先輩が私のクラスに来てその事を伝えた。

澪「ああ……。昨日の夜、私達と別れた後交通事故にあったらしい……。頭を強く打って……、病院に運ばれたときにはもう……」

そう言うと澪先輩はうつむいてしまった。

梓「そんな……なんで律先輩が……」

澪「私も今日の朝聞かされたばかりなんだ……。今から律の家に軽音部のみんなで行こうと思う」

澪「唯とムギは先に玄関で待ってるから……」

梓「わっ、分かりました……」

そう言って私は鞄を持ち、澪先輩と一緒に玄関に急いだ。

澪先輩が言ったとおり、玄関にはすでに唯先輩とムギ先輩がいた。

先程まで泣いていたのだろう。二人の瞼は赤く腫れあがっている。

律先輩の家には学校からタクシーで行く事になった。

タクシーの中では4人ともずっと無言だった。

外は雨が降っていて、雨が窓に当たるポツ…ポツ…という音が耳に痛かった。

タクシーが律先輩の家に着く。

澪先輩がチャイムを押すと、律先輩の母親らしき人が出て、私達を部屋まで案内してくれた。

案内された部屋に入るとそこには真っ白な棺が置かれていた。

この中に律先輩が入っているのだろう。私はその棺の中を見るのがとてつもなく怖くなった。

律先輩の死を受け入れたくない……。そんな気持ちが私の中にあった。



澪先輩が恐る恐る棺のふたを開ける。そこには律先輩が手を胸の上において横たわっていた。

梓(律先輩……)

梓(律先輩の顔……ものすごく綺麗……。眠っているようにしか見えないよ……)

律先輩は本当に死んでいるのだろうか。私にはまだ信じられなかった。

澪「律……、律……、私だよ、澪だよ……?」

澪先輩が律先輩の頬を撫でながら律先輩に呼びかける。

唯「りっちゃん…!!唯だよ……!!ムギちゃんもあずにゃんもいるよ……!!だから、だから目を覚ましてよ……!!」

唯先輩も律先輩に向けて言葉を発した。

しかし、一向に律先輩は目を覚まさない。何の反応も示さない。

梓(ああ、律先輩は本当に死んでしまったんだ―――。)

澪「律っ……!!律っ……!!なんでっ……、どうしてっ……!!!」

澪先輩はそう言うと、律先輩の体にすがりながら声を上げて泣き出した。

唯「り、りっちゃん……。うぅ…、ぐすっ、うっ、うわぁぁぁぁん!!!」

紬「りっちゃん、なんで……うっ、うっ……。ひっく、ぐすっ……」

それを皮切りに、唯先輩とムギ先輩も泣き出してしまった。

梓「……………」

私はその光景を見て、どうしていいのか分からず、呆然としてその場に立ち尽くしていた。

……不思議と涙は出なかった。


澪「それじゃあ私はもう少し律の家にいるから……。あと、通夜は明日の晩に行われるって……」

唯「うん、分かった……。じゃあまた明日ね、澪ちゃん……」

紬「分かりました……。それじゃあさようなら」

梓「……分かりました、澪先輩」

そして、私と唯先輩とムギ先輩は律先輩の家をあとにした。

行きと同じく、帰りも3人はずっと無言だった。そして私は唯先輩とムギ先輩と別れ、自分の家に着いた。


梓「ただいまー……」

靴を脱ぎ、自分の部屋に向かう。制服を着たまま、私はベッドに倒れこんだ。

梓(頭がまだ混乱してる……。何も考えたくない……)

私はベットにうつ伏せになったまま、ぼーっとしていた。

どのくらいそうしていたんだろうか。いつの間にかすっかり日が暮れ、部屋の中が真っ暗になっていた。

梓(電気……つけよう……)

私はおもむろに立ち上がり部屋の電気をつけた。

――パチッ

部屋が明るくなる。なんとなく机を見ると軽音部で合宿に言った時の写真が目に入った。

梓(この写真……、懐かしいな。あの時は楽しかったなぁ……)

梓(また、軽音部のみんなで行きたいなぁ……)

その時、胸に何か熱いものがこみあげきた。

―――ツーッ

頬を一筋の涙が伝う。

梓「そうか……。律先輩はもういない……もういないんだ……」

梓「だからもう……、それは無理なんだ……」

―――そして、私は立ったまま、声を殺して泣いた。

それからはあっという間だった。

律先輩の通夜が終わり、初七日が終わった。

軽音部はというと、一応、放課後部室には集まるものの以前のように活動はしていなかった。

梓(澪先輩……、目の下に大きな隈が出来てる……。あまり眠れてないのかな……。)

梓(唯先輩も、ムギ先輩も、元気がなくてまるで別人みたい……。)

ムギ先輩が入れてくれたお茶には誰も手をつけようとしない。

そして遂に、軽音部の部室に先輩達は集まらなくなってしまった。


先輩達が部室に来なくなってから10日が経った。

梓(このまま軽音部の活動は無くなっちゃうのかな……)

私にはどうしていいかわからなかった。

放課後、軽音部の部室の前まで行く。

もしかして、今このドアを開けたらそこには先輩達がいて、いつもの風景が広がっているのではないのだろうか。

今までの事は全部夢だったのではないのだろうか。

そんな淡い期待を込めて、ドアを開ける。

しかし、そこには誰もいない。誰もいない音楽室があるだけだった。

そして、私も音楽室に行くのをやめた。

憂から聞くところによると、唯先輩は学校から帰った後はずっと部屋にこもり、一人で泣いているという。

憂はそんなお姉ちゃんを見るのがとても辛いと言っていた。

唯先輩や澪先輩、ムギ先輩には最近全然会えていない。

私はその日の昼休み、澪先輩の教室を訪ねることにした。

やっぱり軽音部がこのまま無くなってしまうのは嫌だ。

澪先輩に会えば、会って相談すれば、この状況を打開できるかもしれない。

そう思って澪先輩の教室に行くと、和先輩に会った。

和「あら、梓じゃない。もしかして澪に用事?」

梓「あ、はい……」

和「澪ならあそこにいるわよ。律の事でまだ立ち直れないみたい…。梓も辛いだろうけど、あまり気を落とさないようにね。」

梓「はい、ありがとうございます。」

和先輩に礼を言って澪先輩の教室に入り、先輩が座っている席に近寄る。

どうやら唯先輩とムギ先輩は教室にはいないようだ。

澪先輩は私に気づいたらしく、顔をあげた。
澪 「なんだ梓か……、久しぶりだな。どうしたんだ?」

そう言って私に話しかける澪先輩は明らかに元気が無かった。

机の上に広げられたお弁当には一切箸がつけられていない。

まだよく眠れていないのか目の下の隈は相変わらずだった。

梓「澪先輩…、あの、軽音部の事なんですけど……」

澪「………」ピクッ

梓「はい、ありがとうございます。」

梓「活動はもうしないんですか……?」

澪「…………」

梓「ムギ先輩も唯先輩も音楽室には来なくなって……。私、どうしたらいいか……」

澪「梓……今はその話はやめてくれ……」

梓「でも……」

澪「やめろっ!!」

ダァァァン!!!

梓「!!」ビクッ!

机が勢いよく叩かれた。クラスで談笑している生徒たちの目がこちらに向く。

しかし、それは一瞬のことで、生徒たちはそれぞれの会話にすぐ戻っていった。

澪「…………」

梓「…………」

私は何も言えなかった。軽音部の事は今の澪先輩にとってはタブーだったのだろう。

いつもは優しい澪先輩が声を荒げるなんて、よっぽどの事だ。それなのに私は……。


澪「ごめん……今は音楽室には行きたくないんだ……」

澪「あそこに行くと今までの事、思い出しちゃってさ……」

そう言って澪先輩はうなだれた。

澪「だからもう少し待っててくれないか…?私達が音楽室に行けるようになるまで」

澪「唯にもムギにも時間が必要だと思うんだ……」

梓「分かりました……」

梓「…………」

梓「あのっ、澪先輩!」

澪「……?」

梓「私、待ってます!先輩達が来るまで音楽室で待ってますから…!」

澪「………ああ」

そう言って私は澪先輩の教室から立ち去った。

私は心底後悔していた。自分の無神経さを。

よく考えてみれば今回の件で一番ショックを受けているのは澪先輩だ。

なにせ、今までずっと一緒だった幼なじみが死んでしまったのだから。

律先輩が死んでからまだ1ヶ月もたっていないのだ。澪先輩の心の傷が癒えているはずがない。

それなのに私は自分の都合だけ考えて行動してしまった。

なんて馬鹿な事を………。

私はその日から授業が終わってから1時間だけ、音楽室にいることにした。

梓(先輩達が来れるようになるまで、ここで一人で待っていよう。)

梓(今私に出来るのはそれだけだから……。)


そんな、ある日の事だった。

梓「律先輩が死んでからもう2ヶ月近くたったんだ…。あっという間だったな…。」

未だに先輩達は音楽室には来ない。やはりまだ時間が必要なのだろう。

梓「もう5時か…。そろそろ帰ろう。」

帰り支度をして、音楽室を出る。


下駄箱で靴を履き替える。その時、ある事に気が付いた。

梓(あっ…、音楽室に筆箱忘れて来ちゃった…。)

今日は音楽室でギターを引かずに数学の宿題をやったんだっけ。取りに戻らなければ。

内履きに履き替え、音楽室への道を引き返す。

思えば、この時音楽室に行かずにさっさと帰ってしまえばよかったのかもしれない。

でも、そんなもしもはいくら考えても無駄だ。

なぜなら、その時私は音楽室に行ってしまったのだから。

音楽室の階段を登ろうとしたその時、音楽室に向かう人影が見えた。

梓(あれ……?)

その人影には見覚えがあった。

すらりとした肢体に長い黒髪。あの人影は澪先輩だ……!!

梓(澪先輩、音楽室に来れるようになったんだ……!!もう少し音楽室に残っていればよかったな)

どうやら澪先輩は音楽室の中に入ったようだ。

―――タンタンタンッ

駆け足で階段を上る。

早く行って澪先輩を安心させてやろう。

せっかく音楽室に来たのに誰もいないのでは寂しい。そう思って音楽室のドアを開けた。

―――ガチャッ

梓「澪先輩!来てくれたんですね……、え……?」

そこには、澪先輩ともう一人の先輩がいた。

………嘘だ。

こんな事はあり得ない。

私は自分が今何を見ているのか理解出来なかった。

脳の処理が追いつかない。

だってあの人はもういないはずだ。

死んだはずだ。
嘘だ。嘘だ。嘘だ。

そこには、ソファーに座って気を失っている澪先輩と(気を失っているというのは私の推測だが、多分それであっていただろう。)

その澪先輩を見下ろしている律先輩の姿があった。

梓「律……先輩……?え?」

なんで律先輩がここに?死んだんじゃ?それで澪先輩はなんで気を失ってるの?

あれ?あれ?おかしい。おかしい。おかしい。

私は一回、静かに目を閉じた。

目の前に広がっている光景がどうしても信じられないものだったから。

そうだ、さっきのは幻覚だ。今、目を再び開ければ、きっとそこには澪先輩しかいないはずだ。

だって、律先輩はもうこの世にはいないはずなのだから。

私は目を開けた。しかし、そこには先程となんら変わらない風景が広がっていた。

ソファーに座っている澪先輩と、それを見下ろしている……律先輩。

梓(なん…で……!?)

そして、律先輩が目線を澪先輩から私に移した。

律「あちゃ~、結界張り忘れた。って、梓!?なんでここに!?」

梓「………!!」

なんでここに!?は私の台詞だ。

梓「えっと、澪先輩が音楽室に入るのが見えたので……」

律「ていうか梓、私が見えるのか?」

梓「えっ…、はい、見えます……。」

私はあっけにとられたまま返答をした。

梓(……律先輩だ。この声、しゃべり方、間違いなく律先輩だ……)

律「そっか~、それはちょっとまずいなー」

―――スタッ、スタッ

律先輩が近づいてきて、私の前に立った。

私は何も言う事が出来ない。何が起きているのか分からない。

律「なぁ、梓。今日ここで見た事は誰にも言っちゃダメだぞ。」

律「あと、今日から3日間放課後の音楽室には近寄らないように。オッケー?」

満面の笑顔で何を言っているんだこの人は。

私は何も言えないまま、律先輩を見つめていた。

律「……わかったってことでいいな?それじゃあよろしく!!」

そう言いながら律先輩は私の肩に手を置いた。

その瞬間だった。


―――ズンッ!!

梓(うっ……!!)

私を強烈な立ちくらみが襲った。意識がだんだん遠くなっていく。

梓(う……あ……)

律先輩の姿がぼやけていく。もう立っていられない。

薄れゆく意識の中で私はある事を思い出した。

梓(そうだ、今日は……)

梓(律先輩の四十九日だ……)

梓ちゃん……、梓ちゃん……!!

誰かが私を呼んでいる。不意に目を覚ます。

梓「………?」

梓「あれ?ここは……」

そこは保健室のベッドだった。

さわ子「梓ちゃん、大丈夫…?」

さわ子先生がいて心配そうな顔で私の事を見ている。

梓「あれ…?さわ子先生……?私、なんでこんなところに?」

さわ子「よかった……。大丈夫みたいね。」

さわ子「音楽室に行ったらドアの前で梓ちゃんが倒れてるんだもの、びっくりしちゃったわよ。」

さわ子「保健の先生が言うには、軽い貧血らしいから少し横になって休んでるといいわ。」

梓「はい………」

さわ子「貧血で倒れるなんて……。食事はちゃんととってる?」

梓「はぁ……、まぁ……」

さわ子「………律ちゃんの事があって辛いのは分かるけど、食事はちゃんととらなきゃダメよ?」

その瞬間、私は先程の出来事を思い出した。

―――ガバッ!!

思わずベッドから飛び起きる。


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最終更新:2010年08月20日 23:26