憂「………どういうこと?」

憂の顔から笑顔が消える。教室の空気が明らかに変わった。

梓「……律先輩が悪霊になって、澪先輩を連れて行こうとしてる」

梓「私はそれを止めたい」

梓「そのためには今の霊力じゃ勝てない。だから憂に術式を解いてほしい……!!」

憂「そう……律さんを…」

憂にはあまり驚いた様子が見られない。

……憂は知っていたのだろう。

梓「憂は律先輩が悪霊になったことを知ってたんでしょ……?」

憂「…………」

憂「うん……」

梓(やっぱり……)

機関には多数の支部があり、それぞれの地区を担当している。

悪霊が出現した地域を担当している支部の機関のメンバーがその悪霊を討伐する、というシステムだ。

律先輩が高校の音楽室に現れた事を機関は把握していたのだろう。

ではなぜ律先輩は機関のメンバーによって倒されなかったのか?

それには理由がある。

悪霊には大別して二つの種類がある。


一つは人を無差別に殺そうとするもの。

もう一つは律先輩のように特定の人物だけを殺そうとするもの。

機関が討伐しているのは前者の方なのだ。

機関は慢性的な人手不足であり、悪霊全てを倒すことなど出来ない。

それに、後者の方は特定の人物を一人殺してしまえばもうそれ以上人を殺さず、あの世に帰ってしまう場合が多い。

必然、全ての悪霊を倒せないのならば、被害の大きい無差別な殺害を行う悪霊だけを倒せればよいという結論に至る。


それに、無差別殺害を行う悪霊とそうでない悪霊は強さがあまりにも違う。

特定の人物だけを殺そうとする悪霊はその思いが強いためなのか、霊力がかなり高い。

正直、その機関の支部で一番強い人間が戦ってもその悪霊たちには勝てるかどうか分からない。

私は三年前、霊力のピークは迎えていなかったが、その支部の中で、霊力の高さは上から4番目か5番目だった。

その時の私でさえ、今の律先輩には歯が立たないだろう。

……3年も実戦を離れていた私が律先輩に適わなかったのは当然の事だった。

だから、機関は律先輩が悪霊となって出現したのにもかかわらず、黙殺したのだろう。

憂「梓ちゃんは、もう律さんには会ったんだよね……?」

梓「うん……」

私は憂に事の顛末を全て話した。

憂「でも……、術式を解いて梓ちゃんの霊力を元に戻しても律さんに勝てるかどうかは分からないよ……?」

憂「もしかしたら、今度こそ本当に殺されちゃうんじゃ……」

梓「分かってる……。でも、私はこのまま澪先輩が殺されていくのを黙って見ている訳には行かない」

梓「律先輩が現れてから今日で三日目だから澪先輩は今日殺されちゃう……」

梓「そんなの……嫌だよ……!!」

憂「だけど……」

梓「……憂に術式を解いてもらって律先輩を倒す事が出来たら、私は機関に復帰する…。だから憂に迷惑はかからない。」

梓「お願いします…!澪先輩を……、助けたいんです……!!」

私は憂に向かって頭を下げた。

………………。

沈黙が場を支配する。

そして、5分ほどたった時の事だった。

憂が口を開いた。

憂「分かったよ……、梓ちゃん。」

―――バッ

私は顔を上げた。

梓「本当…?ありがとう、憂!」

憂「でも、梓ちゃん、これだけは約束して。絶対に死なないって。」

憂が真剣な眼差しで私に言った。


梓「うん…!絶対に死なない。必ず戻ってくるから!」

憂「約束だよ……?」

そして、憂は私にかけた術式を解く作業に入った。

憂が私の胸の前に右手をかざす。

憂「じゃあいくよ、梓ちゃん。」

梓「……うん。」

そして憂は一言、二言何か言葉を発し、私の胸に手を当てた。

――――ドクンッ

かすかな衝撃が私の全身を貫いた。

律「さてと…、これでいいか。」

澪をソファーに寝かせ、音楽室全体に結界を張る。

準備は完了した。

今日でやっと澪を自分のいる世界に連れていく事が出来る。

律「これからは澪とずっと一緒にいられるな……」

そう言って澪の顔を覗き込む。

律(やっぱり澪の寝顔は可愛いな~。今日は邪魔も入らない事だし、もうちょっと堪能するか!)ぷにぷに

律(うおぉ~、澪のほっぺた柔らけ~!!これはたまらない……!!!)

律(しっかし、昨日と一昨日は梓の邪魔が入って面倒だったな~。)

律(やっぱり1日で済ませるべきだったのかも…。でもそんなに支障が出た訳じゃないからまぁいいか。)


その気になれば律は澪の霊体を一瞬で殺すことが出来た。

それをしなかったのは澪に心臓麻痺で死ぬ時の苦しみを味わせたくなかったからだ。

霊体が死ねば、肉体は心臓麻痺で死ぬ。律は澪には苦しまないで死んで欲しいと思った。

3日かけて徐々に澪の霊体を弱らせていけば、澪は安楽死に近いかたちで死ぬことができる。

律はその方法を選択した。

もちろん、この事実は梓も知っている。

律(さてと、そろそろやりますか……。)

これで終わりだ。

もう邪魔は入らない。

律が澪の首をつかもうと手をさし出した瞬間―――。

―――バァン!!!

音楽室の扉が勢いよく開いた。

律「……!?」

私は音楽室のドアの方向を向いた。

梓「律先輩……、澪先輩から離れてください……!!」

そこに立っていたのは梓だった。

昨日と同じように刀を構え、昨日と同じような目で私の事を見て、昨日と同じような台詞を私に向かって放った。

………え?

ちょっと待て、こいつは今なんて言った?

澪から離れろだと?

昨日、お前に言ったよな?邪魔をするなって。

なんでまたここに来たんだ?

あれだけ痛めつけて、忠告してやったのに。

もしかして、いくらなんでも殺されはしないだろうとたかをくくっているのか?

なめやがって……!!

……いいよ、そんなに死にたいんなら殺してやる。

私は左手に刀を出現させた。そして柄を右手で握る。


律「……なぁ、梓。昨日、私と約束したよな?もう私の邪魔をしないって」

律「覚えてるよな?」

私は努めて明るい声で言った。

梓「……覚えています」

梓が答える。

ははっ。なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか。

律「じゃあ、今から3つ数えるから、その間にここから出ていけよ?」

梓「…………」

梓は黙ったままだ。私は構わず、カウントダウンを始める。

律「いーち」

梓は刀を構えたままだ。

律「にーい」

梓は音楽室から出ていこうとしない。

決めた……。今度は一撃で殺す……!!

律「さーー、んっっ!!」

―――ダッ!!

私は言い終わると同時に刀を鞘から抜き、地面を蹴り、梓に斬りかかった。

私は梓の喉元に向かって突きを放った。

刀が梓の喉を突き刺し、梓は絶命する―――はずだった。

―――スッ

梓が私の目の前から消える。

―――スカッ

私の刀は宙を切った。

律(あれ……?)

右から梓の声がした。

梓「遅いですよ、律先輩……!!」

律(えっ…!?)

予想外の展開に反応が遅れる。

律(しまっ……!!)

律(ガードが間に合わない……!!)

―――ザシュッ!!

梓の刀が私の右脇腹を斬りつけた。

律「ぎっ……!!」

ズバァッ!!ドガッ!!

その攻撃で体勢を崩した私は、梓の追撃をまともに全部くらってしまった。

律(ぐっ……!!やばいっ……!!)

梓の攻撃から逃げるため、後ろに下がり梓と距離をとる。

律(今……、何回斬られた…!?3、4…、いや5回か……!?)

――――シュッ!!

梓と私の間合いが一瞬で詰まった。

律(何っ……!?速っ…!!)

梓の刀が私に向かって振り下ろされる。

私はそれをとっさに刀でガードした。

――――ガキィィンッ!!

刀と刀が衝突した。

―――ギリギリギリッ!!

鍔迫り合いが続く。

律(くそっ……!!こいつ、昨日よりかなり強い……!!)

私は動揺していた。昨日は手加減をしても圧勝した相手に、今は攻撃を何回もくらい、攻めこまれている。

律(なんでだよっ!くそっ……!何があった……!?)

思わず、私は梓の顔を見る。

――――ニヤッ

梓が私を見て笑みを浮かべた。

律(……!?)

ドゴッッッ!!!


次の瞬間、私の脇腹を痛みが襲った。

律「ぐっ………!!!」

梓の右足が私の脇腹にめり込んでいた。

私の刀を握っている手の力が緩まる。

―――キィンッ!!

そして、刀が下に弾かれた。

律(くっ……!やられる………!!)

ズバンッッ!!!

梓の一撃が私の胸を切り裂く。

律「げぼっ……!!」

私はその一撃によって吹っ飛ばされた。

―――ダァンッ!!

受け身も満足にとれないまま床に叩きつけられる。

律「ぐっ…!!ぐはっ………!」

攻撃を受けた胸部にかなりの痛みが走った。

律(くっ……!!)バッ

私は梓の追撃を受けないよう、すぐさま立ち上がり、刀を構えた。

私と梓との距離はかなり開いている。

そのまま何秒かの時間が流れた。

律「はぁっ……はぁっ……」

―――ズキィ!!

律「いっ……!?」

右腕に鋭い痛みが走る。

良く見ると手首の部分が今にも千切れそうなくらいに深く切られていた。

梓「少し……浅かったみたいですね」

梓「切り落とすつもりでしたけど」ギロッ

律「…………!!」

梓が私を睨む。

梓(私の攻撃が通用している……これなら倒せる……!!)

自分の一撃で律先輩が吹っ飛んだあと、私はそう確信した。

昨日はまるで歯がたたなかった相手を今は自分が攻めたてている。

最初の攻撃が当たったのは律先輩が油断していたせいもあっただろう。

しかし、私の攻撃で律先輩は確実にダメージを受けていた。

梓(このままいけば……)

律先輩と私の距離はまだ開いたままだ。

梓(どうする…?間合いを詰めて接近戦にもちこむ?)

梓(それとも、あれを使おうか…?)

梓(いや、駄目だ……。あれは使えるかどうか分からない……)

梓(だったら接近戦しかない…!!)

私が脚に力を込め、移動しようとしたその時、

律「くっくっくっ、あはははは!!!!」

律先輩がいきなり笑い出した。

梓(………!?)

律「いや~、ごめん、梓。私、梓のこと舐めてたよ」

律「まさか私にこれだけ傷を負わせるなんて」

律「昨日とは大違いだな」

律「だから……私も少し本気を出す……」

―――チャキンッ

そう言うと律先輩は刀を鞘に収めた。

そして、自分の胸に右手を当てて何かを呟いた。

私は自分の目を疑った。

みるみる律先輩の傷が癒えていく。

梓(そんな……!!どうして……!?)

……あれは私達しか使えないはずの術式じゃないか。

霊が術式を使うなんて聞いたことが無い。

しかもあれは術式を使える人間の中でも少数しか使えない、回復の術式………!!!


そもそも術式というのものは、霊力を持った人間の中でもより高い霊力を持った人間にしか使えない。

しかも、術式が使えるかどうかは個人の素質にもよる。

霊力が高いからといって必ずしも術式を使えるようなるとは限らないのだ。

私は術式を使えない。素質が無かったから。

律先輩の体が無傷の状態にもどった。

梓「………!!」

律「それじゃあ、今から仕切り直しだな」

律先輩が刀を鞘から抜き構えた。

梓「…………」

私もそれに応じるようして刀を構えなおす。

お互いが数秒間硬直する。

――――バッッ!!!

二人が同時に動いた。

―――ガキィィン!!!

二人の刀がぶつかり合う。

梓(うっ……!!強い……!!)

律先輩は昨日はかなり手加減していたのだろう。

律先輩の斬撃は昨日とは速さも重さも格段に違った。

だが、私も昨日の私とは違う。律先輩と互角の戦いが出来ていた。

一進一退の攻防が続く。

お互いに相手に致命傷を与えられないまま、時間だけが過ぎていった。

ガキンッ!ガキンッ!ガキィン!!

梓(ぐっ……!!)

最初のうちは律先輩と互角に闘えていたが、時間が経つにつれ、だんだん相手の攻撃をかわしきる事が出来なくなっていた。

少しずつ、私の体に傷が増えていく。

梓(律先輩に私の攻撃はまだ一太刀も浴びせていない……)

梓(……このままではまた、負けてしまう……!!)

やはりあれを使うしかない。

今の私に使えるだろうか?

でも、このままではジリ貧だ。

梓(やってみるしかない……!!)

キィン!カキィン!!ガキィン!!

―――タッタッ

私は律先輩と、何度か斬りあったあと、後ろに下がり、律先輩から距離をとった。

―――グッ!!

刀の柄を力の限り、握る。

両足に力を込めて踏ん張り、刀に霊力を乗せる。

―――シュンッ!!

そして、私は刀で思いきり宙を切った。


―――ブチブチッ!!

腕や脚の毛細血管が切れる音がした。

パァァン!!!!

律の体を衝撃が襲う。

律「ぶふっ……!!」

律(ぐっ……!なっ……!!なんだ…!?体の前で何かが弾けた……!?)ヨロッ

律がよろめく。

その隙を梓は見逃さない。

梓(今だっ!!!)

―――ダンッ!!

一瞬で律との間合いを詰める。

ドガガガガッッッッ!!!

梓は律に何回も攻撃を叩きこんだ。

梓(決まれッッ…!!!)

ズバァァァァッッ!!!

そして梓は最後に渾身の一撃を喰らわせる。


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最終更新:2010年08月20日 23:28