足元には見慣れない靴があった。
お姉ちゃんのものでもないし、もちろん私のものでもない。
まさか、泥棒?!お姉ちゃんに何かあったんじゃ…。
私は靴を脱ぎ捨てリビングに駆け込んだ。
バンッ
憂「お姉ちゃんっ!!!」
そこには信じられない光景があった。
梓「あ、憂…」
憂「梓…ちゃん…?」
靴の持ち主は梓ちゃんだった。
どうして梓ちゃんがここにいるの?
ど う し て 、梓 ち ゃ ん が 私 の エ プ ロ ン を つ け て い る の ?
聞きたいことは山ほどあった。けどひとまず今はお姉ちゃんだ。
お姉ちゃんはどこにいるんだろう。
リビングにはいない。部屋にいるのか。
私は足早にお姉ちゃんの部屋に向かった。
ガチャ
憂「お姉ちゃん!!!」
唯「ん……?なんだ、憂か」
よかった。無事だった。
憂「た、ただいま」
唯「おかえり。何か用?」
憂「えっ…?」
一瞬固まってしまった。
なんて冷たい目をしているんだろう。
怖い。怖くて目が合わせられなかった。
こんなお姉ちゃん、今まで見たことない。
それでも勇気を出して聞いた。
憂「お姉ちゃん、なんで梓ちゃんがうちにいるの…?」
唯「そんなの憂には関係ないじゃん」
憂「関係なくない!」
唯「…うるさいなぁ」
憂「だって、私は…。お、お姉ちゃんの、妹…だから…」
涙がこぼれる寸前だった。
こんなのお姉ちゃんじゃない。偽物だ。
そう思いたかった。
唯「いま忙しいから出てってくれる?」
憂「い、いやだ!そんな寂しいこと言わないでよお姉ちゃん…」
スッ
梓「先輩、ご飯出来ましたよ」
唯「本当っ?!すぐ行くよっ!」すたたた
梓「・・・・・・」
憂「梓ちゃん、これはどういうこと…?」
梓「2日前の夜にね、唯先輩から電話があったの」
2日前というと私が家出して3日目。当初帰る予定の日であり、律さんの家に泊まった日だ。
梓「憂が帰ってこないって。一人じゃ寂しいから、一緒にうちでご飯食べようって」
梓「私は唯先輩の家でご飯を一緒に食べた。ご飯を食べて憂の帰りを待ってそれで帰るつもりだった」
梓「でも、憂は帰ってこなかった」
梓「唯先輩、泣いてたんだよ?メールも返ってこない、電話も出ない。憂に何かあったんじゃないかって」
梓「でも唯先輩は警察や軽音部にはそのことは言わなかった。憂を信じてたから」
確かに3日目の夜にかけてお姉ちゃんからかなりの電話やメールがあった。
(律さんと遊んでいたから気づかなかったが)
しかしその後ぱったりと連絡が来なかった。
なぜ私はその異変に気づかなかったのだろう。
愚かな自分を恨んだ。
梓ちゃんは話を続けた。
梓「しばらくして、今日一日だけ一緒にいてほしいって唯先輩に言われたの」
梓「あんな辛そうな唯先輩見たことなかった」
梓「私は唯先輩と一緒にお風呂に入った。そのあと…」
憂「そのあと…?」
梓ちゃんはそこで口ごもった。
梓ちゃんはしまったといった顔をしていた。
私はその一瞬の変化を見逃さなかった。
憂「そのあと…なに…?」
梓「・・・・・・」
憂「答えて!!!」
梓「・・・・・・」くるっ
梓ちゃんは何も言わずに振り返って一階に下りようとしていた。
憂「梓ちゃん!!待って!!!」
梓ちゃんの肩を掴んだ。
憂「こ、これは…?!」
梓ちゃんの首元にはピンク色に腫れた跡があった。
首元だけではない、胸元にもいくつかあった。
そう。これは、キスマークだ。
間違いない。お姉ちゃんは梓ちゃんを抱いたのだ。
私ですら、抱かれたことなんてなかったのに。
梓「私ね、好きになっちゃったの。唯先輩のこと」
梓「最初はなぐさめのつもりだった。ご飯も、お風呂も、かわいそうな先輩への同情でしかなかった」
梓「でもね。一緒に寝たときね、唯先輩の方から私を求めてくれたの」
梓「唯先輩と抱き合ってるとき、本当に幸せだった」
梓「その時、この気持ちが同情じゃなくて本物なんだってことに気づいたの」
そのあとの梓ちゃんの話はあまり耳に入らなかった。
それから毎日うちでお姉ちゃんと暮らしていたことと、毎晩身体を重ねたことぐらいしか頭に残らなかった。
リビングではお姉ちゃんはすでに夕食を食べ終えていた。
唯「あーずにゃーん。アイスはぁ~?」
梓「はいはい、今用意しますね」
唯「えへへ~、あずにゃん。ちゅーっ」
梓「だ、ダメですよこんなところで///」
唯「えぇ~っ、昨日はいっぱいしてくれたじゃぁん」
梓「そんなことないですってば!」
唯「けちぃ…」
梓「ま、またあとでです!あとでしますから…///」
そんな会話をただ茫然と聞いていた。
お姉ちゃんの首元にも、梓ちゃんと同じような腫れ跡があった。
私は、ただ立ち尽くしているだけだった。
気づいたら私は家を飛び出していた。
行くあてもなく彷徨っていた。
私ってなんだったんだろう…
こんなに大好きなのに、いっぱい尽くしてきたのに…。
いとも簡単に梓ちゃんに奪われてしまった。
私が帰らなかったから?私がお姉ちゃんを求めすぎたの?
自業自得?もう頭が真っ白だった。
途方に暮れていた。生きる意味すら失ってしまった。
もう、このまま死んでしまおう。
そう思った。
?「憂ちゃん?!」
後ろから声がした。
さらさらな黒髪のロングヘアー。
整った顔立ち。背が高くてすらっとした体。
透き通った落ち着きのある声。
澪さんだった。
憂「澪さん…?」
澪「どうしてこんなところにいるんだ?家とは全然逆方面じゃないか。しかも裸足で…」
憂「はい、あの…。その…」
澪「もしかして、唯となにかあったのか…?」
憂「・・・・・・」
ぎゅっ
澪「憂ちゃん…?」
私は無意識に澪さんに抱きついていた。
憂「すいません、澪さん…。ちょっとだけ、甘えてもいいですか…?」
澪「・・・・・・」
ぎゅっ
澪さんは何も言わず私を包んでくれた。
あったかい。なんてあったかいんだろう。
ずっとこらえていたものが一気に溢れだした。
憂「澪…さぁん…。う、うっ…えぐっ」
憂「うわあああああああん!」
澪さんの胸の中で泣いた。
周りのことなんか気にならないくらい大声で泣いた。
憂「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがぁぁ…!!」
澪「……憂ちゃん。うちにおいで」
【みおの家】
澪「とりあえず、お風呂入ってさっぱりしてきなよ」
憂「……はい」
偶然だった、私が憂ちゃんを見つけたのは。
ルーズリーフが切れてコンビニに買いに行った帰りにたまたま見つけたのだ。
その時の憂ちゃんは、触れたら壊れてしまうかのように脆く見えた。
憂ちゃんに抱きつかれたとき、私は不思議な感覚に襲われた。
泣いている憂ちゃんの中に自分自身を見ていたのだ。
もしかしたら私も、心の底で憂ちゃんと同じように寂しい思いを抱いていたのかも知れない。
どんどん私の元から離れていく律に対して。
澪「…ばか律」
ガチャ
憂「・・・・・・」
澪「おかえり…って、憂ちゃん?!」
お風呂から上がった憂ちゃんは下着姿だった。
洗面所に私の着替えを置いておいたはずだったが…。
サイズが合わなかったのか?
憂「…いて……さい」
澪「憂ちゃん?」
憂「私を、抱いてください…」
澪「えっ…?」
いま、この子は何て言った?
「抱いてください」そう言ったのか?
澪「う、憂ちゃん…?」
澪「な、何を馬鹿なことを言ってるんだ!そんなの許されるわけ―――」
憂「お姉ちゃんは、梓ちゃんを抱いたんです」
澪「唯が…梓を…?」
信じられなかった。
憂ちゃんが律の家に泊まった日、
憂ちゃんがいない寂しさに耐えきれなくなった唯は、
その寂しさを紛らわすかのように梓を抱いたという。
一方で梓は、唯を愛してしまった。
澪「と、とにかく。服を着てくれ!風邪引くからっ」
憂「澪さんも、私を捨てるんですか…?」
なんて哀しい目をしているんだろう。
誰がいけなかったのだろうか。
何も言わず家出をした憂ちゃんなのか。
憂ちゃんに協力した私たちなのか。
寂しさに身を任せた唯なのか。
唯に身体を許した梓なのか。
ひとつひとつの小さなズレが重なりあって出来た溝。
その溝は、あまりにも大きかった。
今この子は孤独なのだ。
このままでは壊れてしまう。
私は、今にも消えてしまいそうなその小さな身体を引きよせた。
そして…
唇を、重ねた。
澪「それじゃあ、行ってくる」
あれからしばらくが過ぎた。
もうすぐ夏休みも終わる。文化祭が近づく。
梓はいつの間にか唯のことを「お姉ちゃん」と呼んでいた。
律もムギもそのことに触れなかった。
いや、気づいてすらいないのだろう。
今の2人は互いに愛し合っているから。
唯と梓がどうなろうと、律とムギにとってはどうでもいいことだった。
私たちは捨てられた身だった。
でも、寂しくはなかった。
新しい居場所を見つけたのだから。
憂「いってらっしゃい。“澪おねえちゃん”」
最初は罪滅ぼしのつもりだった。憂ちゃんの家出に加担したことに対する。
私なんかで憂ちゃんの傷が癒せるならそれでいいと思った。
私たちは何度も身体を重ねた。
最初の頃は憂ちゃんが一方的に私の身体を求めていた。
いつの間にか、私も憂ちゃんの身体を求めていた。
これでよかったんだと思った。
だが、所詮は赤の他人。私は唯の代わりにはなれなかったのだ。
憂ちゃんの心の溝を埋めることが出来なかった。
水のない花が枯れていくのは明らかだった。
憂ちゃんは文化祭を前にして、自ら命を落とした。
しかし、軽音部のみんなはもはやそんなことどうでもいいような様子だった。
唯と梓はもう姉妹であり、律とムギは恋人同士。それぞれの環境に満足しているのだ。
憂ちゃんの思いは、永遠に唯に届くことはなかった。
B A D E N D
最終更新:2010年08月26日 20:53