数分間唯の泣き声と私の「落ち着け」だの「大丈夫だから」だのと応酬が続いた。
やっと唯も普通に話せるくらいに落ち着いた頃、ようやく私は事の真相を聞きだした。
律「何があったんだ唯。その……言いにくいことだろうけど、聞くから。私、聞くから」
覚悟はできてる。
唯が汚れた体になったとしても、今まで通り付き合っていく覚悟が。
唯『うん……実はね、壊れちゃったんだ……』
ありゃー、唯とうとう処女壊れちゃったのか……。
律「そうか……それは辛かったな……」
唯『……だからね、りっちゃんに治してもらおうかと思って』
処女を?
律「ん、いや~……最強の私でもそれは無理かなぁ……」
唯『ぞんな~~~!!』
唯はまた大声で泣き始めた。
これでは収拾がつかない。
律「わ、わかった! 治るかどうかは置いといて、とにかく会おう! な!?」
唯『ほんとぉ!?』
やけに能天気な返答だった。
レイ……されたというのに。
私が思うよりも唯は強い女の子なのかもしれない。
数秒後、玄関のインターホンが鳴る。
数秒て。
ドアを開けると目を真っ赤に腫らし、憔悴仕切った様子の唯が立ち尽くしていた。
唯の背中には子供っぽいナップザック。高校生でナップザックかよ。
痛々しい……。いや、ナップザックのことではなく。
律「唯……家の前から電話してたんだな」
唯「うん……りっちゃんしか頼る人がいなくて……」
憂ちゃんがいるはずだが……、まあそれは部屋でゆっくり聞くとしよう。
律「そか……まあまあ、まずはあがれ。アイス食うか? それともケーキか?」
唯「いらない……食べたくない」
律「~~っ!?」
アイスもケーキも食べない唯なんて……。
よほどレイプされたのが堪えたのか。
まあ、そりゃそうか。
唯を部屋にあげ、お冷を出す。
アイスもケーキもいらないって言うし、まあ水くらいなら飲むだろ。
律「きょ、今日さ! 澪の奴マジ藤木君でさ! あ、藤木君ってのは卑怯って意味で……」
律「んん……」
当たり障りのないことを言って唯の気を紛らわせてあげたかったがこの様子じゃ無理のようだ。
本題に入るしかない。
律「唯……相手は、相手は誰だ?」
唯「え?」
律「私が知ってる奴にやられたのか? 今から一緒にこれから一緒に殴りに行こうか?」
唯「何言ってるの……? りっちゃん」
律「いや、唯がレイプされたって言うから……私も怒り心頭なんだぜ!」
唯「レイプってなにー?」
律「ん、レイプっていうのはな……ええ!? そこから!?」
レイプという言葉も知らずにレイプされる女の子ほど不幸な人間が存在するだろうか。
おい、犯人。
今すぐ私の前に来い。
金○すり潰してやる。
律「だからレイプってのは……その……」
唯「うんうん」
言いづれぇ……。
これほどまでに説明に困る単語があるのか?
律「だから女の子が男に、その……」
唯「んもう! りっちゃん! 私はそんな話をするためにここに来たんじゃないんだよ!」
律「へ?」
プリプリと怒り出す唯。
じゃあなんのためにここに来たのか。
律「そういえば唯、背中のナップザックはなんだ?」
唯「ん……」
唯が悲しそうな顔をしたのを私は見逃さなかった。
唯はナップザックを肩から外し、それをテーブルの上に置いた。
律「何が入ってるんだ?」
唯「……」
唯は無言でそれを開ける。私は唾を飲み込んだ。
中には……若干古臭くて可愛い亀のぬいぐるみが入っていた。
可愛いが……前足が壊れている。
律「な、なにこれ」
ありゃー、唯とうとうレイプされてメンヘラなっちゃったか……。
唯「壊れた……」
律「あ、ああ……え? えっと、ぬいぐるみが?」
唯「うん……」
律「~~~~~ッ!?」
誰だよ、唯がレイプされたって言った奴。
ふざけんなよ。
つーか唯もぬいぐるみが壊れたくらいでガタガタ言いすぎなんだよ。
1 それは可哀想だったな。私が直してやるよ。
2 新しいの買えば?
3 いちいちそんなことで私の大切な時間を奪おうとするな。タイムイズマネー、時は金なりだ。わかったらとっとと私の前から去ることだなボンクラ。
律(どうしていつも3は毒舌なんだろう)
律(まあ心情的には3なんだけど……現実世界に戻る可能性は少しでも残しておきたいしな)
律「いちーーーーー!」
私はガバッと勢いよく立ち上がり、天を指差しながら叫んだ。
唯「りっちゃん? 急にどうしたの? 暑さでおかしくなっちゃった?」
律「……」
私は恥ずかしさを押し隠しつつ、その場にストンと座った。
律「そ、それは可哀想だったな。私が直してやるよ」
唯「ホントに!?」
日本一の笑顔で喜ぶ唯。
まあこの笑顔を見れたから、さっきのことは許してやるか。
律「ん? ていうかちょっと待てよ。別に私が直してもいいけどこういうのは憂ちゃんの方が得意じゃないか?」
唯「……」
不意に唯の表情が曇る。
こりゃあ、憂ちゃんと何かあったな。
唯「このぬいぐるみね、実は憂のなんだ」
律「ふーん」
机の中から裁縫セットを取り出しながら返答する。
唯からぬいぐるみを受け取る。
ありゃー、腕がプランプランだ。
それに近くで見るとその古さが際立つ。
唯「憂の部屋でお喋りしてた時たまたまこのぬいぐるみが目に入ってね、憂に聞いたんだ。
どうしてこんな古いぬいぐるみを置いてるのかって」
律「はぁ」
チクチクと縫い物をしながら唯の話に耳を傾ける私。
ちなみに私は大抵のことは要領良くこなしてしまう才女である。あはっ。
ぶっちゃけこういうチマチマしたものは苦手なのだが。
唯「そしたらね、憂がすごく悲しそうな顔をしたんだ。
その時はどうしてそんな顔をしたのかわからなくって……」
律「そうか」
唯「よくよく考えてみたらこのぬいぐるみ、私が初めて自分のお小遣いで憂にプレゼントしたものだったんだよね」
なるほど、そういうことか。
唯「それを思い出してからすぐに憂に謝りにいったんだ。その時は憂も許してくれたんだけど……」
律「けど?」
唯「久しぶりにそのぬいぐるみに触りたくなってさ~。腕のところ持ったら壊れちゃった!」
律「壊れちゃったじゃねーよ……」
憂ちゃんの心情を考えると……。
唯からの初めてのプレゼント、自分の命ほども大切だろうに。
だからこんなボロボロになっても大切に持っていたんだ。
なんだかこの姉妹が少しだけ羨ましく思える。
唯「謝ったら許してくれるかと思ってたんだけど……憂……泣いてた」
律「当たり前だろ! 憂ちゃんにとってこれがどれほど大切なものか考えればすぐにあだぁ!」
格好よく唯にお説教をかまそうとしたのだが、針を自分の指に突き刺してしまった。
唯「わかってるもん……そんなことわかってるもん……」
律「わかってないだろ! 自分がプレゼントしたことも忘れてたくせに!」
涙目で熱く語る私。
指を咥えながらなので格好がつかないのが残念でたまらない。
唯「……」
シュンと落ち込む唯。
しまった、言い過ぎたか。
律「あーっと、それで憂ちゃんとケンカになっちゃったってことか?」
唯「んーん、ケンカにはなってないよ。ただそれからずっと元気ないんだ」
律「憂ちゃん、このぬいぐるみを自分で直そうとはしなかったのか?
憂ちゃんならちょちょいのちょいだろうに」
唯「ん~、それが不思議なんだよねえ。いつまでたっても直そうとしないから私が直そうと思ったんだ!」
律「ふーん」
ああ、なんとなくわかった気がする。
唯「それで昨日徹夜で直そうと思ったんだけど全然うまくいかなっくて~」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う唯。
だから今日は一日中学校で寝てたわけか。
唯の話を聞いた後私は糸きりハサミを取り出し、たった今縫い付けていた部分をチョキチョキと切り裂いた。
唯「ちょっとりっちゃん! なにしてんの!?」
律「うるせー! こんなもんこうしてやる!」
さらにぬいぐるみの腕をジャキジャキと切る。
やべえ、なんかノッてきた!
唯「や、やめてー!」
唯は私からぬいぐるみを奪い取り、全身全霊の力を込めて私を押し倒した。
おかげでテーブルに後頭部をぶつけた。
死にます。
律「~~~~~ッ!」
私が床をのたうち回っている隣で、唯はぬいぐるみを大事そうに抱きかかえている。
唯「ひどいよりっちゃん……ひどすぎるよ……」
唯はポロポロと涙を溢しながら私に非難の言葉を浴びせる。
が、私にその言葉が届くことはなかった。
だって頭痛いんだもん。
数分後、若干痛みから解放された私は唯の方を向いた。
唯は未だにぬいぐるみを抱えたまま泣いている。
律「いたた……」
唯「りっちゃん……もう絶交する……」
絶好という単語を聞いたのは小学生以来である。
それはともかく、私は悟ったような口ぶりで唯に語りかけた。
律「なあ、唯。どうして憂ちゃんがこのぬいぐるみを自分で直さなかったか考えたことあるか?」
唯「え……考えたことないよ、そんなこと」
律「そのぬいぐるみは唯が憂ちゃんに初めて自腹で買ったプレゼントなんだろ?
だったら憂ちゃんにとってそれは唯の分身みたいなもんだ。
まあ、これほど大事に持ち続けてたんだからそれはわかるな?」
唯「う、うん……」
律「それと壊れても修理しなかったこと。
きっと憂ちゃんは唯に直してもらいたかったんじゃないかな」
唯「へ? どうして?」
律「んー、わからん! 直感だ! 私にも弟がいるからさ、何となーく憂ちゃんの気持ちもわかるような気がするんだ」
唯「えー……」
疑いの目を向ける唯。
激しく心外である。
律「ほ、本当だって! ほれほれ、縫い方教えてやるから自分でやれ!」
唯「わかったよぅ」
唯は渋々といった感じで針と糸を持った。
絶好はどうなったんだか、まったく。
一通り祭り縫いや、玉結びなどを教える。
こんなことも知らずに、昨日はどうやって直そうとしていたのだろう。
律「ちょっとトイレ」
唯「んー」
チクチクとぬいぐるみを縫いながら唯は答えた。
律「頑張れ、唯」
唯「今集中してるから話しかけないで」
律「へいへい」
私は立ち上がると同時に、床に転がってあった唯の携帯電話を拾って部屋を出た。
階段を下りながら唯の携帯を開く。
若干、良心が痛んだ。……いやマジで。
アドレスボタンを押す。
番号検索、000……はは、やっぱりな。
私は000番の人物に電話をかけた。
prrr
『もしもし? お姉ちゃん?』
憂『律さん? うーん、てっきり和ちゃ……和さんの所に行くかと思ったけど。
ちょっと予想外でした』
その口ぶり、大体の唯の動きは掴んでいたようだな。
さすがはできた妹だ。
律「良かったら憂ちゃんの口から聞かせてくれないか? 事の真相を」
憂『はい、いいですよ』
アレ? やけにさっさり系?
憂『ていうか、別に真相とかそんな大仰なものでもないですよ』
ふふ、っと可愛い声で電話越しに笑う。
はあ、いいなあ唯。私もこんな風に可愛くて素直な妹が欲しいなあ。
っと、今はそんな話しじゃない。
律「あのぬいぐるみを自分で修理しなかったのは、唯に直してもらいたかったんじゃなかと予想したんだけど」
憂『んー、おしいですね』
律「違うの? むう、他に理由が思いつかない」
憂『本当のことを言っちゃうと、ぬいぐるみが壊れたことはどうでもいいんです』
律「え? そうなの?」
憂『あ、もちろんお姉ちゃんが私にプレゼントしたことを忘れたり、ぬいぐるみが壊れた瞬間を見た時は悲しかったですよ?』
律「だろうね。んで、どうして修理しないでそのまま放置してたんだ?」
憂『ん~……久しぶりに私のために頑張ってるお姉ちゃんを見たいなあと思ったんです』
律「は、はぁ……」
どゆこと?
憂『壊れたぬいぐるみを放置して、少しだけ元気のない感じでいればお姉ちゃんは私のために頑張ってくれるかなって。
そしたら本当に頑張ってくれて。昨日も徹夜までして縫い物をしてたんですよ。……全部私のエゴなんですけどね……』
律「ふふ、そっか」
私はスーパーウーマンの憂ちゃんしか知らない。でもやっぱりこの子も歳相応の女の子なんだなと思った。
憂『今日お姉ちゃんが帰ってきたら全部話そうと思ってたんですけど……全然帰ってこないから』
公園か河原でチクチクと裁縫していた唯の姿が目に浮かぶ。
憂『まさか律さんの家に行くなんて思ってませんでした。私もまだまだお姉ちゃんのことをわかってないですね』
律「そんなことはないと思うけど」
唯『あだぁ!』
唯の叫び声がした。お前もかよ。
憂『お、お姉ちゃんの声!? 律さん! お姉ちゃんが! お姉ちゃんが!』
律「あー大丈夫大丈夫。今裁縫教えてぬいぐるみ修理させてんの。指に針刺しただけだろ」
私もさっき刺したのは内緒。
憂『そうなんですか……もういいですよ、ぬいぐるみは自分で……』
律「いいのいいの。唯も乗り気だし、最後までやらせてあげて。今日はウチに泊めるからさ。
憂ちゃんも今日一日くらい羽を伸ばせばいいんじゃないか?」
憂『は、はあ……でもご迷惑じゃ……』
律「いーって。私も楽しいしな」
憂『でも……』
律「一日でも唯と離れるのは嫌?」
憂『はい……。……い、いやいや! 違います! 本当にご迷惑おかけしてしまうので、あのその……』
律「はは、わかってるって。と・に・か・く! ぬいぐるみは完成させてついでに唯の奴も明日ちゃんと送り届けるからさ! 宅急便で」
憂『んー……はい……わかりました。あ、それと……た、宅急便かよー』
な?
可愛いだろ?
携帯電話を閉じ、自分の部屋に戻る。
唯は未だにぬいぐるみとにらめっこ中だ。
律「精が出ますわねー奥さん」
唯「あらー田井中さぁん。お子さんは今年お受験でしたっけぇ? 大変ですわねー」
律「おほほほほ、浪人生の平沢さんのお子さんに比べたら楽なものですわん」
唯「浪人生!? なんで私の子供が浪人なのさ!」
律「いいからさっさと続きをしなさい」
コツン、と唯の頭を小突いてやった。
唯は不機嫌そうな顔を向ける。
唯「むぅ~、りっちゃんから振ってきたくせに……」
3時間後、ようやくぬいぐるみの修理が終わる。
ぶっちゃけこの程度なら30分ほどで終わるレベルだと思うのだが……まあ口に出すことでもないので心の中にしまっておくとしよう。
唯「できた! できたよりっちゃん!」
律「おー! やったな唯!」
ぬいぐるみ完成に歓喜し、私達は抱き合った。
チラリと時計に目をやるとすでに22時をまわっていた。
律「唯、今日はここに泊まっていけよ。さっき憂ちゃんにも言っておいたからさ」
唯「え~……」
律「なんだよ」
唯「エッチなことしない?」チラッ
律「バカ! しねーよ!」
唯「じゃあいいよ。特別だからね」
何が特別なのか良くわからないが。
さっそく近くのファミレスで夕飯を済ませ、早々にシャワーを浴び、寝る準備はオッケー!
律「つーわけで電気消すぞー」
唯「ほいほい」
唯は私のベッドに、私は床に布団を敷いて横になった。
これはなんというか、お約束というやつだ。
最終更新:2010年08月28日 23:34