日曜日のある日。
部活がない今日、暇をもてあました私はワンカップを求めるホームレスのように午後の街を彷徨い歩いていた。
「あ、りっちゃん」
不意に後ろから声を掛けられる。
「りっちゃん」と呼ぶ人間を私は結構知っている。
律「お、ムギ」
ムギ「こんにちは。こんなところで会うなんてめずらしいね~♪」
うふふ、と上品に笑うムギ。その姿はまさにお嬢様。
格好からしてそうだ。白地のワンピースに淡い青のカーディガン。
白くていかにも高そうなハンドバッグ。
……対して私は、キャップにハーフジーンズ、ゴツゴツしたスニーカーにタンクトップ。
ちなみにタンクトップの前には風神、後ろには雷神がプリントされている。
どこからどう見ても育ちの悪いパー女だった。
律(おいやめろ)
紬「りっちゃんはお買い物?」
律「ん~別に何か欲しいってわけじゃないんだけど、その辺をブラブラ~って」
紬「ブラブラ……」
ムギは深刻そうな顔で唸った。
律「ん? どした?」
紬「りっちゃん……私ね……」
律「あ、ああ……」
紬「またりっちゃんと一緒にその辺をブラブラしたいと思ってたの~♪」
ファンを昇天させてしまいそうな笑顔で言うムギ。
この歳でこんな上品な笑顔をできる人間が他にいるだろうか。
律「ははっ、言うと思ったよ」
律「でもムギも何か用事あったんじゃないのか? 私と遊んでる暇なんて……」
紬「大丈夫!」
ふんすと鼻を鳴らし、ハンドバッグから携帯電話を取り出す。
そして後ろを向いてどこかに電話をかけ始めた。
この光景、どっかで見たことあるぞ。
ムギは電話を終えるとこちらを振り向いて嬉しそうな顔をした。
紬「大丈夫だったよ、りっちゃん」
律「まったく何が大丈夫なんだか」
紬「ねぇりっちゃん、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
律「そうだな~遊園地なんてどうだ?」
紬「ゆ、遊園地……!」
ムギは益々嬉しそうな顔をしている。
そんなに行きたかったのか、遊園地。
電車に揺られること数十分、私達は遊園地に到着。
ここはあまり新しい遊園地ではないのだが、手頃な入園料で入れるので金欠高校生の私にとってはありがたい遊び場である。
ムギだったらディズニーランドを貸切にして遊ぶことも可能だろうが……。
紬「わぁ~!」
意外にもムギは遊園地に来たことがなかったらしく、ジェットコースターやメリーゴーランドを見るたび感嘆の声をあげていた。
律「何乗りたい? ムギ」
紬「なんでもいいの?」
律「なんでもいいぞ~。遊園地マスターの私に任せなさい!」
紬「おぉ~」
ムギは私に向かってパチパチと拍手する。どう見てもあからさまに興奮気味だ。
しっかり者に見えて実はこういう子供っぽいところがムギのいいところであると思う。
紬「りっちゃん! 私アレがいい!」
ムギが指差すのはジェットコースター。
ふむ、確かに定番ではある。が……
律「大丈夫かぁムギ?」
紬「何が?」
律「初めてジェットコースターに乗る奴は恐怖で大抵気絶してしまうんだぜ!」
紬「そ、そんな……」
ムギは素で怖がっているようだ。なんという素直さ。
ちょっと驚かそうとしたことに罪悪感を覚えてしまう。
紬「でも」
律「うん?」
紬「りっちゃんがいるから大丈夫かな」
律「そ、そか」
ムギはうふふ、と恥ずかしそうに笑いながらジェットコースターに向かって歩いていった。
私達がジェットコースターに乗り込むと、シートベルトが下りてくる。
紬「自動でシートベルトが下りるなんてすごいね~」
律「まあ、そういうもんだから」
ツチノコでも見るような目でジェットコースターを見つめるムギ。
近くにいた従業員にクスクス笑われたのが非常に恥ずかしかった。
ガコン、という大きな音と共にコースターが揺れる。
律「お、動き出したぞ」
ムギの方を見ると初めてのジェットコースターに緊張しているのか、肩が震えている。
律「ほら」
私はムギに掌を差し出した。
紬「え?」
律「手、繋いでいいぞ」
紬「……」
ムギは無言で俯きながら私の手をギュウっと握った。
なんというかムギの手は、あったかい。
律「こうすれば怖くないだろ?」
紬「うん」
私達が話しているうちにジェットコースターはジリジリと頂上に近づく。
律「落ちたら両手を挙げなきゃダメなんだぜ。それがジェットコースターのマナーだ!」
平気な顔で嘘を付く私。
まあこんな嘘に騙される奴がいるわけが
紬「そ、そうなんだ。頑張ってみる!」
いた。
律「そろそろだな……せーので手挙げるんだぞ」
紬「う、うん」
律「せーの!」
紬「~~~ッ!」
ゴウっという音と共に、ジェットコースターはすごい勢いで落下する。
私はジェットコースターに慣れているため「わああああああ」なんて言いながら楽しんでいたのだが、ふと横を見るとムギは無言のままジェットコースターに揺られていた。
やべえ、なんか悪いことをしてしまったような気がする。
ジェットコースターが止まったら謝ろう。
ジェットコースターが止まる。
ムギを見ると俯いていて表情が確認できない。
ムギにも苦手なものがあったとは……。
律「ご、ごめんなムギ。初コースターで手放しはまずかったな。とりあえずあそこのベンチでやs」
紬「楽しいー!」
律「え?」
紬「りっちゃん、もう一回乗りましょう! 今度は私も、わあああああって言ってみたいの!」
すごくいい笑顔でいうムギ。
なんていうか……とにかくすごくいい笑顔だった。
ちなみにこの後連続で7回もジェットコースターに乗り、私はグロッキー、対してムギはスポーツジムでいい汗をかいた後のような爽快な顔をしていた。
つえぇよ、この子。
その後、お化け屋敷(お世辞にも大人が楽しめるとは言えない)やメリーゴーランド(恥ずかしくて死にそうだった)を楽しんだ。
日も暮れ、園内の客もだいぶまばらだ。
律「そろそろ帰らないとまずくないか? ムギんちの人も心配するだろ」
紬「うん」
ムギの顔は少し名残惜しそうだ。そんな顔を見せられると私も名残惜しくなる。
律「んと……最後に何か乗りたいものあるか?」
紬「んー、アレに乗ってみたいな」
ムギが指差したのは観覧車。
夕暮れの観覧車に二人っきりなんていかにもじゃないか。
THE青春である。
私達は観覧車に乗り込む。
観覧車から見える夕日があまりにもキレイで、私達は無言のままずっと外を眺めていた。
ああ青春。これぞ青春。
何か胸にこみ上げてくるものがあるのは何故だろうか。
ふとムギがここを卒業した後の進路が気になった。
あの日、澪と進路について話したからだろう。
律「そういえばムギはさ、進路ってもう決めた?」
紬「え……」
明らかにムギの表情が曇った。
聞いてはいけないことだったのか。でも進路くらい聞いても。
律「えと……ほら! 私まだ進路未定だから参考にしたくってさ!」
紬「うぅん……え……N女子大」
律「N女かぁ。そこなら私も……学力的にも今から頑張れば……」
紬「りっちゃん?」
律「ああ、いや……N女、ありかなと思ってさ」
紬「え……? どうして?」
律「そこなら今からムギと澪に勉強教えてもらえばなんとか入れると思うんだよな」
紬「そ、そう……」
律「それにムギがいるし!」
ニシシと笑ってみせたがムギの顔は曇ったままだ。
律「もしかして迷惑?」
紬「うぅん、違うの! 違うけど……」
少し待ったが、ムギがそれ以上話す気配はなかったので話題を変えようと試みる。
律「それにしてもN女かよ! まったくムギらしいな!」
紬「そうかな……」
ムギは少しだけクスっと笑ったが、さきほどの元気はない。
私はこれ以上この話題はまずいと感じ、当たり障りのない話題を振る。
なんでもないことを話しているうちに観覧車は一周してしまった。
帰路、私達は電車に揺られていた。
進路についての質問をして以来、やっぱりムギは元気がない様子だ。
なぜ。
律「ムギ、大丈夫か?」
紬「何が?」
律「何って……さっきから元気ないぞ」
紬「うん、なんでもない。大丈夫」
いかにも大丈夫じゃなさそうに言うムギ。何なんだ一体。
律「じゃあさ、何か悩みがあったら私に言えよ! なんでも相談乗るぜ!」
紬「うん、ありがとうりっちゃん」
寂しそうな顔を向けられると、私はそれっきり何も喋れなくなってしまった。
私達はこれ以上何か話すことはなく、ボーッと窓の外を眺めていた。
某駅で電車が停車する。
紬「それじゃあ、私ここだから」
律「ここがムギんちの最寄り駅か」
紬「うん。りっちゃん、今日はありがとう。とっても楽しかった」
律「ああ、私も。また一緒に遊ぼうぜ」
紬「うふふ、それじゃあね」
ムギは電車を降りた後も、私が見えなくなるまでその場で手を振っていた。
私は手を振るムギの寂しそうな顔と手付かずの宿題に一抹の不安を覚えながら、
現実逃避するかのごとく揺れる電車の中で目を閉じるのだった。
おはこんばんちは、
田井中律です。
みなさんに重大なお知らせ。この度わたくし田井中律は晴れて進路先が決定(あくまで希望だが)。
進学先はN女子大学。ムギがいることもさることながら、進路を唯に伝えるとなぜかこいつまでこの大学に進学するという。
さらに澪までもが推薦を蹴ってここに進学するんだと。やれやれ、またこの4人かよ。
律「さわちゃ~ん、進路調査持ってきたぜー」
さわ「持ってきたぜー。じゃないわよ! いつまで待たせれば気がすむのよまったく!」
律「いいじゃーん、こうしてちゃんと持ってきたんだし」
さわ「少しは反省しなさい。で、りっちゃんの希望は……N女子大ね。うん、頑張ればいけるんじゃない?」
唯「さわちゃん先生! 実は私もN女子大希望なんだ!」
さわ「はあ、唯ちゃんも?」
澪「先生、進路希望変更で……私もN女子大に……」
さわ「澪ちゃんまで!?」
さわ「あんたらまた3人一緒なわけね、まあいいけど」
律「3人? 4人だよ?」
さわ「え?」
さわちゃんの頭の上には「?」マーク。
だってムギを入れて4人だろ。
さわ「え、ああ、うん。そういうこと? それもそうね」
何か歯切れの悪い言い方をしたのが気になった。
が、それも一瞬だけ。
私の心はまた4人一緒にバンドができることへの期待でいっぱいになった。
今日は待ちに待った修学旅行、私のグループはなんと軽音部4人。
和の心遣いでこのようなグループ編成になったのだが、最後の修学旅行でこいつらと一緒になれたことはとても幸福だ。
ありがとう、和。
私達はこの時だけは煩わしい受験勉強のことを忘れて、目いっぱい京都旅行を楽しんだ。
ホテルに着くと、これまた豪華で飯はうまいし風呂もでかいし大満足。
高校最後の修学旅行、私の人生の中で忘れられない思い出となりそうだ。
午後8時過ぎ、喉が渇いた私はジュースを買いに1階の売店へ。
広いロビーには桜高生がたむろしており、その中には
真鍋和の姿があった。
律「おっす和!」
和「律じゃない。他のみんなは?」
律「部屋でお喋りタイム。私は喉が渇いたからジュースを買いに来たんだ」
和「そうなんだ。そうだ、いい機会だからちょっと外で話さない?」
律「外で? 唯達も呼ぶか?」
和「うぅん、あの子達はいいわ。律と話したいから」
律「はぁ」
気の無い返事をし、私達はロビーを後にした。
私達はホテル前のベンチに腰を下ろす。
この日は冷たい風が吹いていて、若干肌寒かった。
できれば中で話したかったが、なぜ外に連れ出されたのだろうか。
律「で、話って?」
和「うん、いきなりこんなことを聞くのもどうかと思うんだけどね」
前置きはいいから早くしてくれ。部屋に戻りたいんだ。
和「律は唯のことどう思ってる?」
意外な質問にあっけに取られてしまった。
どう思ってるって? そりゃあ部活仲間で同じクラスで大学も一緒なんだからこれからも仲良くやっていきたいと思ってるけど。
律(まあ私にとっては攻略キャラの一人なわけだが……)
律「どうって……そりゃ一体どういう意味だ?」
和「恋人としてどうか、ってことよ」
律「ぶっ!」
思わずコーラを吹き出してしまった。
金返せ。
律「なんだよ恋人って! そんなこと急に聞かれても……」
和は私の言葉を遮って言った。
最終更新:2010年08月28日 23:25