いつからだろうか、親友から私に送られる視線が変わったと気付いたのは。
弾けるように無鉄砲で、私を無理にでも笑顔にさせたソレが気付いた頃には何か違う物に姿を変えていた。
「りっちゃん最近、澪ちゃんのことばっか見てるねー」
「仲良しさんなのね」
ある放課後、重い意味も含まず軽快に唯の口から出されたその言葉は紬によって威力を増し、私の顔を僅かながら火照らせた。
それは知らぬうちに見られていた羞恥と見てくれていた歓喜、すぐ部室に響くであろう笑い声への余興の為だった。
「な、何言ってんだよ!お前もなんか言えよバカ律!」
眉をひそめて怒鳴ってみるが顔はにやけているんだろう、みんな笑っている。
お決まりのパターンだ、私が怒鳴ると律がおどける。
今日はどうしてやろうか、空手チョップ?ううん見ててくれたんだ、優しく背中を叩いてやろう、
「悪い?」
耳がおかしくなったのかと思った、律がいつもと違う声色で話すもんだから。
唯もみんなキョトンとまばたきをしている、梓なんか怪訝そうに律を伺っている。
「わ、悪いなんか言ってないだろ!なんだ、律はそんなに私のことが好きか」
いつもと違う返答、これは新しい掛け合いの合図だろ?
ちょっと恥ずかしいけど楽しいから誇らしげに笑みを浮かべて言ってみた。
どうせ律が私を馬鹿にして笑いに変わるんだから、って私は芸人か。
「なぁんだ気付いてたのかよー」
降りかかるであろう律の鉄拳に防御にかかっていた私を知ってか知らずかケラケラと律は笑い出した。
「は、はぁ…?」
何言ってんだコイツ、正直こう思った。
私がプライドをすり減らし新しい笑いへと踏み出したと言うのにそれを踏み潰した、いとも簡単に。
「なに言ってんだよ律!そこは立場逆転で律がツッコムとこだろ!?」
「澪先輩いつからそんな芸人魂を…」
梓の割り込みでウッとプライドが崩れる音がした、いつからか律とはこんな掛け合いが当たり前なんだから仕方ない。
「だってぇ、いつか私から言おうとしてたのに気付いてたなんてつまんないぞ澪ちゅわーん」
相変わらず後頭部で手を組みおどけた様子で律が私を見た。
おかしいな、意地悪く曲げた口元じゃない。目だって至って真顔のままだ。
「えっえっ、じゃありっちゃんと澪ちゃんはお付き合いするの!?」
ぎゅっと手を結んで期待の眼差しを向けた唯が意気揚々と声を張った。
その隣では何か見とれるような眼で頬に手を当て紅潮した表情で紬が唯同じくこちらを見ている。
「何言ってるんだ唯まで…するわけないだろ、二人とも女なんだから」
「あら同性でも性別の壁を超えた恋なんて素敵よ?」
何で紬はこんなに積極的なんだ、以前していた怪しげな発言が頭を漂うが無視しよう。
てゆうかこんな行き先の見えない話題、これ以上行けばとんでもない空気を呼びかねない。
「大体私は律を好きなんて一言も言ってないだろ、性別以前に愛がないんだ」
ガタン、と椅子が床に叩きつけられた。
急に律が立ち上がったんだ、下を向いて表情を読めない律。
ウケなかったのがそんなにショックだったんだろうか、律は私以上に芸人魂があるからな。
「お、おい律…」
「練習しましょう、澪先輩!」
中腰で律に掛けようとした私の手は梓の言葉で遮られた。
まだそれ程お茶をしたわけでもないが梓はムッとした表情で私を睨んでいた。
「そうね、たまには早くから練習するのも良いかもしれない」
「あ、そうだそうだ!私ねぇギー太の手書きシール作っちゃったぁ」
「おい唯、まさかそれギー太に貼るつもりか?」
「違うよりっちゃーん、これは授業中にもギー太と居れるようにおでこに貼るの!」
会話は流されていつの間にか律も唯とじゃれていた、梓を見ればいつも通りだし私はベースを手にした。
どこか走ったリズムを奏でていたドラム音を最後に、気が付けば時間になっていたので練習は終わった。
「いっけねー!」
各々が帰り支度をしていると律が不意にドラム付近で帰る様子も見せぬまま声を上げた。
「どうしたの?りっちゃん」
「いやぁ教室に忘れ物しちゃってさぁー、取りに行くから皆先帰ってて」
「忘れ物?そんな大事な物なのか?」
「うんー、まぁね。」
私の問いかけに天井を仰ぎどこか不安定な返事を返すと律は足早に部室の外へ向かい、クルッとこちらを振り返った。
「やっぱ外暗いからりっちゃん怖いわ、てなわけで澪だけ待っててねん」
「はぁ!?ちょっと待てよ、なんで私…」
「他の皆は迷惑だろうし帰っていいよ、てゆうか帰れ!部長責任なんて勘弁だから!」
本気なのか状態なのか分からない口調でそう言うと律は軽快な足音を立てながら教室へと消えて行った
唯達も心配してしばらく私に待とうかと声を掛けてくれていたがどうせ違う帰り道なんだからと断った。
律のワガママにも慣れたものだ、幼稚園から始まり耐えきる私は凄い。
「あれ、ほんとにみんな帰ったんだ」
椅子に座り待つこと数分、無責任に言葉を放りながら再び律が姿を現した。
お前が帰れと言ったんだから帰って当たり前だろう。
「ずいぶん遅かったな、忘れ物くらいで」
「うん、まぁね。」
皮肉めいた私の言い種に表情一つ歪ませずに、むしろ笑顔で律が答えた。
ワガママには慣れたがたまに理解出来ない、というよりは癪に障る。
こうゆう人のことを考えずにのうのうとしているところとかが、すごく。
「はぁ、もういいから早く帰ろう」
溜め息混じりに鞄を持ち上げるとその手を律が酷く強い力で押さえた。
また何かワガママが始まるのかと呆れて表情を見上げると口をへの字に曲げた律がいた。
「今度は何だ…」
「……さっきのアレ、本心か」
「さっき?見に覚えがない。だけど私は嘘はつかない」
「…私のこと、好きじゃないってやつ」
一部声を詰まらせた後、喉奥から無理やり引きずり出されたような声で律が言った。
正直言って笑ってしまいそうだった、真顔でそんな小さなことを気にしてる律がバカらしくて。
「そんなこと気にしてるなんて律らしくないな、本心なわけないだろ。親友も同然だ」
こんな事で長年築いてきた関係を壊したくない、親友だというのは強ち嘘でもないのだから。
「にしてもあの時のボケはひどかったぞ、いくら私でもツッコみきれ無…」
「澪」
あの時と同じ、重い声色が耳を錯覚させた。
握った手首を離さないまま真剣な表情で律は私の名前を呼ぶのだ、ただ事じゃないと悟る
言われて見ればおかしかったんだ、最近の律は。
今日だってあんな可笑しなことをした、今もこんな小さなことを気にして。
いつからから分からないけど、私の顔色を伺って。
「澪」
「…な、何」
「、好き」
擦り切れそうな声だった、
表情も体制も何もかも律はその瞬間崩した
ただ握った手首は放さず床に膝を着いた
「ごめんなぁ、好きなんだよ。気付いたら澪が好きだった」
懇願するような声で顔を上げないままそう声を漏らした、ただ震える声に律が泣いていることが分かった。
「……私も好きだぞ。さっきも言っただろ親友、」
「違うんだよ!!」
じゃあ何なんだ、なんで急に取り乱してるんだ。
律の中で何があったの?なんで私は気付いてあげられたかったの、なんで私をそんな目で
「私の『好き』は、…そんなんじゃない」
「私の『好き』はね、そんなんじゃないんだ澪…」
泣いてなかった、泣いてなかったけど酷く眉をひそめて睫に滴を作る涙を律は止めていた。
私は何も言えない。
何も言えない私に律はまだ懇願するような掠れるような、とても辛い声で話す。
「私の澪への『好き』は『愛してる』、だから。…わからない?」
「澪は私を友達として『好き』なんだろ、でも私は違うんだよ」
「私は澪を、澪が異性を見るような目で見てるんだ今。」
「気付いたらそうなってたんだ、澪の横顔がやたら綺麗に見えてさ」
「ベースを弾く手が素敵だった、ずっと見てたら今度は触りたいって思った」
「……私の好きは、澪とキスしたいと思うし抱き合いたいと思うし愛を囁き合いたいと思う好きなんだ」
律が最後の言葉に句読点を打ち終わる頃、気付けば私は握られた手首を振り払っていた。
振り払った片手を宙にして椅子から腰を浮かせたまま、お互い言葉を発しなかった。
律は振り払われた手をもう片手で庇い、小さく口を開けたまま縮小した黒目の眼差しで私を見つめた。
それは一瞬だったかもしれないし数分だったかもしれない、けど何時もは賑やかな部室に無音が続いた。
「……、あ…っ」
私が漏らした声か律が漏らした声か分からないけど第一声が響いた、ひょっとすると二人ともかもしれない。
きっと告白されるとありがとうやごめんなさいを言うもの何だろうが私は意味の分からない奇声を第一声にした。
そして
「き、……きもちわるい」
実際はそんなこと思ってなかったのかもしれない。
むしろ親友からのステップとして踏み出せた事に何か希望を見ていたのかも。
けどその希望がこんな方向に行くとは思わなかったから、だからそうしか言葉が出なかった。
「あ、……っ!」
また言葉を言おうとしたけど声より先に涙が出そうだったので鞄を乱暴に掴むと部室を飛び出した。
それからあまり覚えてない。
ただ律は追いかけて来なかったし、何も叫んだりしてなかった。
すぐにドッキリ大成功の看板を持って現れるかと思ったけど、そんなのバカな期待だった。
「ねぇ、りっちゃんは?」
次の日の部室へどんな顔して行けば良いのか分からず、でも今行かなければもう行けない気がして。
けど行ったら律は居なかった、だから唯は無邪気にそう聞いた。
昨日と同様に無邪気な声で。
それもまた昨日と同じように紬が受け答えして笑い声に変わった。
だから律が居ないことに安心と不安定さを覚えながらもベースに手をやった。
「澪先輩、帰りましょう」
昨日と同じ、昨日の律みたいにベースに遣った手を梓が掴んだ。
律みたいに強くはないけど、意志の詰まった声で。
反射的に昨日を思い出して梓の手を振り払った。
けど梓は同様も見せないまま放れた手を戻し、真っ直ぐ私を見ていた。
「律先輩と何かあったんでしょう、辛そうです。見てられません。」
顔色変えて唯がすぐさま会話に飛び込んできた、けどそんな唯を遮り梓はまだ話す。
「今日友達の付き添いで保健室に行ったらベッドが満員だったんですよ、何か気になったみたら律先輩でした」
痛い、胸が痛い。
「どうしたか聞こうとしたら保健室の先生に止められて、体調が悪くて朝からずっと保健室にいると言われました」
怪我したところをずっと殴られてる気分、辛い。
気がついたら腰を曲げて涙をボロボロこぼしていた。
その日部活は早い時間に解散になった。
みんな理由を聞きたがっていたが梓がそれを止めて落ち着いたら話してくれと言っていた。
家に着いたらろくにご飯も食べないままシャワーを浴びて乾かない髪でベッドに入った。
目に入る物がすべて律の思い出になっていく。
音楽で耳を塞いで暗闇で視界を塞いだけど不安な未来しか無かった、今日律が居なかった。
このまま変わらないまま親友だと思ってた、大人になってもずっと親友だと。
「律、……ごめん」
最終更新:2010年08月30日 21:00