何かひとつ、――大切なものを失くした


 ベットに預けた体を起こし、スタンドに座るギターへ目をやる
 小さい頃から頑張って練習してきたギター、今は触れる気も起きない。


 ――触れることが怖い

 私の失くした“何か”を思い出すから
 思い出すと、勝手に涙がこぼれてくるから
 こぼれた涙は、意味も無く私の心を濡らすだけだから


 また私は体を横にして目を瞑る
 無が全てを覆いつくし、爛れた私の心を癒してくれるのをジッと待つ。


「――じゃあね、あずにゃん。」

 一月前に聞いた最後の言葉
 私に明るく言い残していった言葉

 その日は週番もなく、早めに部室へ向かっていた。
 いつも通り階段を上り、いつも通り部室の扉を開ける。

「今日は早いんだねー。」

 日頃荷物置き場になっている長椅子、そこに掛けている唯先輩

「ええ、それより他の皆さんはまだ――」

 言い掛けると私は彼女に抱きしめられていた。
 日頃のそれよりずっと優しく、大切に

「お願いだよ、――何も言わないで?」

 肩まで伸びた髪が私の顔を優しく撫でる。
 行き場のない私の両手、離れ際にそれをそっと手にとると

「――じゃあね、あずにゃん。」

 そう言い残し、唯先輩は部室を出て行った。


 夢はいつもここから始まる――
                 ――――――――――――


「――ニシシ、照れるな照れるなっ?」

「ひ、人をからかうな! バカ律!」

 一人きりだった部室の扉が開く
 澪先輩に律先輩が覆いかぶさりながら部室に入ってくる。
 いつも仲の良さそうな二人、続いて入ってきたムギ先輩に

「あら、こんにちは、梓ちゃん。」

 そう呼びかけられ、私は意識を取り戻す。

「あ、皆さんこんにちは、さっき唯先輩が――」

「ん? 唯なら今日欠席だぞー?」

 ――え?

「ああ、憂ちゃんから聞いてないのか?」

「でも、さっきまで――」

「…………?」

 みんな不思議そうな顔
 私がおかしなことを言い始めた、そう言いたそうな顔

 ――その顔をやめて
 あの眠りに落ちそうな心安らぐ瞬間を、夢だったとは思いたくない。

「それじゃあ練習するか、梓は唯の代わりにリードで――」

 めずらしく律先輩がそう言う、それをかき消すように

「――それよりお茶にしよっか? 唯ちゃんもお休みだし」

 ムギ先輩は“空気”を気にしてくれる、心優しい人。
 練習するぞ、となっても私の指は動いてくれなかったと思う。


 それから後、お茶をしているときの会話は頭に残っていない。

 どんな話しを澪先輩がしていたか
 それを律先輩がどうからかっていたか
 二人のやり取りを見て、ムギ先輩がどんな笑顔だったか

 私は適当に相槌をうちながら、心の中で唯先輩を必死に探していた。

 そうしていないとさっきの彼女が幻になってしまいそうな気がしたから。

 唯先輩は何をしにきていたのか
 唯先輩は何故私だけに会ったのか
 唯先輩は私にとってどんな存在なのか

 ――ちゃぷん


 水槽から音がする。
 それを境に私の意識は段々と白に溶けてゆく。


 その私の夢は真っ白――

 ぼんやりと形はわかるけど、目の前の物が何だかよくわからない。
 いや、何でもいい。

「梓ちゃん、今日は天気がいいからギター洗って干しておきなさーい」

「うん」

 お母さん、なのかな?
 とりあえず返事だけして私は家を出る。


 空を何かが飛んでいる。
 トンちゃんかな?
 それとも飛行機?

 ――どうでもいいや

「おはよー!」

 私の脇を何かが二つ過ぎていった。
 クラスメイトなのか
 散歩中の犬とその飼い主なのか

「そんなことより今は朝なんだ」

 その方が私の興味を引いた。


 学校と思わしき建物に着くと、記憶を頼りに私のクラスへ向かう
 ぼんやりとしか見えない階段の段差を慎重に上りながら。

 クラスに着くと

「梓、おはよっ!」

 ――純、かな?

「どうしたの? トレードマークのツインテールは?」

「ん? ああ、家に忘れてきちゃったみたい」

「あはは、梓ちゃんらしくないね」

 ――憂か

 憂は他の人と比べて少しだけ色が付いてるから見やすい

 そんなやり取りをしつつ私は席に座る、ちょうど先生が入ってきた。

「中野さーん、椅子に座らないでちゃんと机に座ってくださいねー?」

「あ、すみません」

 急いで机に座り直す。
 純? がこっちを見て笑っている気がした。


「一時間目と二時間目の授業は、“平沢 唯さん”についてです」

 ――またこの授業か

「ではまず、平沢 憂さんから、平沢 唯さんのことをどう思っていますか?」

「はい、――平沢 唯、私の姉です
 姉と私はいつも一緒、泣くときも笑うときも」

 ――お願い、ヤメテ

「小さい頃からずっと一緒、姉が居てくれれば私は幸せです
 私は姉を想い全てをささげています、当然姉もその想いに答えてくれます」

 憂は私に向かってそう読むのは何故?

「はい、ありがとう――では中野 梓さん、感想をどうぞ」

 憂が話し終わった後、必ず私が指される。
 クラス全員の視線を浴び、声を震わせながらいつもの答え

「わ、私は、その――よくわかりません」

「どうして? 平沢さんがせっかく読んでくれたのに、
 あなたにとって“平沢 唯さん”って何なの? それを聞かせて下さい」

「それが、わかんないです」

「ふふっ、おかしいわね? あなたのことなのに――」



――私のことなのに、ね

「カンタンなことでしょ?」 「いつまでナヤメバ答はでるの?」

  「あなたハ逃げてるダケでしょ?」 「ソウやって悲劇のヒロイン気取り?」

――アハハハハハ  ハハッ  ウフフ  アッハッハッハ


 ワタシハ――
 わたし自身のことが、わからない

「…………」

 ふらふらと教室から出ていった。
 誰も私を止めることはない、ただ後ろから笑い声が聞こえるだけ

 またぼんやりとしか見えない階段を下りてゆく
 下駄箱を開け、靴を取り出す

「あはは、――そう言えば上履きに履き替えてなかったなー」

 ポツリと独り言
 誰かが聞いてくれて、面白く返してくれるわけでもないのに


 ――私はなんでこんな夢をみているのかな

 口惜しくなって上履きに履き替えて家に向かった。

「ふーん、ふふふーん」

 真っ白な夢の世界で
 真っ白な頭の私は下を向いて歩く

 トンッ、と何かにぶつかりあわてて顔を上げた。

「すみません! ボーっとしてて」

 返事がない、人じゃないのかな?
 目を凝らしてよく見る


 四角い、――ポスト?

 道の真ん中に立つ白いポスト
 学校に向かっているときにはなかったのに


「…………」

 少しでもいい、救ってほしい
 そんな思いでカバンからノートを取り出す。

 その一枚を破りとると、漠たる思いを書き連ねてゆく
 真っ白いノートに見えない白い文字で

 短く書ききると、それを二つ折りにしてそっとポストに入れた。


 ――――――――――――――――――
 ――――――――――――――

  平沢 唯さんへ



   私はどうしてこんな夢ばかり見るんでしょうか?


   私にとってあなたは一体どんな存在なんでしょうか?


   あなたにとっての私はどんな存在なんでしょうか?



                         中野 梓



「――おかしな手紙」

 鼻で笑う
 でもほんの少し、気持ちは晴れ間を見せて不安は除かれたようだ。

 顔を上げ、歩き出す

 何も考えないで歩いていると家にすぐ着くんだよね
 この真っ白で嫌な世界も、自室に入りベットに座ると終ってくれる。

 出した手紙のこともあったのだと思う、
 いつもは気にしないのに、なぜか今日は郵便受けが気になった。

「手紙、返って来てたり?」

 郵便受けの中には先ほど出した二つ折りの手紙が入っていた。
 おそるおそる手にとると


 “宛先不明”の文字

「ふふ、やっぱり――そうだよね」

 返事は諦めていた、答えよりも誰かに縋りたい、そんな一心で書いた手紙
 夢の世界なのに生意気なくらい良く出来てる。
 我ながら関心、小さなため息を交えながら裏返すと


 ――平沢 唯さんに代わり、ポストがお答えします。

 赤い文字が並んでいた。

「ええっ?」

 予想外の出来事に私は驚き、握り潰しかけた手紙を開く

 ――――――――――――――――――
 ――――――――――――――

  平沢 唯さんへ



 Q.私はどうしてこんな夢ばかり見るんでしょうか?
  →A.あなたの持つ喪失感が、無意識下でこの様な夢を創ります。

 Q.私にとってあなたは一体どんな存在なんでしょうか?
  →A.きっと大好きなんだよ、ボクに言われる前に気付いて欲しかったな。

 Q.あなたにとっての私はどんな存在なんでしょうか?
  →A.そればかりは平沢 唯さんに聞いてみて、
      あなたが『会いたい』と、強く願えば叶うはずだから。 

                         中野 梓


  追記、この夢は“平沢 唯”の夢にもリンクしている。
                         ポストより



 もっと――

 もっと聞かせてほしい、一人じゃ何も導き出せなかったから


 私は来た道を走って戻る。
 一心不乱、――右足の上履きが何処に飛んでいったか? 気にも留めない

「はあ、――はあ」

 日頃、学校の授業以外でこんなに走ったことはあったかな?


 もっと簡単に、考えてみればよかったのに
 新入生歓迎ライブのあの日から、彼女に惹かれていたって
 あの日の唯先輩は私の手では届かない、別世界の人みたいで
 キラキラ輝いて、澄んだ夜空のお星様みたいで

 軽音部に入って練習しない先輩にちょっと幻滅もしたけど
 ううん、下手ないい訳はもういらない

 ――彼女が好き、答はそれでよかった


 辛い、授業のそれよりも
 ただ走るのではなく、何かを想い走ることはこれほど辛いことなのか
 それが夢の世界であっても

「はあ、はあ、もう――変なところだけ、リアルなんだから」

「唯先輩の夢に、はあ、――リンク、どういう意味なの?」

 力無くこぼれる。
 私の視線の先には、もうポストは立っていない。

「あはは、もう、――教えてくれないんだね?」


 ビュウと風が、こぼれた息を浚っていった。
 呼吸を整えるため、私はそれを胸いっぱい吸い込む

 ふと悲しく、あの日の唯先輩の匂いがした。


「――唯先輩っ!」

 ――――――――――――――――――

「――唯先輩っ!」

 自分のそんな寝言で目が覚める。

 午前三時か、変な時間に起きてしまった。
 スタンドに座るギターが目に入る。


「もう、――怖くないから」

 私はギターを手にとり、薄ら錆びの浮き始めた弦を優しく撫でた。


 何時間こうしていたのだろうか

「あら、寂しい音色が聴こえると思ったらここだったのね?」

 お母さんの声

「ご飯よ、って呼んでもギターが返事するだけなんだもの」

 優しく微笑むお母さんに無言で頷く

「今日は顔色いいわね、――学校には行けそう?」

 少し考えてから私は短く、うんと答えた。

「そう、じゃあ早くご飯食べちゃってね」

 お母さんは嬉しそうに私の部屋をでて、階段を下りていく

 学校へ行く、なんて本当は嘘
 もう少し時間が欲しかった、私の気持ちに決着をつけようと
 彼女の居ない学校、部活へ行くとなればこの心は簡単に乱れてしまう。

 階段を下り居間に入る、目の前には暖かそうなごはんが並べてあった。
 お母さんが私たち家族を思い、一生懸命作ってくれたごはん
 それを前にして先の嘘が私の胸にチクリと刺さる。

 なるべく早く飲み込み、ごちそうさまと言いながらその場から逃げた。
 カバンだけ担ぎ家の扉を開ける
 ギターは持たない、お母さんの顔も見ない




「純? 今日も休むね」

「あ、梓? いい加減にしなよ。憂も来ないし、私寂しいん――」

 “憂”と聞いて反射的に電話を切ってしまった。

 別に憂を嫌いになったわけではない、
 あの夢で私に話す憂を思い出す、それが怖い


 学校には行きたくない、家には帰れない
 図書館が開くまでぶらぶらしてよう、宛てもなく歩み出す。

「学校サボってのん気に散歩ですか? ――ははは、どうしようもない私」

 誰に話すわけでもない、自分をそうあざ笑う。
 後ろ向きに考える私、それに後ろ指をさすもう一人の私、それで丁度いい


「…………」

 人間は意識しないで歩いていると、過去の記憶や
 印象深く残った思い出を頼りに目的地を作り上げ、そこへ向かうのかな?

「――唯先輩と、ここで練習したなぁ」

 演芸大会の練習をした川原
 私は軽いカバンを投げ、そこに寝転んだ。
 日頃だったら服が汚れる、そう思うだろうけど気にしない


 朝の風は爽やかで心地良い
 風に優しく頭を撫でられ、浅い眠りに落ちてゆく。
 ――――――――――――――――――

「――じゃあね、あずにゃん」

「ま、待って下さい、唯先輩っ!」

 ここは、――部室?
 今までのただ白いだけの世界はなく、その世界は淡く色付いていた。
 夕方? ぼんやりとだけど、そうわかるくらいに

「あら、梓ちゃん、一人で居残り?」

 振り返る、さわ子先生の声?

「ああ、ごめんね? よく見えないか、じゃあコレあげるわ」

「メガネ、ですか?」

「そうよ? 私には必要ないから、――それと頑張ってね」

 メガネ越しに覗き込んだ
 ぼやけた夢の世界に段々とピントが合う
 そこは見慣れた、現実世界とそっくりな部室

「よく、――見えますよ」

 鮮明に見えた西日の差し込む部室に、先生の姿はもう無かった。

 よく見えるようになった階段を下りてゆく、
 下駄箱でコインローファーに履き替え校舎を出た。

 現実ではふらふら彷徨うだけの私も
 夢の中では目的地がある、そこに向け歩み出す。


 真っ白な夢の中ではわからなかった、
 私はいったい何をすれば良いのか、何を目指しているのか

「今は、わかるから」


 ――“平沢”の表札

 呼び鈴を強目に押す、が返事はない
 失礼だろうなと思いつつも私はドアを開けた

「失礼しま――」

 それ以上言葉は出なかった。


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最終更新:2010年09月10日 22:05