紬「個人的に言わせてもらえば、憂ちゃんのアイデア自体は悪くないわ。むしろ素晴らしいと思うの」カチャ
憂(分かっちゃいたけど無視された)
紬「でもね、唯ちゃんの仲間として言わせてもらえば、はっきり言って有り得ないわ」
憂(あれ、何の処置もなく鼻血が止まってる……)
紬「……うまくいく可能性も否定できない。もしかしたら、憂ちゃんの想定通りに事は運ぶかもしれないわ」
紬「でも、最悪のケースは地獄よ。……どうなるか、想像できる?」
憂「よく分かりません。……その時点で考えが詰まって、紬さんに相談しようと思い立ったんです」
紬「これは唯ちゃんに口止めされてたんだけど……あの日の翌日の部活で、唯ちゃん泣いちゃったのよ」
憂「……」
紬「泣きたいのは憂ちゃんかもしれないわね。でも、おさえて」
憂「いえ、そうじゃないんです。……申し訳なくて」
紬「……優しい子ね。あのね憂ちゃん、唯ちゃんはあの事にすごく罪悪感を感じてるの」
紬「そうは見えないかもしれないけど……きっと憂ちゃんの前ではうまく隠してるのね」
紬「最近になっても、唯ちゃんは時々唐突に憂ちゃんにした仕打ちを思い出して、涙を流してる」
紬「寝起きのときの唯ちゃんに、涙の痕がついてたことはなかったかしら?」
憂「……そういえば。たまに、私の部屋まですんすんと泣き声が聞こえてきますよ」
紬「ちょっと思い出しただけで、涙をこらえられなくなるほどの後悔を感じているの。わかるかしら」
憂「そうみたいですね……」
紬「それほど後悔してる唯ちゃんを、憂ちゃんが誘惑する」
紬「唯ちゃんにとって、これほど辛い事はないと思うわ」
紬「その上、もし唯ちゃんが欲情してしまったら……その自責の念に唯ちゃんは耐えられないと思う」
憂「……というと」
紬「……具体的に言うのはよすわ。言いたくないもの。でも、どうなるかはわかるでしょ?」
憂「……」
紬「あなたが唯ちゃんとエッチして、それですっぽり丸く収まる場合もある」
紬「大小の差はあっても、唯ちゃんは悔やむでしょうけど」
紬「また憂ちゃんに任せちゃった……とね」
憂「……そうかもしれませんね」カチャ
憂「……」ズ……ス
紬「とはいえ、私にも代替案は思いつかないわ」
憂「……そうですか。……でも、今のままでもお姉ちゃんは」カチャ
紬「ええ。最近唯ちゃんたら、梓ちゃんにも抱きつかなくなって……寂しいわ」
憂「おかしな寂しがりかたですね」
紬「おかしいかしら? 普通だと思うわよ」
憂「……どうでしょうか。……そろそろ、失礼します」
紬「困ったらまたいらっしゃい。おいしいお茶を出すわ」
憂「それでは、また」
紬「あ、ちょっとだけ待って、憂ちゃん」
憂「はい?」
紬「今度、家族で熱海に旅行するんでしょう? 私の系列のホテルを手配しておこうと思うんだけど、どうかしら?」
憂「本当ですか? 助かります」
紬「いいのよ。お代も取らないわ。その代わり、感想を聞かせてちょうだい」
憂「ビジネスですね。……構いませんよ」
紬「令嬢も楽じゃないわ」フー
憂「応援してますよ。では、また今度」
――――
憂「……それから3日したけど、やっぱりお姉ちゃんを許す方法は思いつかなかった」
憂「このままにしておくことも考えたけど……お姉ちゃんの泣いてる声が聞こえて……」
憂「だから私、お姉ちゃんを誘ったんだ……ごめん」
唯「謝ることないよ。種をまいたのは私だし」
憂「……お姉ちゃん、あのさ」
唯「嬉しいよ、憂が私のために頑張ってくれること」
唯「……でもその分だけ、だめな自分を思い知らされちゃうよ」
憂「お姉ちゃんっ!」
唯「私は憂の前からいなくなるんじゃない。たぶん、逃げるんだと思う」
唯「……でも、私がいなくなれば、憂はもう傷つかないよね?」
唯「自分を犠牲にする必要がなくなるよね。私がいないから」
憂「……ほんとに、行くの? お姉ちゃん」
唯「うん。だって、憂がかわいそうだから」
憂「お姉ちゃんがいなくなったほうが、私は悲しいよ!」
憂「忙しくても辛くても苦しくても大変でも、お姉ちゃんのいる生活じゃなきゃ嫌なのっ!」
唯「……私は、私のせいで苦しむ憂のいる生活は嫌だよ」
憂「う……っ いや……だよぉ……」
唯「私ってさ……ほんと、取り返しのつかないことしたんだね」
憂「わかってるなら……なんとかしてよ!」ズキ
唯「なんとかするんだよ。私がいなくなって、憂は幸せになる。これだよ」
憂「お姉ちゃんがいなきゃ幸せになんかなれない! 私の話もちゃんと聞いて!」ズキッ
唯「私は憂に苦労しかかけないよ。だからいちゃだめなんだ」
憂「――っ!」
憂「もう……もういいっ! お姉ちゃんなんて嫌いだよ!!」
憂「そんな卑屈になって……私の気持ちもくんでくれない……そんなお姉ちゃん好きじゃない!」
唯「……うん。それじゃ、心おきなくさよならだね」
憂「……そうだよっ!」ギリッ
唯「じゃあ私、奥のベッドで寝てるよ。憂ももう寝よ? 私、明日になったらいないから」
憂「そっか。おやすみ。あと、さよなら」プイッ
唯「おやすみ」
ガララ…… ピシャ
憂「……ふふ」ユラッ
憂「あはは……ひとりぼっちだ……」
スリッ スリッ
憂(奥の部屋なのに、明日になったらいなくなる、だって)
憂(そっか、いなくなるってそういうことなんだ)
憂「ここ10階だもんね。普通そうするよね」
憂(でも、そういう風にいなくなるなら都合がいいかな)
憂(それなら、お姉ちゃんの行くところってひとつだもんね)
憂「だったら、すぐに追いかけられる……」
カララララ パタン
憂「ずいぶん急ぐんだね、お姉ちゃん」
憂「まあ、急がせたのは私か……」
唯『よっ……うーんむむむ……』
唯『うひゃあ!』ツルッ
ドスン
憂「ぷっ。あははは……こんなときまでかわいいんだ、お姉ちゃん」
唯『あ、憂! 笑ったでしょ!』
憂「お姉ちゃん、室外機を踏み台にすればいいんだよ」
唯『ほんとだ! ありがと、うい! これなら……』
唯『いよい……しょ!』
憂「……よく登れました」
唯『結局、最後まで迷惑かけちゃった……ごめんね。じゃあ憂、さよなら』
憂「うん。お別れだね」
唯『……最後は、笑顔がいい?』
憂「そうだね。笑ってほしいな」
唯『じゃあ、憂も笑って!』
憂「うん。……またね、お姉ちゃん!」ニコ
唯『ばいばい、うい!』ニコ
ドクンッ
憂(お姉ちゃんが笑顔になった瞬間)
憂(私はもう立ち上がっていた)
唯『……』フワッ
憂(開かない窓ガラスに、がむしゃらに肩をぶつけると)
憂(見えない力がはたらいてくれたかのように、ガラスが幾百のかけらになって道を開けた)
憂(底冷えのするバルコニーへと逸り出た素足を、破片のいくつかが食い破る)
憂(悲鳴が漏れるほど痛かったのに、私はいっそう床を強く踏んだ)
憂(石塀に体を叩きつけ、あらんかぎり腕を伸ばす)
憂「お姉ちゃんっ!!」
憂(指先が、お姉ちゃんの手のひらに触れた)
憂(もう少しで、お姉ちゃんの手を掴めたんだと思う)
唯「……うい」
憂(だけど)
唯「……ありがとう」ニヘッ
憂(お姉ちゃんは、手を伸ばしてはくれなかった)
憂(いつもの、ちょっとだらしない笑顔を私の記憶のそこに刻みつけて)
憂(お姉ちゃんは小さくなっていった)
憂(雀躍していた操り人形の糸が切れてしまったかのように、私はどさりとそこに崩れ落ちた)
憂(ガラス片が私の膝に刺さる。しなだれた手のひらを切る)
憂(今度は痛みも悲鳴もなかった)
憂(目の前には、お姉ちゃんがよじ登った壁)
憂(私はそこに頬をつけ、動悸が落ち着くのを待っていた)
憂「はぁ、はぁ……」
憂(少し遠い波の音。国道を走る車のエンジン音。それから、海風のうなりが耳をついている)
憂(そこに私の吐息が混ざって、それ以外は何の音もしなかった)
憂「えっ……?」
憂(そのことに違和感をおぼえた瞬間)
憂(私の耳は聞き覚えのある声を拾った)
「暴れないで、唯ちゃん!」
憂「……つむぎ……さん?」
憂「……」ググッ
憂「どう……なってるの」
憂「見ないと……でも、立てない……」グググ
キュルルルッ
憂「!?」
憂(いつの間にか夜空に渡っていたワイヤーを伝って)
憂(紬さんと、ぐったりしているお姉ちゃんが空に現れた)
紬「……令嬢も楽じゃないわ」
憂「……そうみたいですね」
憂「とりあえず、あがってください」
紬「お邪魔するわ。手を貸して」
憂「ハイ……」ググ
紬「憂ちゃん、傷だらけね」
憂「そうみたいです……つ……さあ、どうぞ」
紬「ありがとう。上がらせてもらうわね」
憂(そうして、お姉ちゃんは復路のない道を戻ってきた)
憂「それ、フックショットですか?」
紬「そうよ。昔から得意だったの。楽しいから」
憂「どうやってお姉ちゃんを助けたのか想像つきますけど……」
憂「失敗してたら紬さんも死んでますよね?」
紬「それに、憂ちゃんもね?」
憂「まあ、そのつもりでしたけど」
唯「……」フー、フー
憂「お姉ちゃんは……寝てるんですか?」
紬「飛び降りのショックで気絶してるみたいね。でも、苦しそう……つらい夢を見てるのかしら」
憂「……すごい汗」ナデ
唯「っ……ううっ!」ビクッビクッ
憂「お、お姉ちゃん!?」
紬「しばらくはそっとしておきましょう。ショックに対しては、とにかく落ち着かせること」
憂「……はい」
紬「電気もベッドランプだけにしておくわ」カチッ
憂「……はい」
紬「……」
憂「……紬さん」プルプル
紬「何かしら?」
憂「……あ、りが、と……ござ、い、ましたぁ……!!」ボロボロ
憂「わわわ、わたし、ここんなこことに、な、るなん、て……おもっ、おもわ……」
紬「……憂ちゃん。私は忠告したはずよ?」
憂「はい……ぞれなのに゛……わたじ、おねえちゃ、と、なかなおりしたくてぇ、え……」
憂「お゛ね゛え゛ぢゃんと、ぎすぎすしてるの、やだったからあ……」
紬「……」
憂「ごめ、ごべんなざああぁぁい……」
紬「……それは、唯ちゃんに言うべきじゃないかしら?」
憂「ふ……ふぐうううう……」ズビ
紬「私、自分の部屋に帰るわ。もう、大丈夫よね?」
憂「……」コクコク
紬「それじゃ。唯ちゃんが起きるまで目を離さないのよ」
憂「わか、り……ました」グス
紬「それじゃあね。何かあったら、672号室に電話して」
憂「はい……紬さん、本当に……」
紬「ふふ、お安い御用よ」
バタン ダダダッ
数分後 672号室
紬「ふふふふふ……やっぱりよく映ってるわ……」
紬「浴衣半脱ぎなんて……憂ちゃんほんとはこういうの好きなんじゃないかしら」
紬「きゃー! こんな大胆なこと言っちゃって! きゃー!」ゴロゴロ
紬「憂ちゃんを手なづけておいて本当によかったわー!!」
斎藤「ええ、本当ですねお嬢様……」
紬「あら、そういう意味で言ったんじゃないわよ?」
斎藤「……ははは、そうでございましたか」
紬「ええ、そうですとも……」ニコッ
紬「……あっはああああ!! 令嬢サイコオオーォウ!!」グイングイン
午前3時 1072号室
唯「……すー、すー」
憂「……よかった。落ち着いてきたみたい」
唯「にゅむー……」
憂「?」
唯「うい……」ムニャムニャ
憂「……」キュン
唯「……あいす」
憂「……」
憂「お姉ちゃん」
唯「らーりほー……」
憂「幸せすぎて泣きたくなるなんて、初めてだよ」グスッ
憂「……私、どんなお姉ちゃんでも大好きだよ」
憂「ひどいことされても、嫌じゃないんだ……」
唯「てろめあ……?」
憂「お姉ちゃんも言ってたよね。私だったら何されてもいいって」
憂「たぶん、それとおんなじなんだ」
憂「やっぱ姉妹だね、私たち」
唯「あ、ごめん……たくあんだったよ」ムニャムニャ
憂「……それ以上なのかも」
憂「……お姉ちゃん、私、もう怒ってないからね」
憂「お姉ちゃんがどれだけ大切かって考えたら……そもそもあんなこと、どうでも良かったんだ」
唯「……ガスト」
憂「変だったね、わたし。……言霊に頼られたのが嫌だったのかな?」
憂「でも、言霊を使ってるなんて私もみなさんから聞くまで分からなかったしなぁ」
憂「……きっと、深いところにあることなんだろうね。ちょっとやそっとじゃ分かんないのかな」
唯「えっ、マリアナ店……?」ムニャ
憂「……お姉ちゃん、起きてるでしょ?」
唯「なんだジョナサンか……ならいいや」ムニャムニャ
憂「……」
唯「ってそんなわけないでしょーがー!」ピーン
唯「……むにゃ」
憂「……起きてるでしょ?」
唯「えーっと……」
憂「起きてるでしょ?」
唯「い、イカはいかが? とか……」
憂「……」
唯「……あ、あと5分だけ!」
憂「別に、寝ててもいいけどね」クス
唯「……うい、一緒に寝ようよ」
憂「……お姉ちゃん。良いの?」
唯「憂の独り言、ちゃんと聞いてたもん」
唯「憂の近くにいたくって。いいかな?」
憂「えへへ。もちろん。こっち入るね」ポンポン
唯「おいでー」ズリズリ
憂「はーい」ゴソゴソ
唯「いらっしゃーい」ギュ
憂「来ちゃいましたー」ギュ
唯「へへー♪」
憂「えへへ♪」
唯「……うい」
憂「……お姉ちゃん」
唯「……」ニコッ
憂「……」エヘッ
――――
一年後。
仲むつまじい二人の姉の間で、すやすや心地良さそうに眠る三女は、
その様子から『愛』と名づけられました。
終わり。
最終更新:2010年09月15日 23:26