梓「久しぶり」

憂「久しぶりだねー梓ちゃん。あ、服かわいー」

梓「ありがと。って、なんかこれずっと前にもあったよね、こんなやりとり」

憂「あはは、そうだねー。あれからもう、二年? 三年かなあ」

梓「早いね、なんか」

憂「大学はどう?」

梓「ぼちぼちだよ。軽音サークルはやめちゃったけど」

憂「あれ、そうなの?」

梓「別に喧嘩別れとかじゃないんだけどね。今は外部でやってるよ、サークルの先輩に紹介してもらった人たちと」

憂「そっか。それならよかった」

梓「唯先輩は?」

憂「……ふふ」

梓「なに?」

憂「いや、まずお姉ちゃんのことなんだなーってね」

梓「あ……ごめん。でも憂はなにも心配なんてなさそうだし」

憂「でもお姉ちゃんだって心配なんてなさそうでしょ? 私よりも見かける機会は多いんだから」

梓「雑誌とかテレビの中、だけどね。うん、でもそれが逆に心配というか」
梓「もはや私が心配するような存在でないような気もするんだけど」

憂「梓ちゃんは私よりお姉ちゃんだもんね!」

梓「ご、ごめん、そんなつもりじゃなくって、憂のことは信頼してるし、その」

憂「ごめんごめん、冗談。私は梓ちゃんの想像のままだと思うよ。なにも心配ない。それにお姉ちゃんは――」



唯先輩は、大学に進学して一年ほどで、シンガーソングライターとしてソロデビューした。
大学を中退したのが先だったか、デビューしたのが先だったかはよくわからない。
他の先輩方も納得してのことだった。

今は、事務所の用意した都心のマンションで一人暮らしをしている。
憂はよく会いに、というか世話をしに行っているみたいだ。

誰もが知っている、というわけではないが、邦楽誌なんかにはよく載っている期待の若手というかんじ。


梓「でもアーティストのマンションってどんなかんじなの? やっぱ警備とかすごいのかな」

憂「そこまで有名ってわけじゃないし、あんまりお高いところには住めないから普通だよ」
憂「あのへんってワンルームでもかなりするんだよね」

梓「でもやっぱりすごいよね、唯先輩……」

憂「?」

梓「当たり前だけど、ギターで食べていくなんてどうやっても無理だって、身にしみて感じるもん最近」

憂「うん、すごいよね、お姉ちゃん……」

梓「憂だって十分すごいけどね。○○大」

憂「ううん、確かに大学の名前はあれだけどね、うちの学部はそんなじゃないんだよー」

梓「イヤ、一回模試で書いてみたらドギツイ判定が出たんですけど……」
梓「記念受験する気にもなれなかったよ」

梓「まあそれはいいとして。最近律先輩とよく会ってるの?」

憂「え」
憂「うん、けっこう……ね」

梓「そうなんだ」

梓「唯先輩よりも?」

憂「あ、うん、お姉ちゃんはなかなか忙しいからけいおん部のみなさんとはもう随分会ってないんじゃないかなー」

梓「そうじゃなくて、憂とだよ」

憂「え?」

梓「唯先輩より、律先輩とよく会ってるの?」



憂はなにも答えなかった。
私が知っていることを知っていたのか、それともそのときにわかったのか、それはわからないけれど。


私は、唯先輩も律先輩も憂も好きだ。
みんな好きだ。

だからこそ、いまの三人のことをどういうふうに受け取ればいいのかなんてわからなかった。

いや、結局私がどうこう考えても仕方のないことなのだ。




梓「前の私なら、おせっかいに、それこそ学級委員気取りに、注意してたかも」

梓「私も大人になっちゃったのかな」




1 高3の律と高2の憂





平沢家へ向かう途中、今日もまた不毛な仮定を幾つも立ててみる。



『私が唯よりも先に君に出会っていたらどうなっていた?』



「え?」

彼女は顔を上げた。

「今、なんて言いました?」
「いや、何も」

私はわらいながら答えた。


「そうですか? ……まあいいや。ていうかお姉ちゃんお手洗い長いなぁ」
「そうだね」

二人きり。
願ってもいないシュチュエーションだが、憂ちゃんの顔は暗い。

「もしかしなくても、寂しいの?」
「いや、こんなちょっとの時間くらい……って、はっ!? り、律さんっ!」

慌てる彼女に私は言った。

「照れ?」
「もう! 律さんてば……」

顔を真っ赤にして、笑う私を睨む。

私は唯と憂ちゃんの関係についてはっきりとは聞いてない。
でも、唯の態度から、わからないほうがおかしい。

「憂ちゃんは面白いな」
「面白くないです! そんなにさらりと、そんなこと……」

さらりと言わなきゃ、どう言えばいい?
つらい顔して言えばいいのか?
言っていいのか?

言えるわけない。

「いいじゃん、唯は立派な奴だよ。私もダチとして誇りに思ってるし。憂ちゃんも堂々としてれば!」
「そんな問題じゃないんです!」
「どんな問題? 唯は憂ちゃんのこと、すごく大事にしてるよな」
「そ、それはそうだけど……律さん絶対誤解してます!」
「誤解?」

私はつい怪訝な顔をした。

「あ……」


一瞬止まる空気。
彼女が口を開いた。

「すみません……律さんは、友達としてお姉ちゃんとずっと一緒にいるんですもんね。
 私には……というか、律さんにしか見せない部分があるのかも知れないし、そっちが本当のお姉ちゃんなのかも」

下を向きながら呟く。
しゅんとしないでくれ。違う。逆だ。

唯には憂ちゃんにしか見せない部分があるんだろう。
憂ちゃんには本当の意味で気を許せるんだろう。


私はきっと一生憂ちゃんに気を許すことなんてできない。
本心を口にすることなんてできない。


──でも、もし、唯がいなかったら?


首を振った。

「いなかったら会ってもないよな」
「え?」

唯はいい奴だ。ちょっとだらしないところもあるけれど。
桜高に入って、一緒に軽音ができて、それがすごく嬉しい。

その楽しいが高校生活も、もう少しで終わってしまうけれど。

「いや、唯のお陰で憂ちゃんのみたいなカワイイ後輩ができて嬉しい、ってさ」
「……だから真顔でそーゆーこと言わないでくださいー」

照れ笑いする憂ちゃんに思わず目を背らした。

全く伝わらない気持ちに安心なのか絶望なのか、なんなのか、心が軋む。

君は知らない。気付かない。はずだ。
だからきっとこんなことを言っても。


「けど、私は本当に憂ちゃんのことが好きだよ」


震える唇にきっと君は気付かない。

「だから!……で、でも、私も律さん好きです、よ」

ああほら。そうやって憂ちゃんはは私の気持ちを殺す。
私はわかっていて確かめる。
これは確認作業だ。

気持ちを消し去りたいわけでもなく。

少し後悔はしている。
運命やら唯やら憂ちゃんやらを恨みもしているけれど。

「けどほんっとに唯トイレ長いなー」
「本当だな。見てくるか?」
「大丈夫ですよ」
「便器に巻き込まれてたりして」
「いつものことですから」

平然と言うのも、関係の深さを表している。でも少し心配そうに口を歪ませる。
私の気持ちも歪む。

唯を好きな彼女も好きなのだから、救いようがない。


けれど、

なあ憂ちゃん、今私が君を抱き締めたら、どうする?

好きと言ったらどうする?



それでも君は笑うかもな。何の冗談ですか、と残酷に。


「……律さん?」
「……」

好きだ。
憂ちゃん、君が。


「律さん……」
「あ、ああ」

何度も呼んだらしい。
憂ちゃんが、不思議そうに私の顔を覗き込む。

「…………」
「ういちゃ……」
「すみません」

「え?」

「すみません…………」


顔を見て、ゾッとした。瞬間血の気が引く。

知っていたのだ、彼女は。



「ああ……」

私は乾いた声で返事をし、頷いた。




知られていた。

けれど、だからといって表面的には何も変わらないことに私は気付いた。
彼女にとっても、唯にとっても。

ただ私の道がより一層、完全に閉ざされただけ。



仮定なんて意味無かった。
最初からわかっていたけれど。

もうくだらない仮定を立てることさえ許されないんだな。


「ごめんなさい」


悲しいでもない、切ないでもない、ただ真剣に、本当に申し訳なさそうな彼女の顔を見て、私は何も言えなかった。
もうきっと一生言えない。


ただ一度、好きと言いたかったのに。





1 終わり




2 大学生の律と大学生の憂(とミュージシャンの唯)




律は大学生になった今も実家住まいだ。
通えない距離ではないし、卒業するまでこのままでいいと思っている。

親友の唯のように、都心のマンション一人暮らしなんてのに憧れないわけではないけれど。

そしてちょうど今、その唯についての相談や雑談で、唯の妹に憂が部屋に来ている。



「じゃあ私はもうこれで」

立ち上がった憂の手を、律は掴んだ。


「……え?」
「忘れもの」

紙袋を指差す。
憂は笑った。

「いえ、それは置いていくつもりだったんです。あの、お菓子ですけど……嫌いですか?」
「いや……ありがとう」

律は袋を開いた。

「いつも悪いね。いろいろ気を遣わせて」
「そんなことないです。私こそいろいろ話を聞いてもらって……」

「それじゃあ、」と軽く会釈して憂はドアに手を掛けた。
瞬間、ぐんと体が後ろに引っ張られた。


「え……」


軋むくらいきつく抱かれた体。

驚いて身じろぎする憂に、抱きすくめた律の腕がピクリと動いた。

「ちょ……ちょっと……」

何ふざけてるんですか? というふうにその腕から逃れようとする。
しかし全くといっていいほど律は動かない。

「あ、強……っ」

全然敵わない。

それは

「唯とは違うよ」
「!」

思っていたことを口に出され、憂はドキリとする。

「知ってるなら、やめてください」
「いやだ」

困惑しつつも憂は鋭く言った。

「放してください」
「……」
「これからお姉ちゃんのところに行かなくちゃなんです。……だから」
「帰さないって言ったら?」
「え?」
「このまま帰さないって言ったらどうする?」


憂は息を詰めた。
しかしすぐに気持ちは落ち着いた。

後ろ向きで表情は見えはしないが、律の声が微かに震えているのがわかった。
緊張なのか興奮なのか。

きつく抱かれた背中から伝わる律の激しい鼓動に、憂はため息を漏らした。

それからもう一度軽く身じろぎし、律に自分の身体を放す意思がないことを確認してから、言った。


「そうだなあ、どうしよう……」
「……」
「うーん……」

本当に困っているような憂の声に、律は苦笑した。


「本気で考える? 普通。唯のこと変だと思ってたけど、憂ちゃんも十分変だな」
「だって律さんがどうする? って聞くから」
「で、どうするの」

尋ねる律に、憂はきっぱりと答えた。

「抵抗し続けますよ、放してくれるまで」

「だって私はお姉ちゃんのところに行かなくちゃならないんです」と何かの呪文のように憂はブツブツ呟いた。

「そんなに会いたいのか」
「え?」
「唯に」
「ああ、」

憂は口元で笑った。

「見ての通りですよ」
「妬けるな」
「あはは。どうも。だから」

「……わかったよ」

放された腕に憂は深く呼吸をした。

「あー苦しかった。律さん馬鹿力なんだもん」
「悪いな、馬鹿で」
「冗談です。律さんもこんな冗談やめてください。笑えないですから」
「……冗談?」

「冗談! でなきゃなんだっていうんです?」

ニコ、と笑った憂の手を、律は掴んだ。

「また、冗談ですか」
「……憂ちゃんは酷い」

「私が酷い?」

憂は両手で律の顔を掴み、口付けた。

「…………う」
「私はね、律さん。こんなことをしてもちっとも心が痛まないの」

かすれた低い声に律は驚きも忘れた。

「酷いのはあなたのほうです」

思わず手を放した。

憂は俯いてふふ、と笑った。
それから顔を上げた。

見つめる目。

「あなたもお姉ちゃんみたいにするんですか……?」

私のことを。

「優しく、優しく、何度も何度も何度も、愛の言葉をくれるんですか」


憂の瞳からいつもの輝きが失われていた。

律はたじろいだ。


『憂ちゃんは』
『唯を』
『どうして』

頭の中を疑問が駆け抜ける。

しかし、何も言えなかった。

「ははは。何て顔してるんですか。あははははは」
「……なに、笑って……」
「だって私は笑わなくちゃ」

「憂ちゃん」

唸るように呟いた律に、憂は振り返って手を振った。


「さようなら」



憂が出て行ったドアの先。
唯の前ではずっとずっとずっと笑う憂がいるのだと思い、律はその場に崩れた。







「笑ってる憂が好き」っていうお姉ちゃんがきらいだ.


2 終わり



2
最終更新:2010年09月13日 20:16