唯「失礼します!」ガチャ

 誰もいなかった。

 バタン

 ダッダッダッ ガチャ

唯「……廃部?」ハァハァ

さわ子「ええ。まあ今月中に4人入部しなければ、だけど」


唯「わ、わかりました。あと3人集めればいいんですね?」

さわ子「そうね。まあうちの軽音部の名前があれば、勝手に部員なんて集まってくるけどね」ズズ

唯「そうですね。それじゃあ早速部員集めに奔走させていただきます」

さわ子「あわただしい子」クスッ

 まとめると。

 やる気のない顧問のせいか、軽音楽部はすっかり廃れていたということで。

 部員1人のただれた部活なんてそうそう入ってくれる人はいないわけで。

 色んな人に話しかけたけれど、みんな入部には難色を示した。

 結局入部希望者を一人も集められないまま二週間が経って、私は久しぶりに音楽室を訪ねてみた。

紬「あら、入部希望の方かしら?」

律「おー! ついに来たかぁ!?」ガタン

澪「あれ? どっかで見覚えが……」

 なんかいっぱいいた。そういや入部届けって出してなかったね。

律「ギターがすっごく上手いんだって?」ズイッ

唯「一応、それなりには……。4年間毎日練習してるんだけど」モジモジ

 なぜ私が新入部員の立場なのだろうか。ちやほやされるのは嫌いじゃないからいいんだけど。

律「すげー! ちょっと聞かせてみてよ!」

唯「ん、わかった」

 私は中学1年生のときに自作した曲を弾くことにした。

 作曲した当時では弾けなかったくらい難しい曲だが、今では歌いながらだって弾ける。

唯「Let's Try~♪ 無口すぎる~君 饒舌に変えーてあげーるよ♪」ジャカジャカ

 『饒舌』なんて言葉、中1なのによく知ってたねって?

 和ちゃんに『寡黙』の対義語を訊いたら、すぐにそう答えてくれたんだよ。

唯「だっれ~にも止められ~ないっ♪」ジャーン

 そりゃもう、思い返して恥ずかしいくらいノリノリで歌ってた。

 人の前で演奏するなんて初めてで、おかしいくらいテンションが上がってた。

 それでも弾き慣れた曲に、ミスは出なかった。


唯「ありがとうございましたっ!」ペコリ

澪「は……はは……」ヒクヒク

律(カスタネット叩いてたんだ……)

唯「どうだった……かな?」

律「すげぇよ唯!」

紬「……唯ちゃんがいれば、またこの学校からメジャーデビューするバンドが出るかもしれないわね」

澪「ハハッ、それはさすがに……ない、とも言い切れないな」

 みんな、ちょっと潤んだ瞳で私を見つめていた。

律「よーし!」

 りっちゃんが私たちの肩を抱いて、小さな円に引き寄せた。

律「桜高軽音部、ここに結成だ!」

唯澪紬「オー!」

律「夢は武道館ライブ!」

唯澪紬「オー!」


 それから私たちは、武道館ライブという大きな目標に向かって始動した。

和「そう、軽音部は無事存続したのね」

唯「したというか、してたというか……まあ良かったよ」

和「そうね。生徒会としてもできるだけ支援させてもらうわ」

唯「ありがと和ちゃん!」

和「いいのよ。私も唯のギターは世間に通用するレベルだと思ってるわよ?」

唯「そうかなー」デレデレ

 私のギターはともかくとして。

 私同様、桜高軽音部の名に惹かれてきたという他の3人のメンバーの腕も、なかなかのものがあった。

 ちょっと気を抜けば、もうここで止まってもいいんじゃないかと思ってしまうくらい。

 けれど、他のみんなが引っ張ってくれた。だから私も、目標に向かって走っていくことができた。

 ゴールは遠い。しかしスタート地点も遠くなっていた。

 スタート地点から、冷たい視線が射てきている気がした。

 その話は、思っていたよりもずっと早く舞い込んできた。

和「あなたたちの演奏を聴きたいって人がいるの」

唯「へー、誰?」

和「TKミュージックコーポレーションの斎藤って人」

唯「……なっ!?」ガタッ

唯「てぃてぃてぃ、てぃーけーって、あのTK!?」

 TKMCは、国内有数のシェアを誇る音楽事務所だ。

 少数精鋭に絞った営業戦略で質の高い音楽を提供するため、愛好家には評価が高い。

 もっとも、アーティストの方は鮮度が落ちればすぐに切り捨てられる。故に、ここを嫌う人間も多い。

和「分かってるとは思うけど……TKからアクションを仕掛けてくるなんてめったにない事よ」

唯「でも、なんで私たちに……」

和「桜高軽音部にまだ目を付けてたんでしょうね。……それで、どうするの?」

唯「あ……いちおうみんなに相談してから、かな」

 軽音部の部長は私だったけれど、さすがに一存で決めていい話ではなかった。


 昼休み、みんなを集めて和ちゃんの話を伝えた。

律澪紬「わっほーい!!」ガタン

 はい、決定。

 斎藤さんは放課後すぐに来てくれるということだった。

 はい、放課後。

 いかめしい口髭を蓄えた、グラサンの男が音楽室にやってきた。

 なんかスペインの国家警察にいそうだ。

斎藤「今日はよろしく、皆さん」

 私たちにはまだバンド名がなかった。あえて名乗るとすれば桜高軽音部、なんだろうけど。

斎藤「さて、話はあとにして早速演奏を聴かせてほしいんだが」

唯「はいっ! 私たちのオリジナル曲なんですけど、いいですかっ!」

斎藤「そう聞いているよ。『Don't Say"Lazy"』だったね?」

唯「はいっ! えっと、じゃあいきます! ……りっちゃん」チラッ

律「……」コク

 極限に緊張していた私たちの演奏は、いつもより覇気がなかったように思う。

 しかし演奏終了後、斎藤さんの顔はほころんでいた。

斎藤「なるほど、いいね」パチパチ

 営業スマイル、なんだろうか。私はスカートのすそを握りしめた。

斎藤「ベースの君」

澪「は、はい」

斎藤「ギターの君」

唯「はいっ!」

 斎藤さんは澪ちゃんと私を、腕一本ずつ使って指差すと、

斎藤「歌の役割、交代」クイッ

 両腕を交差させた。


紬「……」ジッ

斎藤「……それでもう一度やってみてくれないかな?」

唯「澪ちゃん……」

澪「わかりました。……唯、頼んだぞ」

唯「う、うん。任せて! 澪ちゃんも頑張って!」

 斎藤さんに言われた通り、私と澪ちゃんはボーカルを交代して、再度演奏の準備に入る。

 りっちゃんに目線を送る前に、私はちょっと澪ちゃんを見た。

澪「……」

 どこか安心しているような表情に見えた。

 同時に、私の心を高揚感が突き動かしだした。テンションが上がってくる。

唯「行くよみんなっ! りっちゃん!」

律「おうっ!」

唯「だからたまに~休憩しちゃうんです♪」

 ジャジャッ

斎藤「……ふふっ」

 演奏が終わるなり、斎藤さんは小さく笑った。

斎藤「うん、良くなったね。実によくなった」

律「……」ギリ

 りっちゃんが奥歯を噛んだ。その気配を敏感に察知した斎藤さんが、両手を振った。

斎藤「別にベースの子が歌が下手というわけではない」

斎藤「だが君はまだ、メインボーカルとして歌うことに照れがある。違うかな?」

澪「それは……確かに、そうです」

斎藤「そしてギターの君は、ずいぶん盛りあがってたね」

唯「へ? そ、そうでしたか?」

 斎藤さんは嬉しそうに頷く。

斎藤「だからこそ交代する必要があった。今の状態では、だけどね」

斎藤「……それでも、十分な芽がある。ギターの子、平沢くんにはメインボーカルとして修業が必要かもしれないが」

斎藤「ぜひ、うちの会社と一緒にやってほしい」

 どっかーん、とりっちゃんが叫んだ。

唯「はいっ、ぜひ!!」ダキッ

 一緒にやろう。その言葉が胸をしめつけるほど嬉しくて、私は斎藤さんに抱きついた。

澪「よろしくおねがいしますっ!」ギュ

紬「うふふ♪」ニコッ

斎藤「ま、まあ詳しい話はまた今度としよう。また私の方から連絡させてもらうよ」

紬「斎藤ったら照れちゃって……」クスッ

 後から知ったんだけど、この斎藤という人はムギちゃんが呼んだらしい。

 TKMCのTKとは琴吹紬のことで……要するにコネを使ったわけだ。

 でも、斎藤さんもムギちゃんとの約束で、正当な評価をしてくれたらしい。

 ムギちゃんのしたことは、チャンスを呼び込んだだけだ。だから私たちも、このことをしばらく黙っていたムギちゃんを責めたりしなかった。


 すこし経って、私のもとに「課題」が届けられた。

和「秋山澪の歌唱法のコピー?」

唯「うん。私たちがデビューするにあたってこなさなきゃいけない課題なんだって」

和「だったら澪が歌えばいいんじゃ……」

唯「澪ちゃんは恥ずかしがりだからだめなんだってー」

和「業界は難儀ね……」

唯「まあすぐ近くにお手本がいるんだし、簡単にマスターしちゃうよ」

和「そうね。唯なら人のコピーくらいはお手の物よ」

 和ちゃんは私を不安にさせないように、簡単に言ってのけた。

 でも、コピーするのはあの澪ちゃんだ。

 澪ちゃんに教えてもらっても、うまくできるかどうかはわからない。

唯「うぃーるしんうった~う~よ~♪」

澪「うーん、そうじゃないんだよなー」

紬「なんかもっと、攻め立てるような感じよね」

唯「あ、セクスィーってこと?」

律「そうそう! やってみろよ唯!」

澪「勝手に決めるな……」カアッ

紬「否定はしないのね」

唯「We'll sing うたうよ~♪」

律「お、ちょっと良くなったな」

澪「少しだけハスキーっぽくして、力入れてみたらどうだ?」

――――

 やっぱりそううまくはいかない。

 声質が根本から違うのだ。真似しろと言われても、一筋縄にはいかない。

唯「澪ちゃんの歌い方……クールでかっこいいよね」

 クール、クール。

 私の頭の中をそんな英単語がぐるぐる駆け回りだしたとき。

 その中心で閃くものがあった。

唯「そうだ! キャラ変しよう!」

 いや、変な電波を受信したみたいだった。

紬「キャラ変って何かしら? 唯ちゃん」

唯「イメチェンの性格版だよ」

唯「私、澪ちゃんの歌ってる時のキャラになる!」フンス

澪「方向性は間違ってもないかな」

律「確かに、歌う時だけ違う自分を意識するっていうのは難しいからな」

律「澪は勝手にスイッチ入るんだけど……唯の場合、自分の歌いたい方法じゃないから」

唯「そんなわけでセクスィーでクールでかっこいい唯ちゃんを目指します!」

律澪(絶対無理だろ……)

紬(見てみたいかも……)ポワー

律「ま、普通に歌う練習するのも忘れずにな?」

唯「もっちろん! じゃ、始めよっか!」オー!

澪「唯。クールを目指すんじゃないのか?」


唯「……当然。さっさとやろ」フッ

紬「イイっ! イイわよ唯ちゃん!」

唯「くすっ……ありがと」

紬「ああ……」ダラダラ

澪(……歌ってる時の私ってあんな風に見えてるのか)

律「はいムギ軽く下向いて。ティッシュ詰めるからなー」コネコネ

澪(唯みたいに歌ってみようかなぁ)シュン

澪「……ふっ☆」

律「」ブッ

澪「笑うなぁ!!」ゴツン

律「っつつつ……さて唯、いっちょその雰囲気でやってみろよ」

唯「いいよ。聞かせてあげる……」スゥッ

唯「Please Don't say "You are lazy"♪」

律(……あれ?)パチクリ

澪(確かに私っぽい……)

唯「だってー本当はーCrazy」

澪(それに、唯の眠たげな声の感じも残ってて……)

紬(……エロい!)ボタボタ

律「こらムギ、ちゃんとティッシュ詰めなきゃだめだろ」ギュギュ

唯「……」ハァ

唯「……どうだった?」

紬「汗がエロいわ!」ブシュンッ

唯「セクシーさが出てたんだね。この方向でやっていこう……」

 なんだか不思議なことなんだけれど、
私はその日を境にさっぱり変わってしまった。

唯「ただいま」

憂「……ん」

唯「かわいくない態度だね」

憂「かわいくなくていいよ、別に」

唯「ま、そっか。とりあえずご飯にでもするかな……」

憂「ねえ」

唯「うん?」

憂「さっきの言葉、そっくり返す」

唯「ふぅん……」

憂「何なの?」

唯「キャラ変ってやつだよ」

憂「似合ってないよ」

唯「イメチェンもしたほうがいい?」

憂「……もういい」

 それからというもの、憂とのコミュニケーションがうまくいかなくなった。

 やろうとすれば、元のキャラクターに戻ることはできたんだと思う。

 だけど、私はようやく目視できる範囲内に入ってきたゴールを、虚心坦懐に見つめていた。

 武道館ライブだなんて、普通の高校生バンドだったら夢の中の夢だろう。

 でも私は、桜ケ丘高校の軽音部。

 そして、傘下に音楽事務所もある琴吹系列社長の一人娘を友人に迎え、

 さらに、卓越した技術を持った3人のバンド仲間がいる。

 必ず、ゴールまでいける。


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最終更新:2010年09月15日 23:50