九段下駅
純「おー、いたいた!」
梓「武道館ライブに遅刻するやつがいますか、ほんとに……」ブツクサ
ライブにギター持ってくるやつもいないと思うけど。
梓ちゃんはギターケースを背負っている。客席でムスタングをしゃんしゃん弾くつもりだろうか。
純「ごめんごめん、緊張して一睡もしてないんだ!」
梓「一睡もしてなかったらかえって早く来れない?」
純「実は起きるべき時間に寝ちゃいました」
梓「最低だよコイツ……」
憂「まあ、私もちょっと眠れなかったけど」
他愛ない話をしつつ、私たちは列に並ぶ。
動いていないように見えて、それは意外とスムーズで。
私たちは30分程度でチケットを切り、入場できた。
純「ああ、そう」
騒がしい中、純ちゃんが聞えよがしに言った。
純「さっきさあ、梓に最低っていわれたけどさぁ」
純「最低ついでに、もうちょっと堕ちていい?」
憂「えっ」
嫌な予感しかしない。
梓「なになに、純が貶められるなら私聞くよ」
純「よーし、よく聞きたまえ!」
純「楽屋訪問の件、ドタキャンされましたー!」
憂「えっ」
憂「えっ……?」ウルウル
純「……ごめん」
憂「嘘だよぉ……」
純「私に任せてくれたのに、ほんとごめん」
純「昨日の夜、電話かかってきてさ……私もどうしていいかわからなくて」
それで眠れなかったのか。
純ちゃんも、私も。
憂「ばかぁ……純ちゃんのばかっ」
純「……ほんと、ごめんっ……出しゃばって、余計なことしなきゃよかった……」
梓「純……ほんとうなの?」フルフル
純「梓もごめん。先輩方に会えるの楽しみにしてたよね……」
純「二人とも、私を殴っていいよ」
純ちゃんは身構えるわけでもなく、そこにだらりと立って、目を閉じた。
痛いように殴ってくれ、というわけだ。
梓「……バカ純」
憂「ほんと。馬鹿だね」
私は純ちゃんの手を握る。
梓ちゃんは私の顔を見ると、微笑んで、反対側の純ちゃんの手を取った。
憂「こんなところにいたら邪魔になるよ。私たちの席に行こうよ」
純「うい……」
純ちゃんは俯いて、苦しそうに奥歯を噛んだ。
純「ありがとう……っ」
憂「純ちゃんはひとつだって悪いことしてないよ」
憂「そりゃあ、そう聞いたら落ち込んじゃったけど……でも、これが最後のチャンスじゃないから」ニコッ
そう言って笑った私の顔は、きっと悲しげだったんだと思う。
私の目を見つめた純ちゃんの目尻に、涙が浮いた。
憂「行こう?」
私たちは手をつないだまま、ゆっくりと歩いて最前列の席へと向かった。
純ちゃんには強がって見せたけれど。
本当のところ、私はかなり落ち込んでいた。
ライブが始まって、先輩方みんなの姿が出てきても、いまいち気持ちが盛り上がって来ない。
姉の姿を見つめて、私は最前列にいるけれど、やっぱり遠くにいるなあ、と感じるばかりで。
尿意もないのに、トイレに行きたくなってきた。
憂「純ちゃん、ちょっとごめん。私トイレ」スッ
純「ちょ、ちょちょっと! どこいくの、憂!」ガシッ
慌てた様子で、純ちゃんが私の手首をつかまえた。
憂「わっと……と、トイレだよ」
純「な、なに言ってんの! いま最高に盛り上がってるとこじゃん!」
そうなんだろうか。私にはわからない。
憂「でも、我慢できないし……」
私は純ちゃんの手をほどいて、行ってしまおうとした。
純「わあああっ!! 待って待って、行かないで!」
しかし、ほどいてもほどいても純ちゃんの手はしつこく絡みついてきた。
このタコ。
純「ど、どどうしても無理だっていうなら私が飲むからっ! むしろ食うから! だからトイレにだけはいっちゃだめぇ!」
いや、それが無理だっていう。
そもそも出ないんだけどさ。
憂「わ、わかったから! そんなこと大きな声で言わないでよ……」
純「よかったぁ……ありがとう憂」
梓「あっ、カレー終わっちゃう……」
梓ちゃんが残念そうに漏らした。いや、話の流れ上疑わしいけど、変なものは漏らしてないよ?
ステージ上では、それぞれ演奏の決めポーズをとっていた。これだけ見るとさすがに滑稽だ。
皆さんごめんなさい。
拍手が鳴りやんでから、律さんが立ち上がってマイクをとる。
そして、ゆっくり姉に近づいていくと、拳を掲げて叫んだ。
律「よおぉーし! それじゃ次の曲ぅ! ……の、前に?」
律さんは首をかしげて、マイクを姉の口元に近づけた。
唯「私の方から、客席にいるある人物に、お伝えしたいことがあります」
憂「……?」
律「なぁにぃ!! これはまさかの逆プロポーズかぁ!? 待つんだ唯、私たちまだ高校生なんだぞーっ!!」
澪「行きすぎな冗談はよせ!」ゴチン
律「あいた! いてぇよ澪ー」スリスリ
梓「今の、澪先輩がつっこまなかったら死者出てるよ」
純「それは言いすぎじゃ……」
姉はマイクをスタンドから抜くと、私のほうに靴を鳴らして近づいてきた。
唯「でも、単なる律のいつもの冗談ではないかも」
唯「これから私、その人に……ずっと一緒にいてって頼むんだから」
律「おい、どうする澪! 冗談がマジになっちまったぞ!」
紬「私よっ、それは私よっ!!」ビュビュー
律「どうするムギ……ってやばい、これはやばいから! ああもう、ほら抑えろ!」シュボ
紬「わらひの唯ちゃんらのっ」ギュム
唯「ふふ……それじゃ、発表していい? だめって言われても言うけどね」
会場中から沸き上がる「だめー!」の悲鳴。
梓「ゆ、唯先輩なにするつもりなの……?」
純「わ、わかんないけど……こっち、見てない?」
憂「……!」
唯「その人は……たった一人の私の妹です」
姉はセットしていた髪をくしゃっとかきあげると、そのままぐしゃぐしゃと揉み、潰し、ふわふわにしていく。
唯「かけがえのない存在……だからこそ、私は妹に愛されていると慢心していました」フワッ
そして、衣装の襟首に付けていたヘアピンを取り、前髪をよけてるように留める。
唯「私はいつしか、妹の気持ちも考えず、音楽に没頭してしまっていたんです」スッ
もうひとつ。
唯「だから……昔のような関係に戻りたい。妹をかえりみなかった馬鹿なお姉ちゃんだけど、またなんでも一緒にやりたい」スッ
お姉ちゃんは顔を上げた。
そこに居たのは。
純「きゃー!! 白唯だああああー!!」ピョンピョン
憂「……お姉ちゃんだ」
なるほど、そうか。
純ちゃんは、私が「落差」に弱い事を知っている。
そこを逆に利用しようっていう魂胆だ。
楽屋訪問はドタキャンされたとか言っておいて、こういうサプライズをよこす。
憂「おねえちゃんだぁ……」ボロボロ
やめてよ、泣いちゃうから。
唯「おいで、憂。……一緒にやろう?」
お姉ちゃんがステージを下りてきて、私の前に立った。
鼻水が出る。
憂「おれえちゃあん!!」ガバッ
この衣装、きっと高いんだろうけど。
私は鼻水まみれの顔で、お姉ちゃんにとびついていた。
憂「おねえちゃん、おねえちゃんだよねっ」
唯「うん、お姉ちゃんだよ」ギュッ
武道館が静まりかえっていることに、ようやく気付いた。
憂「わたしと一緒にいてくれるの?」
唯「うん。ずっと一緒」ギュウッ
憂「わたしのこと、怒ってないの?」
唯「怒られるのは私のほう。憂とぜんぜん一緒にいてあげなくて、ごめんね」
憂「うっうう……」プルプル
あーあ、恥ずかしいよこれ。
とんでもない人数が注目する中で、私、子供みたいに大泣きしちゃうよ。
憂「おねえちゃあん……」ポロッ
憂「ずっと、ずっと、さびしかったよおおっ!!」ボロボロ
唯「うん……ごめん」ギュ
唯「ごめんっ……」ギュウ
憂「……っひ」グス
唯「落ち着いた?」
憂「……うん」
唯「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にやろう?」
憂「うんっ」
梓「憂、これを持っていって」
梓ちゃんが一歩私たちに近寄って、ギターケースを開いた。
そこにはお姉ちゃんとおそろいのレスポール――
が、なんでここにいるの?
梓「純が一晩で持ってきてくれたよ」
純「いやー、憂相手の潜入ミッションだけはもう勘弁だね」
憂「二人とも……」
この犯罪者集団め。ふざけんなありがとう。
ストラップを肩にかける。
お姉ちゃんが感じているのと同じ重みがかかる。
憂「へへ……」
唯「ふふ……」
お姉ちゃんに手を引かれて、武道館のステージに。
同時に、会場中から拍手が巻き起こる。
この快感、はんぱじゃない。
戸惑う私に、律さんがドヤ顔でマイクを向けた。
なんか喋れってか。
反響する「ういちゃーん!」の歓声。ぱらぱらと混じる「かわいいー!」の絶叫。
憂「その、私はお姉ちゃんを追いかけて、ギター始めました!」
憂「ギターに夢中になっちゃったお姉ちゃんと、それでも一緒になにかやりたかったんです!」
憂「今こうして、お姉ちゃんと一緒にこのステージに立っていられて、すっごく幸せです! 夢みたいです!」
憂「えっと、その。あ、あたたたかかい目で見守ってくだひゃい!」
はい、噛んだ。
「かわういー!!」だって。
さすがお姉ちゃんのファン。あたたたかかい。
さて、ひとまず喋りはひと段落したけれども、なんだか様子がおかしい。
唯「うん、うん、いいね」
お姉ちゃんがチューニングしてる。私のギターを。
え? なんですかそのプラグ。勝手にギターにつながないでください。
いやそもそもなんで私ギター持ってるの? え?
律「じゃあ感動の幕間があったところで、次の曲いきますかぁ!」
ちょっと待って、まだ幕は垂れたままですよ。
澪さん! どうしてつっこまないの!
紬「あきらめなさい、憂ちゃん。誰もがあなたが一曲やってくれるものと思ってるわよ」
憂「えっ」
憂「えぇっ!?」
律「次の曲はみんな大好き、かわいいラブソング! なんと澪ちゃん作詞!」
澪「わ、わたしの恋はホッチキス!!」
唯「ほら、頑張ろう憂。学園祭の時はどっちをやってたの?」
憂「えっと……どっちもリードだけど……」
唯「じゃあ、それでいこう」チラッ
お姉ちゃんが律さんに目線を送った。
そして、律さんがスティックを打ち鳴らす音。ドラムが入る。
文字にならない歓声。
もう知るか。
そっちが犠牲を覚悟の上だってんならもう、知らない。
好きなだけやらせてもらおうじゃん。
――――
律「以上、平沢憂さんでしたー! 憂ちゃんありがとー!!」
オウム返し、ではないけれど「ありがとー!」が跳ね返ってくる。
こっぱずかしいけれど、私は両手を振って応えた。
なんぞこの大歓声。
これが人の声だというのか。
群衆の力ってこええ。
名残惜しい気もしたけれど、ここは桜高軽音部のステージであって、私とお姉ちゃんの私物ではないから。
一段一段、私は一般人の舞台へと降りて行った。
私は振り返る。きっと私は、すごく自信に溢れた表情になっていただろう。
憂「いつか必ず、そっちに行くからね、お姉ちゃん!」
憂「待ってて!」
唯「うん! 憂ならすぐ来れるよ! 待ってるからねー!」
席についても、まだフワフワした感じが抜けない。
純「カッコよかったぞ~憂!」
純ちゃんが親指を立てる。
憂「へへ……気持ちよかった」クタッ
私はそれに対して、だらしなく笑い返した。
また、お姉ちゃんの歌が始まる。
耳が気持ちいい。
お姉ちゃんの歌声だ。……こんなに綺麗だったんだ。
――――
前略
久しぶり、父さん。父さんの娘の唯です。
まず初めに、10年前のこと。ごめんなさい。
こんなこと言って欲しくないと思うけど、ごめんなさい。
すべては私から始まったことだったよね。
私のせいで、父さんは私たちの遠くに行っちゃったんだよね。本当にごめんなさい。
だから私は、父さんと母さんの代わりに、憂の父さんと母さんをしなきゃいけないんだと思います。
……思っただけでした。
4年前からつい昨日まで、私は憂の両親として在ることができませんでした。
家事をやる、お金を稼ぐ、それだけが親の仕事ではないんですよね。
それに気付くのが遅れて、憂を傷つけてしまいました。
お父さんからみんな奪っておきながら、こんな浅はかな娘でごめんなさい。
でも先日、私はようやく胸を張って、「憂は立派になったよ」と自慢できるようになりました。
だからこそ、こうして大慌てで父さんに手紙をしたためています。
実は昨日、日付でいうと11月25日、私たち桜高軽音部は日本武道館で1周年記念ライブを行いました。
1周年とはいっても、何の1周年やらいまいち分かりませんが。
私はそこで、これから色んなことを憂とやっていきたい、というふうに言いました。
私も憂も、何につけても二人で協力し合うのが大好きだったのです。
どうして私は、それを今まで忘れていたんでしょう。本当に馬鹿な姉です。
私と憂は少し想いを違えていましたが、その日ようやく私たちの気持ちはひとつになりました。
これから憂は、めいっぱいギターの練習をするそうです。
そして私に追いついて、またお姉ちゃんと一緒に、恥ずかしくない演奏で武道館ライブをやりたい、と語ってくれました。
正直、そんな言葉を聞かされると、私もまた修業しなければなあ、というふうな焦りがでてきます。
青は藍より。ですけれど、一瞬で抜かされては私も形無しですし、青といえども空色となりかねません。
まあ、早く追いついてきて欲しいな、というのが本音ですが。
憂は、自分の突き進んでいく方向をようやくしっかりと見定めたんです。
父さんにも、納得はいかないかもしれないけど、応援してほしいと思います。
せめて立派に育った私たちの姿を見てほしいと思い、
ライブ中の私たちの姿を収めた写真を同封しておきました。
どうか、いつか会いに来て下さい。
私たちの暮らした家で待っています。
父さんへ 平沢唯より
追伸
シャワーを高いところにかけて、お湯を背中に当てて
「打たせ湯きもちいー」ってやるの教えてくれたの、父さんだっけ?
終わり。
最終更新:2010年09月15日 23:56