夜。
平沢家。
憂「…………へ?」
憂はその言葉の意味が、わからなかった。
憂「……どういうこと?」
唯「だから! 私ね、あずにゃんとカップルになったんだよ!」
憂「……………………嘘」
唯「ほんとだよ!」
唯「今日、告白してくれたの! 『唯先輩のこと、大好きです』って! 私、OKしちゃったよ」
唯はえへへー、と幸せそうに頭をかく。
憂(嘘嘘嘘嘘嘘!!! ありえない!)
憂(なんで梓ちゃん? なんで私じゃないの? 告白したって……、私がお姉ちゃん好きなこと、梓ちゃん知ってるはずなのに……)
憂(そうか……)
憂(横取り、された…………)
憂(あの泥棒猫……おとなしそうな顔しやがって……)
憂(………………………………小ざかしい)ギリリッ
唯「憂! 包丁をなんでそんなに強く握り締めてるの!? こわいよ!」
憂「え、ああ。なんでもないよ。それより、ご飯もう少しで出来るから、待っててね」
唯「う、うん……」
憂「あ、お味噌汁が沸騰してる! 火止めなきゃ!」
憂は火の元をとめようと――。
唯「今度、デートする約束してるんだー」
ぐゎら ぐゎら ぐゎら …… と、なべの蓋がおちた。
煮えくり返った。
煮えたぎっている味噌汁が、なべの外に出ようとしている。
憂(……………………デート?)
憂(あの女、そこまで手を回して…………)
沸騰しきった味噌汁が、なべの外に押し出される。
憂(………………悔しい)
憂(なんで、梓ちゃんが…………)
唯「ごはんまだー?」
憂「…………あ」
ようやく、味噌汁が駄目になっていることに気づく。
憂「作り直さなきゃ…………」
憂ははあ、とため息をついた。
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翌日、学校
梓「憂、おはよう」
憂「…………………………」
梓「? どうしたの?」
憂「話しかけないで?」
梓「え? 何で?」
憂「…………………………」
梓「あー、わかった。好きな人とられて悔しいんでしょ」
憂は歯噛みした。
梓「ごめんねー。うふふ」
憂「…………チッ」
梓「へえ。憂が舌打ちするの、始めてみたよ」
憂「黙れ」
梓「はいはい」
何だか馬鹿にされてるようで、憂は机に突っ伏した。
梓「あら。いじけちゃった?」
憂「……………………」
梓「………………子供みたい」
憂「……………………」
梓に殺意を覚える。
その感情を、必死に押しとどめる。
憂(殺しちゃ駄目。お姉ちゃんが悲しんじゃう)
憂(お姉ちゃんが幸せならいいの。梓ちゃんと付き合っても)
憂(お姉ちゃんが、幸せなら……)
憂(…………寂しい)
憂(…………何で、何で、なんでなんでなんで!?)
憂(…………何で、私じゃないの?)
純「おはよー」
梓「あ。純、おはー」
純「おやぁ? 梓、ご機嫌ですな。何かあった?」
梓「えへへへ。ちょっとね」
純「何々?」
梓「ひみつー」
純「えー、教えてよー」
梓「やだー」
憂はその二人の会話を聞きながら、そっと眼を閉じた。
総てが夢だったらいいな、そう思いながら。
夜
平沢家
唯「今日はね、デートする日にち決めたんだ」
憂「…………そうなんだ」
唯「うん! 今週の土曜日!」
憂は思い出す。たしか、今日は水曜日だ。あと3日後か。
憂「…………楽しみ?」
唯「うん! だって、初めてのデートだもの!」
憂「…………そっか」
憂(お姉ちゃんが、楽しめたらそれで…………)
憂(お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、幸せなら…………それ、で…………)
唯「あれ? 憂どうして泣いてるの?」
憂「……へ?」
憂は目を擦る。
涙が付く。
憂「本当だ。私、泣いてる……」
唯「大丈夫?」
憂「……うん。気にしないで」
唯「う、うん…………」
何で泣いてるのだろう。
憂(お姉ちゃんが幸せなら、笑わなければいけないのに)
本当に、何で泣いてるのだろう。
土曜日!
唯は早朝から家を出た。
憂一人が、家に残った。
憂「……暇だな」
憂「お姉ちゃん、楽しんでくるかな」
憂「お姉ちゃん、梓ちゃんと仲良くやれるかな」
憂「お姉ちゃん………………」
憂「…………何か、家が広くなったみたい」
憂「お姉ちゃんが、修学旅行行ってるみたいだよ」
憂「…………暇だな」
憂「ういー、アイスー」
憂「………………」
憂「何やってんだろ、私」
憂「……………………寂しいな」
呟くと同時、頬に暖かいものが伝った。
憂「…………このごろ、泣いてばかりいるなぁ」
憂「どうしちゃったんだろ、私」
憂「お姉ちゃんが幸せなら、それでいいのに…………」
憂「何で、こんなに悲しいのかな?」
答える声は、もちろんない。
憂の独白は、えんえんと続いた。
同日、夜
唯「ただいまー! うい!」
憂「お姉ちゃん、お帰り」
唯「じゃあ、荷物ここに置いとくね」
憂「…………え?」
唯「あずにゃんに誘われたんだよー。明日も休みだし、私の家に泊まっていきませんかって」
唯「じゃ、行ってくるねー!」
憂「ま、待って!」
憂の制止を無視して、唯は梓の家へ向かう。
ぱたん、と玄関のドアが閉まる音がした。
憂「…………お姉ちゃん」
その呟きは、決して誰にも聞こえない。
唯の置いていった、お土産の入っている袋が、くしゃり、と音を立ててくずれた。
中から出てきたのは、可愛らしい人形。
憂はそれを一瞥した後。
思いっきり、蹴り飛ばした。
人形が、玄関と衝突する。
憂は息を荒げる。
憂(お姉ちゃんが、幸せなら…………っ)
憂は壁を殴りつけた。
どめりっ、という音がして、壁が拳大に凹む。
憂(………………梓ちゃんに、バージンまで奪われるんだね)
憂(もういい)
憂(もうわかった)
憂(こんな家、出てってやる)
憂(もうお姉ちゃんにも未練はない)
憂(こんな家、出てってやる!)
憂(お姉ちゃんなんか、もう知らない!)
憂(もう、本当に、知らないんだから!)
完全に、頭に血が上っていた。
憂は何の準備もせず、着の身着のまま家から飛び出した。
同日、街中
行くあてはなかった。
ただ、放浪しているうちに、自分の家への帰り道がわからなくなった。
憂(まあ、いっか)
憂(もう、帰らないんだし)
憂(明日、帰ってきたら驚くだろうな、お姉ちゃん)
憂(何しろ、私がいないんだもの)
憂(餓死しちゃうんじゃないかな? あはは!)
憂(ははは…………)
憂(………………はあ)
憂(どこに行こう)
憂のお腹が、ぐうと鳴る。
憂(何か、食べたいな)
憂(あ)
憂(お財布、持ってきてないや)
憂(どうしよう…………)
憂は自販機の前を通りすぎようと、――――思わず自販機の前で、足が止まった。
憂(飲みたいな…………)
憂(お金、ないしな…………)
憂(私が、餓死するんじゃないかな、はは、そんな)
憂(…………やだよぅ)
?「何飲みたいの?」
突然、背後から声をかけられて驚いた。
サイドテールの人が、いた。
桜高の制服を着ている。リボンの色から三年生だ、とわかった。
憂「え?あ、あの?」
?「飲みたいんでしょ?」
憂「あ、はい」
?「どれ?」
憂「え、いいんですか?」
?「うん。おごりだよ」
憂「え、じゃあ、コーラで……」
?「うん。わかった」
サイドテールの人はお金を入れて、『コーラ』を選択し、下の取出し口からコーラを手に取った。
?「はい、あげる」
憂「あ、ありがとうございます」
憂はコクコクとコーラを飲む。
と、視線に気づいた。
憂「何ですか?」
サイドテールの人が、憂を見てくるのだ。
?「え、いや、何か似てるなーって」
憂「誰にですか?」
?「私のクラスのね、
平沢唯って子。知ってる? 知らないよね」
憂は驚いた。まさか、唯のクラスメートとは思わなかった。
憂「……知ってます」
言うのはすこし、躊躇ってしまった。
?「え、本当?」
憂「はい。だって――」
憂「私、妹なんです」
?「あ、もしかしてういちゃんっていう子?」
憂「知ってるんですか?」
?「うん。唯ちゃんがね、よく出来た妹だって、いっつも言ってるよ」
?「へー君がういちゃんかー。なんて漢字書くの? ういって」
憂「憂慮の憂です」
?「へー。あ、私は瀧エリって言うんだ。エリって言ってね」
憂「は、はい……エリ、さん」
エリ「エリだけでいいよ、ま、いっか。それより、唯ちゃん家って、こっちだっけ?」
憂「いえ、もっと向こうです。どこにあるのかは、わかりませんけど」
エリ「えー? じゃあ、何でこんなとこに……、道に迷ったの?」
憂「そ、それもありますけど……」
エリ「けど?」
憂「私、家出してきたんです」
エリ「家出!?」
憂「は、はい」
エリ「親御さん心配してるんじゃないの?」
憂「いえ。両親はめったに帰ってきませんし……お姉ちゃんもいません」
エリ「泥棒入っちゃうよ」
憂「……いいんです。あんな家」
エリ「駄目だよ。家族ってのは大切にしなきゃ」
憂「……………………」
エリ「多少、嫌なところがあってもさ、それを認め合って、そして付き合っていくんだよ。それが家族でしょ」
憂「…………お姉ちゃんが」
エリ「お姉ちゃんが?」
憂は家出した理由を話した。
唯に対する鬱屈と、梓への嫉妬を語った。
エリ「……そんなのが、家出の理由?」
憂「そんなのって……」
エリ「そんなのはそんなのだよ。ただの我が侭じゃない」
憂「…………そうかも、しれません」
エリ「お姉ちゃんが――唯ちゃんが幸せならいいんでしょ?」
憂「…………はい」
エリ「なら、なおさら喜ばなきゃ。バージン卒業! ってことでお赤飯でも炊いて上げなよ」
憂「………………」
エリ「少なくとも、憂ちゃんが家出してたら、誰も幸せになれないよ」
エリ「皆、悲しむだけだよ」
憂「………………はい」
エリ「家まで、送ってってあげようか?」
憂「…………いいんですか?」
エリ「うん。いいよ」
憂「……ありがとうございます」
エリ「気にしないで。まず、桜高に向かおうか、そこから唯ちゃん家に行こう」
憂「…………はい」
エリ「あれ、憂ちゃん泣いてるよ?」
憂「え?」
エリ「ほら、可愛い顔なんだから、泣き顔は似合わないよ」
エリは憂の目元をぬぐう。
やわらかくて、あったかい。そんな指先の感触が、憂の頬を赤らめさせた。
最終更新:2010年09月19日 21:41