“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」
(中略)
今回は、前回に引き続き、第2話「戦闘!」をお送りします”
──宮崎県延岡市南西部
まだ初夏とはいえ、じっとしていても汗ばむ。
野戦であれば尚更のことだ。
曇天に遮られ、直射日光が当たらないのが唯一の救いである。
エリは、行軍中に前方から近付くヘリの機影を発見する。
各自取り急ぎ身を隠す。
そして、小隊長であるさわ子、否、山中軍曹から見立てを求められる。
「敵のWZ-9です!こちらには気付いてなさそうです」
「単機とはナメてるな。迷い込んだか?…おい琴吹、やれ。初陣だぞ!」
「…はい、どんとこいです!」
紬は、本物の武者震いを体験する。この一弾が命運を決するのだ。
地対空誘導弾を構える。
米軍旧式装備の払い下げとはいえ、失敗の言い訳にはならない。
回転翼の羽音が徐々に近付いてくるが、
次の瞬間にも、ヘリのミニガンが火を噴くのではないか、
そう思うとそれ以上に自らの呼吸音と心音が尋常でなく大きく聞こえた。
さわ子がタイミングを計る。
「まだだ…よく引きつけて、てっ!」
発射。
誘導弾は吸い込まれるようにして敵機に命中する。
回転翼が四散し、機体がバランスを失い、地表に落ちていく。
級友、いや、隊員たちの歓声が上がる。
紬は思わずガッツポーズを取った。が、
「センセ、捕虜は?」
「…“先生”はやめなさいと言ったはず」
というやりとりを耳にして、
(ああ、私は人を殺めてしまったのだな)
と実感し、前方の残骸から立ち上る煙をしばし眺めていた。
──私は不思議と、怖くも悲しくもなかった。
「じゃあ、第3班と第4班、…あと、琴吹はここに残れ」
しかし、そう言われて、私は第3班、第4班と共に残された。
おそらく、はたから見れば茫然自失の体だったのだろう。
山中軍曹らは残骸を調査しに行った。
あの高さから墜落しては生存者は居ないとは思う。
が、数分後、数発の銃声と手榴弾の炸裂音がして、辺りは騒然とした。
程なく、山中軍曹から「心配ない、すぐ戻る」と無線が入り、全員が無事帰った。
残骸を調べに行った人たちは、一様に暗い表情をしていた。
どんな状況であったかは、ある程度想像はつくけれど、所詮は想像でしかない。
残骸調べに行ったりっちゃんが私に近づいてきた。
簡体字で何やら書かれた銀紙製の包みを差し出しながら、
「ムギ、お手柄だったな。チョコレートがあったから食え!」
と言って、労をねぎらってくれた。
りっちゃんはぎこちなく笑っていたけれども、
その手は一見して分かるほどに震えていた。
何を見たのか。何をしたのか。私が言えた義理ではないのだけれど。
少し離れたところで、澪ちゃんが、唯ちゃんに背中をさすられて吐瀉していたが、
「しゃれこうべ…しゃれこうべ…」
吐きながら時折、うわごとのように繰り返していた。
その近くで、立花さんが段差に腰掛けて、片膝を右腕で抱えながら、
人差し指を曲げたり伸ばしたりしていた。
(彼女も撃ったのかしらね…。私みたいに)
溶けかかったチョコレートを一口頬張ると、確かに甘く感じた。
さらに時間は経過する。
───桜ヶ丘支廠会議室
「…では、教育振興局以外からは特段異論も無いので、
これを基本方針とし、必要に応じ微調整して進めよう。
これにて定例廠議は終了する。解散!」
支廠長の宣言とともに、会議の出席者たちは談笑しながら出口に流れていく。
(談笑の端々からマイセンやセッターといった単語が聞こえてくるけど、
このご時世、いったいどこで煙草など手に入れてきているのかしら…)
と、桜が丘支廠教育振興局学事課長は、徒労感で全身の筋肉が弛緩するのを覚え、
椅子の座面と背もたれに尻と背中が張り付いたかのような感覚に襲われる。
三年生でただ一人、徴兵されながらも才を買われて後方勤務に慰留され、
桜ヶ丘支廠の一課長となった、
真鍋和その人である。
───数十分前。
三年生出征後の軍需生産と兵役戦備の資源分配について折衝が行われていた。
「では金曜日についても生産動員に充当するということで」
「いや、後備役の練度に不安もありますし、その点ご配慮を」
「ちょ、ちょっと待ってください!教育局の頭越しに決められても困ります!」
居並ぶ支廠幹部連が「またか」といった表情で、学事課長、つまり私に向き直る。
めいめい、額に、眉間に、鼻に、口角に、皺を寄せている。
私は一瞬怯んだが、臆せず努めて冷静に主張する。
「もう週2日ずつ、つまり週4日、動員と訓練に割り当てられてます。
すでに高等学校教育課程の実施は極めて困難な時間しか残されていません。
これ以上の授業時間削減は、到底容認しかねます!」
「そう仰るが、では生産計画が達成不可能な場合はどうなります?
軍需局でなく教育局で責任が取れるのですか?」
先程まで兵務課長と鞘当てを演じていた生産課長が、
後退しかかった七三分けを撫で付けながら嫌みたらしく反論する。
さらに、腕組みをした角刈りの兵務課長が一瞥もくれずに言い捨てる。
「然り、戦備計画も同様です。そちらで責任を持つのなら話は別ですが」
「そ、それはそうですが!では逆に教育課程が実施不可能な場合、
他局他課で責任を取って頂けるのですかっ?」
私が声をうわずらせまいとしながら反駁すると、
短髪の胡麻塩頭の兵務戦備局長が事も無げに言う。
「…それはそもそも、支廠として関知することじゃあるまいよ。
それは桜ヶ丘高校の中で処理すべき問題。
高校側で、別途、課外授業等の策を講ずるべきものだ」
(週末さえ動員のある日も多いのに、課外授業の時間などあるものですか!)
そんな思いを飲み込んで耐えていると、
さらに、下ぶくれの軍需生産局長の猫なで声がする。
「まあ、教育局さんは既得権を害されると、そのォ、
多少、思うところがあるのはお察ししますがネェ…
私らも職責を全うせねばならんのですよ。その点、ご配意頂きたいですナ」
「…しかし!」
なおも必死に食い下がろうとする私に対して、
副支廠長が右手でオールバックを掻き上げながら、
左の掌をこちらに押しやる仕草をする。
「まぁまぁまぁ、学事課長の仰ることもわからんではない。
本件についての詳細は別途協議して微調整ということでいかがかな?」
“詳細は微調整”ということは、大筋の方針はこれで決まりということだ。
あとは条件闘争が関の山。予算、人員、権限の削減・縮小は免れない。
校長と副校長──教育振興局長と教務課長は、貝のように押し黙ったままだ。
校長の白髪交じりの口髭が、鼻息でかすかに揺れている。
────────
解散後の会議室には、教育振興局の局長と教務課長と学事課長、
──つまり、桜ヶ丘高校の校長と副校長と生徒会長の私だけが残っている。
「すまんね…。君にはいつもつらい思いをさせる。
だが私が正面から反論すれば彼らは本気で潰しに掛かってくるだろう…」
「予算などの削減幅はなんとか最小限に抑えるよう努力するが…」
「いえ、いいんです。いつもお気遣いありがとうございます。
もう、慣れましたから……」
校長らも退室して人気の絶えた会議室の末席で、
私は、どこにでもありそうな白と青の湯飲みを鷲掴みにすると、
冷め切った出がらしの番茶を一気に飲み干した。
深く息をつくと、壁に貼り付けてある支廠の組織図が目に入る。
国防軍関東被服廠桜が丘支廠組織図及び事務分掌(平成二十某年○月一日付)
支廠長
┣総務会計局 … 支廠における総務会計事務《局長:副支廠長兼務》
┃ ┣総務課 … 総務、秘書、儀典等
┃ ┣人事課 … 任免、考課、懲戒等
┃ ┣経理課 … 会計、予算、経理等
┃ ┗管財課 … 施設、消費財、光熱水道管理等
┣軍需生産局 … 支廠における軍需生産事務
┃ ┣調達課 … 設備、原材料、労働力の調達、動員等
┃ ┣管理課 … 設備、原材料、製品の管理等
┃ ┣生産課 … 被服
その他の生産等
┃ ┃ ┗各作業室等
┃ ┗検査課 … 被服その他の検品等
┃ ┗各検品室等
┣兵務戦備局 … 支廠における兵務戦備事務
┃ ┣兵務課 … 兵制、軍籍管理、警務等
┃ ┣軍務課 … 訓練、教練等
┃ ┣戦備課 … 兵器、車両、軍用品等調達・管理等
┃ ┗医事課 … 医務、薬務、衛生、防疫等
┗教育振興局 … 高等学校相当教育課程《局長:桜が丘女子高校校長兼務》
┣教務課 … 学校教育、教務活動等《課長:同校副校長兼務》
┗学事課 … 学校事務、庶務等《課長:同校生徒会長兼務》
“徴兵逃れ”と誹られ“生徒会長の職権濫用”と陰口を叩かれながら、
支廠の一課長として孤軍奮闘しているのも、高校のためを思えばこそだ。
しかし、そんな美辞麗句も職責を全うしてこそ説得力を持つ。
努力するのは当然のことで、成果も出ないままに教育体制はじわじわと蹂躙される。
むしろ、自分が意見を言えば「一応意見は承った」とガス抜きのダシにされて、
奸智と狡猾さに長けた狸親父どもの手のひらで踊らされるだけではないか。
これでは文字通り徴兵逃れの方便と邪推されても反論できない。
「生徒会で多少慣れたつもりでいたけれど、所詮は児戯だったわ。
官僚機構ってこういうものなのね…」
私は、そう呟くと、空いた湯飲みを茶托が割れんばかりに叩き置き、
そして机に伏して、自らの力不足を呪った。
──宮崎県日向市西郊
本日は晴天なり。じりじりと照りつける太陽が憎い。
すでに桜ヶ丘中隊は最前線での戦闘にも巻き込まれ、疲労の色が濃い。
練度、武装共に非力極まる中隊には負担が重すぎるが、
2組、いや第2小隊には戦死者も負傷者もいないのが唯一の幸いである。
お陰でみんな、良くも悪くも、戦闘には馴れてきてしまっている。
……約一名を除いて。
海岸沿いに比べて守りが手薄なのを衝かれた。
敵陣の方向から信号弾が打ち上げられ、
太鼓や銅鑼の音とともに敵兵が雲霞の如く攻め寄せる。
律は焦っていた。
やばい。マジでやばい。これが本物の人海戦術ってやつか。
横山光輝のマンガじゃあるまいし、今どきこんなムチャな攻め方なんて。
敵の火力も弱いのだけが救いだがこりゃまずいぞ。
一人十殺、もしかしたらやれるんじゃないか?別にやりたくはないけど。
でも、マジでやらなきゃこっちが死ぬ!
そう思った刹那、鼻先にあった土くれに弾丸が当たって砂埃と化し、
跳弾が頬をかすめる。
「あっ…ぶねえなオイ!殺す気か!」
思わずそう叫んだ瞬間気付いた。
そうだ。相手は私たちを殺す気なのだ。その逆も、また然り。
「ぎゅいーん!ばぁん!ばぁん!」
唯は照準器に全く目を合わせていないにも拘わらず、
それなりの精度で寄せ来る敵兵に弾丸を命中させている。
「よしきた!」
紬が遠投した手榴弾が土手の向こうに投げ込まれると、
一拍措いて、爆発と共に大小様々な人体の肉片、血塊が弾け飛ぶ。
「見えない聞こえない見えない聞こえない…」
そして、澪はただ震えていた。
戦うことは無論、このおぞましい光景を正視どころか覗き見ることもできず、
その両まぶたはしわが寄るくらいに固くつぶられている。
その両手は、耳に入る音を遮断すべく耳介が潰れるほど押さえつけるが、
それも無駄な抵抗だった。
視覚と聴覚を、なしうる限りに閉ざしても、外界の状況が手に取るようにわかる。
内耳に直接響くような発砲。銃砲弾が笛の鳴るように空を切る。
腹腔まで揺さぶるほどの着弾。砲弾片が梢をなぎ払う。
巻き上げられた土砂が降ってくる。鉄鉢にぱらぱらと当たる。
敵の太鼓と銅鑼。吶喊。叫び声。悲鳴。
怒声。舌打ち。誰かが投げた手榴弾が爆ぜる。
弾倉を交換する。射撃。そして、射撃。
銃弾が地面を、そして人体をうがつ。岩石に当たって鋭く跳ねる。
薬きょうが砂れきの上を滑って転がり、小石に当たる。
軍靴が草木を踏みしめ、枯れ枝が折れる。
空になった水筒を誰かが蹴飛ばす。
わずかに残った水が水筒の口からこぼれる。
そして、鼻からも臭いがなだれ込む。
陣地の人いきれ。汗。血。消毒薬。包帯の脂。
缶詰に残った腐りかけの食料のかす。
硝煙。鉄。熱を持った銃身。
焼けた薬きょうが地表の枯れ草を焼く。
湿った土と乾いた砂。
とっさに片手を耳から放して鼻をつまもうとすると、息ができず口が開く。
湿った生ぬるく埃っぽい空気が肺腑を汚す。
口から鼻にも空気が逆流し再び嗅覚を犯す。そして嘔吐する。
今日、もう何度目だろう。すでに胃液もほとんど出ない。
恐怖による冷や汗と炎天による脂汗で、戦闘服はべったりと皮膚に張り付く。
被った鉄鉢の中は、火鉢のように熱い。軍靴の中も、脂でぬかるみのようだ。
澪は、これでも気を失わない自分を恨めしく思った。
いっそ、気が触れでもした方がどれほど楽なことか。
「迫撃砲は何してる!まともな火砲あれしかねぇんだぞ!中隊本部に無線を!」
「無線通じません!迫撃砲が沈黙しているのと関係が…」
さわ子が苛立ちを隠せず怒声を上げると、風子が埃まみれの眼鏡を直して答える。
「そんなこと考えるな!今は撃って撃って撃ちまくれ!」
さわ子は一喝するが、数歩離れた機銃座から、姫子の声が上がる。
「残弾、残りわずか!」
「第3小隊がすぐ隣にいるはずだ!何とか分けてもらってこい!」
さわ子の命令が聞こえた律は、後方に視線を向け、
岩陰で頭を抱えている澪に呼び掛ける。
「澪!澪!弾!弾持ってこい!澪ーッ!お前しか手ぇ空いてねえんだよ!」
「怖いよ…」
「ふざけんな馬鹿ッ!ぶん殴られたいのか!」
「嫌だ!嫌だ!」
「…もういい、さわちゃん!私行きます!」
さわ子が“さわちゃん言うな!”と叫んだのが聞こえたのかどうか。
律がそう言い残して、ガクガクとただ震えるばかりの澪を無視し、
弾雨の中を走り出したのと同じ瞬間、
あかねは、双眼鏡の中ににわかに信じがたい光景を見る。
(ロケット砲!?こんな混戦状態のところに打ち込むつもり!?)
しかし、双眼鏡の向こう側からは次々とロケット弾が弾き出される。
あかねは生まれてこのかた最大の声を振り絞って叫ぶ。
「みんな伏せて!カチューシャ!!」
「りっちゃんカチューシャ!」
「…は?」
律は、あかねと唯の叫びの意図を図りかねて、振り向きざまに、
被った鉄鉢の下にある自分のカチューシャに手を伸ばそうとした。
「違うのよッ!伏せて!」
「お前ら飛び出すな!頭下げろ!」
「危ない!」
唯と紬が律に飛びかかろうと、そして、
それを止めようとしたさわ子を姫子が抱きすくめようとした、その瞬間──
[第2話 終]
最終更新:2010年09月21日 23:39