“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」
(中略)
今回は、前回に引き続き、第4話「傷病兵!」をお送りします”
数日後、私は憂を連れて再び3年2組の教室を訪れる。
無着色エボナイトの真っ黒なカチューシャを持って。
「梓、何しに来たんだよ、それに憂ちゃんまで。笑いに来たのか」
「いえ、律先輩にこれを持ってきました」
「…へえ、被服廠って、こんな小物も作ってたのか」
カチューシャを思いのほか感心して眺めている律先輩の問いに、
憂が若干の戸惑いを浮かべつつも微笑んで応じる。
「梓ちゃんが検品でハネられた中から拝借してきてくれたんですよ」
「被服廠の数少ない役得なんですから、受け取ってください。
カチューシャは、律先輩のトレードマークですからね」
私が律先輩の前髪をかき上げて額にカチューシャをあてがうと、
やっと、律先輩ははにかみを浮かべた。
「ありがと。…この前は、すまなかったな」
他の先輩方の消息をようやく訊くことができた。
しかし、詳しくは知らないという。
律先輩が負傷した戦闘では、他にも多数の死傷者が出たようだが、
後送順序や負傷の治療状況が違うので、今回の後送者で終わりではないようだ。
「あの告知は私も最近知ったけど、私がケガする前の死傷者も混ざってたし」
「そんな…、じゃあお姉ちゃんも無事とは限らないんですか!?」
「悪いが、きっと私だけじゃないぞ。…梓、憂ちゃん、覚悟はしとけ」
さらに数日後、律先輩の憂慮は現実のものとなる。
『戦死者並びに戦傷者及び戦病者等の公告 ○年▽月●日 兵務課』
“標記の件について、下記のとおり公告する。
○年▽月●日
服桜支兵兵第75号
兵務戦備局兵務課長 印
氏 名 所 属 摘 要
愛川 甲美 第4小隊 戦傷
秋山 澪 第2小隊 戦傷
衛藤 乙子 第3小隊 戦傷
加賀屋丙理 第3小隊 戦死
琴吹 紬 第2小隊 戦傷
嶋野 丁子 第1小隊 戦死
瀬戸口 戊 第4小隊 戦傷
手島 己奈 第5小隊 戦傷
野田 恵 第1小隊 戦病
(五十音順)以上9名”
少し早めに出勤したはずなのに、掲示板の前で長い時間固まっていたのだろう、
憂と純に背後から声を掛けられた。
「おはよう、梓ちゃん」
「どうしたの梓?」
返事のできない私の目線を、二人が追う。その先にはこの文書。
憂は言葉に詰まり、純までもがその文書の内容を直視できずにいる。
「……澪先輩や紬先輩まで…。お姉ちゃんはどうなったの…っ」
「はは…ウソ、ウソでしょ?ねえ梓?」
ホームルーム開始のチャイムが鳴り、心配した担任に呼び寄せられて、
ようやく私たちは教室に入る。憂はそのまま医務室に連れていかれた。
私も作業が手に付かず、樹脂を金型から打ち出すとき、指を挟みそうになった。
純は、成型器に指先を挟んで爪を割ってしまった。
その後、ようやく落ち着きを取り戻した私は、律先輩のときのように、
数日間、軍用トラックの到着を注意深く観察していたが、その気配はない。
昼休み、もさもさした豆ご飯を頬張りながら三人で小声で話す。
「そういえば、純も憂も最近軍用トラックとか見てないよね?」
「確かに、最初の後送のときみたいに来てないね」
「私もお姉ちゃんの消息が気になるから、一応気にしてたけど見てないよ…」
その翌々日の朝、私は、一本の真新しい車両の轍が、
原料製品搬入口とは異なる方向に伸びているのに気付いた。
(前回の後送の騒ぎを再発させないように、始業前に運んだ…?)
そう思った私は、昼休みに、3年2組の教室に赴く。
3年生の教室階に足を踏み入れると、例の臭いが充満している。
そぼ降る霧雨が、その臭い、そして病室の陰鬱さを引き立てる。
そして、明らかに、各教室から漏れ聞こえるざわめきが増している。
間違いない。すでに、新たな後送者は来ている。
2組の前まで来ると、中からぼそぼそと低い話し声が聞こえる。
律先輩独りだけなら話をするはずもない。
やはり澪先輩とムギ先輩も帰ってきてるんだ。
再会の喜び1割、不安9割といった心境のまま、思い切ってノックし教室に入る。
「…失礼します、こんにちは」
「その声は梓か?」
「あっ、梓ちゃん」
「おす、梓」
寝台の上にあぐらをかいている律先輩が右手を軽く挙げる。
その寝台の周りにいる、紬先輩と澪先輩がこちらを振り向く。
三人とも同じ病衣を着ている。
紬先輩だけ椅子に掛けている。顔を一見してもだいぶ痩せたように見える。
つややかだったはずの金髪も、その輝きの衰えは隠しきれない。
窓枠に軽くもたれている澪先輩も、負傷の治療などで支障があったのか、
長く豊かだった黒髪は、律先輩の髪と同じくらい、ばっさりと短く切られている。
代わりに、その黒髪とお揃いのような黒いサングラスを掛けている。
「澪先輩、ムギ先輩、お久しぶりです。帰ってたんですね。掲示板に告知が…」
律先輩が言う。
「二人とも、今朝帰ってきたばっかだよ」
私は、教室の敷居をまたいで、さらに三人に近付いて気付く。
紬先輩が腰を掛けているのはただの椅子ではない。車いすだ。
膝掛けのブランケットの裾の下には、本来は見えるであろう足が見えない。
正確には、もはや存在しないのだと思う。
「あっ、ご、ごめんね梓ちゃん、びっくりするわよね」
「いえ、その…すみません、正直、驚きました」
「見て分かると思うけど、…なくなっちゃったの」
律先輩のときと違って極力自然体になるよう心の準備はしていたはずだが、
私の顔にはしっかり戸惑いの色が出てしまっていたのだろう、
紬先輩が私に謝る。謝る理由はないのに。
次いで、私は澪先輩に視線を移す。
(髪の毛を切らなきゃいけないようなケガを負ったのかな…
でも目立った外傷はなさそうだし…)
そんなことを考えながらしげしげと澪先輩を見つめるが、気付く気配がない。
見かねた律先輩が助け船を出す。
「おい澪。梓が何か聞きたそうだぞ」
「ああ、ごめん。気付かなくってさ。何だ?」
「あの、澪先輩は…」
私が言葉を慎重に選んでいると、律先輩が口を挟む。
「気付かないじゃなくて、見えない、だろ」
「律、先に言うなよ」
「それって…」
私が質問するより早く、澪先輩はサングラスを外し、まぶたを開ける。
雨天の屋内でサングラスをしている時点で気付くべきだった。
薄明かりの中、両目の眼窩の暗闇に吸い込まれそうになる。
私は思わず息を飲む。
「ごめんな。驚かせたか?見てのとおりだよ。ロケット弾の破片で。
今度、義眼を作ることになってるんだ」
「…そうですか」
我ながら気の利かない受け答えだと思ったが、
この状況で気の利いた受け答えができる人間がどれだけいるだろうか。
私は気を取り直して、話を進める。
「あの、唯先輩の消息はご存じないですか?
憂もすごく心配して取り乱してるので、手がかりだけでも…」
「申し訳ないんだけど、私たちも知らないの…」
「私とムギも、病院は別で、トラックに詰め込まれて初めて再会したくらいだし」
「でもすでに学年の約1割が戦死傷だからなぁ。唯も無事かどうか…」
やはり、唯先輩の安否の手がかりはない。
軍事情報がダダ漏れになるはずもないから、当然といえば当然か。
しばらく話していると、澪先輩から、誰にともなく頼みが出る。
「ごめん、ちょっとトイレ行きたいんだけど、誰か付き添ってくれるかな。
白杖だけじゃどうにもならないよ。まだ慣れてないし」
「んじゃ久々にツレションしますか!代わりに澪の肩貸してくれ。
こういうときでもないと部屋の外に出ないしな」
答えた律先輩は寝台から右足を下ろす。
寝台の脇には義手や義足が置いてあるが、付ける様子はない。
私はそれらに目を向けながら質問する。
「あの、こういうの付けなくて大丈夫なんですか?」
「レディーメイドの補装具って重いし暑いし、付けたり外したり面倒だしさ」
「そのうちちゃんとオーダーメイドで作りたいわね」
「…そんな金どこから出るんだよ」
ムギ先輩の何気ない一言に、自嘲気味に答えた律先輩は、
他の寝台や澪先輩の肩につかまって片足跳びしながら、教室のドアに向かっていった。
「ドアの取っ手、10センチくらい左」
「ん、このへんか?」
「あーもう行き過ぎ行き過ぎ」
二人羽織のようなやりとりを数回繰り広げて、二人は出て行った。
私とムギ先輩だけが残される。
「…梓ちゃん、本当に、ごめんなさい、本当に。こんなことになっちゃって」
「…いえ」
(なんで謝るんですか!先輩方は悪くないのに!)
本当は、この前、私自身が律先輩から言われたような言葉を返したかったが、
かつての鷹揚でおっとりした雰囲気は消え失せ、卑屈な苦笑を浮かべながら、
上目遣いに話しかけてくるムギ先輩の姿を見ていると、
そんな気力さえも萎えてしまった。
すると、廊下から大きな物音が響く。
気になって教室のドアから様子を見ると、
少し先で律先輩と澪先輩が折り重なって倒れている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「…いたたた。盛大に転んだなぁ」
「痛っ…梓か?そのへんに白杖ないか?」
「二人とも無理しないでください。立てますか?」
私は、右肩に澪先輩の左手をかけ、左肩を律先輩に貸して、
廊下をゆっくりと歩いた。
私は二人のやりとりを黙って聞いていた。
「あはは、義足なしじゃ一人でトイレも行けないからって、横着するもんじゃねーな!
義手はともかく義足くらいつけてくりゃよかった、ははは」
「ふう、一人どころか二人でもトイレにさえ行けないじゃないか。情けない」
徐々に、二人の声が震えてくる。
「ホントになぁ。後輩に文字通りおんぶにだっこ状態だよ。情けないよなぁ」
「私は情けないし、腹立たしいし、申し訳ないし、悔しいぞ」
「…澪、お前、怒るかもしれないけど、ちょっとだけ、うらやましいよ。
もう、悔し涙も、出ないんだろ。その目。はは、ははは」
「律ぅ、ふざけたこと、言わないでくれよ。一応、涙腺は、生きてるんだぞ…」
実際、長い時間がかかったのだけれども、
トイレまでの十数メートルが、恐ろしく、いや、悲しくなるほど長く感じられた。
私は、澪先輩のサングラスの陰から、一筋の体液が流れるのを見た。
二人がトイレに入っている間、私はそのむせぶ声を聞きながら待っていた。
「…梓、3年2組行ったんでしょ?どうだった?」
昼休みの終わり間際、教室に戻ると、純が私に問う。
憂と純には、3年2組の教室に行くことは伝えていなかったが、
私の顔色からあっさりとバレてしまったようだ。
「澪先輩も、ムギ先輩もいたけど…。目とか、足とか…」
「そっか、そうだよね。後送されるくらいだもん、ね」
純が、日頃の明るさとは打って変わって気詰まりな声を出すと、
憂が、あきらめ混じりに、私に問いかける。
「やっぱり、お姉ちゃんのことはわからないよね?」
「うん…、ごめんね。憂」
「仕方ないよ。誰のせいでもないもの…」
そう。誰のせいでもないのだ。
なのに、なぜこんなことになったのか。そう嘆かずにはいられない。
この日の天候以上に、私たちの心は暗く塞いだ。
[第4話 終]
最終更新:2010年09月21日 23:43