“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」

 (中略)

 今回は、前回に引き続き、第5話「外泊許可!」をお送りします”



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http://www.youtube.com/watch?v=oBg1yk7EngY
Johnny Horton



ある週末。

容態の安定した傷病兵に外泊許可が下りた。
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琴吹紬の場合。

 「…お久しゅうございます、お嬢様」

そう言って深々と礼をする斎藤の頭髪には、
わずかな月日の合間に、目立って白いものが増えた。

幼い頃から陰に日に付き従ってきたこの老執事は、
今の私の姿を見て、どのような心境なのだろうか。

 「…斎藤も、お疲れさま」

 「さ、あちらに車を回しておりますので」


斎藤に車いすを押され、私は車寄せへと向かう。

車道は閑散としており、車は滑るように走っていく。
時折、トラックや軍用車の車列とすれ違う。

(“ガソリンの一滴は、血の一滴”…か)

ガソリンが配給制となってから、自家用車の姿はめっきり減った。

 「お父様とお母様は?」

 「旦那様は、軍当局との緊急の折衝で盛岡の砲兵工廠に行かれました。
  奥様は夕食までにはお戻りになる予定です」

 「そう…」


夕食。

お母様が、再会の喜びを表し、労をねぎらう。
動揺の色を少しでも悟られまいと気を遣っているのがわかる。

 「紬、おかえりなさい。大変だったでしょう?」

 「ええ…」

気乗りのしないまま、ひと口、ふた口、
私の帰宅のために、シェフが腕によりをかけて作ったであろう、
豪勢な夕食をついばむように口に運ぶ。


丁寧に裏ごしされたヴィシソワーズ。
新鮮な生野菜と白身魚のマリネ。
ハーブの利いた肉汁の溢れる若鶏のコンフィ。
なめらかでとろけるように甘いブラマンジェ。
もちろん食後には紅茶も砂糖もあるはずだ。

 「あの人も楽しみにしていたのだけれど盛岡に…」

私はお母様の言葉を聞いて、ナイフとフォークを止める。

 「本当かしら。娘に合わせる顔がないのではなくて?
  聞いたわ。砲兵工廠に行かれたそうね。
  先週は、福島の航空工廠に。その前は舞鶴の造船廠。
  …お父様は、やはり生粋の“死の商人”ね!」

私は、車いすを超信地旋回のように鋭く翻して、食卓を後にする。

 「紬っ!」

母の叱責を背中に聞きながら、私は大食堂の外に車いすを駆り立てる。



籠の鳥のごとく無批判に両親の庇護を受けてきた私も、
高校生になってからは、人並みに葛藤を感じるようになっていた。

両親との関係を決定的に変える契機になったのは、
琴吹家の事業が軍需産業への傾斜を強めて巨利を得る一方、
両親が私を徴兵免除させるべく政官界に手を回していることを知ったことだ。

人の親の情けの常とはいえ、私には決して許し得ないことだった。
私は激怒し、両親を激しく非難したが、
生まれて初めて、お父様に頬を張られ、お母様に親不孝者と罵られた。


結局、私は、自らの意志で軽音部の仲間と同じく徴兵に応じた。

徴兵が決まってから、軽音部の仲間に悟られぬよう、
放課後のお茶とお菓子を徐々に減らしていった。

本当は、お茶もお菓子も手に入れようと思えば、いくらでもできた。
でも、私はそれらを敢えて手に入れなかった。

それが私の意志であり、義務でもあった。


両親と同じような人生は歩みたくない。
その思いは、戦地に赴いてから、一層強くなった。

傷つき倒れていく兵士たち、学友たち。

一口でいい、水が飲みたい、甘いものが欲しい。
いまわの際、うわごとのように呟きながらその声が途絶えていく。

そんな光景を目にしながら、どうして私一人が、
安寧をむさぼることができようか。

今こうして生きているだけでも居たたまれないほどなのに。


そして私もまた、負傷し、後送された。

これが“一般庶民”であれば、名誉の負傷と言われる義理もあるだろうが、
しかし、琴吹の人間である私にとっては当然の報い。自己満足でしかない。

こんなことなら、世間から後ろ指を指されても、親にすがって、
軽音部の仲間たちも含めて、徴兵逃れさせればよかったのではないか。
私一人の意地のため、かけがえのない友を犠牲にしたのではないか。
そんな疑念さえ、じわりと心底から染み出てくる。

そう感じると、軽音部の仲間に対してすら卑屈になってしまう。
そんな自分の卑屈さを悟られまいとすると、余計仲間に対して壁を感じる。

結局、親への身命を賭した反抗すら、
どんなに反抗しても琴吹の血との縁は切れない、という
予定調和の秩序への依存があるからこそだ。

傲岸不遜なる内弁慶の外地蔵。


今この瞬間も、琴吹のカネの源泉は、軍に納めた兵器類。
級友たちを危険にさらし、その生き血をすするも同然の所業だ。
ゆえに、この身の血肉は、そのまま、他の誰かの血肉でできている。

そう考えると、急激に猛烈な嘔吐感がこみ上げる。


洗面所で、先刻申し訳程度に口にした晩餐を跡形もなく嘔吐すると、
自然と、私はあの部屋に向かった。
少しでも、この罪悪感を紛らわせたかった。

窓から差し込む月光の薄明かりの中で、
以前と変わらず、グランドピアノと、そしてキーボードがたたずんでいる。

(ペダルも踏めなければピアノはままならないけれど、キーボードなら…)

そう思ったが、それ以上に、今や所詮こんなことは金持ちの道楽に過ぎない。
そんな思いが募り、車いすを進めるのを止めた。


薄暗い室内にたたずんでいると、背後に人の気配を感じた。

 「やはり、ここでしたか」

 「…斎藤、私が決めたことは、誤っていたのかしら」

 「………それもまた、お嬢様が決めることでございましょう」

 「そう、ね。こんなことを訊くこと自体、甘えでしかないわよね」

青白い月の光が冷たく差し込む部屋の中で、
車いすの上、掛けるべき膝を失った膝掛けに、涕泗がにじんだ。



秋山澪の場合。


貴重なガソリンを使って、ママが自動車で迎えに来てくれるみたいだ。
確かに、かつて通学路であったとはいえ、白杖だけで家路につく自信はない。

昇降口で待つ。
なるべくみすぼらしくならないよう、前髪や服の裾を整えるが、
いかんせんどうなっているのか確かめる手立てがない。

義眼を入れているので、見た目で極端に驚くことはないと思うけど…
緊張に満ちた漆黒の視界の中で、神経を研ぎ澄ませる。

足音が近付き、目の前で止まった。そして、懐かしいママの声。

 「お帰りなさい。澪。髪、切ったのね」

 「迎えに来てくれてありがとう、ママ」

 「…私はこっちよ」

 「ごめん。……見えなくて」


微妙にズレた角度に挨拶をしていたらしく、ママにたしなめられる。
目のことはあらかじめ伝えていたことだったから、
隠すつもりもなかったが、やはりショックだ。


白杖で地面を叩きつつ、ママに手を添えられて歩く。
自動車に乗り込むとき、車体に側頭部をぶつけてしまった。

皮肉なものだ。戦場ではあれほど疎ましかった視覚がないと、
一人ではどこにも行けない。当然といえば当然のことだけど…

 「今日は、ブリ大根にするからね。白いご飯もあるから」

 「へえ、魚があるんだ。楽しみだな。工廠では雑穀が多くて」

お互いに平静を装っているが、久々の再会も相まって、
不安のさぐり合いをしているかのようだ。


久しぶりに家に着く。とはいえ、家の姿を確かめることはできない。
しかし、独特の香りが、自宅に到着したことを実感させてくれた。

 「大丈夫なの?」

 「大丈夫だよ。この家でずっと過ごしてたんだから。ご飯ができたら呼んで」

夕食まで時間があるので、ママの心配をよそに自室を目指す。
玄関から、記憶の中のだいたいの距離感を頼りに、おずおずと歩く。
階段の段数など意外と覚えていないものだ。


自室と思われる部屋に着く。部屋の家具の配置からすると間違いないだろう。

 「机がこのへんでその上にパソコンが…」

手でまさぐりながら確認する。PCの電源ボタンを探して押す。
起動音がして、ハードディスクの回転音がする。

 「ちゃんとしたドキュメントリーダとか買わないとな…」

もちろんこのままの状態では、PCを満足に扱うことなどできないだろう。
それでも、勘を試してみたかった。

 「ふふ、文字通りブラインドタッチだな、これは。
  あ、今はそう言わないんだっけ」

そんなふうに苦笑して、キーボードに手を載せる。
ハードディスクの回転音と振動が収まるのを待つ。

ひとまず軽音部の練習を録音したファイルでも再生してみようと、
初期のカーソル位置から推測して、慎重にキーを押すが、すぐに行き詰まる。
不愉快なエラー音がして、完全に見当が付かなくなる。

 「…パパが帰ってきたら、手伝ってもらおう」

実際には全部やってもらうことになるだろうと思うと、やるせなくなる。
電源ボタンを押して強制終了したPCからの音が消える。

手持ちぶさたでベッドに横になる。

階下からはほのかに、ブリの生臭さ、醤油、みりん、砂糖などの香りが漂ってくる。
貴重な魚と調味料を、私のために用立ててくれたのだろう。

外からは、鳥の鳴き声、虫の声がする。
時折、自転車のベルの音や、郵便受けがカタと鳴る音が近付き、また遠ざかる。

 「夕刊を配る音か。郵便配達はもっと早い時刻のはずだし」

時間を知る術さえも、聞こえる音と、自分の腹時計くらいしかない。
もっとも、最近は常に空腹気味なので、腹時計はあてにならないが。


 「…ベース、あるのかな」

私はふと、そんな思いを抱く。

記憶を頼りに、いつもベースを置いていた場所をまさぐるが、
探し当てることができない。

私は、やや大きな声で階下で夕食の準備をしているはずのママに問いかけた。

 「ママー、ベース知らない?」

 「部屋にあるわよー」

そう。この漆黒に閉ざされた部屋のどこかにあるはずなのだ。
私には、わずか十数平米の自室が、茫漠たる異境の荒野のように感じられた。

せいぜい5分くらいか。いや、数十分か。それもよく分からない。
私は汗だくになって、悔し紛れに部屋中をさまよい歩き、はいずり回る。

 「どこだよ…どこにあるんだよ…っ」

机やベッドの角に頭をぶつける。
壁や家具にぶつけた指の爪が割れる。
本棚やサイドボードから小物が倒れて落ちる。

再び頭をぶつけた衝撃で、ずれた義眼の位置を直していると、
階下から、ママの声がした。

 「あ、そうそう、あなたが帰ってくるから、
  少し部屋を掃除してクロゼットの奥に…
  ! ……ご、ごめんなさい!!澪!澪っ!」

鷹揚な呼び掛け、次いで、叫ぶような謝罪の声、
そして階段を駆け上がる足音が聞こえてくる。

(なんだ。ここには初めからなかったのか。気付かないなんてバカだな)

そう思った瞬間、本来の機能を失ったその両目に残された唯一の機能が起動する。
偽りの眼球を嵌め込まれた眼窩から、私は涙腺すら枯れるほどに滂沱した。



田井中律の場合。


おっしゃ!

後送後初めての外泊許可。病衣を脱ぐのも久々だ。
聡が迎えに来てくれる予定。……もちろん不安はある。

 「おう聡!元気してたか~?」

病室で待ちきれず昇降口で待ちかまえていた私の目に、聡の姿が映る。
私はわざと左腕の義手を大きく振って聡を迎える。

一応、事前に伝えてはいたものの、
至近距離でいきなり義手義足を見せられてはショックを受けるだろう。
多少はそれを和らげられるといいのだが。

 「…姉ちゃん、お帰り!荷物持つよ」

 「ありがと。持つべきものは良き弟だねぇ~」

できた弟だよ。ホントに。

家への道すがら、いろいろ話す。
せっかく週末に帰宅だというのに、両親とも仕事でいないらしい。

 「姉ちゃんが帰ってくるから、今日は俺が晩飯作るよ!」

 「お前そんなに料理できた?何作るんだよ」

 「なんと玉子丼!」

 「うっそ!マジで!?鶏卵?エッグ?貴重品じゃんか!」

 「ご飯もたっぷりあるよ」

 「雑穀や麦飯じゃないよな!銀シャリ?白米?ホワイトライス!?」

 「もちろん!卵余ってるから、目玉焼きにでもする?」

 「んじゃあ、私が茶碗蒸し作ってやるよ。今日は卵パーティーだ!」


ったく、知らない間にまた少し大きくなっちゃって。
それでもゆっくり歩いてるつもりだろうけど、
この足でお前と歩調合わせるの結構きついんだよ。


久しぶりに自宅の敷居をまたぐ。
リビングのソファに腰を下ろすと左腕の義手を外し、
荷物を持ってウロウロしている聡の後頭部にお見舞いする。

 「ロケットパァーンチ!」

 「痛って!マジでシャレにならないから!」

 「はっはっは!私はサイボーグとして生まれ変わったのだよ!」

聡もこの様子なら大丈夫だろう。
茶碗蒸しの出し汁の準備に取りかかる。片手で何とかなるだろ。
しかしいつの間に玉子丼の作り方なんか覚えてくれたのか。嬉しいねえ。

 「あ、レンゲ取って。じゃあいただきまーす!」

 「いただきまーす!」

感傷は抜きにして、久々の親子丼はマジ旨い。白米との相性も抜群。
茶碗蒸しもブランクがあったわりには上出来だ。

テレビが自由に見られるのも自宅ならではだ。
本当は御上のお達しで電力節約のため1日2時間しか見ちゃいけないらしい。

“おいらはドラマ~、やくざなドラマ~…”

CMを見ていたら、思わず箸で丼のふちを叩いていた。

 「姉ちゃん、行儀悪いぞ」

 「お、すまんすまん」

……やっぱり未練があるのかね。


風呂を沸かしてもらったので、入ることにした。
ずっとシャワーばかりだったから、湯船に入るのは楽しみだ。
さて、左の義足も外したまではいいが、どうやって入ったものか…

片足跳びで湯船の縁に腰掛けて、慎重に、右足を湯船に入れて、
と思っていたら、派手に踏み外した。

 「ぶふぉっ!…げほ!」

せっかく九死に一生を得たのに、風呂で溺死とか、間抜け過ぎる。
赤髭フリードリヒ1世じゃねーんだぞ。お、私インテリ。

何とか体勢を立て直すが、風呂の派手な波音を聞いて、聡がドアを開ける。

 「おい!姉ちゃん大丈夫か!?」

 「バッカヤロ!覗くな!」

聡に洗面器を投げつけて追い払った後、しばらく湯船でくつろぐ。

(はー極楽極楽、って、極楽にはまだ早いな)

水面下に視線を移すと、自分自身の欠けた裸体がゆらいでいる。

(これから、私の人生どうなる…ってか、どうすんだよ?どうできる?)

鼻まで湯に浸かってブクブクしていると、また聡の声が聞こえる。

 「姉ちゃん、背中流そうか?」

 「エロガキ。自分でやるよ」

 「無理だろそれ。あと右手で右手とか絶対洗えないし」

 「……じゃあいいよ。ただし見るなよ、絶対見るなよ!」

聡に背中を流してもらう。
一緒に風呂に入るのは小学校のとき以来だろうかなあ。
右腕も洗ってもらう。まんざらでもないがやはり恥ずかしい。

聡がおもむろに口を開く。

 「姉ちゃん、これからは何かあったら俺に言ってくれよ」

 「心配すんな。身の回りのことは一通りできるから」

 「でも本当に必要なときは遠慮すんなよ」

 「…ありがと。気持ちだけもらっとくわ」


風呂をあがった後、私は自室に入った。
出征前と変わらぬ室内は、きれいに掃除が行き届いている。

 (確かこのへんに…)

私はドラムスティックを手に取った。もちろん、一本だけだが。
積んである雑誌の束を一度だけ叩く。利き腕が吹っ飛ばなくて良かったと思う。

しかし、残されたもう一本のスティックを眺めれば、それだけで胸が疼く。
出征前に自宅に引き上げたドラムセットも、
どこかにしまってあるはずだが、今の私には直視する勇気はない。

 (どうか、もう一度…)

自宅に帰る道すがら密かに抱いていた、砂糖のように甘く湿った感傷は、
瞬く間に塩に変わって潮解し、その露が両眼から溢れる。

 「…やっぱ、無理だ、な」

私はそのままベッドに片足跳びで飛び込み、そして、枕を濡らした。

                                 [第5話 終]


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最終更新:2010年09月21日 23:44