“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」
(中略)
今回は、前回に引き続き、第8話「検品室!」をお送りします”
数日後。
半日使って、徴兵検査を行った。とはいえ、この前の予備調査よりいい加減だった。
もはや、利き手の人差し指が動けばいい、くらいの基準なのだろう。
少なくとも、周りで不合格になった人は、誰もいなかった。
具体的にいつ戦地に向かうことになるのだろう。
日を追って多忙となり、被服廠の生産ラインはフル稼働状態となる。
延長操業と軍事教練の拡大で授業時間はさらに減少し、
私も作業棟と検品室をコマネズミのように慌ただしく往復するばかりの日が増えた。
私は検品用の製品を放り投げるようにして検品室に持ち込む。
「これも検品お願いします!あと2往復は来ると思います」
ムギ先輩が嘆息すると、澪先輩が不安そうに頭を抱える。
「今日も残業ね。日が変わる前に終わるかしら」
「量はともかく、品種が増えると検査の仕方がわからないんだよ…」
そんな澪先輩に、律先輩が発破を掛ける。
「澪、見えないならとにかく触って覚えろ。
は~、指一本でも動く限りは働けってか。お国はやることえげつないな!」
つかの間の昼休み。
私も製品を届けるついでに、第32検品室で先輩方ともに昼食の芋粥を食べる。
律先輩は、湯飲みに入った白湯を一口飲むと、苛立ちも隠さず、
部屋のあちこちに積まれた軍靴の山を見回して澪先輩をなじる。
「サイズ違うの混ぜるなよ。どーすんだこれ。検品し直しだ。終わんないぞ」
「律、ごめん。だって、見えないし、そんな微妙なサイズの差なんか…」
「言い訳すんな!納期に遅れて怒られるのは室長の私なんだ!」
そう言って律先輩が右手で机を叩くと、澪先輩はその身をびくりと強ばらせる。
机上にあるアルマイト食器がカタカタと鳴る。
澪先輩がうろたえながら軍靴の山をまさぐろうと立ち上がる。
「す、すぐやり直すから!許してくれよ…」
「やっぱいいよ、澪は。また間違われたらシャレにならないからさ」
ムギ先輩と私が、その場を取りなそうと言葉を挟む。
「りっちゃん、あなた疲れてるのよ。私ももっと頑張るから、ね?」
「律先輩、私も手伝いますから!今日の午後は空いてますし…」
澪先輩以外の三人で、黙々と軍靴の検品が続く。
澪先輩は、軍靴の中にひたすら古新聞を丸めて詰めている。
律先輩が額の汗を拭いながら業務日報を書いている。
「26.0cm、80組中、合格78組、と」
「あ、新聞紙なくなっちゃった」
「澪、そこだ」
「そこじゃわかんないよ…」
律先輩は持っていたボールペンで後方を指し示すが、
机上で両手を泳がせている澪先輩の姿を見て再び苛立ちを爆発させ、
ペンを机に投げつける。
「机の上じゃねえよ!どこに目ぇ付けてんだッ!」
その瞬間、部屋の空気が凍った。
一呼吸置いて、澪先輩のすすり泣く声がし始める。
「目なんか、もう、付いてないよ…付いて、ないんだよぉ…っ」
「みみ澪ちゃん!わ、私代わりに新聞紙取ってくるから!」
そう言って、うろたえながら動き出そうとしたムギ先輩だが、
車いすを机の脚に引っかけて派手に転ぶ。
軍靴の山が崩れる。
倒れた車いすの車輪が空回りする音がからからと響く。
私は一連の状況を呆然と眺めていたが、我に返ってムギ先輩を抱え起こす。
「あの、大丈夫ですか?ケガは…」
「うん、平気。ちょっと擦りむいたけど」
ムギ先輩が涙ぐんでいたのは、転倒した痛みのためだけではないのだろう。
ふと視線を上に向けると、律先輩が立ち上がり義足を引きずって、
窓際に集めてある古新聞の一束を鷲掴みにしていた。
「…ごめん、澪。本当にすまなかった。口が滑った。作業を再開しよう」
「律、私たち、どうしてこんな風になっちゃったのかな…」
「言うな。言ってどうなるもんでもないよ…」
私たちは、再び黙々と作業を進める。
「26.5cm、90組中、合格89組…」
そう呟いて業務日報を付けていた律先輩が、ふと顔を上げる。
窓の外、校庭のほうから、太鼓と笛の音が聞こえてくる。
二年生の出征に備えて、壮行会の練習でも始まったのだろうか。
律先輩はしばらく真顔で鼓笛の調べに耳を傾けていたが、
おもむろに口を開き、静かに、しかしきっぱりと呟いた。
「…解散だ。放課後ティータイムは」
「律先輩、なんで、急にそんなこと…」
私は軍靴の縫い目をなぞっていた手を止めて、律先輩に顔を向ける。
澪先輩とムギ先輩が、取りなすように話し始める。
「さっきのことを気にしてるのか?
もう大丈夫だよ。私と律の仲じゃないか」
「りっちゃん、そんなに思い詰めないで。
これからも力を合わせていきましょう?」
律先輩が浅く息をつく。そして、滔々と語りだす。
「そんな次元の話じゃないさ。私、ずーっと考えてたんだよ…。
私たちが、これからどうやって生きていけばいいのかって。
このまま高校を卒業できるかどうかも分からない。
この体で、食うための術を身につけないといけない。
そもそも、もうバンドなんか、できる体じゃない。
万一、仮にできたとしても、そんな余力があるのなら、
人一倍、働くための努力なり、勉強なりしなきゃいけないと思うんだ…」
しばしの沈黙。やがて、風に窓枠が鳴る。
窓の外からは、秋の気配を漂わせるそよ風とともに、
かすかに機械油の匂いがしてくる。
ムギ先輩が、
「…でも、私、やっぱり寂しいな。みんなとバンドできなくなるのは」
と、伏し目がちに呟くと、律先輩が冷徹に言い返す。
「ムギ、酷な言い方だけど、お前は少なくとも食うには困らないだろ?
でも、私と澪はそういうわけにはいかないよ。
それに、足が不自由だとピアノはペダルを踏むのが難しいかもしれないけど、
キーボードはなんとかなるだろ…」
律先輩の言葉を聞いたムギ先輩の白い顔が、少しずつ紅潮してくる。
それは悔しさからか、寂しさからか、悲しさからか。
それが見えない澪先輩が、沈黙を破って言葉を発する。
「ムギ、気持ちは嬉しいけど、私も地に足が着いた話をしないと、
これから生きていけないと思うんだ。私も点字とか覚えないといけないし。
正直、戦争が終わっても、桜高で勉強を続ける自信がない…」
「…そうね。私、地に足が着いてないもんね。精神的にも物理的にも」
「あ、ムギ、ごめん…。いや、そういう意図で言ったんじゃないんだ」
「ん、いいの。本当のことだから…」
そう言って、ムギ先輩が自嘲的なはにかみを浮かべる。
律先輩が、自分に言い聞かせるように言う。
「もうここには、放課後も、ティータイムも、ありゃしないんだ。
今や、ここは部室じゃなくて検品室。
あるのはキツい残業と、味気ない水道水だけ。
梓も、もうすぐ出征だしな。
過去の栄光ってほどじゃないけど、それにすがるなんてみっともないよ」
澪先輩が寂しげに微笑んで目に見えぬ天井を仰ぐ。
「“思い出なんていらないよ”…か。
はは、ホントはこういう文脈の歌詞じゃなかったんだけどな」
ムギ先輩が制服の襟元を握りしめて呟く。
「…うん、私もこの部屋にいるだけで、正直言って、心が痛むもの」
私は、ふと気付いて問いかける。澪先輩が諦め気味に応じる。
「まだ帰ってこない唯先輩は、どうなるんですか?」
「詳しいケガの状況はわからないけれど、後送されてくる以上、
私たちと似たり寄ったりの状態じゃないかな。少なくともバンドは…」
律先輩が、空元気を絞り出すようにして、発破を掛けると、
ムギ先輩も取って付けたように茶化す。
「…よし!唯が帰ってきたら、全員揃ったところでささやかな解散式でもすっか!
決めた以上はキチっと踏ん切りつけて、前向きにいかないとな!」
「ふふ、お菓子とお茶じゃなくて、配給食と白湯で、だけどね」
一呼吸置いて、澪先輩が、諭すように私に語りかける。
「でも、梓は技術も意欲もあるんだ。
私たちみたいな、いわば過去の思い出に囚われないで、
戦争が終わったら、違う世界に旅立つべきだよ。
軽音部を再興できればそれでもいいけれど、
ジャズ研でもいいし、外バンって手もあるんだからな…
私たちと違うんだから、自分の可能性を潰しちゃいけないぞ」
「そう、ですね、よく、考えて、おき…ます」
声が詰まりそうになるのを必死に堪えていると、のど仏が痛くなってくる。
その後、私たちは、ひたすら、黙々淡々と検品を続けたが、
律先輩が時折、業務日報を付けながら読み上げる以外、
誰も、ほとんど何も話さなかった。
そして、私たちはなんとか日が変わる前に検品を終えた。
「32.0cm、45組中、合格43組、と。みんなお疲れ。……これで終わりだ」
[第8話 終]
最終更新:2010年09月21日 23:50