“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」
(中略)
今回は、前回に引き続き、第10話「前進!」をお送りします”
窓からの秋風が私たちの頬を柔らかに撫でている。
嗚咽をこらえていた唯先輩が、両前腕を律先輩の肩に押し当てて、
ゆっくりと押しはがす。そして話し始める。
「ごめんね…。私だって、分かってなかったわけじゃないよ…
前と同じようになんか生きていけないって。
でもね、私は諦めたくないんだよ」
「唯ぃ、気持ちはわかるけどさ、現実から逃げるなよぉ!
私たちだって、前に進もうとしてるんだぞ!」
律先輩が今にも泣き出しそうな顔で叱咤する。
「…違うよ!現実から逃げてるのは、みんなだよっ!」
唯先輩が、窓ガラスが振動するかと思うほどの気迫で叫ぶ。
私は、思わず背筋を正して、唯先輩に向き直る。唯先輩が問う。
「みんな、負傷してから、どのくらい楽器をさわったの?
本当にもうダメだっていうくらい試したの?」
律先輩も、澪先輩も、ムギ先輩も押し黙って、
唯先輩からわずかに視線を逸らす。
その一人一人の顔を見返しながら唯先輩がたたみ掛ける。
「………みんな、全然やってないんでしょ!
なんだかんだ理由付けて楽器にさわれなかったんでしょ!
やりもしないでできないなんて、絶対おかしいよ!卑怯だよ!」
澪先輩が憤懣やるかたない表情でいきり立って反論する。
「でも、仮にできてもバンドやってる場合じゃないだろ!?
私だって、目も見えないから勉強もままならないんだぞ。
このまま高校にいられるかどうかもわからないんだ。
生きていくために必要なことを優先しなきゃダメだろ!」
若干、唯先輩のいる方向とは外れたところを向いているが、
そんな無粋なことは誰も言わない。
「…そんなの、詭弁だよっ!」
唯先輩が斬って捨てると、律先輩が努めて感情を抑えてさらに問う。
「バッサリだ、な。唯、お前らしいよ。
でも、どこが詭弁なんだよ。正論だろ?
唯みたいな甘い考えで生きていけるのか?」
「確かに、これから生きていくのはキツいと思うよ。
でも、自分たちが本当にやりたいことをすぐ諦めちゃう人間が、
キツいことやツラいことを乗り越えられるとは私には思えないよ!
私の考えが甘いっていうなら、りっちゃんの考えも甘甘だよ!
どうして、バンドも生活も、両方頑張っちゃいけないの?」
唯先輩が、両腕を振りながらさらに反論すると、
余った制服の袖が、勢いよくはためく。
ムギ先輩が、穏やかに諭す。
「唯ちゃん…、でもそれは茨の道よ。
失礼かもしれないけど、普通に高校の勉強と両立するのだって、
唯ちゃんは大変だったじゃない」
「もう一度バンドやるって目標があれば、きっと頑張れるよ。
両方は確かに大変だと思うけど、少なくとも、バンドをやめることは、
これからの人生をより楽しくすることなんかにならないよ!」
唯先輩は、勉強の指摘をされて、
若干決まりの悪そうなはにかみを浮かべたが、
表情を正すと、私たち一人一人の顔を覗き込んで説き伏せるように言う。
「…憂には、まだ会ってないんですよね?」
「うん。さっき着いたばっかりだし。
…ううん、あずにゃんごめん、ウソついちゃった。
会おうと思えば真っ先に会えたのに、会わなかったんだよ」
「じゃあ、憂のこと、どう思ってるんですか?どうしてあげたいんですか?」
私が唯先輩に質問すると、唯先輩の表情が陰る。
心が痛んだが、唯先輩の意志を確かめたかった。
「…私も、憂に会うの、実は怖かったんだよ。
憂はすっごく優しいから、あの顔を見たら、また甘えちゃうんじゃないか。
ホントに一生、その優しさに寄りかかっちゃうんじゃないかって。
でも、確かに、憂にはこれまで以上に迷惑かけるかもしれないけど、
それ以上に憂に喜びをあげられるようになりたいんだよ。
だって、私がケガしただけでも憂は悲しむのに、
ケガのせいで諦めたら、憂はきっともっと悲しむよ…っ」
唯先輩が再び嗚咽する。全員が沈黙する。
清秋の青空から、うろこ雲の薄衣を通して、暖かな日差しが検品室の窓に降り注ぐ。
唯先輩が、一語一語、言葉を絞り出す。
「私だって怖いんだよ。おっかないんだよ。不安なんだよ。
これからどうやって生きていけばいいのかなって。
でも、りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃん、あずにゃん…
みんな、心の底ではもう一度、何とかしてバンドやりたい、
一緒にいたいと思ってるはずなのに、なんでウソついちゃうの…?
現実から逃げてるのは、自分たちの本心から目を背けてるのは、みんなだよぅ…っ」
気が付けば、他の先輩方も、そして私自身も、必死に嗚咽を堪えている。
そしてどのくらい時間が経ったか。
ものの数十秒だったかもしれない。数十分だったかもしれない。
不意に、静寂が破られる。
背後で大きな水音がした。トンちゃんだ。
そういえば、今日は餌の大豆粕をあげていなかった。
我に返って席を立とうとすると、俯いていた律先輩がにわかに声を上げる。
「……夢はでっかく武道館、か。
ははは、そうだな。そういやそうだったな。
すっかり忘れてた!はは、はははは!そうだろみんな!」
律先輩が椅子の背もたれに目一杯背中を預けて哄笑する。
私は一瞬、気でも触れたのかと、不安になる。
「ごめん!澪!ムギ!梓!やっぱ放課後ティータイム解散取りやめ!
解散とかありえないわ!解散の言い出しっぺが私だから、取りやめも私でいいだろ?」
「え?りっちゃん…それ…って…」
唯先輩が、状況を把握しきれず、目を真っ赤にしたまま問う。
それは、私も、澪先輩も、ムギ先輩も同じ気持ちだっただろう。
律先輩が泣き笑いしながら答える。
「やろう。バンド。できるかわかんないけど、やれるだけやろう。
少なくとも、今の私たちからそれを取ったら、何も残らないよ!
トンちゃんの世話を梓一人に押しつけるわけにもいかないし!」
ようやく文脈を把握した私と澪先輩とムギ先輩は、
当惑と喜びの混じった表情を浮かべるが、
澪先輩は、私とムギ先輩の表情がわからないせいか、いち早くこう言った。
「そうだな…。もちろん不安はあるよ。すごく大きな不安が。
でも、死んだら殺すってさわ子先生にも言われたのに、
手足や目なんかと一緒に希望まで失ってたら、何回殺されるかわかんないしな!」
すると、固まっていたムギ先輩が、満面の笑みを浮かべて言う。
「そうね。このまま終わるのは嫌だもの。
私も、やっぱりみんなと一緒に活動したい!みんなも一緒でしょ?
仮にこれで出遅れても、受験で浪人したと思えば、何てことないわ!」
「あずにゃんは!あずにゃんはどうなの!?ダメ?」
唯先輩に突然話を振られた私は、とっさに返す。
「ふざけないでください!先輩方と一緒にバンドしたいに決まってるじゃないですか!」
(あ、言っちゃった…)
言ってから、赤くなった顔をさらにこれ以上ないほど赤面させる。
「…決まりだな。放課後ティータイム再結成!」
律先輩が全員の顔を眺め回しながら言うと、澪先輩がたしなめる。
「はは、まだ正式に解散もしてないんだから再結成じゃないだろ」
「せっかくだから、お茶とお菓子でお祝いしたいくらいよね」
ムギ先輩がそう言うと、唯先輩が手を打つ代わりに前腕を打って言う。
「あ!番茶と砂糖がちょっとだけポケットにあるよ。
なんか、帰りのトラックに乗る前、慰労品とか言ってもらったよ」
「じゃあ、さっそくお茶にしますか?」
そう言って、私が席を立ってお茶の準備をしようとすると、
ムギ先輩が目を輝かせて笑っている。
「フフフ、梓ちゃん!ようやくティータイムの素晴らしさを実感してくれたわね?」
「ち、違います!今日は新しい節目だからです。
あ、そうだ!納期!今日の検品をちゃんと終わらせましょう!
納期に遅れたら大変です!ティータイムはそれからです!」
「え~、あずにゃん厳しいよ~」
そう言って、私は芋のツルが入っていたアルマイト食器を片づけ、樹脂製品を机上に並べる。
唯先輩が加わったおかげだったのか、検品は日没前に終わった。
その後、夕食の時間が近かったけれど、
私たちは久しぶりに全員揃って、ティータイムを楽しんだ。
砂糖と、化学実験室から拝借したアルコールランプと重曹で、
私は先輩方と一緒にカルメ焼きを作って、そして番茶を飲んだ。
ちょっと焦がしてしまって苦かったけど、それ以上に、甘く感じた。
[第10話 終]
最終更新:2010年09月21日 23:53