“ΝНΚアーカイブス 戦争特集アニメ「幻の放課後」

 (中略)

 今回は、前回に引き続き、第12話「役人!」をお送りします”



学事課執務室。

 「なるほど、ね…」

そうつぶやく学事課長席には、和がいる。
そして、その周りを軽音部員の面々が、やや緊張した面持ちで取り囲んでいる。

今や彼女らの関係は友人同士でなく、決裁権者と申請者だ。
自分たちが懸命に考えた企画を、正式な活動そして行事として、
認めてもらえるかどうかの関門だ。

『桜が丘支廠・桜が丘女子高等学校共催 出征決起大会』

和はこのように題された企画書を右手で持ち、
左手であごを支えながら熟考していた。

まあ、軽音部にしては考えて練った企画だ。
企画の趣旨自体には反対する理由はない。

軽音楽に眉をひそめるご老体もいるにはいるだろうが、
士気高揚を方便にして軍歌を演奏すればどうにかなるだろう。


しかし、それは本質的な問題ではない。

発表が許されるとしても、その練習の時間が取れなければ意味がない。

だが、今の軽音部員たちは、軍需生産局の人間。
他部署から手を突っ込んで人事を動かし軍需生産業務から引き離し、
練習時間を作ってやるのは生半可な手段では不可能だ。

実現する難しさは、針の穴を通すようなもの。
まばたきと言うには長すぎる時間、和は目をつぶって沈思する。



(時には、非常の、そして、非情の決断もやむを得ない…か)


和は、持っていた企画書におもむろに左手を添えると、くしゃくしゃに丸め、
あざ笑うような溜め息をつきながら放り投げた。

「却下。余計な仕事増やさないで。忙しいんだから」

その様子を目の当たりにして、軽音部員たちは唖然として言葉を失う。


「和ちゃん!何てことするの!?」

ようやく、唯が悲憤を込めてなじると、
それに呼応して皆も和を非難し、あるいは説得し、懇願する。

「壮行会があるんだからそれで十分でしょ?
 ただでさえ物資供給が苦しいのに、過剰投資をする余力はないわ」

「そういう問題じゃねーだろ!何かしてやりたいって気持ちが大事だろ!?」

「和、お前の力が必要なんだよ!
 そういう原則を曲げるのは好まないだろうけど、力を貸してくれ」

「そうよ!文化祭も開けないのだから少し融通してくれても…
 無理は承知しているのよ。そこをどうにか!」

しかし。

 「申し訳ないけれど、そういうセンチメンタルな人情話で
  仕事が進むなら何の苦労もないわ。もうすぐ会議があるから出てって」

そう言って、和は未決裁の書類の束をつかみ取り、
その中身もろくに見ず、決裁印を押していく。

真鍋、真鍋、真鍋、真鍋、真鍋…

途中、和は顔どころか目線すら向けずに言い放つ。

 「…あなたたち、いつまでそこに突っ立ってるの?邪魔。さぼってないで検品業務に戻りなさい」

ふと、流すように書類に判を押していた和の目線と手が止まる。

 「ちょっと庶務係長。この“水道使用料の増額修正”って何なの?
  予算の範囲内でお願いっていつも言ってるでしょ。
  あなたがしっかり見てないからいけないんじゃない。
  経理課に頭下げるのは課長の私なんだから!」


軽音部員を無視して仕事を進める和の様子を見て、律が心底軽蔑するような口調で挑発的に罵る。

 「その仕事、ハンコと、下げるしか能のない頭と、怒鳴る口さえありゃ、
  誰でもできるじゃんか。澪に代わってやれ。文字通りの盲判だよ。
  あー、澪にはこんなゲスな仕事は向いてないか。ハハハ」

もともと気まずくなっていた執務室内の空気が一気に強ばる。

軽音部員たちはもちろん、学事課の課員たちも固唾を飲んで、
和と律を見つめる。

 「お、おい、律!言い過ぎだろ!」

 「澪、お前をダシにして悪かった。けど、この小役人にはお灸をすえないと。
  そのすきっ歯、憂ちゃんにやられたんだってな。いい気味だ。ダッセぇの!」

 「律先輩、落ち着いてください!何も喧嘩しにきたわけじゃないんですよ!」

 「……もはや聞き捨てならないわ」

軽音部員たちを無視して机に向かっていた和が、
ようやく、険しい表情をして上半身をねじり律に向き直る。
その顔を上から眺めながら、さらに律がせせら笑うように言う。

 「ようやくこっち向いてくれたな。
  その様子だと、例の噂もまんざらウソとは思えねーし。
  こちとら手足ちょちょぎれたりしてんのに、いいご身分だこと」

 「そんな噂に惑わされるなんて、愚かね。
  大体、ケガして帰ってこいなんて、誰も命令してないわ」

 「ふざけんなっ!好きこのんでケガするヤツがいるか!」

律は和の襟元を右手でつかみ、怒りの籠もった目で和を見据えるが、
和もまた、蔑むような目つきで律を睨み返した。

 「…こんな真似してどうするの?その義手で殴られたらさぞ痛いでしょうね」

 「和ちゃん!りっちゃん!二人ともやめて、やめてよぉ…」

唯が狼狽しながら哀願する。が。

 (ペッ!)

 (っ!)

 「ふん…素手どころか義手でも触れたくないな」

律は、まさに唾棄すべき汚物を見るような目で和を睨み付け、
その顔に唾を吐きかけた。

和は、眼鏡の縁から滴る唾液を拭いもせず、律を冷ややかに睨み返す。

 「…律、正直言って見損なったわ」

 「和、その言葉、そっくり返す」

 「本件は懲戒か懲罰の対象よ。覚悟はしておくことね、田井中室長」

 「ご自由にどーぞ。木っ端役人の真鍋課長殿!」

 「…そうなんだ。じゃあ私、会議室行くね」

和はそう言い捨てると、律の右手を乱暴に払いのけ、
会議資料をひったくるようにつかみ取って、学事課執務室を去っていった。

主を失った学事課執務室に、気まずい沈黙が満ちる。
そこに、少しずつ、課員たちが小声で囁き合う声が混じり始める。

憤りを抑えきれない律が、呼吸を整えながら言う。
澪と紬も、落胆と驚きを隠しきれない。

 「和のやつ、確かに前から融通が利かなかったりしたけどさ、
  曲がったことが嫌いっていうだけで、あんな人情のないやつじゃなかったはずなのに…」

 「もう、和も完全に“支廠の役人”になってしまったのか…
  この狂った組織で生き延びるにはああなるしかなかったのかな…」

 「…人は変わるものだけど、こうも変わってしまうものなのね」

唯もまた、くしゃくしゃになった企画書を両腕で拾い上げながら、
幼馴染みの豹変ぶりを目の当たりにして、肩を震わせていた。

 「和ちゃん、ヒドい、ヒドいよ…。こんなの、私の知ってる和ちゃんじゃないよ…」

(第一段階は一応成功ね。殴られなくてよかった…これ以上前歯が抜けたらサマにならないわ。
 挑発に乗ってくれた軽音部の面々には悪いけど、ここからが本番。
 海千山千の老獪な小役人どもを、手玉に取れるかどうか…)

私は、そう考えながら、会議室に向かう。



──桜ヶ丘支廠会議室

廠議で、いくつかの報告事項、討議事項が処理される。
支廠長が出席者に意見を促す。

 「…他に、何か提案することはないかな?」

私は、挙手して発言する。緊張のあまりのどが渇く。

 「はい。第32検品室の田井中室長以下について、更迭と懲罰を求めます」

私が意見を述べると、管財課長が続きを促す。

 「ああ、廠議でここに来る途中、廊下を歩いていたら聞こえましたよ。
  なにやら一悶着あったようですが、それと何か関係が?」

 「ええ…。お恥ずかしいことですが、
  活動に関する申し出を却下したところ、腹いせに侮辱と暴行を受けまして。
  組織の秩序を保つためにも、
  同席しながら制止しなかった室員等も含め、連座して処分すべきかと」


副支廠長が片方の眉を曲げて和に問う。

 「…それは事実かね?」

 「はい。先ほど管財課長がおっしゃったとおりです。必要とあらば居合わせた課員に問い合わせても構いません」

そこに人事課長が眼鏡を拭きながら質問する。

 「では、処分を下さねばなりませんが、いかがしましょうか。
  詳しくは分かりませんが、室長は戒告、他の室員は厳重注意といったところですか」

ここだ。ここで人事課、そして総務会計局からから主導権を奪わなければならない。

私は、慎重に言葉を選びながら、議論を誘導する。
憤りを混ぜつつも、衷心から述べるような声色。

 「ならば、教育局に身柄を預けて頂けませんか?
  戒告して始末書を書かせても、ああいう輩は、始末書一枚の重さが分かってません。
  性根からたたき直さないといけません。教育上の懲罰が必要です」


軍需生産局長が難渋する。

 「しかしィ、今のご時世、労働力は少しでも確保したいもんでねェ…」

 「元々生産性の低い連中で、管理コストもバカにならないでしょうし、
  さほどの損失にはならないのではないかと。
  組織全体の秩序維持を考えれば許容すべき損失では?」

腹の探り合いのようなやりとりが続いた。

冷静を装いつつも、私の心臓は狭心症の発作のように締め付けられる。

総務会計局長でもある副支廠長は、オールバックを掻き上げてうなった。

「ふ~む、なるほどねぇ…」


副支廠長は、このように考えを巡らす。

(面倒なことだ。ついこの間、ムカゴ盗みの非行があったとはいえ、
 軍需局の一職員に懲戒処分を下したなぁ…。

 総務局人事課からまた軍需局の職員に処分を下すとなると、
 軍需局の我々への心証も悪いだろうし…。

 教育局で引き取って懲罰をしてくれるなら、
 総務局が手を汚さずに、一応、組織全体の秩序も保てるか…。

 仮に、教育局の手に余るようなら、そのとき対処すればいい。
 あわよくば、それを理由に教育局に貸しを作ることもできるだろう)


そして、それはまさに私の読みどおりだったようだ。

副支廠長はこう結論づけて、支廠長に進言する。

「綱紀粛正のためにはやむなし、か。
 支廠長、私も学事課長の提案は理にかなうと思います」

「君がそう言うなら問題あるまいよ。それでいい。
 軍需局にも特に異論はないね?」



老獪な狸親父どもの狡知に対して、初めて、私は勝利した。

(憎まれ役を買って出た甲斐があったわね
 ただ、みんながそれを理解してくれるかはわからないけど…)

これで、軽音部員を現在の業務から引きはがせる。
なんとか練習だってできるだろう。
私は内心密かに胸をなで下ろしながら、今後の策に思案を巡らせた。

                              [第12話 終]


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最終更新:2010年09月21日 23:55