静かなリビングで、天井を見上げていた。

隣には、誰もいない。


ため息も、涙も、今は出ない。


 いつも後悔するのは、やらなかったときだけ。

あの時、言っておけばよかった。

何も変わらなかったかもしれないけど、今のこのどうしようもない気持ちになるよりましだ。

 今頃憂は、あずにゃんと一緒にいる。

その横に、わたしはもういられない。


今だって、あの憂の言葉が頭を離れない。

 この気持は、悲しいのかな、自分に腹がたってるのかな。

 今のままを壊すのが怖くて、怯えてただけ。

唯「ばかみたいだね、わたし……」

 また自分を嘲るように、瞼を閉じて目を擦る。


 あの時、あずにゃんはわたしに言った。

「ほんとにいいんですか?」

 だって、そんなのいいとしか言えないじゃん。妹だもん。

「あ、ありがとうございます」

 どうしてありがとうなんて言うのかな。

 でも、わたしの口から出ていたのは、

「がんばってね」

 その言葉だけ。


あそこでなりふり構わず憂のもとへ向かっていたら、どうなったのかな。

憂とも、あずにゃんとも、今の関係とは変わってるのかな。

 でも、それでなにかが変わるっていうのなら、それをしなかったわたしはばか。

 ただのばか。

唯「……憂」

いるはずもないのに、返事がくるはずもないのに、今はここにいない憂の名前を呟いた。

 あの時は、憂が横にいた。


──
────

いつもの帰り道。部活は休み。

憂「晩ごはんなにがいい?」

唯「憂の料理ならなんでもいいよ~」

いつものやりとりをしながら、ふたりで家に向かう。

 隣には、憂の笑顔。

その笑顔を見れば、わたしは幸せで、あったかくて、胸が締め付けられる気持ちになるんだ。

唯「今日はわたしも手伝うよ!」

憂「え~平気かな~?」

唯「あっひどいよ憂!」

憂「冗談だよ、ありがとね。お姉ちゃん」

 その優しい声はずっと昔からわたしを包んで、ずっと一緒だと思ってた。その時は。

でもその時のわたしは、それがどれだけ幸福なことか、分かっていなかったんだ。

唯「うん!」

 またふたり、家に向かう。

 家に入り、毎度の如く憂に抱きつく。

あったかくて、いい匂い。

この匂いが大好きで、何も考えずに抱きついていた。

憂「ほら、はやく作っちゃお」

唯「うん~」

 仕方なく離れる。別に構わない。

だってまたいつでも抱きつけるもんね。

 憂のあとについて、キッチンへ向かった。


唯「……ごめんなさい」

憂「平気だよ、うん、おいしいよ」

唯「うん……」

またいつものようにわたしが失敗。

 でも憂は笑顔でほめてくれるんだ。

優しい憂。わたしの大事な妹。

憂「ほら、食べよ」


 ただ憂が促すままに、食事を口に運んだ。


憂「おいしかったね」

唯「う~ん、やっぱり憂のご飯には敵わないよ」

憂「そんなことないよ」

唯「わたしは憂のほうがおいしく感じるもん!」

憂「そう……?ありがとね」

 そう言ってわたしのわがままに付き合ってくれる憂。

憂はやさしいな。


 憂と話すのは、当然軽音部のこと。それと、あずにゃんのこと。

当たり前だ。わたしたちふたりとも仲いいもんね。

 でも、ふと憂の口から漏れた言葉に、なぜだか体が震えたんだ。

憂「わたしも梓ちゃんに抱きついてみたいな」

 別にいいでしょ、わたしだってその気持ち分かるんだから。でも……

唯「わたしが抱きつくのじゃ……だめなの?」

憂「えっ?」

 あれ?どうしてこんなこと言ったのかな。

唯「あ、ごめんね!なんでもないよ!」

憂「……」

唯「わたしだってわかるよその気持ち!」

憂「う、うん……」

怪しまれちゃったかな。

 どうしてあんなこと、なんて思っていたけれど、ただ目を背けていただけだ。その時のわたしは。

だから、なんとか誤魔化した。

憂「うん……」

また、憂があの顔を見せた。

 少し表情が翳って、何かを考えている顔。

お姉ちゃんだったら、心配しなくちゃいけないのに。

唯「あ、わ、わたし部屋戻るね」

 わたしは逃げた。

唯「……ふう」

何故か安心した。

 思えば怖かったのかもしれない。憂の言葉を聞くのが。

唯「……りっちゃんなにしてるかな」

でも知らんぷりをしたまま、別のことに頭をまわした。


布団に入り、考える。

部活のこと。あずにゃんのこと。憂のこと。

「わたしも抱きついてみたいな」

 うん、だってあずにゃんかわいいもんね。

唯「ただ、それだけだもんね」

 だから最近あずにゃんの話ばっかりするんだ。

わたしの話が少なくなったのは、そのせい。

 だから、何も問題ない。

唯「……平気だよ」

 暑いけど布団に潜って、何も考えないようにただ目を強く瞑った。



──朝。

唯「ん……」

目覚ましで目が覚めたけど、憂の足音をまっていた。

唯「えへへ、憂ごめんね」

憂に起こしてもらうと安心出来るんだ。

ぱたぱたぱた、とかわいらしい足音が聞こえて、わたしはまた布団に潜る。

憂「お姉ちゃん起きてー」

憂の声が近づく。でもまだ寝たふり。

憂「お姉ちゃん」

憂がわたしを揺さぶる。

演技とは言えない演技で、それっぽく振る舞う。

唯「ん~?」

憂「起きたね、着替えて顔洗ってきて」

唯「はーい」

すぐに憂の足音は離れていってしまうけど、わたしの心は温かい。

 ふたりで学校に向かう。

隣には憂がいる。

憂「ほらはやく」

ぐだぐだと荷物を背負い直すわたしの手をとって、憂は微笑む。

 どきどきするのは、なんでかな。

唯「うん!」

 そんなの、考えなくてもいい。この気持ちは間違いなく幸せだったから。

憂「明日ははやくご飯済ませてね」

唯「だって憂のご飯おいしいんだも~ん」

憂「も~……そんなこと言われたら怒れないよ」

 やわらかい苦笑いを見せる憂。

 そうだ。この気持ちは幸せ。

だから深くは考えず、また学校へと足を進めた。

 階段で分かれる。

唯「じゃね~」

憂「うん、またあとでね」

 少し寂しかったけれど、またあとで会える。だから笑顔で別れた。

鞄には、憂のお弁当。

髪だって、憂が整えてくれた。

 明日だって同じ。

だから気分の上気したまま、階段を登る。


唯「おはよ~」

律「お、来た」

澪「お、おはよう」

唯「?」

どうしたのかな。みんな目が泳いでる。

紬「ね、ねえ唯ちゃん」

 なんだか、よくない予感がした。

澪「言っちゃダメだろ」

紬「あ、うん……」

唯「なになに~」

律「あとで梓が話したいことがあるってよ~」

澪「お、おい!」

 あずにゃんからたぶん大事な話。

 みんなが教えてくれないのはなんでかな。

澪「あ、あとは梓からな」

唯「?うん」

 でもそんなのはどうでもよかった。

いつも通りに授業を受けて、いつも通りに憂のお弁当を食べるんだ。

そしたら午後なんてあっという間だから、部活でムギちゃんのお菓子を食べて、また帰って憂に抱きつく。

憂のことばっかり考えるのは、たぶんなんでもない。

憂のことばかり考えていたいのも、なんでもないんだよ。


 今日のみんなは、なんだかぎこちなかった。

別になにもした覚えもないし、聞いてもなんでもないっていうからわたしは気にしなかった。


 そしてあっという間に放課後。

唯「お菓子楽しみだな~」

紬「今日はね……」

律「まったまった!部室までとっとこう」

唯「そうだねー」

 またいつも通り。

部室へ行ったら、ムギちゃんのお菓子が待ってる。

 気持ち高らかに、わたしたちは部室へ向かう。

そういえば、あずにゃんから話があるんだっけ。


扉を開けると、もうあずにゃんが来ていた。

梓「こんにちは」

特に変わった様子はない。だから、気にすることもない。

 だらだらとおしゃべりをかわしながら、ケーキを口に運ぶ。

唯「あ~しあわせ~」

 ただ口から出るままに声に出した。

律「だな~」

 りっちゃんとふたり、机に突っ伏す。

こういう時は澪ちゃんがなにか言うのに、その時はなにも言わなかった。

 代わりに、あずにゃんが口を開いた。

梓「あの、唯先輩」

 顔をあげると、少し、ほんの少しだけ空気が固まったような気がしたけれど、構わずに尋ねる。

唯「あずにゃんなあに?」

 みんなは黙ったまま。

梓「ぶ、部活終わったら、残ってもらえますか?」

唯「?いいよ」

梓「あ、ありがとうございます……」

 なんだろうこの雰囲気、わたしはどうすればよかったのかな。

「じゃあな~」

楽しい時間はすぐに過ぎ去り、あずにゃんと部室に残る。

梓「ありがとうございます」

 さっきは不安そうな顔をしていたあずにゃんは、今はもうしっかりとした顔つきになっている。

唯「なあに?」

梓「先輩に、言っておきたいことがあるんです」

唯「うん」

梓「あの、わたし……憂が……」

 憂が、なんだろ。

聞かなきゃいけないのに、聞きたくない。

耳を塞ぎそうになったけれど、なんとかこらえた。

梓「すっ好きなんです!」

時間が止まった気がしたけれど、たぶんわたしが動かなかっただけ。

 そっか。憂のこと、好きなんだ。

梓「唯先輩にまず言っておこうと思って……」

 なんでわたしに言うんだろ。

唯「憂に言うの?」

梓「そのつもりです……あの」

 だから、なんでわたしに言うのかな。

唯「なあに?」

梓「わ、わたしがこっ告白しても、いいですか?」

 意味がわからないよ。

唯「どうして?」

梓「先輩、憂と仲良いから……」

 だったら別に聞かなくてもいいでしょ。

梓「せ、先輩は……」

 わからないよ。

梓「憂のこと、好きなんですか?」

 そんなの。

唯「……」

梓「……先輩?」

唯「ん?」

梓「ど、どうなんですか?」

 わたしが憂を?そんなわけないよ。

 だって憂は妹だし、ずっと一緒にいたし、いつもわたしの側にいてくれたし、

唯「憂は……」

 いつも笑っていてくれたし、手を握ってくれたし、そばにいると胸がどきどきするし……あ。

唯「……」

 そっか。わたし。

唯「……ただの妹だよ」

 憂のこと好きなんだ。



おしまい



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最終更新:2010年09月24日 00:50