『それは正直予想してなかった言葉』

反論でも反駁でも無い、それは不器用だけどまっすぐな想いが伝わる言葉

梓ちゃんが本当の私を見ていない悔しさは消えていないけど…それは私にも責任がある

だから、今はその言葉だけで充分

いいよ、私を梓ちゃんにあげる

そんな想いを隠して、私はいつものように微笑む

ちょうどタイミングよくマスターが運んでくれた二つのコーヒーカップから立ち上ぼるほろ苦い焙煎の香りが、自然に私達の間の空気を変えてくれた

憂「それで、今日のご用は何かな?梓ちゃん」

梓「えっと、ら、来週なんだけど」

憂「来週?梓ちゃんのお誕生日のことかな」

梓「それとは別と言うか、別じゃないと言うか…」

自分を落ち着けるように、コーヒーを一口喫んだ梓ちゃんが意を決したように告げる

梓「来週の土日なんだけど、憂は何か予定ある?」

予想はしてたけど、いざとなるとちょっぴり照れるね

憂「んー、特別予定はないかな」

梓「そ、そっか…そ、そう言えば、そろそろ、こっ、紅葉が綺麗な季節だよねっ、うん」

棒読み…なんだか、面白すぎるよ、梓ちゃん

憂「そうだね、いい季節だよね」

梓「だ、だよね!」

あせあせ梓ちゃんも見てて飽きないけど、少し助け船を出してあげようかな

憂「一緒に見に行けたらきっと素敵だよね」

梓「ほっ、本当に?」

憂「うん」

梓「それじゃ一緒に行こっか?」

憂「いいけど、土日ということは泊まりがけでって事かな?」

梓「…やっぱりマズいよね」

おやおや、今度はがっかり梓ちゃん
今日は色んな梓ちゃんが見れる素敵な日だね

憂「いいよ」

梓「…ほ、本当にいいの?」

憂「うん。もしかして前に話した温泉?」

梓「実はちょうどいい山間の宿があってさ、憂さえ良ければどうかな?」

最初の一歩さえ踏み出せば、後はアグレッシブ梓ちゃん
話はとんとん拍子で進む

憂「因みにみんなにはナイショかな?」

一瞬の逡巡を経て、それでも迷いの無い答え

梓「ううん、別にコソコソしなきゃいけない話でも無いし」

ここに来るまではかなりコソコソしてたような…ちょっぴり苦笑い

梓「それに唯先輩に内緒で、憂が出かけるのは無理でしょ」

さっきの一瞬の逡巡はこれか…でもね、今の私は梓ちゃんのためにここにいるんだよ

それでも気遣いには感謝だよ

憂「たまにはお姉ちゃんにもお留守番してもらうよ」

梓「だね」

なぜか二人笑ってしまう。お姉ちゃんは私達の笑顔の素

梓「純には私が今夜にでも電話しておくよ」

憂「むくれないかな、純ちゃん?」

梓「お土産に温泉たまごでも買ってくれば大丈夫だよ」

また笑ってしまう。純ちゃんも私達の笑顔の素だ

話も決まったし、そろそろ帰ってお姉ちゃんのご飯の準備かな
うん、今夜は少し豪勢にしてあげよう


『私はなーんにもする事がない』

だから、ベットで芋虫ゴーロゴロ

帰りに本屋にでも寄ってくれば良かった、なんて考えてたら携帯がお馴染みのコルトレーンのテナーサックスの音色を奏でる

梓を示す着メロだ

梓「私の着信はこれにしとこう」

純「…あんたギターじゃん」

梓「私は…ま、いいや。取り敢えず純に足りないのは聴く事だよ」

純「聴く事?」

梓「そっ。心臓が4ビートを奏でるまで聴いて聴いて聴きまくる!」

純「それって死ぬんじゃない?」

梓「それで死んだら本望、それがジャズマンよ」

なんで私がジャズ研で、梓が軽音部なのやら

おっと、電話取るのを忘れてた
ついでに軽く前回のリベンジでもしてみるか

純「もっしもーし、寝てるよ」

梓「あっそ」

…切れたよ、おい

唖然としてると再度液晶が点灯、着メロが鳴る前に通話ON

純「なんで切るのよ」

梓「寝てるんなら邪魔しちゃ悪いじゃん」

純「じゃあ、なんでまたかけてくんのよ」

梓「やっぱりお話したい乙女心だよ。言わせないでよ、恥ずかしい」

…梓って自分が可愛いって自覚があんまり無いから、余計に質が悪い

純「…あんたって、絶対敵の多い人生歩むわ」

梓「そう?あんまり気にしないから、別にどうでもいいかな」

純「…冗談でしょ?」

梓「割と本気だったりするけど?」


…あんたって子は

梓「純は私の側にいてくれるんでしょ?」

純「はぁ?何を今更。だいたい、私がいないとあんたダメダメじゃん」

梓「だよね。だったらそれで充分だよ、親友」

純「…あんたの欠けっぷりは、私には刺激的すぎるわ」

梓「私の欠けてる部分を補うのが、純の役目だよ」

純「どんだけ重たい荷物を背負わすつもりよ?」

梓「子泣きジジイになって、純を押し潰してやるですぅ」

純「はいはい。ちょっとは憂にも頼みなさいよね」

梓「大きなお世話ですぅ」

純「はいはい。まっ、私は簡単に潰れる程ヤワじゃないけどね」

梓「頼りにしてるよ、親友」

結局、梓の要件は週末に憂と温泉に行くから、お土産は温泉たまごでいいか、だって

純「まぁのんびりしてきなよ」

梓「あれ?恒例の『羨ましーい』は無し?」

純「私ってそんなに野暮なキャラだと思ってる訳?」

梓「そういうつもりじゃないよ、親友」

純「なら、許す!だいたいお茶飲み部と違ってジャズ研は日曜日も部活なのよ」

梓「ふっふっふ、来年には純にも、お茶飲み部の洗礼を浴びせたげるよ」

純「うーん、堕落した青春も悪くないか」

梓「あはは♪堕ちて行くのも幸せだよと、てね」

純「それもジャズ?」

梓「ハァ、やっぱ純に必要なのは聴くことだわ」

純「うっ!努力はしてるんだけど…」

梓「頑張れ、ジャズマン。あ、もうこんな時間か、夜中に長々とゴメンね、純」

純「暇してたから、ちょうど良かったよ。そんじゃオヤスミー」

梓「うん、おやすみ。今夜は私の夢を見てもいいよ」

純「…遠慮しとくわ」

梓「…寝るもん!」

…そんな電話の切り方するのは、あんたくらいだよ、梓
まっ、それが出来るのも親友なればこそだけどさ

それにしても、あんたが私に背負われる様なタマとは思えないけどねぇ

それでもいざって時は、背負ってあげるさ、親友

因みに後日、梓が歌ったのは沢田研二の歌だと判明

…やっぱり可愛くない!


『11月11日』

いつもと変わらない放課後の軽音部

少し違うのは、憂と純の存在

お茶はムギ先輩のとっておきのフレーバー
お菓子は憂の手作りケーキ

今日ばかりは先輩方も受験勉強の手を休めて、賑やかなひととき

「誕生日おめでとう!」

因みにプレゼントは事前に辞退しておいた
代わりに用意されていたのは、HAPPY BIRTHDAYの生演奏

不器用な私には勿体ないくらいの17年間で最も幸せな誕生日だよ、うん

梓「ありがとう」

心からの感謝を込めて


『僕は幸せを噛みしめている』

秋も深まる夜長、隣りには麗しの妻と愛しの娘
レコードプレイヤーが奏でるのは、トレーンのA LOVE SUPREME
グラスを満たすフォアローゼス

人生で他に何か必要なものがあるのだろうか
僕の知る限りでは、ちょっと見当もつかない

つまり、僕の人生は la vie en rose

それを証明する幸せな光景が今、僕の目の前では繰り広げられている

母「折角の誕生日なのに、本当にプレゼントはいらなかったの?」

梓「うん。私もいつまでも子供じゃないしね」

…それは少し複雑だね
僕としてはまだまだ愛しの娘でいて欲しい

母「しかもバースデーケーキも私達の分まで頂き物だし」

梓「気が利くでしょ?」

母「憂ちゃんが、でしょ」

梓「細かいことは気にしない」

母「ふーん、随分余裕ね。愛しの憂姫との温泉旅行で気分は上々てところか」

梓「もしかして妬いてる?」

今夜は愛しの娘も負けてはいないね
さて、麗しの妻はどうするかな

母「幸せ娘には敵わないわ。私の負け」

意外と簡単に勝負がついた…なんて、甘く見てはいけないよ、我が愛しの娘よ

母「でもね、梓。母親として、一つだけ忠告させてもらっていいかしら」

梓「…なに?」

母「いくら相手が憂姫でも、避妊はちゃんとしなさいよ」

梓「・・・は?」

唖然とする愛しの娘、実は僕も唖然としていたりする
我が麗しの妻よ、君は無敵だ

梓「…そろそろ寝ようかな」

母「あら、ほんの軽いジョークじゃない」

梓「笑えない、笑えない」

確かに笑えないだろうね…色々な意味で

梓「温泉にでもつかって、少し頭をほぐして来たら?もう少し面白いジョークが浮かぶかもしれないよ」

母「いいわね。でも私は誰かさんと違って、温泉に招待してくれるような素敵な人がいないのよねぇ」

梓「素敵な人じゃなくても良かったら、招待してあげるよ、はい」

母「え?」

我が愛しの娘が手渡したのは可愛い封筒
中身が二名様分の往復交通券と温泉旅館の宿泊案内なのは、僕は先刻承知している

梓「旅の相手は隣りに座ってる素敵な殿方にお願いしてね。それじゃおやすみなさい」

立ち去る後ろ姿も実に素敵だ

梓「あ痛っ!」

…フォアローゼスと言う名の麦茶の影響で、よろけて壁にぶつからなければ完璧だったね


『し、失敗した』

梓「…まさか最後の最後に壁に激突するなんて」

実に決まらないのが、逆に私らしくておかしくてたまらない

梓「だけど、誕生日に自分を産んでくれた両親にお礼をするのって当然じゃないかな?」

ベットに寝転がりながら、そんな事を考えられるようになった自分にちょっぴり不思議な感慨を抱いたりする

梓「17歳の私は、どんな私なのかな」

なんて乙女な想いに浸ろうとするのを邪魔するかのように、部屋のドアがノック音を奏でる

梓「はいはい」

はい、は一回!

母「あーずさっ!」

ドアを開けるなり母さんのハグ
挙げ句にベットに押し倒されてしまった

梓「…娘をどうするつもりよ?」

母「ん?ただのスキンシップじゃない」

…ちょっと待って!み、耳!耳をはむはむするのは行き過ぎだよー

母「あら、昔はあんなに喜んでたのに」

梓「いっ、いつの話!?もう、そんな子供じゃないもんっ!」

母「あら、あなたはまだまだ可愛い我が娘よ」

梓「にゃー!いい事言ってごまかそうとしても無駄だもん!」

母「そう?それは残念」

少し私から離れた(と言ってもキスまで5秒の距離だよ、これ)母さんの顔は、紛れもなく優しい母親の表情

母「ねぇ、梓」

梓「…なに?」

母「急がないでいいのよ」

不思議…母さんの言おうとしてる事が分かる

梓「…うん。それでも私はもっと大人になりたいよ」

少しだけ驚いた母の顔を見なくても分かる
心の声が聞こえるっていうのは、この感じなのかな…憂

母「そうね。あなたは間違ってないわ」

梓「うん」

間違ってない…でも、それは正しくないとでも言いたそうだね、母さん

母「先を急ぐのもいいけど、今も大切だと思わない?」

梓「…それが続くはずのない永遠でも?」

何を言ってるんだろう、私
いくら母さんでも、こんな想い…分かる訳ないよ

母「それでも、よ」

私から離れる母…そのぬくもりが消える感覚は、何かを失う自分を予見させているかのように薄ら寒い

母「ゆっくり行きなさい、梓」

そんな母さんと私をドアの側で見ていた父さんが私を促すように、少し両腕を広げている

…父よ、いくら娘は永遠の恋人とはいえ、17歳の娘にそれは無理だよ

父「…父親とは寂しいものだね」

母「…温泉でも治らない病だわ、あなたは」

お医者様でも草津の湯でも…か
演奏者ってやっぱり壊れてるよ、まったく

はぁ…仕方ない。特別、今日だけ特別だよ
…前にもこんな事言ったな、私

照れ隠しに体当たりする勢いで、父さんの胸に飛び込んでみる

簡単に受け止められたよ。手加減したつもりは無いのに…多分

しかし、こんな凹凸の欠片も無い娘を抱き締めて、そこまで幸せな顔の出来るあなたは…やっぱり病気だわ、父よ

父「梓、キミはさっき続くはずのない永遠と言ってたね」

梓「…うん」

父「ならば、僕とキミはどうなのかな」

ふむ、不本意ながら父さんの心の声も聞こえるみたいだ

梓「決まってるじゃない。永遠に父と娘、だよ」

父「死が二人を分かってもかい?」

梓「当然でしょ。それでも父娘だよ」

父「なら、それは終わらない永遠かい?それとも、続かない永遠かな」

梓「…分かんない」

そんな複雑な想いを浮かべた私を見る父さんの顔はあくまで優しい

父「うん。今はそれでいいんじゃないかな、梓」

父さんといい、母さんといい…やっぱりかなわないよ、まったく

父「…梓」

梓「…なに、かな?」

父「結婚しよう」

梓「う…て、ちょっと待った!」

危うく「うん」と言いそうになったじゃないか!

折角ちょっぴり見直してたのに…父よ、やっぱりあなたはアレだよ、アレ!

そんな私の心の声を代弁するように、呆れ顔の母さんが一言

母「真性のアホだわ、あなたって」

間違っても、演奏者とは結婚しない!と心に誓う17歳の誕生日の夜

これはきっと、幸せな中野家の終わらない永遠


『私は今夜もする事がまーったくない』

だから今夜も芋虫ゴーロゴロ

ん?これってデジャヴ?
と言う事は、携帯が鳴る予感!

純「…鳴らないし」

仕方ないから、芋虫ゴーロゴロ続行

純「明日の今頃は、梓と憂は温泉かぁ」

そんな野暮じゃない、なんて梓には言ったけどさぁ…

純「やっぱり羨ましいっ!」


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最終更新:2010年09月25日 21:10