【澪の家】
澪「…はぁ」
部屋に入った私はどっと疲れていた。
普通に振る舞えていただろうか。
朝の挨拶する時あまりの緊張で心臓が飛び出るかと思ったけど、
いざ口に出してしまえばどうってことはなかった。
やっぱり、私の考えすぎだったのかな?
もしかしたら、律もこれを望んでいたのかも知れない。
そうだ。
このこと憂ちゃんに報告しよう。
そう思って私は携帯を開いた。
【平沢家】
brrrr brrrr
憂「…?澪さん?」ピッ
――――――――
From:みおさん
Subject:ありがとう
本文:
律と話せたよ。
憂ちゃんの言う通り、私の考えすぎだったのかも。
すごく小さいけど一歩踏み出せたよ。本当にありがとう。
また、何かあったら相談に乗ってもらってもいいかな?
――――――――
憂「…ふふっ」
思わず笑みがこぼれてしまった。
うまくいったみたいだ。
唯「どしたの憂、携帯見てニヤニヤして」
憂「な、なんでもないよお姉ちゃん!」
こうして毎日毎日、少しずつ澪さんは律さんとの関係を修復していった。
『久しぶりに律と一緒に登校したよ』
『今日は律の家で劇の練習をするんだ』
澪さんはその日律さんとどんなことをしたか逐一私に報告してくれた。
時にメールで。時に電話で。
私はそれを聞くたび微笑ましく思っていた。
このままいけば、大丈夫ですよ。
きっと澪さんの想いは律さんに届きます。
そう信じてやまなかった。
順調にいってる澪さんがほんのちょっぴりうらやましくもなった。
【翌日 学校】
律「ふあぁ~…あ」
澪とは何事もなく生活していた。
澪「どうした律。寝不足か?」
律「ん?あぁ、昨日ちょっと遅くまでゲームしててな…」
澪「もうすぐ文化祭なんだから、体調崩すなよ?」
律「へいへーい」
澪「よし、音楽室に行こう」
こんな感じだ。
いつも通り、何ら変わりない日常だった。
しいて言うなら、ムギの様子がいつもより静かだった。
………考えすぎか。
ここ最近色々あって少し他人に敏感になってんのかな。
今日は早く寝ようっと。
そんなことを思いながら音楽室に向かった。
【音楽室】
部活が終わって片付けをしていると、ムギは私に声をかけた。
紬「りっちゃん。ちょっとあとで話したいことがあるんだけど、いい?」
律「ん?あぁ、いいよ」
私は二つ返事で返した。
何のことだろう。澪のことかな?
まだ気にかけてくれてるなら、もう心配ないって伝えなきゃな。
片付けも終わり、解散したあと私とムギは音楽室に残った。
他のみんなは先に帰った。
夕陽の差し込む音楽室に、私とムギの2人。
ムギの影が、どこか儚げに伸びていた。
律「んで、どうしたんだよムギ。話したいことって」
紬「あのね、りっちゃん…」
律「な、なんだよ改まって」
紬「私、りっちゃんが好きです」
律「…え?」
訳がわからなかった。いきなりムギに告白された。
ドッキリかと思って辺りを見回したが、そんな感じはしなかった。
何よりムギの真剣な表情が、本物の告白だと私に思わせた。
紬「よ、よかったら…。わ、私と、その…」
紬「つつ、付き合ってくださいっ…!!!」
ムギは耳まで真っ赤だった。
きっとこの子はこういうことが初めてなんだろう。
恥ずかしさと不安でいっぱいなのが感じ取れた。
紬『りっちゃんは、私のこと好き…?』
あの時の言葉は、そういう意味だったのか。
私の中で一つのことが頭に浮かんでいた。
澪のことだ。
ムギ曰く、澪は私のことが好きだという。
澪の気持ちを知っておきながら、私はこの告白を受けてしまっていいのだろうか。
私は別段ムギに対して恋愛的な感情は抱いてはいなかった。
だけど、嫌いなわけじゃない。
どこまでも純粋だし、気配りも出来る、明るくて優しい子だ。
そして勇気を出してその想いを私に伝えた。
この子は本当に私を好いていて、必要としてくれているのだ。
よりによって私じゃなくても…と私は少しばつが悪そうに頭を掻いた。
しかし、それはこの子に対して失礼というものだ。
私はその気持ちに応えようと思った。
律「…いいよ」
律「私なんかでよけりゃ、だけどさ」
紬「ううん。私はりっちゃんがいいの」
ムギは目に涙を溜めていた。
ここで泣かせたら私がまるで悪者みたいじゃないか。
私は目の前の泣きそうな女の子に駆け寄り、頭を撫でた。
律「ほーら、泣くなって」
紬「だって、だってだって…本当にうれしいんだもん」
律「もう遅いし、帰ろう」
私は手を差し伸べた。
友達としてじゃなく、特別な存在として。
ムギもその手を掴んだ。
そして私たちは音楽室の扉を開けた。
ガチャ
律「え…?」
私は目を疑った。
下校時刻は過ぎてるし、学校には誰もいないはず。
ましてや、こんなところに人がいるわけない。
だが、私の目の前にはよく知った顔があった。
澪だ。
律「澪…?なんでここに…」
澪「………」だっ
律「おっ、おい澪!!」
澪は何も言わず階段を駆け出した。
まさか、聞いていたのか…?
紬「りっちゃん…」
ムギが心配そうに私を見つめる。
繋いでいる手に力がこもっていた。
律「…大丈夫だよ。行こう」
走り去った澪の頬に滴が見えた。
あいつは、泣いていた。
がたっ
澪「いたっ…!」
階段で足を踏み外した。
痛い…。どうやら捻ったみたいだ。
けどそんなことはどうでもよかった。
私は、がむしゃらに駆けていた。
――――――
――――
―――
――
…
律との仲は完全に元通りになっていた。
朝だって一緒に登校してるし、帰りも一緒。
劇の練習と称して互いの家にお邪魔したりと、
今までとなんら変わらぬ日々を過ごしていた。
まるで、あの時のことなんかなかったかのように。
文化祭が終わったら、律に告白しよう。
ロミオとしてじゃなく、
秋山澪として。
憂ちゃんもそれがいいと言ってくれた。
あの時私は音楽室に忘れた劇の台本を取りに向かっていた。
ロミオなんだから、しっかりジュリエットを支えてあげなきゃな。
そんなことを思いながら。
夕暮れ時の階段を上り、音楽室のドアに手をかけたその時だった。
『私、…のこ…が好…す』
聞き覚えのある声が音楽室から聞こえた。
おっとりとした落ち着いた声。
ムギの声だとすぐにわかった。
『よ、よかったら…。わ、私と、その…』
『つつ、付き合ってくださいっ…!!!』
えっ…?ムギが、告白…?
とんでもない現場に立ち会ってしまった。
盗み聞きはよくないと思い引き返そうとしたが、
なぜか私はその場にずっと立っていた。
相手が誰だか気になったからだ。
そして長い沈黙ののち、返事が聞こえた。
『…いいよ』
この声は…
律の声だ。
私はその場に立ち尽くした。
あぁ、ムギが泣いている。
うれしいのだろう、告白が実って。
私が告白していたら、そこで泣いているのは私だったのかも知れない。
いや、告白を受けたということは律もムギのことが好きなのだろう。
もしかしたら私が告白していたらフラれていたのかも知れない。
いずれにせよ今となっては叶わないことだ。
律はムギの告白を受けたから。
また私の想いは律に届かなかった。
終わった。何もかも。
音を立てて崩れた。
いつもそうだ、不器用で勇気もない。
だから後悔ばかりして終わる。
私は一体何をしていたんだろう。
何も…出来ない…。
こうやって、蚊帳の外から見ていることしか出来ない…。
涙が頬を伝った。
もう泣かないって決めたのに。
ガチャ
澪「?!」
いきなりドアが開いた。
茫然としていて時が経つのを忘れていた。
律「澪…?なんでこんなところに…」
律は驚いたように私を見た。
ムギは驚いたあと、とても不安そうな顔をした。
二人の手は繋がれていた。
それもそうか、もう恋人同士なんだもんな。
その場を取り繕う言葉も思い浮かばなかった私は、逃げるようにその場を去った。
律「おっ、おい澪―――」
律の声はもう耳に届かなかった。
…
――
―――
――――
――――――
【翌日 学校】
律「え?!澪が休み?」
和「そうみたいなの。さっき澪の家から連絡があったって先生が」
律(澪…)
和「なにか心当たりでもあるの?」
律「い、いやっ!別に…ないよ!」
和「そう…。今日の練習はロミオ抜きでやることになるけど、頑張ってね」
律「あ、あぁ…」
澪が学校を休んだ。
心当たり…か。思い当たる節はひとつしかなかった。
紬「おはよう、りっちゃん」
律「おう、おはよう」
紬「あれ?澪ちゃんは?」
律「…今日は休みだってさ」
紬「そう…」
ガラッ
唯「ぜぇ、ぜぇ…。お、おはよう…!」
紬「おはよう唯ちゃん」
律「おーっす。遅刻ぎりぎりだなぁ唯」
唯「えへへ…。あれ、澪ちゃんは?」
律「…!あぁ、今日はちょっと体調崩して休みたいなんだ」
唯「そうなの?大丈夫かなぁ」
【放課後】
紬「また明日」
唯「じゃあね~」
梓「失礼します」
律「おう」
律「…さて」
今日の部活は早めに切り上げた。
澪が休みだったせいか、みんな今一つ練習に身が入らなかったからだ。
そして、みんなと別れた私はあるところに向かった。
ピンポーン
『……はい』
律「…田井中ですけど」
そう、澪の家だ。
澪と話がしたかった。
何を?どうして?そんなのわからなかったけど、
とにかく澪に会わなきゃ始まらないと思った。
ガチャ
澪「………なに?」
律「今日学校休んだからさ。大丈夫かなって…」
澪「ごめん、心配かけて。明日は行くから」
律「そ、そっか。ならいいんだけど…。」
澪「じゃあ、また明日な…」
律「ちょ、ちょっと待った!」
澪「………まだ何かあるのか?」
律「いや、あの…その」
澪「ないなら戻るぞ」
律「昨日、泣いてただろ…?」
澪「…泣いてなんかないよ」
律「…嘘つくなよ」
澪「嘘じゃなかったら、何なんだよ」
律「………」
澪の言うとおりだ。
私は何がしたいんだ?
わからない、わからないけど…
ここで澪を帰しちゃいけない気がした。
しばらくして、澪は口を開いた。
澪「お前は、ムギと付き合ったんだろ?」
律「………」
やっぱり聞いていたようだ。
澪「だったらムギの傍にいてあげなきゃいけないんじゃないのか?」
澪「私を気にかける必要なんてないんだよ」
律「それとこれとは今は別だ」
澪「私のことなんてどうだっていいじゃないか。ほら、行けよ」
律「よくない!お前だって大切な―――」
澪「もういいって言ってるだろ!!!」
律「……!!」ビクッ
怒号が響いた。
あまりの勢いに思わず後ずさってしまった。
そして澪は伏せていた顔をあげた。
澪「もう、これ以上…。優しくしないでくれ…」ぽろぽろ
澪は泣いていた。
だけど、怒った顔や哀しい顔をしているわけではなかった。
まるで私を諭すかのような、穏やかな顔だった。
澪「今の律には、ムギがいるじゃないか…」
澪「私なんかに構うなよ…。ムギ、きっと不安でいっぱいだぞ…?」
澪「お前が、幸せにするんだろ…?そのための、恋人だろ…」
澪「私に優しくするなよ。諦めきれなくなるから…」
律「澪…。私は―――」
澪「もう、帰ってくれ…。律の顔なんかみたくない」
律「ちょっと待っ―――」
バタン
律「………ちくしょう」
澪は家に入っていった。
くそっ、くそっ…!
何なんだよ私は。
上っ面だけいい格好して何も出来ない、最低な人間だじゃないか。
家に帰って私は泣いた。
いつぶりだろう、こんなに泣いたのは。
自分が情けなくて、どうしよもなくて、惨めだった。
『澪…私は―――』
あのあと、私は何て言おうとしていたんだ?
わからなかった。
最終更新:2010年09月28日 23:42