こいびとごっこ…恋人ごっこ。


それは何気ない梓の言葉が始まりだった。

夏期講習を何となくといった感じで終え、澪が用事があるからと言って駅前で別れた私は、
暇潰しにと思って入ったハンバーガーショップで後輩の姿を見つけた。
梓はジュースを飲みながら、唯の妹である憂ちゃん、それからなんだっけ、なんとか純ちゃん
と話し込んでいるようだった。

私は驚かせてやれ、と梓の背後に周り、憂ちゃんたちが驚いているのにも関わらず、
梓の耳元で「猫耳」と囁いた。

「ふにゃあ!?」

案の定、梓はそんな可愛い悲鳴をあげてくれた。梓は後ろを振り向くとそこに私が
いたことでさらに驚いたらしく「律先輩!?」と叫び思い切り後ろに退いた。
おいおい、そこまでされたらなんだか悲しくなってくるぞ、梓。

「な、何なんですか律先輩!っていうか何でここにいるんです!?夏期講習は!?」
「もう終わったよー」

私は答えると、梓の隣にどさりと腰を下ろした。純ちゃんがきょろきょろと周りを見て
「澪先輩はいないんですね」と少し残念そうに言った。
私じゃ不満かー?と冗談交じりに言うと、「いえ、そんな」と純ちゃんはハハと目を逸らし
笑った。
そんな態度とられるんならはっきり言われた方がマシだって。

「律さんっていつも澪さんと一緒にいるイメージあるから」

憂ちゃんがどよーんとした私を慰めるように声を掛けてくれた。私は「そうかなー」と
言うとさっき買ってきたジュースをテーブルの上に置いた。
確かに澪とはよく一緒にいるけど、「いつも」ってわけじゃない。
幼馴染の腐れ縁で親友。澪とはそんな関係。

「あ、そういえば憂ちゃんさー、唯……」
「ちょっと、やめてよーう」
「いいだろ、俺たち付き合ってるんだから」
「やだー」

あちこちにハートマークが飛び交う声に私の声がかき消された。
もう一度言葉を紡ごうとすると、今度は別の方向から恋人たちのお熱い声が
飛んでくる。

「何か、……私、悲しくなってきました」

梓がぽつりと呟いた。憂ちゃんと純ちゃんも控えめに頷いた。
うん、大丈夫。私もだから。
夏休みだというのに女四人で狭い席に集まって雑談。何だこの悲しい状況。

さわちゃんじゃないけど、この周りにいるカップルをどうにかしてやりたくなる。
十代のうちは軽音部に捧げるんだから別に彼氏なんていらない。いらない、けど。

「くうっ……寂しい!」
「なんだか私たち、場違いですよね」

梓がそう溜息をついたとき、純ちゃんがそういえば、と言った。

「律先輩って彼氏、いないんですか?」
「へ?」
「だって、律先輩って結構モテそうじゃないですか」

私は慌てて首を振った。
そんなわけない。それなら美人で凛々しい澪のほうがモテるに決まってる。
けど憂ちゃんも「そうだよね」と言った。

「律さん、かっこいいですし」
「そうそう。意外と小学校とかのときモテたんじゃないですか、律先輩」
「意外とって何だよ意外とって!」
「あ、あはは。でも律先輩は女の子にモテるタイプじゃないですかー?」
「な、何かムギみたいなこと言うな……」
「律さんを彼氏って言って紹介されても違和感ないかも」
「は、はあ!?」

その時だった。梓がその言葉を言ったのは。

「そうだよね、じゃあいっそ私、律先輩と付き合ってみようかな」



「へ?」
「梓!?」
「あぁ、いいかも」

約一名、違う反応をしたのは置いといて(こうして話してみると唯と憂ちゃん、
結構似てるんだな)私と純ちゃんは驚いて梓を見た。

「や、やだ、冗談ですよ冗談」

梓はそんな私たちにもっと驚いたようであははと乾いた笑みを漏らした。
冗談か。私はほっと息を吐いた。
けど……。梓と付き合う、か。冷静に考えてみれば私たちは女同士なわけで。
ただの遊びなら面白いかもしれない。そうだな、これは『ごっこ』と考えればいい。
『恋人ごっこ』
悪くないな。夏期講習で疲れた頭をフル活用しながら考える。
どうせ明日からはまた暇なんだし。良い暇潰しになるかも。

「そうだなー、じゃ私と付き合うか、梓」
「……は!?」

自分の発言を本気にとられて恥かしかったからなのか少し赤くなりながらジュースを
飲んでいた梓は盛大に噴出した。それもわざわざ私のほうを向いて。
……いや、唯とかで慣れてるからいいんだけどさ。

純ちゃんやさすがの憂ちゃんまでも目を丸くして私を見た。
私は得意げにその場にいた三人を見回すと、「『ごっこ』だよ、『ごっこ』」と
言った。憂ちゃんが私の顔を拭いてくれながら「『ごっこ』?」と首を傾げる。
純ちゃんはあぁ、と小さく納得したような声を上げた。

「要するに遊びみたいなものですか?」
「そ、暇潰し。それにこんな寂しい思いしなくてもすむだろ」
「いや、けど……」
「何だよ梓ー。どうせ梓も暇だろー?」
「まあそうですけど……、っていうか先輩受験生じゃ……」
「期間は夏休みが終わるまで!それなら他の皆に知られて変な噂たてられなくてもすむだろ?」

私はそこまで言うと、梓に向き直った。

「ってことで」

あぁ、やっぱり遊びってわかってても改めてこんなクサい台詞を言おうとすると
恥かしいな。

「中野梓さん、私と付き合ってください」

場所が場所。ハンバーガーショップでこんなこと言うバカなんて普通いない。
ムードもへったくれもないそんな場所で、私と梓はその日、『恋人』になった。

梓は私の差し出した手をとると、「ちょっとだけ、『暇潰し』に付き合ってあげます」
と言ってはにかんだ。
純ちゃんがヒューと口笛を噴いた。憂ちゃんもわあ!と嬉しそうに手を叩く。
いやあ、ありがとう、ありがとう。
……なんて愛想笑いを振りまいている場合じゃない。

ここ公共の場!公共の場だから!いくら遊びだとはいえ、さすがに恥かしい。
周りの人たちが怪訝そうに見てるし!あのバカップルだって。


――恋人、か。

私は純ちゃんと憂ちゃんの喝采を何とか鎮めると、隣にちょこんと座って
さっきよりも恥かしそうに頬を赤らめている梓を見て思った。

恋人って何するんだろ。
手を繋ぐ?抱き合う?……キスをする、とか?
いや、無理。さすがに『ごっこ』とはいえそれは無理だろ。

私は自分で考えたことに思わず心の中で突っ込みをいれた。あぁ、
何か梓と『恋人らしいこと』してるのを想像してしまって顔が熱い。

そっと気付かれないように梓の横顔を眺めた。
一応、私が『彼氏』役みたいなもんなんだから、私がリードしなきゃダメだよな。
先輩でもあるんだし。部長でもあるんだし。関係ないかも知れないけど。

「……、何ですか?」

そんなことを考えていると、ふっと横を向いた梓と目が合った。
私は慌てて「何でもないぞっ」と手と首をわたわたと振った。
「そうですか」と梓も気まずそうに目を逸らした。

「何か本当に初々しい恋人同士みたい」

純ちゃんがそう言ってけらけらと笑った。

「そろそろ帰るか」と腰を上げたのは日がだいぶ傾いてきた頃だった。
後輩三人組とこんなに話したのは初めてだったけどいつもの三年生メンバーと
違ったノリで面白かった。たまには学校でもこの三人組に絡んでみようか。

「それじゃあ、律さん、失礼します」

憂ちゃんは夕飯の買物があるからとかで駅前のスーパーに入っていった。
純ちゃんも気を利かせたらしく、用があるからと電車で帰って行った。
去り際、梓に「『恋人』なんだから二人きりのほうが良いでしょー」と笑いながら
言っていた。
その言葉を聞いていた私は、だから妙に梓を意識してしまって他の二人がいたときは
すらすら出てきたジョークも言えずにいた。暫く無言のまま歩いた。

そろそろ居心地が悪いなと思い始めたとき、梓は立ち止まった。

「先輩、私、こっちなんで」
「あ、そっか」

えーっと。ここはなんて言えばいいんだろう。かっこよく「送ってくぜ」とか?
いやいや、何か違うよな。私が迷っていると梓は「それじゃあ」と私に背を向けた。
私は思わず梓の手を掴んで引き戻した。

「先輩?」

引き戻したのはいいけど、何も考えてない。
あぁ、もう何とでもなれ!

「今は『先輩』はやめないか?」

やけくそで口をついて出た言葉はそれだった。梓が目をぱちくりさせて
私を見た。「どういうことですか」と首を傾げる。
私はえっと、と口篭ると「律、とかりっちゃんって呼んで、っていうか……」
としどろもどろに答えた。
すると梓は。

「……律」


え?


思考停止。
上目遣いで私を見る梓の頬が、段々赤く染まっていく。
「これでいいんですか」とそっぽを向いた梓を、私は思わず抱き締めていた。

「……せ、先輩!?」
「今は『恋人』同士だからいいだろ」

そう言うと、梓はおずおずと私の背中に腕を回してきた。不覚にもかわいいと
思ってしまった。いつも梓に抱きついている唯の気持ちがわかった気がした。


夜。
携帯を開くと澪からメールが来てた。

『明日、一緒に勉強しないか?』

明日、か。私はうーん、と考える。いや、本当はもうとっくにその返事は決まってる
んだけど。

『ごめん、明日無理』
『そっか。わかった』

メールを送ると返事はすぐに返ってきた。ずっと私からの返信を待ってたのかな、澪。
そう思うのは少し自意識過剰か。けど私はもう一度心の中で澪に謝ってから、
もう一度メールボックスを開いて文字を打った。

『明日午後10時。駅前の噴水で待つ』

まるで果たし状だな、と自分で呆れながら梓にメールを送る。
私は携帯を閉じると、大きく欠伸をしてベッドに寝転んだ。寝返りを打つと、
ふいに梓の温もりを思い出した。

明日は何をしてやろうかな、なんて考えながら私は浅い眠りの海に堕ちて行った。

まだ夜が明けていない頃、私は目を覚ました。最近、良く眠れない。
これでも受験生ということで色々不安があったりする。大学どこに行くかまだ
決めてないし、就職するにしても何するにしても私だって普通の女子。それなりに
将来のことを考えて怖くなる。

こんなときは澪に電話したくなる。私は傍においてあった携帯を手に取って開けた。
暗い部屋にぼうっと小さな光。暗闇に慣れた目で眩しいディスプレイを見ると午前3時。
微妙な時間だな、なんて思って澪に電話するのを躊躇っていると、メールが来ているのに
気付いた。開けてみると梓からだった。

『わかりました』

さっき送ったメールの返事。簡潔だなあ、と苦笑する。そういえば梓、今起きてるかな。
まさか起きてないだろうな、と思いながらも私はお化けの絵文字を1つだけ打つと他は何も
書かずにそのメールを送ってみた。

なんと、その数秒後、梓からメールの返信が来た。
まるでさっきの澪並みだ。

『なんですか』

私はそのメールに返信せず、梓のアドレス帳を呼び出した。
そしてそこに記されてあった電話番号に電話を掛ける。
真夜中、静かな部屋で聞こえる呼び出し音。
程なくして、梓は電話に出た。

「梓、やっほー」
『やっほーって……。先輩、今何時だと思ってるんですか!』
「梓だって起きてるしいいじゃん。何か眠れなくってさー」
『……先輩も、ですか』
「ん?」
『い、いえ、何でもないです!』
「なあ、梓」
『はい?』
「本当に良かったのか」

私は携帯ストラップを指で弄びながら訊ねた。何となく、何となくだけど聞きたくなった。
遊びだってわかってるけど。わかってるからこそ、訊ねたくなった。
だって、無理矢理私の暇潰しに付き合せるのも先輩として、部長として、かっこ悪いし。

『何がですか』

けど梓は惚けたようにそう言った。鋭い梓がわからないはずない。きっとわかってて
そう言ってるんだ。それは「良い」ととっていいんだろうか。けど、多分そう。
これも自意識過剰かも知れないけど。梓はきっと、私との『遊び』を楽しんでくれてるんだ。

それから、私は梓とどうでもいいようなことを話した。
本当にどうでもいいようなこと。唯や澪が一年の時にしでかしたこと、ムギの不思議な
言動や今日夜にあったドラマの話から楽器や好きなミュージシャンの話。
気が付くとそろそろ夜明けだった。時計を見ると午前4時過ぎ。

私は立ち上がるとカーテンを開けて外を見た。
電話越しに梓も同じことをしているらしく、カーテンの開く音がした。
今登ってきたばかりの朝日が眩しい。

「梓、おはよう」
『おはようございます』

私たちはそう言ってくすくすと笑った。
待ち合わせ時間を12時に変更して、私たちは電話を切った。ずっと手を上げてたから腕が
痛いけど程よい眠気が襲ってきて私はベッドに寝転ぶとすぐに眠りにおちた。

次に目が覚めたときにはもう日は高く上っていて、私は慌てて携帯を開いて時間を
確認した。12時過ぎ。駅前まで行くにはどれだけ頑張っても10分はかかる。
私は急いで着替えると家を飛び出した。家を出た後、遅れると連絡を入れればよかった
んだと気付いたけど私はそのまま走った。

駅前につくと12時半過ぎ。もう梓、帰っちゃったかもな、なんて思いながら噴水のほうへ
歩いていく。

「やっぱり」

私は荒い息を整えながら呟いた。どこを見ても梓らしい姿は見えない。
梓も遅れてきたかも、なんて考えて暫く待とうとしたけどやめた。あの真面目な
梓が遅れるわけないから。
私はポケットから携帯を取り出すと今更ながら遅れてごめんメールを打とうとした
とき、ぽんっと肩を叩かれた。

「あ、梓?」

そこには見知らぬ女の子――いや、梓が立っていた。
梓は普段ツインテールの髪を下ろしていた。だから後姿じゃわからなかったんだな。
ていうか。

「律先輩?」

梓に怪訝そうに私の顔を覗きこんだ。梓の顔が近くなり、私の心臓が飛び跳ねた。
それを悟られないように乱暴に梓の手を掴むと歩き出す。
バカ、私。何梓に見惚れてたんだ。

私はこの火照った頬を冷やそうと、人のあまりいない河原のほうへと歩いた。
少し私に引っ張られるようにして着いて来ていた梓が、いつのまにか私の隣を
歩いていた。
梓はどこへ行くのか訊ねてこなかった。だから私も早足で歩いた。
何も会話はなかったけど、昨日みたいに重苦しい雰囲気にはならなかった。
握った手だけで満足で寧ろこの沈黙が心地よくすら感じた。

そうだ。
私は突然思い立って方向転換した。

「律先輩、どうしたんですか?」
「梓、秘密の場所へ連れてってやる」

私はふふふ、と笑うと言った。昔澪と一緒に作った秘密基地。きっと澪は覚えてない
と思うけど。私は中学校に上ってからも何かある度そこへ行っていた。高校生になった今は
中々行く機会がなかったから行ってないけど。澪以外、誰にも言う気はなかった。
けど梓なら何となく良いかな、って。

「秘密の場所、ですか?」
「そ。誰にも言っちゃダメだからなー!」

言うと私は走り出した。梓も私に手を引かれ慌てて着いて来た。

息を切らせて辿り着いた場所は、一目につかない開けた場所だった。草むらに
隠れて、周りから隔離された空間。

「こんな場所、あったんですね」

梓が驚いたように言った。私は「もっとデートの定番っぽいとこに連れてきたほうが
良かったか?」と笑いながら訊ねるとふるふると首を振った。

「いえ、ここ、律先輩の秘密の場所なんですよね?それならここのほうが嬉しいです」
「そ、そうか?」

何でそんな嬉しそうな顔で言うんだ、梓は。
私はまた突然抱き締めたい衝動に駆られてそれを慌てて必死に押し止めた。
だめだめ、確かに私たちは『恋人』同士であるわけだけど、今ここで梓を抱き締めて
しまったら何でかわからないけどだめな気がする。
……抱きつくのは唯の特権だし。

そう自分に言い聞かせて、私は地面に座り込んだ。
そういえば、ここには何もない。ずっとここで過ごすのは無理があるよな。
いくら梓がここに来れて嬉しいとか言ってても。

梓は興味深そうに辺りを見回している。何か面白いものでも見つけたんだろうか、
突然梓は「あ!」と声を上げた。

「どしたー?」

私は地面に座り込んでいた腰を上げた。梓は遠くを指差しながら「律先輩、
川が見えます!」と言った。思わずがくっと声に出してずっこけていた。
何だ、それだけであんな驚けるのか梓は。
けど梓は私の手を引っ張ってその「川」が見える場所まで連れて行った。

確かに川があった。凄く細々とした川。今にも干からびて水がなくなっちゃいそう。
結構この辺探索したつもりだったんだけどな。こんな川があったなんて気付かなかった。

「ちっちゃ」
「ですよね!この川、何なんでしょう?行ってみましょうよ」

子供みたいにはしゃぐ梓に手を引っ張られる。やれやれ、何がそんなに珍しいんだか。
けど私は梓の横顔を見てたら自分まで楽しくなってきて、「よし、行くか」と逆に私が
梓の手を引っ張った。
『彼氏』なんだから『彼女』に引っ張られるなんてかっこ悪いだろ?

川は小さかったけど長かった。梓が手に水を浸し、「冷たい」と目を丸くして呟いた。
本当、小さい子みたいだな。
私はそんな梓を見ながら思った。軽音部にいるときと違った表情。もしこれが私の前
だけで見せてくれてるものなんだったら多分、絶対凄く嬉しい。

水面に映る梓の表情は本当に幸せそうで。
そんな梓を見てるとあぁ、まただ。抱き締めたくなる衝動に駆られた。


「梓」

梓の名前を呼んだ。梓は「はい?」と振り向いた。私は「何でもない」と答えた。
やっぱりだめ。このままじゃ。
このままじゃ。

きっと、本気になってしまう――


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最終更新:2010年10月05日 19:38