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「なあ、梓」
「今度は何ですか先輩」

梓はどうやら小さな魚を見つけたらしく、まるで猫みたいに魚を指で弄んでいる。
私は少し迷うと訊ねた。

「もし、私が本気で梓と付き合いたいって言ったらどうする?」
「そんなことあるわけないじゃないですか」
「梓?」

梓の声が今までの声と違ってどこか尖っていたように聞こえて、私は戸惑った。
けれど振り向いた梓の顔は笑顔で。梓は今までの明るい声で
「先輩、私そろそろお腹減りました」と言った。
だから、――きっと気のせいなんだろう。

その後、私たちは商店街をぶらぶらして歩いた。梓は昼ごはんを食べて来てない
というからたこ焼きを奢ってやった。梓は猫舌らしく、何度もフーフーしながら
たこ焼きを口に運んでいる。見兼ねた私は梓の手をどけるとたこ焼きを冷まして
梓の口許へ運んだ。
よく言う「あーん」だ。いや、恥かしくてそんなことは言わないけど。
梓は始めは恥かしそうにしてたけど、だんだん慣れてきたのか美味しそうにもぐもぐ
食べている。私も欲しいな、なんて視線を送ってみると梓が仕方ないなあ、と
いった表情でもう一本ついていた爪楊枝でたこ焼きを刺すと私の口許へ。
うん、やっぱりこれ、やるほうもやられるほうも恥かしい。
私は顔を熱くしながらそれを食べた。ちなみに梓は冷ましてくれなかったので
口の中のたこ焼きも熱かった。

食べ終えるとゲームセンターで遊んだ。何度も失敗しながらやっととれた小さな
猫の人形を、梓は大切そうに抱き締めた。それだけで今日の出費はいくらだとか
そんなこと、どうでもよくなった。

「律先輩」

ゲームセンターを出るとすっかり日は暮れていた。梓は私の名前を呼ぶと、自分から
ぎゅっと手を握ってきた。

「今日は楽しかったです、ありがとうございました」
「なんだ、いやに礼儀正しいな」
「先輩と二人きりで遊ぶのって初めてじゃないですか」
「これは『デート』だけどな」

だから別にお礼とかはいいの。私たちはただの先輩後輩じゃないだろ?
そう言って笑いたかったけど声は出なかった。出なくていいと思った。
どうせ「今だけ」なんだから。夏休みが終わるとあっけなくこの関係は崩れる。
なら言わない方がいい。虚しいだけだから。

「そうでしたね」
梓は頷いて、小さく笑った。

けど。「今だけ」は、梓は私の『恋人』なんだ。
もうだめだなんて思わなかった。大丈夫、もうちゃんと自分の心にブレーキかけられる。
だからこれは「今だけ」の『恋人』として。
私は梓の身体を引き寄せるとぎゅっとその小さな身体を抱き締めた。

その次の日も、そしてそのまた次の日も私たちは『デート』を重ねた。
その度に私は梓を抱き締めた。けど、それ以上には勿論進むわけ無い。
自分の気持ちのコントロールも上手くなっていた。
気が付くともう8月の半ばで、部活のことを思い出したのは久しぶりに掛かってきた
澪からの電話だった。
聡の相手をしながら梓に次いつ会おうかっていうメールをしていたところで、
そういえば最近、全然澪と話してないなと思い出した、そんな時。

『律?』
「お、澪、久しぶり!今こっちから電話掛けようかなって思ってたとこ」
『うん、それでさ、部活、どうすんの?もうすぐ夏休みも終わるし、一回くらいは学校に
出てきてみんなで練習しない?学園祭も近いし』
「……あ」
『まさか忘れてたんじゃないだろうな。まあ律のことだし図星なんだろうけど』
「悪い悪い」
『全然反省の色が見えないんだけど。全く、部長なんだからもうちょっとしっかり
しろよな。そういえば最近全然メールとかしてこなかったけどどうしたんだ?』

澪が不思議そうに訊ねてきた。確かにこの時期、去年とかなら澪に遊ぼう遊ぼうと
言いまくってたっけ。

けど「どうしたんだ」と聞かれても困る。何て答えれば良いのやら。
梓と毎日遊んでる、なんて言ったら澪はどんな反応するだろう。

「ん、まあちょっとな」
『そっか。で、早速なんだけど明日、どう?』

澪は深くは聞いてこなかった。そこが澪の良い所であり悪い所。まあ、今は深く
聞かれたら困るからいいんだけど。
それにしても明日、か。明日は梓と映画でも行こうかって言ってたんだけどな。
部活でも梓に会えるし、いっか。

「いいけど」
『わかった、じゃあ私、梓と唯に連絡するから律はムギに……』
「いや、私が梓に電話する!澪は唯とムギに連絡して!」
『あ、そう?わかった。じゃあまた明日』
「うん、また明日」

電話を切って一息吐く。澪が梓と電話してるとこを想像すると凄く胸が変な感じの
圧迫感に襲われた。もう一度大きく息を吐くと、私は一旦閉じた携帯を梓に電話する為に
開けた。


翌日、私は久しぶりに澪と登校した。久しぶりに会ったせいか、私たち二人とも
口数が少なかった。けど沈黙してても重苦しくないのは長年一緒にいるせいなんだろう。

「おいーっす」

部室の扉を開けると唯とムギが先に来ていてお茶を飲んでいた。
梓のところを見るといない。まだ来てないんだ。

「りっちゃんおいーっす、あ、澪ちゃん昨日はありがとねー」
「りっちゃん、澪ちゃん、久しぶりー」

そういえば本当に久しぶりだな。夏休み、あの夏期講習以来全く会ってなかった。
ムギはにこにこと嬉しそうに私と澪の分のお茶を淹れた。

「何かりっちゃん、変わったね」

梓を待っている間、お茶を啜っていると突然唯が言った。
私がは?と聞き返すとムギと、そして澪までうんと頷いた。

「何かかっこよくなったっていうか」
「りっちゃん、恋煩いにでもかかったのですかいー?」
「り、律好きな人でも出来たのか!?」

恋煩い?好きな人?いや、ないだろ。
きっとみんなの気のせいだよ。そう言いたいのに。何でここで梓の顔が出てくる。

「あれ、りっちゃん沈黙!?まさか本当に……!」
「ち、違うって!」

慌てて否定すると、部室のドアが音をたてて開いた。梓がいた。
梓は一瞬、ほんの一瞬泣きそうな表情になった。ここ数日、本人は気付いてないかも
知れないけどたまに見せたあの表情。
梓は自分でもよくわかっていないようで、多分無意識のうちにドアを開けていたんだろう。

「あ、あずにゃんおはよーう」

そんな梓を他所に唯はいち早く立ち上がると梓に向かって駆け出した。そして
ぎゅうと抱き付く。

「ゆ、唯先輩……!」
「あずにゃん分補給ー!」

「梓、おはよう」
「今日は梓ちゃんの好きなお茶にしてみたの」

澪とムギもそれぞれ梓に声をかける。
ていうか。
唯の奴、何があずにゃん分補給だよ。ムギだって何で梓の好きなお茶になんかするんだ。

そこまで考えて私はバカなこと考えてる自分に気付いた。
だって、梓は私のものじゃないんだし?『恋人』だって言ってるけど、どうせ夏休みの間
だけじゃん。唯が梓に抱きついてるのはいつものことだし。梓が抵抗しないのもいつものことだし。
ムギだってきっとたまたまなんだろうし。

あぁ、私なんか変だ。私は梓のこと好きじゃない、好きじゃない、そうだろう?
なのになんでこんなに苦しいんだ。

「あー、ごめん、ちょいトイレ」

私は椅子から立ち上がると笑って言った。
――今ちゃんと笑えてたかな、声、上ずってなかったかな。

梓が「律先輩」と私を呼んだ。けど私はそれを無視した。今振り向いちゃったりしたら
自分が壊れてしまいそうだった。
私は急いで部室を出て、階段を下りた。そして階段の踊り場で誰にも見えないところで私は
頭を抱えた。

何だよこの気持ち。ちゃんと、自分の気持ちをコントロールしてきたはずなのに。
私は梓のこと好きじゃない、って何度も言い聞かせた。けど何度そう言い聞かせても
私の心は正直で、胸の痛みはさらにひどくなった。

遊びのつもりだった。
ただの『恋人ごっこ』
なのになんで。

「律」

聞きなれた優しい声がした。俯いていた顔を上げるとそこにはやっぱり澪がいた。
澪は私のすぐ傍まで来ると、「大丈夫?」と言って頭を撫でてくれた。
幼い頃、泣いてる澪に私がしたのと同じように。

「律さ」
「……何」
「――もしかして、梓が好き、なの?」

澪は控えめに、けどはっきりとそう訊ねてきた。きっと澪の言ってる『好き』は
友達や後輩としての『好き』じゃない。澪は私の気持ちをちゃんとわかってるんだ。

「……、悪いかよ」

何となく素直に認めるのが癪、けど澪の前でなら素直に自分の気持ちを曝け出せる。
私は、いつのまにかこんなに梓のこと好きになってた。気付かないうちに。
ブレーキをかけてたつもりが、本当は自分の気持ちを隠してただけなんだ。

澪は私の返事を聞くと、そっか、と言った。そしてその大きな手を私の頬に添えると
真剣な瞳で、澪は言った。

「律、私じゃ、だめ?」

「み、澪……?何言って……」
「じょーだん」

私が狼狽えるのを見ると、澪はぱっと手を離してすぐに顔を逸らした。
嘘だ、恥かしがり屋の澪がそんな冗談、言えるはずない。

「ありえないよ、私が律を好きなんて」
「……うん」
「それに女同士だぞ?変だよな、気持ち悪いよな」

最後のほうは、澪は自分に言い聞かせるように言った。それからはっと私を見ると
「あ、ごめん」と謝った。私はのろのろと首を振る。

そうだ、私と梓は女同士。好きになるはずなんてないんだ。
そんなことあっていいはずがない。私はきっとおかしいんだ、どうかしてる。
けど。けど、私は。
自分の気持ちを自覚しちゃったんだ。もう、戻れない。

澪は黙りこくった私を見てもう一度「ごめん」と謝ると気まずそうに「先、部室
戻ってるから」と言って階段を上っていった。

私はその後姿を見て、何で、と思った。
何で私はあの日、『恋人ごっこ』なんて考えてしまったんだろう。

「りっちゃん、大丈夫?お腹痛かったの?」

澪が戻ってからすぐ後に部室に戻ると、唯が心配そうにやってきて訊ねてきた。
私は曖昧に返事すると、机の上に置きっぱなしにしていたスティックを鞄に入れて持った。

「りっちゃん、帰るの?」
「うん、体調悪くてさ」

ムギに訊ねられ、私はそう言うと皆に背を向けた。どうしてか、場の空気が
暗くなった。私は軽音部の雰囲気が悪くなったら盛り上げるのは自分の役目だって
自負していた。だけど今日はそんなことできる自信がない。だから私はその空気に
気付かないふりをしたまま、部室を出た。

梓と澪のほうは見ないようにして部室を出たので、部室に一人欠けていたなんて
気が付かなかった。
下駄箱で靴を履き替え玄関を出て校門を抜けると、そこには梓が立っていた。

「梓」
「律先輩」

梓に気付いて私が驚いて立ち止まると、梓は真直ぐ私に向き合って名前を呼んだ。
その瞳があまりにも強い想いを秘めていて、目が逸らせなかった。

「梓、部活は?」
「抜けてきました。律先輩もでしょう?」
「……そうだけど」
「律先輩、デートしましょう。映画、連れて行ってくれる予定だったんですから」

私が何も答えずにいると、梓は言葉を続けた。

「先輩、これは遊びなんですよね。遊びは最後まで続けなきゃだめじゃないですか。
私たちはまだ『恋人』です。だから夏休みが終わるまで、律先輩は私の傍に
いてくれなきゃだめなんです」

私は「あぁ、そうだな」って掠れた声で頷いた。
けど梓は、私の気持ちに気付いてないからそんなこと言えるんだ。
そう、これはただの遊び。梓にとってはきっとその程度の意識なんだ。
梓は生真面目だからそんなふうに意地になって言うんだ、なあ、そうだろ?

「……ごめん、今日は調子悪いんだ」
「そうですか。それじゃあ明日、午前10時、駅前の噴水に集合です。絶対です」
「わかった」

頷くと、梓はぺこり、と頭を下げて私を残して別方向へ帰って行った。
一緒に帰りましょう、くらいは言っても良いんじゃないのか?って考えた後、
すぐに私は呆れて苦笑した。
当たり前だ、私は梓の本当の『恋人』じゃないんだから。それに、今日は一人で
いたかった。

家に帰り着くと鞄を放り投げて制服のままベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
何気なく携帯を見ると澪からメールが来ていた。

『律、さっきはごめん。後、本当にあのことは気にしなくていいから』

私は返事を打たずに、梓のアドレス帳を開けた。そしてメール画面を呼び出すと
明日も無理になったっていうメールを送ろうとした。けどなんて書けばいいかわからなくて
結局やめた。その画面のまま携帯を閉じると、私はそのまま目も閉じた。

気が付けば日はすっかり暮れていた。聡が部屋の扉をドンドン叩いて
「姉ちゃん、飯ー」と叫んでいる。けど私はそれを無視してもう一度目を閉じた。
もう少し、夢の余韻に浸っていたかった。

梓と私の、何でもない普通の日の夢。部室にいるのに他の皆はいない。そこで
私たちは他愛もない話をして笑い合う。

心地の良い空間。もうずっとそこにいたまま、目覚めなくてもいいと思うほど。

「姉ちゃんが起きねー」と聡が大きく音をたて階段を下りて行った。
私は立ち上がると電気のスイッチを押した。カーテンは朝から閉まったままだった。
机の上にあった卓上カレンダーを見た。もう、夏休みはあと少し。

夏休みが終わったら、私たちは昨日の私たちみたいに笑えるだろうか。
少なくとも、私は無理な気がした。


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最終更新:2010年10月05日 19:40