翌朝、カーテンの隙間から漏れる明るい光で目が覚めた。制服のままで眠ってしまい
スカートがぐしゃぐしゃだ。私は制服を脱ぐとハンガーにかけ、手近にあったズボンと
パーカーに腕を通した。

部屋の時計を見ると、9時過ぎ。充分約束の時間まで間に合う。
流石に梓はまだ来て無いだろうから、ごめんって断ろうかな。髪を梳かしながら
携帯を弄る。けど結局、私は昨日のようにメール画面を開いたまま携帯を閉じた。

今日が最後。今日、梓と遊び終わったら「別れよう」って言おう。
あれ、実際付き合ってないんだから変か。なんて言おう。

そんなことを考えながら、駅前の噴水へと急ぐ。気分は暗いのに、私の足取りは
初めて梓と『デート』したときのように軽かった。

梓は遅いです、という顔で私を見た。
待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間より10分も早く。梓はそれ以上早くここに
来てたのか。梓は今日、髪を下ろしていた。初めてデートした日以降、梓はこの
髪型にして来なかった。久しぶりに見たその姿に私はまたもや見惚れてしまっていた。

「律先輩?」

顔を覗きこまれる。あぁ、まるでこれじゃデジャヴ。梓の顔が近くなって私の心臓が
大きく飛び跳ねる。動揺して私が思わず乱暴に梓の手を掴んだことさえ同じだった。
けど、梓は私が引っ張ってもそこから動こうとしなかった。

「梓?どうしたんだよ。映画、行くんだろ?」
「いえ。今日は律先輩の秘密基地に行きたい気分なんです」

私は仕方なく進路変更。けど梓があの場所を覚えていてくれたのが少し嬉しかった。
これで梓と手を繋ぐのも最後だと思うと、私は知らず知らずのうちに梓の手を強く握っていた。

「律先輩、手、痛いです」
「あ、あぁ、悪い」

梓に言われて慌てて手を離した。でも梓はすぐにもう一度私の手を握りなおしてきた。
こんなことされると期待してしまう。けど、きっと梓はこれも遊びのつもりなんだ。
だから期待なんてしちゃだめだって、そう自分に言い聞かせる。

『秘密基地』に着くと、梓はやっぱりあの日みたいに小さな子供のようにはしゃいだ。
前に来たことがあるんだからそんなに珍しいものだってないはずなのに。
それに梓はここに何もないことだって知ってるはずだ。なのになんでここに
来たいなんて言い出したんだろう。と、突然梓がなにやらいつもより大きめの鞄を
探って言った。

「律先輩、私、トランプやりたいです」
「は?トランプなんてどこに……、って持って来てたのか」
「はい、静かなとこで先輩と過ごすのだって『恋人』らしいでしょう?」

そうだな。最後くらい、梓と誰もいないところで過ごすのも良いかもしれない。
いや、きっと私たちの最後を飾るにはぴったりだ。

私たちは向かい合って地面に座ると、トランプをしながら何の意味もない会話を
交わした。本当にどうでもいい話。けどそれは夢で見たあの光景にそっくりで、
心が安らいだ。

「そろそろお腹減りましたね」

長々とトランプをしてさすがにそろそろ飽きてきたのか、梓はそう言ってだいぶ上まで
上った太陽を見て言った。そうだな、と相槌を打つと私は「何か食いに行くか」と立ち上がった。
けど梓は私の手を引っ張ると同じ場所にもう一度座らせた。

「私、お弁当作ってきたんです」
「え?」
「だから、お弁当作ってきたんですってば。一回、やってみたかったんですよね、
『恋人』にお弁当作って食べさせるの」

梓はそう言いながら、またもやあの大きな鞄を探って大きめの弁当箱を取り出した。

梓に渡されて持ってみると意外と結構重くて、梓はここに来る間ずっとこれを持ってたんだと
思うと申し訳なく思った。せめてカタチだけでも鞄持つよ、くらいは言えば良かったかなって。
開けてみると見事に綺麗揃えられた美味しそうなものばかりが詰っていた。

「すげえな、これ。梓、自分で作ったのか?」
「えーっと……。多少お母さんに手伝ってもらったんですけど」

私がつい興奮して訊ねると、梓はあはは、と笑って目を逸らした。
多少じゃない、“結構”手伝ってもらったな、この様子では。
けど。
それでも頑張って作ってくれようとしてくれた。たとえそれが私の為じゃなかったと
しても、やっぱり私は嬉しかった。

「いただきます」
「どうぞどうぞ」

きちんと手を合わせて割り箸を割る。早速食べようとすると、先に梓の手が伸びてきて
小さな丸いお握りをとられた。「あ」と呟くと、それを梓は私の口許に持って来て、
恥かしそうに「あーん」と言った。
だからそれ、やるほうが照れるとやられるほうも照れるんだって。いや、逆も勿論照れる
んだけど。

「あ、あーん?」

疑問系になってしまったけど仕方が無い。大きく口を開け、梓の作ったお握りを
頬張った。梓は「美味しい?」と訊ねてきて、私はこくこくと頷いた。
塩加減も絶妙だし、梓のお母さんはきっと料理が上手なんだろう。
(この場合は梓は、って言った方がいいんだろうけど)

「それじゃあ律先輩も」

私がお握りを食べ終えると、梓が待っていたように言った。私は訳がわからず
首を傾げると「だから……」と恥かしそうに俯いた。
あぁ、なるほど。さっきの「あーん」を私もやれ、と。そういうことか。

納得すると、私は食べやすそうな卵焼きを選んでそれを梓の口許へ持って行った。
梓が私を横目で見る。

「ほら、あーん」
「んぐっ……」

卵焼きを梓の口の中に放り投げると、梓が喉を詰らせた。私は慌てて傍にあった水筒から
お茶を淹れて渡してやった。梓はごほごほ咳をしながら「先輩!」と睨んできた。

「悪い悪い」
「危うく喉詰らせて死ぬとこでした」
「だから悪かったって」

拗ねたように顔を逸らす梓に頭を下げると、突然梓がくすくすと笑い出した。
「どうしたんだ?」と訊ねると、梓は言った。

「やっぱり、こっちのほうが私たちらしいですよね」

え?と聞き返すと、梓はだって、と言って続けた。

「甘ったるい雰囲気、似合わないじゃないですか。どっちかっていうと
夫婦漫才みたいな感じのほうが似合ってると思いませんか?」
「……ん、まあそうだな」

どう答えればいいのかわからず、私は曖昧にうなずいた。梓の表情は逆光で
よく見えなかったけど、どこか切なげな顔をしていたように思えた。

それ以降、私たちは普段部室にいるようなノリで話した。
さっきトランプをしていたときは二人とも意図的に出さなかった軽音部の話も
どんどん持ち出した。
こうすることで、今までと変わらない関係に戻っていくんじゃないかって思った。
それでいい、梓と微妙な雰囲気になるのだけは絶対に嫌だから。

お弁当も綺麗に食べ終えると、梓はさて、と言って立ち上がった。
今度は何をやり始めるのかと思って見ていると、手を差し出された。

「律先輩も立ってください」
「良いけど……、何するんだ?」

差し出された手を掴んで立ち上がると、私は訊ねた。梓は「鬼ごっこです」と
得意げな顔で言った。
鬼ごっこって……。小学生かよ。

「けどまだ飯食ったばっかだしなー……」
「ひょっとして律先輩って運動できない……」
「わかった、やってやる!」

いつの日か梓に言った言葉を返されそうになり、私は慌てて言った。
それで梓が楽しいんなら、いくらでも付き合ってやる、と言うと梓は「どうも」
とぺこりと頭を下げた。そこまで感謝することでもないのに。
梓は頭を下げたままごしごしと顔を擦ると、元気良く顔を上げた。
さっきまでの梓の顔だった。

「それじゃあ先輩が鬼です」
「はあ!?ジャンケンじゃないのかよ、ってか二人だけって面白くないんじゃ……」
「良いんです、それじゃあ10数えてくださいね」

私はしぶしぶ言われたとおり目を閉じて10数えた。
たたたっと梓の走る音が聞こえる。いつのまにか、こんなに短い間なのに梓の足音を
覚えてしまっている自分がいる。

10数え終わると、私は目を開けた。けど梓の姿はなかった。
たった10秒で見えないほど遠くに行けるわけはない。
どこかに隠れてるんだろう。まったく、これは隠れん坊じゃなくて鬼ごっこだろ。

「梓、どこだよー?」

一歩、二歩とゆっくり歩きながら叫んだ。少し先の人一人隠れられるくらいの草むらから
小さくかさりと音がした。私がそこに向かって走り出すとさらにその音は大きくなった。

「梓ー、隠れるのはせこいだ……」

最後まで言えなかった。梓の肩を掴んだ私は、その肩が小刻みに震えていることに気付いたから。
梓、泣いてるのか?

「もう……、先輩見つけるの、早すぎ、です……」

梓は泣きながら言った。
「律先輩に……こんなとこ、っ見せたく、なかったのに……」と。

「梓……」
「私っ……、今日で最後、って、思って、ました……。律先輩と、『恋人』で、
いるのは、今日が最後、って……。だからっ、だから私……」

今日は私のことを忘れる為の儀式だったんだって。
梓はそう言った。

「忘れよう、って、何度も、思いました……っ。けど、忘れるなんて、出来なくて……
このままじゃっ、元の今までの関係に、戻れないって……、そう、思ってたのに……
律先輩は、ずるいですっ……、何でそんなに、優しい、んですか!何で……っ」

梓は泣きじゃくりながら、途切れ途切れに言葉を吐き出した。私はそんな梓をただ
強く抱き締めた。
梓が自分と同じ気持ちでいてくれたなんて。それだけで天にも昇るような思いだった。

「何でっ……」
「梓、私」

呟いた梓を、さっきよりもっともっと強く抱き締めると、私は梓の声を遮るように
掠れた声で言った。好きだ、って。
私は一旦、梓の身体を離すと口付けようと顔を近付けた。
あと数センチ、あと数ミリ、唇が近付いたとき、突然梓は私の身体を突き飛ばした。

「あ、梓……?」

これが唯やムギなら「冗談だし」って笑えたのに。
これが澪なら「何本気にしてんだよ」ってからかえたのに。
私は梓を呆然と見上げることしか出来なかった。

梓は私を突き飛ばした後、はっとしたように私を見て、「あ、ごめん、なさい……」
と呟いた。梓の両目からまたぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
けど私はそれを拭ってやることは出来なかった。

「ごめん、なさい……、ごめん……なさいっ!」

梓は何度も何度もそう言って謝ると、この場にいることに耐え切れなくなったように
近くに置いていた自分の荷物を手に取って走り去った。

「梓っ」

止める間もなかった。
私はただ一人、その場に取り残された。

あれ以来、梓と私は会っていない。澪や唯、ムギは部室にたまに集まっているようだけど、
誘われても私は行かなかった。梓が来てるかも知れない、そう思うと行けなかった。


カレンダーの8月の日にちがだんだん少なくなっていく。
夏休みはもう終わる。
終わってしまう。このまま終わって欲しいと思った。このまま、もう何事もなく。
夏休みが終わったら、この気持ちにけじめがつくんじゃないか、って思った。
梓のこと、早く忘れてしまいたかった。
なのに、忘れられない。忘れたくない。けど、梓は私じゃだめなんだ――

どうすればいいんだろう。
どうしたらいいんだろう。

ベッドに寝転びながら考える。窓から入る冷たい風は、夏の終わりを意識させた。
机にあった携帯が震えた。私は起き上がると、携帯を取って開けた。
ムギからだった。

「もしもし?」
『りっちゃん、今ちょっと時間ある?』
「部活ならちょっと……」
『違うの、今ね、りっちゃん家の前にいるんだけど』
「え?」

言われて窓から外を見てみると、確かにそこにはムギの姿があった。
そして相変わらず少し間抜けなギターの持ち方の唯の姿も。

「ムギ、唯!?」
「やっほー、りっちゃん!来ちゃったー」

えへへ、と笑って手を振る唯。私は「ちょっと待ってて」と言うと、携帯を閉じて
階段を転びそうになりながら駆け下りた。
何でムギたちがここにいるんだよ、と思いながらドアを開ける。
そこには私の幻じゃなく、確かに唯達の姿があった。

「学校行っても会えないし、皆で来てみようって話になったんだけど……」
「澪ちゃんは私は良いって言って断られちゃって。あずにゃんもりっちゃんと同じで
部活に来ないし……」

そっか、梓も部活に行って無いんだ。そのことに少しほっとする自分がいる。
ムギと唯は、交互に話しながら私の顔を時折ちらちらと盗み見る。
暫くの間、最近の近況を話すとムギはここからが本題という様に「それでね」と言った。

「りっちゃんと梓ちゃん最近来ないし、澪ちゃんも元気ないから三人の間で何かあったのかなって」
「澪ちゃんと喧嘩……じゃないよね?」
「私たち、ずっと心配してたの」

私は頷くとごめん、と言った。ムギたちの表情から、本当に心配してたんだってことは
痛いほど伝わった。だから私は謝った。そして今は何も話せないって意味も込めて。
話したくなんかなかった。話したら泣いてしまいそうだったから。
話したら、こんなに優しい仲間に嫌われてしまいそうだったから。
同性が好きだなんて、普通ありえないだろ?
以前の私だったらきっと、笑い飛ばすか何かしている。

「りっちゃん……、いつでもいいから電話でも何でもしてきてね?話くらいは聞くから」
「わ、私も!あんまり頼りないかも知れないけど……でも、りっちゃんの役に立ちたいから!」
「ん、二人ともありがとな」

私は二人に笑いかけた。久しぶりの笑顔で、ちゃんと笑えてるか自信はなかった。


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最終更新:2010年10月05日 19:41